篝火の少女


「じゃあな二人とも。寒いから気をつけて帰れよ」

「あははっ。そんなに心配しなくたって、お二人ともここに住んでるんですから大丈夫だと思いますよ?」

「そりゃそうか」


 明るいオレンジ色のライトが灯る室内から出た僕とエリカさんを、悠生ゆうせい永久とわさんは笑みを浮かべて見送ってくれた。


 マンションの構造的に、ここはあまり風が吹き込むような場所ではないのだけど、それでももうすぐ一年が終わるこの時期の夜は凄く寒かった。


「ありがとう悠生、永久さんも。次は僕の家で集まろうよ! 実はこの前、ずっと欲しかったチーズフォンデュセットを買ったんだけど、試しに一人で食べたら〝死ぬほど寂しくて〟泣いちゃってぇえええ……ッッ!」

「なにやってんだお前は!? だが、まあそうだな……なら次は鈴太郎りんたろうの家にするか。チーズフォンデュってなに持ってけば良いんだ?」

「はいはーいっ! 私もそれがいいと思います! じゃあ、後で日程とか確認しておきますねっ!」


 にこやかに手を振って僕たちを見送ってくれる悠生と永久さんに手を振り返し、僕とエリカさんはそのまま二人で殺し屋マンションの奥まった廊下を歩いて行く。


 殺し屋マンションは全部で七階建て。上の二階は庭付きの凄く広い部屋が二つずつあるだけで、オーナーの山田さんや管理人のサダヨさんの部屋もそこ。


 僕や悠生みたいにお世話になってる住民は、その下の五階までのフロアで普通のマンションと同じように部屋を借りて住んでる。ちなみに、僕の部屋は403号室で、新しく引っ越してきたエリカさんの部屋は……どこだっけ?


「そういえば、エリカさんの部屋は何号室――――」

「…………」


 その時。僕は本当に何気なくそう聞いたつもりだったんだ。


 でも、振り向いた先で俯きながらゆっくりと歩くエリカさんの姿に、僕は思わず出掛かった言葉を飲み込んだ。


 憂いを秘めた透き通った横顔。

 深く澄んだ青い瞳に、長い三つ編みと同じ銀色に輝く、まるで濡れているように艶のあるまつげ


 エリカさんがよく着ているどこか古風な――――というよりも高貴な? 

 まるでファンタジー映画に出てきそうな見た目の白と黒のケープは、そんなエリカさんの〝やんごとない〟雰囲気をより一層強めているように見えた。


 マンションの廊下に点々と灯るオレンジ色の明かり。


 その明かりの下に立つ彼女は、どこからどう見ても凄く綺麗で。

 まるで、どこかの国のお姫様みたいで。けど――――。


 けど……なんだろう?

 どこか――――。


「……どうかしましたか?」

「っ!? あ、いや……っ! その…………! ごめんなさい、なんでもないです…………」

「…………」


 し、しまったあああああッ!? 僕はなんてことを……っ! まだ全然仲良くもなってない、ほとんど初対面の女の子に向かって不審すぎる行動をおおおおおっ!?


 突然エリカさんから見つめ返され、あからさまに挙動不審になってしまった僕に、彼女はさっきよりも明らかに冷たい視線を向けていた。はわわ……! 彼女の僕への信頼が下がる音が聞こえるうううう……っ!?


 あたふたする僕を余所に、エリカさんは細いマンションの廊下を僕を追い越してエレベーターのある方へと歩いて行く。そして――――。


「…………きっと、私のことを疑っていらっしゃるんですよね?」

「えっ!?」


 エレベーターホールの前。気まずいながらも小走りに追いついた僕に、エリカさんは呟くようにして言った。


「そう思われて当然だと思います……マスターは、私のことをとても庇って下さいましたけど。私があの場で貴方やマスターを裏切ったのは、事実ですから……」

「ちょ、ちょっと待ってよエリカさんっ! 誤解だよっ! 僕は全然……これっぽっちもそんなこと思ってなくて……! ただ、エリカさんが浮かない顔をしていたから〝悩んでる〟ことでもあるのかなって……」

「…………」


 エリカさんのその言葉に、僕は必死に釈明した。


 だって、僕もそうだけど……きっと悠生だって、永久さんだって――――もうエリカさんが裏切り者だなんて、全然思ってないのに……。


 あたふたと弁明する僕の前で、エリカさんは何も言わずにエレベーターのスイッチを押した。


 ガラス張りの扉の向こう。ゆっくりと動き出すエレベーターのロープ。エリカさんは相変わらず無言……。


 き、気まず過ぎるよこれぇぇえええ――――っ!?


 な、何か……ッ!

 

 何かこの凍り付いた雰囲気を変えられるような話題を探さないと……っ!

 このままじゃ、エレベーターが到着する前に僕の胃がねじ切れそう……っ!


「…………けど」

「え……?」


 でもその時。一人青ざめる僕を知ってか知らずか、エリカさんが唐突に口を開いたんだ。並んで前を向く僕とエリカさんの正面で、やってきたエレベーターが停まる――――。


「言っておきますけど……っ! 私は……〝既婚男性〟にいつまでも恋い焦がれるような、我が儘な子供じゃありませんから……ッッッッ!」

「はい……っ! は……っ!? ええええええええっ!?」


 ちょ……!? いきなり何言い出してるのこの子おおおおおっ!?

 僕そんなこと一言も言ってないけどおおおおっ!?


 っていうか熱っ!? 熱い!? エリカさん燃えてるッッ! なんか体から炎出てますけどッッ!?


 も、もしかして……っていうか、もしかしなくてもエリカさんって、大人しそうに見えて実は〝こういう子〟なのっ!?

 

「では、私はここで失礼します……ッ! チーズフォンデュ……楽しみにしておりますので……!」


 あ、チーズフォンデュは食べに来てくれるんだ……! 嬉しい……っ!


 なんて僕が喜んだのも束の間。あまりにもぶっ飛んだ〝突然の告白〟に呆然とする僕を放置し、エリカさんはスタスタと一人でエレベーターに乗り込むと、そのまま問答無用でドアを閉め、つんと瞳を閉じて上に昇っていってしまった……。


「え、エリカさん……っ。これは確かに〝悠生の弟子〟だ……っ!」


 結局一人その場に取り残されてしまった僕。

 

 僕はそんな彼女の姿を見送りながら、大切な友達の悠生が今も持っている、燃えるような熱を思い浮かべていた――――。

 


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