第27話 心音

 藤園にデートに行った翌日の日曜日。

 私は居ても立っても居られなくなり彼にメッセージを送る。


 雪音ゆきね

『今から遊びに行ってもいいかな?』


 画面を見つめると直ぐに既読の文字からの返信。


 千姫せんき

『うん、大丈夫だよ。何かお菓子を用意しておくね!』


 その返信を見てベッドの上でまた足をパタパタさせる。


「やったぁ! 2日連続で休みの日に会える♪」


 私は勢いよく起き上がると早速準備に取り掛かる。洗面所に行き服を脱ぎシャワーを浴びる。鏡に写る自分の胸を見て少しのため息。


「……この傷が無ければもっと大胆になれたんだけどな」


 自分の胸に残る傷跡を少し憎らしく思いながら指を這わす。胸にチクリとした痛みを憶えながらも首をブンブン振ってシャワーを済ませる。


「ママ、今日も千姫の所に行ってくるね」

「んふふっ千姫君の所ね〜。それならお土産を持って行きなさいな」


 ママは私が男の子の家に行くのを反対していないので安心なのだけど、何かとお節介を焼きたがる。


「お土産かぁ……」


 その言葉に私は少し考えてから頷く。


 ここ最近、千姫の家に行くのが当たり前みたいになってたからお土産って感覚がなかったや。


「うん、分かった買っていくよ。何がいいかなぁ……」

「雪音、はいコレ」


 肖像画が描かれた一枚の紙幣。


「えっお金? いいの?」


 何かと財布の紐には厳しい母なので当月のお小遣い以外はあまりくれない。お手伝いをしたらポイントが貯まり、それに応じて臨時収入はあるけれど、自然と渡されたお札に目を見開く。


「えぇ、雪音が惚れた男の子だもの。母親としては応援しなきゃね!」


 年齢の割に若く見える母は可愛らしくウインクする。それに若干の苦笑いをしつつ有難くお金を受け取る。


 受け取る時に、母がぐっと私の手を掴み顔を真正面から覗き込む。大人の真剣な眼差しを初めて見た気がした。


「……おかあさん?」


 普段の様子と違うので、ママ呼びからおかあさん呼びに変わってしまう。

 そんな母は。



「雪音。何があってもあの子を守りなさい」



 母は何を言っているのだろう?

 守る? 彼を?


「えっと……」


「どんなに辛い現実も、その思いもしっかりと受け止めなさい。あなたが好きになった男の子でしょう?」


 好きになった。

 その言葉はなにかと言い訳をしていた私の心にグッと入り込む。まるで枯れる寸前の花に水を与えたような感覚だ。


「う、うん」


 歯切れの悪い返事の私。しばらくして顔に柔らかい感触が伝わる。この年で母に抱きしめられるとは思わなかった。


「ママとの約束よ?」


 肌に感じる母の温もりに不思議と力が湧いてくる。千姫を守る……その言葉をしっかりと胸に刻みながら言の葉にのせて。


「うん、ママ! 私が千姫を守るわ!」


 今度の返事は意志の宿った言葉。

 決して違える事のない魂の誓い。



 ――――――



「千姫は何が好きかなーっと」


 ママに見送られて私は駅前の大型ショッピングモールの地下にあるお土産コーナーで物色していた。


「う〜ん。よく考えたら千姫の好きな物知らないなぁ」


 そうなのよ。

 一緒にお昼を食べたり彼の家でお茶をする事はあるけれど、基本的には彼は何でも食べる。好き嫌いが無いんじゃないかと思うほどいつも美味しいと言ってくれる。


「初めて行った時はケーキをご馳走になったし、次は大福だったし……う〜ん」


 悩んで店内をぐるぐるしていると目の前には期間限定商品の文字。


「期間限定……蜂蜜パイ」


 あまり見慣れない単語だけど、その一角は蜂蜜の芳醇な香りが漂っていた。匂いに惹かれるようにショーケースに行くと、お下げが可愛らしい店員さんが声をかけてくれる。


「ご試食いかがですか? 甘くて美味しいですよ」


 スマイル100%の笑顔が眩しくてつい手にとってしまう。ゴクリと喉を鳴らし口に含む。


 あむっ。

 もきゅもきゅ。


「こ、これくださいっ!」


 彼へのお土産は一瞬で決まった。

 私の心もこの蜜のように甘く溶けていく。


 しかし、その光景を陰から覗いている者が居たとは私は知らない。


 ――――――


「ほっ! よっ! ほいやっ!」


 何度も来た坂道を私は登っていく。

 もうすぐ会える。その思いが疲れていた体を軽くする。手にはお土産の蜂蜜パイの袋を握り真昼の太陽を一心に浴びて。


「気持ちいい」


 こんなに清々しい気持ちはいつぶりだろう? かおる達と遊んでいる時とはまた違った高揚感が胸の中を満たす。


「迷惑じゃないって言ってくれてたしこれは脈アリだよね? それに昨日見たメモ帳にも……」


『理想の恋のはじめかた』


 恋……その文字を頭に浮かべるだけで、ドキドキしてしまう。


「千姫も私に恋してくれてるって事でいいんだよね? ね?」


 最近、独り言が増えたのは気のせいよ。


 今日の服装はちょっと攻めてみる事にした。足を大胆に出したデニム生地のハーフパンツにピンクのフレアスリーブ。足元は藤の花をイメージした紫のペディキュアに涼しげなサンダル。


「これくらいなら、セーフだよね?」


 改めて自分を見ると少し恥ずかしくなる。けれど母から言われた事を頭の中で思い出しぐっと決意を固めて玄関に向かう。


「ワン!」


 インターホンを押そうとした時、庭から元気のいい声が聞こえて横に目を向けると。


「やぁ雪音。いらっしゃい」


「千姫、桃太郎ももたろう


 優しく桃太郎の頭を撫でながらやってきたのは恋焦がれる心の住人……鬼神千姫おにがみせんきその人。


「開いてるから入ってきて」

「うん! お邪魔します」


 玄関をガラリと開けて中に入る。


 シャララン


 何度も開けたはずの扉の音はこの日だけは五線譜の上で踊る私の心の音がした。



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