紅の真実


「母さん……」


 目も眩むような光が収まって、太陽の光も失った僕の視界に黒い闇が戻ってくる。


 僕の腕の中で気を失って眠る母さんの横顔はとても穏やかで……僕は母さんから伝わってくる、懐かしいぬくもりに泣きそうになっていた。


 悠生ゆうせいが言ってくれた通り、母さんは僕に本当のことを隠していた。


 もし母さんが本当に僕を六業会ろくごうかいの教義に染めようと思っていたのなら、僕が物心ついた時から〝太極様の真実〟を説いて、それが当たり前のことだって思わせることも出来たはずだ。


 でも、母さんは〝それをしなかった〟。


 もしかしたら、母さんも迷っていたのかもしれない。

 それが人の道に外れたことだって、分かっていたのかもしれない。


 もちろんそんなことはなくて、ただの気まぐれだったのかもしれないけど……。


 今は何も分からない……でも母さんが目を覚ましたら、僕は今度こそ逃げずに母さんと話そうと思う。


 母さんや六業会のやることに賛成できなくても。

 たとえ今度こそ、本当のお別れになったとしても。

 

 みんなに支えられてここまで来れた今の僕なら、前よりももっと母さんのことを分かってあげられる気がするから――――。


『まさか……まさかスーリヤが敗れるとは……っ! 信じられん……っ!』

「これで残るは貴方一人……! まだやるというのなら、私もお相手致します……っ!」

『ぐぬ、ぐぬぬ……っ』


 成長を続けていた太極の根はゆっくりとその動きを止めて、闇の中でより暗い影となって僕たちの前にそびえ立っていた。


 母さんの力の消滅を見たシュクラさんが悔しそうなうめき声を上げ、今も激しい炎を燃やすエリカさんの前で、乗っているロボットの武器を力なく降ろす。


「やったな……鈴太郎りんたろう

「終わった、の……?」


 母さんを抱きかかえて浮かぶ僕は、どういう表情をしていいのかわからないままその光景を見つめていた。

 ふらふらになりながら僕の傍に飛んできた悠生も、もう〝神の拳ディヴァイン・フィスト〟の力はなくなっていて……その両手は火傷したみたいにボロボロだった。


 僕の中で渦巻いていた〝月天星宿王ストリ・ソーマ〟様の力も今は感じられなかった。なくなってしまった訳じゃないとは思うんだけど……全部の力を使い果たしてしまったような、凄い脱力感が僕を襲っていた。


「いや、まだだ……疲れてるところ悪いが、この化け物をなんとかしねぇとな……!」

「た、確かにそうだね……っ。でも、僕ももうへとへとで……こんな大きな根っこ、どうやって……?」


 今はもうすっかり遠くなってしまった青い地球。あそこまで戻るだけでも大変そうなのに、おまけにこの根っこまでなんとかしないといけないなんて……。


 途方に暮れる僕を見て、さすがの悠生も疲れた溜息をつく。


 でも――――。


「え……っ?」

「どうした……?」


 でも、そんな僕と悠生が視線を根の先端側に向けたとき。

 僕はそこに、絶対にあり得ない〝モノ〟を見たんだ。


「なに、これ……っ!?」

「っ! こいつは、洒落にならねぇな……!」

「これ……これは、まさか……っ!?」


 紅。


 さっきまで黒一色の宇宙空間が広がっていたはずの根の先の光景が、僕が視線を向けたその時には、僕の視界は真っ赤な〝ナニカ〟に覆い尽くされていたんだ。


 僕の意識と思考が一瞬めちゃめちゃに混乱して、この状況を呑み込もうとぐるぐるに回転する。


 これはなに!?

 どうしていきなり、全部が真っ赤に――――!?


 いや……違う。

 それが何なのか、僕にはもう分かってた。


 けど、あまりにも現実離れしすぎたその光景に、意識がそれを認めようとしなかっただけなんだ。


「悠生っ! 小貫こぬきさんっ! みんなも――――! 〝逃げて〟……逃げて下さいっ! 〝あの人〟が来てますっ!」

永久とわさん……っ!? あの人って……!?」

「クソが……ッ! そういうことかよ、道理で〝大人しかった〟訳だ……ッ!」



〝月〟



 その紅は月だった。


 いくら太極の根が凄いスピードで成長したって言っても、地球と月の距離はとんでもなく離れてる。さっき母さんと戦ってた時には、まだまだずっと遠くに月はあった筈なのに……っ!?


 っていうか、何なのこれ……!?


 僕たちの目の前にまで迫っていた月……〝お月様〟。


 二十年前に起きた〝虐殺の二月〟の後、当時盛んだった月面開発や調査は全部打ち切られてしまった。その後、あの割れた月が今どうなってるのかを一般の人が知る方法は、完全に封鎖されてる。


 表向きの理由は月が割れて危険だからっていうことだったけど……九曜だった僕は知ってる。円卓が、月に関する全ての情報を掌握してるからだ。


 その僕でも知らなかった今のお月様の姿は、僕が学校で習ったような、本やネットで見ることの出来る昔の見た目とは全然違った。


 地球と違って空気のないお月様は、地面まで視界を遮るものが存在しない。

 僕は特別目が良いってわけじゃないけど、僕が持つ波を操る力は、紅で覆われた月がどうなっているのかを僕にはっきりと教えてくれていた。


「〝花〟……? 月に紅い花が、咲いて……っ?」



〝花〟だ。



 月の全てを覆う、少しの隙間もない紅い花園。五つに分かれた花びらは静かに揺れて、同じように紅い色の花粉をふわりと飛ばしている。


 みんながイメージする灰色の地面は全然見えなくて、お月様の全てがその紅い花に支配されているように見えた。僕たちが地球から見上げていた紅い月。その紅は、この見たこともない〝紅い花〟の色だったんだ――――!

 

『やはり……っ! やはり太極の力はここまで〝衰えていた〟か……! 馬鹿者どもめ……っ! だからなんとしても太極に力を注がねばならなかったのだ……ッ!』

「黙ってろ、話は後で聞いてやるッ! おい〝ちび女〟! お前の力も貸しやがれ!」

「皆さんっ! 私に掴まって下さいっ!」

「エリカさんっ! ごめんなさい、お願いしますーっ!」



 ――――そこからは、とにかく信じられない光景の連続だった。



 お月様を目指して伸びていた太極の根に、月の方から伸びた〝茨のツタ〟みたいな植物が絡みつく。


 茨はまるで根を食べるみたいに締め上げると、その根の上で一斉に紅い花を咲かせた。


 ツタに食われた根は一瞬で色を失って、しなびて……さっきの戦いで悠生と永久さんが根を攻撃したときと同じように、燃え尽きた灰みたいになって根元から砕けてしまったんだ。


 ツタは逃げる僕たちにも襲いかかってきたけど、まだ余力のあったエリカさんとシュクラさんが、力を合わせて防いでくれたお陰でなんとか逃げることが出来た。


 太極の根を食べ尽くした紅い月は、まるで満足したようにより紅く輝いて……大きくなったように見えた。


 そして凄いスピードで遠ざかる景色の中。

 僕の力は確かに見たんだ。



 割れた月の真ん中にある裂け目。そこに牢獄のように張り巡らされ、〝月を繋ぎ合わせている〟太極の根。そして――――。



 その中で眠りにつく、〝永久さんと瓜二つの女性〟の姿を――――。


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