約束の覚悟
暗転。
エリカを庇い、鋼の王の一撃を正面から受けた俺は完全に意識を飛ばされた。
ここまでされても俺の体は無傷だろう。だが、それは衝撃による意識の途絶や物理的な拘束に対しては意味を成さない。
闇に墜ちた意識。遠ざかる感覚の中で、声が聞こえた。
「――――これは〝なんの真似〟だね? 事と次第によっては、今すぐ君を私の目の前から消し去ってもいいのだよ」
「クスッ……そうお怒りにならないで下さい、鋼の王。これは貴方様がより確実に〝
声――――それは、あのクソジジイともう一人。
どこまでも冷たく、
「すでに〝ノア〟はこのエリア一帯を掌握しました。アヴァターといえども、こうなってしまえば籠の中の鳥。逃げることはできません」
「……よかろう。だが……〝拳の王〟はそのまま置いていきたまえ。妙な動きはしないことだ。違えれば、毒の王の席は明日にも空になっているだろう」
「ええ……そのように」
朧な意識の向こう。大気そのものを震動させる低音が響き渡り、気流が渦を巻いて巻き上がるのを感じる。しかし俺は指一本動かせず、目を開くことも出来なかった。
「信じていましたよ……マスターなら、きっと〝私を助けてくれる〟って。マスターのそういうところ。私……大好きです」
エリカの声。
それはまるで泣いているような、灼熱の憎悪を燃やしているような。
言い表すことの出来ない色を帯びた声だった。
「ねぇ……知ってました? 私……マスターのこと、ずっと好きだったんですよ……」
最後に聞いた声。
それは一瞬で炎のように舞い上がり、そして闇の中に溶けて消えた――――。
――――――
――――
――
薄闇に包まれた室内。
まるで一切の熱が消えたように暗く、白い壁紙には紅い月の光が差し込んでいる。
俺と永久が暮らす殺し屋マンションの自宅。
今、ここに
永久は円卓の機動要塞に囚われ、〝聖域〟に向けて護送中だ。
あの時。スティールの一撃を受けて昏倒した俺は、
エリカは最初から敵だった。
正直、そんな予感はしていた。
だからこそ俺は、永久を守るための戦いにエリカの同行を許可しなかった。まあ、結果的には俺が甘かったってことだ。
薄く、紅く染まった夜の闇。俺はゆっくりと拳を握り、殺し屋マンションのネットワークに繋がるタブレットの画面を落とす。
普段好んで着るレザージャケットでは無く、漆黒に赤いラインが引かれた戦闘用の仕事着を纏う。
あの時。俺が永久の声を無視してエリカを見捨て、永久だけを救っていれば。
もしかしたら、あの場はやり過ごせたのかも知れない。
だが、もし俺が永久のためだけに全てを犠牲にするような男なら、きっと永久は俺を愛してはくれなかっただろう。俺も、永久を今のように愛することは出来なかったはずだ。
だから、俺はあの時の判断を後悔することはない。
後悔するとすれば、それは永久の好きな俺でいられなかった時。
永久との約束を、〝俺自身が諦めた時〟だ。
薄闇の中。最後に俺は、二人で幸せに暮らした場所に目を向ける。
必ずここに、また永久と二人で戻って来ると誓いながら。
――――――
――――
――
「ククク……ッ! 待ってたよ、
「待たせたなサダヨさん」
準備を終え、殺し屋マンションのエントランスへと現れた俺の前に、幽鬼のように現れるサダヨさん。その長い髪の向こうの両目は赤く輝き、彼女も俺と同じく、これで終わらせる気はないことを如実に伝えていた。
「僕も行く……っ! さっきは、永久さんを守れなくてごめん……! でも、だから……っ! 僕が君から受けた依頼……最後までやらせて欲しいんだっ! 今度は、絶対にちゃんとやるから……!」
「ああ……わかってるよ
更にはサダヨさんともう一人。グレーの高級ブランドスーツに身を包み、頭の先からつま先までガッチガチに固めた鈴太郎も俺を待っていた。
こいつが〝超スロースターター〟なのはいつものことだ。
それでも、俺は今まで何度もこいつに助けられてきた。
だから俺は笑って鈴太郎の肩に手を置くと、頷きながら感謝を伝えた。そして――――。
「――――お待たせ! 急いで飛ばしてきたよ。三人とも乗って!」
深夜の殺し屋マンション前。集まった俺たち三人の元に、赤い月を背に、一機の異様な外観を持つ漆黒のヘリが〝音も無く〟舞い降りる。
そしてそれほど大きいとも言えない道路の上で滞空したヘリから、甲高い少女の声が届く。その声に促された俺たちは開け放たれた扉からヘリに乗り込んだ。
「こんな時間に悪いな
「永久ちゃんが攫われたんでしょ……? 許せないよね……全部向こうの勝手でさ……!」
とても広いとは言えないヘリの後部座席。
正面に見える分割型のコックピットから、小柄な女性が俺たちに声をかける。
彼女は
俺たちと同じく殺し屋マンジョンに住む〝運び屋〟だ。
肩書きの通り殺し屋でも殺し屋殺しでもないが、その常軌を逸した操縦技術は殺し屋すら越えている。そしてそんな彼女には、俺も昔から世話になっていた。
見た目は十代前半にしか見えない容姿をしているが、これでも俺より年上だ。
しかも旦那さんとの間に子供も三人いる。永久とも普段から仲良くしてくれていた、良いお母さんだ。
「今回の相手は円卓の機動要塞だ。一度〝上に昇られる〟と流石に手が出せない。間に合いそうか?」
「私を誰だと思ってんの? 君たちは大人しく、私に運ばれていればよろしいっ!」
「ヒヒヒ……! キラキラ……ッ! リア充が増えた……ッ! 二倍ッ!」
「あ、あのぉ……急ぐのも大事ですが、やはりここは安全運転重視でですね……!?」
「さあ――――! しっかり掴まってないと死ぬからねっ!」
瞬間、一定の高度まで上昇したヘリのローターブレードが折り畳まれ、メインローターごと機体内部に格納。同じようにテールローターも外観から消える。
そして機体の左右に張り出す翼に備えられたスラスターが青白い炎を吐き、俺たちを乗せたヘリは一瞬で音速を超えて加速する。
体にかかる強烈なG。しかしそれは今、俺に永久の元へと向かっているという確かな実感と熱にしかならない。
既に地上の明かりも乏しい深い夜の闇。
囚われた永久が待つ機動要塞へと突き進む俺たちを、ただ二つに割れた月だけが見つめていた――――。
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