第四話

壊れた太陽


「この私を侮辱した罪、その命で購え……ッ!」

「フフ……」


 完全にキレたエリカさんの叫びに応えるように、彼女の周囲に青白い炎の竜がいくつも現れる。


 一方で僕はといえば、その間にも何度も何度も吐いていて、もう吐き出せる物なんてないのに、それでもまだ涎と胃液を地面に吐き出し続けていた。


 僕にとって、母さんの存在は最大級のトラウマだった。

 六業会ろくごうかいでの日々は、そのまま母さんと過ごした時間そのもの。


 今まで経験したことのない、それこそ〝あの日〟以来の悪寒と激痛が全身に奔って、僕は地面を何度も何度も拳で叩きながら悶えていた。


 なんでって?

 そんなの決まってる。


 今、ここで動くために――――!

 もう苦しいと思う神経なんて、ここで全部焼き切ってしまうためにだ!


〝大した奴だよ。お前はその時、自分が一番大事にしてたモンの手を、自分一人で取れたんだ。永久がいなけりゃ何も出来なかった俺なんかより、ずっと立派さ〟


 あの出来事の後――――。


 同じように円卓から追われていた悠生ゆうせいと偶然会って。

 僕はあの日見たことを、初めて他人に話すことが出来たんだ。


 そんな僕に、悠生は言ってくれた。


 よく頑張ったなって。

 僕はちゃんと、大切な物を選べてたって。


 嬉しかった。

 

〝罪しかない〟と思っていた僕の命に、少しでも意味があったのかもって思えた。


 あの時悠生に会っていなかったら。

 ああ言って貰えてなかったら。


 今頃僕はどうなっていたかわからない。

 

 だから――――!

 だからこの程度――――なんだっていうんだッ!


 苦しむなら苦しめばいい。

 このまま死んでしまうなら、そうなったって構わないっ!


 僕はもう、それだけのことをしてしまった。

 今こうして生きていることだって、絶対に許されないような罪を犯した。


 でも、それでも――――っ!

 今ここで、エリカさんを見殺しにするなんて――――絶対に駄目だッ!

 

「燃えろ……ッ! そして死ね!」


 瞬間。エリカさんが従える無数の炎が渦を巻いた。

 僕の展開した波越しにも伝わる圧倒的熱量。きっと大きなダンプカーや電車でも一瞬でドロドロに溶かしてしまうほどの炎。


 それはまるで空間そのものに引火するように一瞬で母さんの領域を焼き尽くすと、軌道上の全てを飲み込んで蒼と白の混じり合った大爆発を起こす。


 でも――――!


「っ!? これは……っ!?」

「なにかしましたか……?」


 〝夜〟だ。

 

 エリカさんが母さんを炎で包んだその瞬間。さっきまで刺さるほどの日の光を放っていた母さんの〝領域〟は一瞬にして夜に変わった。


 日の光を奪われた世界は一瞬にして寒く――――いや、これはもう寒いとか言うレベルじゃない。地面に咲く草花があっというまに白く、触れればガラスのように割れるほどに凍結する。


 エリカさんが放った渾身の炎。


 なんだって焼き尽くせるはずの灼熱の炎は、瞬く間に極寒に変わった世界にその力を吸い上げられるようにして小さくなって――――そして消える。


 結局、エリカさんの炎はなに一つ燃やすことも出来ずに消えた。

 その先には、さっきと同じ姿で佇む母さんが――――。


 や、やっぱり……〝この人の力〟は……っ!


 まともに吸い込んだ息は気道に突き刺さり、瞬きをすれば凍り付いて目を開けない。僕は波紋を展開しながらようやく膝をついて立ち上がり、エリカさんは自分の周囲に纏うように炎を燃やしたけど――――彼女の炎の勢いは目に見えて弱かった。だから――――!


「くっ……この寒さ、は……っ!?」

「駄目だ……エリカさんっ! 止まったら呑まれる! 動いて、僕と一緒にっ!」

「っ!? ――――はいっ!」


 だけど動くしかない。

 たとえどれだけ力に差があっても。


 ここで生き残るには、足掻くしかない――――ッ!


