楽園の初め


 止めどなく沸き上がる殺意。

 その殺意に呼応するようにして増大する力。


 我を忘れ、殺意に支配された俺の襲撃に、エヌアと四柱の神は当然抵抗した。

 空間を操り、死を操り、闇と光を操り。俺の殺意を退けようとした。


 奴らの力は俺の想像を絶する物だった。

 恐らく、かつての俺であれば為す術もなく死んでいただろう。


「た、たすけ……! ころさ、ないで……! 許して……くれ……」

「…………」


 だが……俺は勝った。


 俺の瞳はかつては見えなかった物をはっきりと捉え、俺の刃はかつては斬れなかった物を容易く両断した。


 エヌアの森羅万象を操る力も、神々の人知を越えた力も。その全てを俺の刃は断ち切り、切り裂いた。


 天変地異すら巻き起こすほどの戦いによって、崩落した神殿と都市の中央。

 返り血に塗れた俺は、四肢を失い、虫のように這いずり命乞いをするエヌアを見下ろしていた。


 俺が信じ、崇め、拠り所としてきたこの国の頂点。

 威厳に満ちた高貴な老人の姿はすでになく、その命乞いの台詞は、俺が今まで殺してきた無数の罪人と同じだった。


 何も言わずに手を振る。


 瞬間。エヌアの皺だらけの首が胴体から切り離され、すでに相応の血液を失っていたであろう肉体から、最後の鮮血の華が噴き出す。


「が……がが……い、いだろ、う……ならば……みて、いるぞ……お、まえが、わたし、に……なる、のを…………」


 血だまりの上を首が転がる。

 首だけとなったエヌアが潰れた眼孔を俺に向け、うそぶいた。


 俺はその頭部を足で踏みつぶし、血だまりの中に沈める。


 すでに、四柱の神は残骸となって沈黙した。

 もうもうと立ち昇る黒煙。

 

 崩れ落ち、解放されているにも関わらず辺りを満たす、むせかえるような死の匂い。間もなく夜明けを迎える暗い夜の闇に、燃え盛る災厄の炎と、都市に住む大勢の人々の泣き叫ぶ声が響いていた。



 そして――――。



「大神、エール……」


 そのような大破砕の後においても、虹色に輝く光。かつての俺が信じたもう一つの存在である大神エールは、この世の全てを見守るようにしてそこにいた。



〝ネガイ……ネガイヲ……ササゲヨ〟



 その時の俺には分かっていた。

 大神エールはエヌアとは違う。


 あの時、殺意に身を委ねた俺に聞こえてきた声。

 それはまさしく大神エールの声だったのだ。


 大神は俺の願いを叶えてくれた。

 虐げられ、全てを奪われた俺に……願いを叶える力を与えて下さったのだ。


 全てが終わり、崩れ去った廃墟の中央。

 俺は血だまりの中から歩みを進め、その光に……〝神〟に、恐る恐る手を触れた。


「あ……ああああああッ!?」


 瞬間。

 かつて感じたことのない膨大な力が俺の中に溢れる。

 そして、同時に全てを理解した。


 偉大なる神は……エールは俺を裏切ってなどいなかった。


 むしろ逆だ。


 エールもまた、エヌアのような欲深き人間共によって奴隷のように使われてきたのだ。この神は……この力そのものとも呼べる存在は、意思ある命の願いを叶えるためだけにこの地に舞い降りた。


 俺の中に、俺たちが住むこの大地の全貌が映る。

 どこまでも蒼く輝く、丸い大地。


 そして、その大地の上で日々を営む多くの命。

 エールはその命と意思の輝きに惹かれ、遙か彼方、星海の果てからやってきた。

 

 そして、たしかにエールの持つ力はまさしく神と等しくとも、その心はただ親を信じることしか出来ぬ、生まれ落ちたばかりの〝赤子〟のよう。


 エヌアを初めとしたこの国の歴代の統治者たちは、このエールの力を自らの私利私欲と力の維持のために使い、私腹を肥やしていたのだ。


「動くな――――! 〝殺しの者〟の主、アルトよ。偉大なる大神エールから離れ、その命を捧げよ。抵抗するならば――――」


 エールの真実に触れた俺の耳に、うっとうしい虫けらの羽音が届く。

 見れば、そこにはそれぞれの力を解放した〝九人の使徒〟たちが、生き残った兵と共に俺を包囲していた。


「どうしてなのアルト……!? これは、本当に君がやったの!? なんでこんなことを……っ!」

「抵抗すれば……どうする?」

「すでに、貴様の同胞である殺しの者たちは捕縛した。抵抗するのならば、同胞諸共皆殺す。抵抗せず、大人しく命を捧げるならば、貴様の同胞にまで手をかけることは――――」

