契約は終わり


Lord Bibleロード・バイブル〟……ッ! よくぞ……! よくぞ俺の前に姿を現わせたものだな……ッ!?』

「お言葉ながら、我が君マイロード……。私は今この時も、貴方と交わした契約を破ってはいません。全てを反故にし、偉大なる女神の庇護を喪失したのは、貴方の方です」

『なんだと……ッ!?』


 何もかもが傷ついて。円卓の殺し屋も、僕たちも、創世主ロード・ジェネシスだって傷だらけになった戦場。山田さんはただ一人、傷一つない姿で僕たちの前に現れた。


「オーナー!? お前……円卓の王だったのか!?」

「ええ……そうですよ悠生ゆうせいさん。そしてこうなってしまった以上、貴方や他の皆さんにも後で必ず全てをお話しします。ですが……まずはこの場を収めなくてはいけませんね」


 山田さんはいつもかけているサングラスを外して、手には淡く輝く開かれた〝一冊の分厚い本〟を持っていた。そして本当に辛そうな表情で戦場を見回し、もう一度創世主に視線を向ける。


月城悠生つきしろゆうせい月城永久つきしろとわ……お二人に悠久の真実を伝えず、〝私の力〟で因果の編纂へんさんも行わず、時の傍観者に徹すること。そしてそれと引き替えに、貴方と円卓は私たちの住むこの安住の地を犯さないこと。それこそが、貴方と私が〝女神に誓って交わした〟契約だったはず」

『ふざ、けるな――――ッッ! お前とファーストだけならばまだしも、〝蛇〟、〝近似値聖杯〟、〝折れた刃聖剣〟、〝月の使徒聖櫃〟……そして、〝女神の篝火聖火〟……ッ!』


 もう立っているのもやっとという様子の創世主が、幼さの残る金色の瞳を血走らせて山田さんに牙を剥く。


『それらを束ね、ついにはエールすらこの地に降臨しているのだッッ! これだけの超常を導いておきながら……! それでもお前は、今世の運命に介入していないとのたまうのか……!?』

「はい……我が君。貴方にとっては認めがたい事実でしょうが、私は〝我が書〟と〝女神〟に誓い、貴方と袂を分かってから一度も〝運命の編纂〟を行っていないと断言出来ます。貴方の聖剣から女神の加護が失われ、逆に我々の力は増し続けていることが、何よりの証です」

『ぐ……っ!』


 山田さんと創世主の話す内容は、少なくとも今の僕にはさっぱり分からなかった。

 六業会で戦っていた頃でもそんな話は聞いたことがなかったし、そもそも、〝記の王ロード・バイブル〟なんていう人がいたことも全然知らなかったから……。


「女神の契約を破棄し、加護を失っている今の貴方がたに勝利はありません。どうか剣を収め、お引き取り下さい」

『おの、れぇえええええ…………ッ!』


 まるで地獄の底から響くような。

 ただ聞くだけで恐怖に足がすくむような。


 とても十代前半の見た目の子が発したとは思えないような、恐ろしい声が大気を震わせる。


『エール……! なぜだ……なぜ、俺の声を聞いてくれない……!? その男に何がある!? 力もなく、知恵もなく、もはや数えきれぬほど〝俺に殺され続けたその男〟に何がある……!? 〝何もない〟……この男には何もないはずだろう!?』

「こいつ……! まだ……!」

『悠生……貴様はこの俺が残した唯一の失態、過ちの象徴だ……! 何度踏み潰し、何度八つ裂きにしようとも〝無限に蘇る悪魔の蛇〟め……! あのまま大人しく、今世で〝俺の制御下〟に置かれていれば良かったものを……ッッ!』


 創世主は血だらけの手に輝く聖剣を握り締めて、空いている方の手を目の前の悠生と永久さんに伸ばす。

 それを見た悠生が永久さんを庇うために前に立って、だけど永久さんもそんな悠生を支えるようにして、二人で一緒に前に出る。


「お願いですから……もうこんなことは止めてくださいっ! エールさんは、ただみんなに笑顔で……幸せになって欲しいって思っているだけなんです……っ!」

『黙れ……ッ! たかが器ごときが、本物のエールにでもなったつもりか!? 皆を笑顔にだと……!? エールが、皆を幸せにするだと……ッ!?』


 いけない……!