 全身汚れ塗れ。今だって、僕の顔は涙と鼻水でぐしゃぐしゃのはず。

 だけどそれでも、僕は立った。


 立って印を結び、エリカさんにありったけの力で叫ぶことが出来た。

 

 そんな僕の声に、エリカさんはそれだけで分かってくれて。

 僕に背を向けたまま、確かに頷いてくれたんだ。


「我が心は波――――ッ! 押せば引き、引けば返す無窮の因果――――!」

「私の炎は、まだ消えてない――――ッ!」


 僕の渾身の波紋。それはエリカさんがもう一度展開した灼熱に寄り添うように波を起こし、その炎に明確な指向性を与える。


 ただでさえ数千度以上の熱を持つエリカさんの炎が螺旋状に渦巻き、加速してさらに温度を上げる。そしてその炎は僕の波紋と重なって、とんでもない閃光の槍に変わった。

 

 蒼だった炎の色は完全な〝白〟に。光の槍になって一直線に撃ち放たれる。


 僕たち二人が叩き付けた閃光の灼熱。


 それは母さんも、母さんの周りに立つ石造りの寺院も、地面も何もかもを飲み込んで抉り抜いた。


小貫こぬきさんっ。もう大丈夫なんですかっ!?」

「ごめん……エリカさん。いつもこんなのばっかりで……。でも、大丈夫。僕もやる……! ちゃんと僕もやるから……っ!」

「小貫さん……」


 炸裂する閃光。


 その閃光を背にして心配そうに僕を見るエリカさんに、僕は急いで顔をハンドタオルで拭きながら答えた。けれど――――。


「――――さて。貴方たちにとって〝太陽〟とは、どのような存在でしょうか?」

「――――っ!?」


 だけど、その声はなにも変わらなかった。

 穏やかで、どこまでも底の見えない、深い闇のような声。


「太陽――――それは日々昇っては堕ち、朝と夜をもたらすだけの天体ではありません。もしもこの世から太陽が消え去れば、星に降り注ぐ熱は絶え、全ての生命もまた消え去るでしょう。そう――――貴女の非力な炎のように」

「か、母さん……っ」

「……っ!」


 無傷だった。


 僕とエリカさんの二つの力を合わせて、二人とも少しだって手を抜かないで、息だってぴったりだった攻撃を正面から受けたのに。


 母さんは何も変わらず、まるで本当の神様みたいに優しく笑って立っていた。


「……ただ物質を燃やすことしか能のない貴女の炎など、太陽という〝万物の母〟の前では塵芥に過ぎません。万象一切を育み、そして罰する。それこそが、〝九曜の日スーリヤ〟の名を背負う我が責務――――」


 そう穏やかな笑みを浮かべる母さんの背に、神々しく輝く〝光輪〟が浮かび上がる。それは曼荼羅まんだらとも違う、完全に神様の力を自分の物にした人だけが顕現させることのできる、力の発露。


「そして鈴太郎りんたろう……貴方はやはり、この母の日の光の元でこそ最も輝く子なのです。今の〝か弱い力〟がその何よりの証――――」


 エリカさんには厳しく、そして僕に対しては優しく。

 それぞれに全く違う表情を浮かべて、母さんは残酷な現実を突きつける。


「でも大丈夫……すぐに〝元の鈴太郎〟に戻れます。この母の元に帰れば、それだけで貴方はいつだってまた輝く事ができるのですから……」

「か、母さん……っ。僕は……っ」


 母さんが背負う光輪の輝きが増す。


 それはこの〝領域〟そのものを大きく揺らして、更に僕たちの頭上で夜と昼がぐるぐるに加速してあっという間に入れ替わっていく。


 そのとんでもない光景は、まるで母さんこそが太陽になったみたいな。

 ううん……。


〝まるで〟じゃない。

 母さんは太陽そのものだ。

 

 この世界に命を生み出し、今も育み続けている、太陽の化身。

 

 僕にとっても、ずっとそうだった。

 母さんこそが世界を照らすお日様で、僕もずっとそうだと信じてた。


 けど――――。

 

「では……次は私から動くとしましょうか」


 言って、両手を左右に広げる、僕の〝壊れた太陽〟。


 歪んで血に塗れたその太陽は、今も僕に変わらぬ笑顔を向け続けていた――――。

 


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る