「…………そうか」


 次の瞬間。俺は使徒の先頭、濃緑の法衣を纏った男の腕を躊躇なく切り落とす。


「が……!? があああああああ!?」

「〝好きにしろ〟。殺したいなら殺せ。お前たちが俺の仲間を殺し続ける間、俺もまたお前たちを殺そう」

「あ……ある、と……?」


 迷いはなかった。

 恐れもなかった。


 瞬間、一斉に襲いかかってきた残りの使徒と兵たちを、俺は血に塗れながら殺しに殺した。


 まるで、粘土で作った人形を壊すように。

 草木で編んだ布を引き裂くように。


 エールの真実と力を知った俺は、もう〝命の重さ〟を感じなくなっていた。

 

「エールは俺の物だ。これからは、俺がエールを使う。他の誰にも渡しはしない。汚れきったお前たちの手になど、触れさせるものか……!」

「アルト……! そんな……っ!」


 エールと深く繋がり、無限の力を手に入れた俺は無敵だった。

 九人の使徒は為す術もなく敗走したが、俺はそれを追わなかった。


 ただ一人……ソウマだけは最後まで俺からエールを奪おうとしていたが、最後には肉片の一つも残さずこの世から消し去ってやった。


 一つ誤算だったのは、強大すぎるエールの力を制御するためにエヌアたちが編み出していた〝聖火〟を使徒たちに奪われたことだ。


 エールの力を人の身へと降ろし、それによってエールから遠く離れた地においても神の力を行使可能とする秘法。たしか、今の聖火はソウマの教え子……エナとかいう女だが、所詮はエールの欠片にすぎない。捨て置いても問題はないだろう。


 破壊と血、そして死。


 エールは、確かに俺の願いを叶えてくれた。

 全てを殺すと。


 俺から奪おうとする者全てを殺すという、俺の最後の願いを叶えてくれた。

 最後まで俺を裏切らなかった。



〝ネガイ……ツヨイ、ネガイ〟 



 今もエールは俺に手を伸ばしていた。

 俺の持つ強い願いを叶えたいと、俺の願いをもっと見たいと。


 俺は確かに約束した。


 俺の願いを叶えてくれるのならば、俺はこの身を犠牲にしても、全てを捧げて神に報いると。


 エール。


 この世で最も純粋で、美しく、無垢で、孤独な存在。

 権力者たちの欲に塗れ、使われるだけの哀れな存在。


 俺が傍にいる。

 俺がお前を守ってやる。


 全てを失った俺を、闇から救い出してくれたお前の願いを。

 今度は、俺が叶える番だ。



 ―――――――

 ――――

 ――



「おとうさま!」

「おお! ユーセ……!」


 天高く浮遊した神殿から大地を見下ろす俺の背後から、愛する我が子の声が届く。

 振り向いた俺にまっすぐ向かってくる我が子……〝ユーセ〟を、俺は優しく抱きしめる。


「本日の公務はもう終わりなのですよね……? お食事をご一緒にと……ユーセが貴方と一緒に食べたいと言ってきかないのです」

「そうか……いつも相手をしてやれずすまない。では、今日は久しぶりに俺たちだけで食事にしよう」


 それから……俺はエールの力を礎に、国を築いた。

 

 エールの力に限界はなかった。

 

 あの混乱の最中、殺害された俺の仲間も、疫病で死んだ者たちも。

 そして、最愛の妻であるイーアもまた、あの時の姿のまま蘇った。


 蘇ったイーアは、無事に元気な男の子を産んだ。

 その子には、二人で決めていたとおりに〝ユーセ〟と名付けた。


 俺は、失ったはずの全てを取り戻した。


 当然、願いを叶える権利を持つ者が俺だけであってはならない。

 エールはそのようなことを望んではいない。


 九人の使徒に代わって任命した九人の側近たちと共に、俺は日々忙しく大勢の人々の願いを聞いて周り、可能な限りあらゆる願いを叶えて回った。


 蘇生も、欲望も、そして殺意も。

 あらゆる願いを、可能な限り成就して回った。


 すぐに俺たちの国は、かつてとは比べものにならない程に繁栄した。


 天に届く巨大な塔も。

 天上に浮かぶ幾つもの神殿も。

 エールがいればあらゆる願いが望みのままだった。


 俺の創造した国は神の国と呼ばれ、その恩恵にあずかろうと、世界中の者が俺の国に集った。


 そうだ。

 俺はエヌアとは違う。


 あのような薄汚いネズミとは違う。 


 エールの力によって再び動き出した俺の時間。

 取り戻した妻と子を抱きしめながら、俺はそう固く信じていた――――。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る