 

 エリカさんのおかげでなんとか動けるようになった僕は、まだ諦めてない様子の創世主から二人を守ろうと、エリカさんに支えられながら震える手で印を結ぶ。


 さっきもそうだったけど……この人の執念は一体どこからくるの!?

 

『ならば、〝エールの願い〟は誰が叶えるッッ!? 誰がエールを笑顔にする……!? 〝俺だ〟……ッ! 俺こそが唯一、エールを幸せに出来る! 決して〝お前〟などではない! お前のような、なんの力も知恵もないガキに……エールの願いを叶えることなど、出来るはずがない――――ッッ!』


 その時。まるで怒りそのものを血液にして吐き出したように、殺意を真っ赤に染めた創世主が聖剣を振り上げる。


 悠生と永久さんは二人で一つの力を燃やして、創世主の刃に向かって自分たちの方から立ち向かっていった。


 僕もエリカさんも。


 ちょうど僕たちと悠生たちの間にいたレックスさんも。他のみんなも、今度こそ倒すしかないって、覚悟を決めて同時に動いた。


 だけどその時。地面を蹴った僕の視界の端。

 血塗れの創世主の姿から、山田さんだけは悲しそうに目を逸らしていたんだ。


 そして――――。


「え……っ!?」

「っ!?」


 けど、創世主の刃は振り下ろされたりしなかった。



〝怪我をしているの……?〟



「女の、人……? 永久さん……?」


 血しぶきを上げて聖剣を振り上げた創世主の、本当に目の前。


 そこには、一体いつからいたのかも分からない、光り輝く薄い布を纏っただけの、永久さんにそっくりな女の人が立っていたんだ。



〝かわいそう……治してあげる〟



『あ、ああ……ああ……!』


 驚く僕たちの視線の先。

 現れた女の人は優しい笑みを浮かべて、まるで泣きじゃくる子供を慰めるようにして、傷だらけになった創世主の顔にそっと手を当てた――――。



 ――――――

 ――――

 ――



 そこからの事は、まるで夢の世界の出来事みたいだった。


 永久さんに良く似た女の人は、傷だらけだった創世主も、倒れていた二人の王も、他の円卓の殺し屋の傷も全部治してしまった。


 でも、彼女が〝治した〟のは円卓の殺し屋だけじゃなくて……僕たち殺し屋マンションのみんなも、ボロボロになった殺し屋マンションも、マンションの周りの建物やご近所さんのお家も。何もかもを治してしまったんだ。



〝泣かないで……悲しいことも、辛いことも、全部私が治してあげるから〟



 最後。全てを元通りに治したその人は、そんな言葉を残して僕たちの前から消えた。もしかしたら、あの人が創世主や永久さんの言っていたエールさん……?


 お互い全部の傷が治って、それこそ命を落とした人までが息を吹き返して。

 本当に全てが元通りになった。


 でも、創世主のあの恐ろしいほどの執念を見ていた僕は、これでまた戦いが振り出しに戻ったって思った。またお互いの命を奪い合うような、酷い戦いが始まるって思った。だけど――――。


『――――お前との〝契約は終わり〟だ。もはや、これ以上お前たちを泳がせる理由はなくなった。〝次〟に会うときは、円卓の全戦力をもって殺す』

「畏まりました……我が君。どうか、その御心に悔いのなきよう……」


 創世主はそう言い残して、円卓の大軍勢や二人の王と一緒にあっさりと引き上げてしまったんだ。

 

 僕にも、悠生にも、どうしてあれだけエールさんに執着していた創世主が戦うのを止めたのかは分からなかった。


 いつの間にか夜明けを迎えていた殺し屋マンションの前。物々しい轟音と一緒に去って行く円卓の姿を、僕と悠生は、ただ黙って見つめていた――――。


 

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