第二話 鈴太郎視点
月の願い
「は、初めまして……エナと申します……」
初めて彼女のことを見たとき。
彼女はとても小さくなって、緊張しているようだった。
エナはまだ十歳と少しという頃に、私の元に預けられた。
はるか北に住む人々の血を継いだ彼女の肌は宝石のように透明で、その瞳は天に広がる空のように蒼く、澄み渡っていた。
「先生ったら、また昨日も夜更かしされていたんですねっ? 目の下に凄いくまができてますよ!」
「あわわ……ご、ごめんよエナ。私も早く寝ようと思っていたんだけど、急に熱を出したお子さんがいるというので、つい……」
九人の使徒は、それぞれが国の重大な役職を司っている。
人々を癒やし、病毒の知識を後世に残すのが私の役目だった。
「私……先生のことをお慕い……い、いえっ! 心から尊敬しています……っ! でも、先生が無理をされているのを見るのは、とても辛いです……」
「うん……ありがとう。君の言う通りだね。私一人がいくら頑張っても、私が救うことができる人の数には限りがある」
「あ……先生……」
私は目の前で俯くエナの銀色の髪を優しく撫で、安心させるように微笑む。
私もまだまだだと。
大切な教え子に、このような顔をさせてはいけないと思っていた。
「でも、きっとそれももうすぐ終わるよっ! だって、私にはエナのような優秀な生徒が沢山いるんだもの。みんなすぐに私よりも沢山の人を助けられるようになる」
「はいっ! 私も早く先生のお力になれるよう、全身全霊で頑張ります……っ!」
そう言って、私に――――ううん、〝僕〟に満面の笑顔を向けてくれていたエナさん。それを見た僕の心に、とても暖かで、今すぐ抱きしめたくなるような想いが溢れてくる。
これは僕が山田さんの力で見た、過去の光景。
僕の中にいる〝ソウマ様〟が、一番幸せだった頃の記憶。
「どうして……? 〝この疫病〟はなんなの……っ!? 私の力でも、過去の記録をどれだけ漁っても、なんの治療法も見つからないなんて……っ!」
ソウマ様は、来る日も来る日もその病気をなんとかしようと頑張ってた。
何度も疫病の区画を訪れ、弱って死んでいく人の看病を続けていた。
エール様の加護を持つ自分は大丈夫だからって……そう言って。
ソウマ様たち九人の使徒は、預言者エヌアの企みを〝知らなかった〟。
エヌアはいつも、一番重要な決断は全部自分と神様だけでしていたから。
だから……悠生のお父さんがエヌアを殺して、その戦いで街が火の海に包まれたときも――――。
「殺す……ッ! 俺の邪魔をするというのなら、お前もエヌアと同罪だ……!」
「アルト……っ! 私は……!」
他の使徒たちが次々と逃げ出す中。それでもソウマ様は戦っていた。
ボロボロ涙を零しながら、全身傷だらけで、血塗れになりながら。
「ごめん……っ! ごめんよアルト……っ! 私は、何も出来なかった……! 何も知らなかったんだ……! 本当に、ごめん……!」
悠生のお父さんに一人で謝りながら。ずっと――――。
「……ッ! ならば、お前も俺と共に来い! 俺はまだ……お前だけは〝信じていたい〟……っ!」
「だめだよアルト……それはもう出来ない……ッ! 私にはもう、君の手を取ることはできない……! この燃える街を見てごらん……? 君がたった今殺した大勢の人たちの顔を見てごらん……!? たとえどんな理由があっても、君はエール様の力を血と殺戮に使ったじゃないか……っ! その行いは、いつか必ず君自身に還ってくる……っ!」
「ソウマ……ッ!」
ソウマ様は最後まで戦った。
他の使徒や、エナさんが無事に遠くに逃げるまで。
「分かったんだよアルトっ! 私たちは、最初からエール様に〝頼っちゃいけなかった〟んだ……! エール様は、私たちの願いを叶えてあげたいと君に言ったかもしれない……だけど違う! それでも私たちの願いは……私たち自身で叶えないといけなかったんだ……っ!」
「黙れッ! 結局お前もエヌアと同じだ……! 俺からエールを奪おうとする者は、全員殺してやるッ!」
「アルト……! エール様を解放するんだ……! そうしないと、君は……っ!」
そこでソウマ様の記憶は終わってた。
まばゆく輝く光の刃が目の前に迫って、ソウマ様は死んでしまった。
『――――そうだよ。だけど、私はそのときたしかに〝聞いた〟んだ』
過去の出来事を見終えた僕の心に、ソウマ様の声が響く。
『あのとき、エール様の声を聞いたのはアルトだけじゃなかった。アルトの刃で肉体を失い、消えようとした私のことを、エール様はちゃんと見ていて下さったんだ』
エール様の声が、ソウマ様にも届いていた?
じゃあ、この前僕が死にそうになったときにソウマ様が助けてくれたのも、今こうしてソウマ様と僕がお話し出来るのも……。
『そう……私はエール様に願ったんだ。どうか……今度は〝エール様ご自身が幸せになれますように〟って……』
その言葉を境に、ソウマ様の声が少しずつ遠ざかっていく。
待って……待って下さい!
ソウマ様のそのお願いは叶ったんですか……!?
エール様は、幸せになれたんですか……!?
『今までは〝叶っていなかった〟……だから、私はここにいたんだ』
最後のとき。
どこまでも広がる黒の向こうに、とても優しい笑みを浮かべた男の人が浮かぶ。
『神にお仕えする九人の使徒は、使徒になった後に一度だけ自分の願いを〝直接〟エール様に願う権利を与えられる。その権利を僕はあの瞬間まで使っていなかった。エール様に直接願うということは、それだけ自らの魂をエール様に強く結びつけるということ。私が君とは別に意識を保ち続けていたのもそのせいなんだ……。だけど――――それも〝もう終わり〟』
その人がソウマ様だって、僕はすぐにわかった。
『大丈夫。はるか昔……私がエール様に祈った願いは〝叶った〟よ。ようやくみんなが手に入れた幸せをここから先に繋ぐのは、もう神様じゃない……君たち自身だ』
暗かった僕の周りに、悠生や
そこに浮かぶみんなの顔は笑顔で、とても幸せそうだった。
ソウマ様の言う通りだ。
僕たちはみんな、殺し屋としてずっと悩んで、戦ってきた。
自分の力に苦しんで、いつも組織の力に怯えながら生きてきた。
でも……どんなに怖くても、辛くても。
それでも本当の自分の幸せを掴みたくて、殺し屋マンションに集まったんだ。
その願いを叶えるのは僕たち。
ようやく手に入れた幸せを守るのは、神様じゃなくて僕たち自身だ。
ソウマ様は……それを悠生のお父さんにも分かって貰いたかったんだね……。
『エナのこと……頼んだよ。結局私は、彼女を泣かせてばかりだったから……どうか私の分も……彼女を笑顔に……』
ソウマ様はそう言って、今度こそ光の中に消えていった。
いつの間にか僕は泣いていて。ソウマ様の光が全部消えてしまうまで……僕はずっと、その闇を見つめ続けていた――――。
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