第16話 看病
自転車を飛ばして坂道を駆け上がる。
電話口に聞こえた声は今にも散る桜のような儚さがあったから。
迷う事なんてない。
初めからこうすれば良かったのよ。
背負った通学鞄の重さも忘れて前カゴからビニール袋を乱暴にひったくりながら急いで彼の家の前に行く。
一応乙女の嗜みとしてボサボサの髪の毛だけは手ぐしで整えて。
「ふぅ……よしっ」
息を整えて古風なベルを指で押す。
しばらく待つけど物音がしない。
「もっかい」
2度目のベルでも返事が無い。
「……」
嫌な予感がした私は失礼を承知で扉に手をかける。そして心の中で謝りつつその手を引くと……
「――っ!?」
「――っ!?」
目の前に彼の顔が迫っていた。
「あっ」
「あっ」
引き戸を引く私の手。
引き戸を押したかった彼の手。
宙を掴む彼はいつか見た時のようにバランスを崩し。
トンッ
「っとと。ナイスキャッチ私」
「あわっ」
今度も迷い無く彼の体を受け止める。
「も、桃宮さん?」
やっぱり軽い。
それに凄く熱い。
なんて答えたものかな。
「えっと……なんか電話越しで咳き込んでるの聞いちゃって」
素直がいいよね?
「心配してくれたの?」
「まぁ、そんな感じ」
頬をかきながら答えるとお互い見つめ合う。恥ずかしい時の彼の癖が伝染ったようでなんだか嬉しい。
「んっ」
「あっ」
彼の体から熱を奪っていく私の腕全体から顔にかけて赤く染まるのがわかってしまう。
「ありがとう」
「んっ。とりあえず上がっていい?」
「でも風邪
「大丈夫、私強いから。それに伝染した方が治りやすいって言うでしょ?」
この理屈は意味分からないけど私なりの強がり。病気で弱っている時は誰かの温もりが欲しいもの。
「でも」
それでも私を帰らせようとしている彼からは優しさが滲み出ていた。
けれど体は正直なもので。
クゥゥゥ
「……ご、ごめん」
「んふふっ。
さっきよりも赤くなる彼は観念して今日1日何も食べてないと教えてくれた。
「私がなにか作ってあげる。キッチン借りるね」
「えっあっ、桃宮さん?」
料理はそこまで得意じゃないけど途中で買ってきたレンチンのお粥やら卵やらが役立ちそうだ。リビングのキッチンへと向かい勝手に料理を始める。
「あとは、野菜スープでも作るかな」
観念して大人しくリビングのソファに座る彼はやはりまだ具合が悪そうだ。
「鬼神くん、できたら起こすから少し横になってなよ?」
「……ありがとう桃宮さん。じゃあ、少しだけ」
そう言って彼はソファで横になりうとうとし始めた。彼の側では
「桃太郎えらいね。ご飯までもう少し待っててね」
「ワフッ」
嬉しそうにする桃太郎は私に返事をして彼の足に顔を乗せる。
「優しいね桃太郎」
そして彼も優しい。
私はそんな1人と1匹を眺めながら夕陽に照らされて明るくなったリビングのキッチンにいる。
「なんだか、新婚さんみたい」
ポツリと私の口から出た言葉なのに、まるで自分じゃない誰かが喋ったような感覚。
「なななな、何を言ってるの私は……」
彼の寝顔と幸せそうに眠る桃太郎を見てそこに私がいる光景を当たり前のように想像してしまった。
「落ち着くのよ、雪音……まだ、まだそうと決まった訳じゃないわ」
早くなる心臓の鼓動を抑えつつ、私は再度彼が眠るソファへと近づいて行く。
もうちょっと近くで顔を見たいな。
そんな好奇心に駆られてソファの横から彼を覗き込む。よく見ると彼の顔はなかなかに私好みじゃないですか。
まつ毛長いなぁ。
桃太郎と同じように丸まって眠る彼を見てると微笑ましい。
私よりも小さいかも。
ちょっと失礼しま〜す。
今から行う事は彼の健康状態を確かめる為なんだからっ。
ピト。
頬に触れた手が暖かい。
「んっ」
フニフニとした頬の感触はつきたてのお餅のよう。
「私でもこんなに柔らかくない」
ちょっと羨ましくなって彼の頬をつまむ手が止まらない。
「んんっ」
神秘的な雰囲気の男の子から漏れる艶かしい声が私の心に響き渡る。
これ以上撫で回していたら起こしてしまうのでキッチンへと舞い戻る。
「鬼神くんお粥できたよ」
「わざわざありがとう桃宮さん。いただきます」
私はできたお粥と野菜スープを持って彼の隣に座る。
桃太郎にはビーフが美味しそうなドッグフード。
「桃太郎の事もありがとう助かるよ」
「お利口さんにしてたよ。さぁ冷めないうちに食べてよ」
「うん、いただきます」
食べ始めようとする彼だけどなかなか口に持っていかない。それどころか手に持ったスプーンが小刻みに震えている。
「どうしたの?」
「いや、最近腕が思ったように動かなくてさ……」
ここで深く聞けば余計な事を言いそうになる。
「じゃあ私が食べさせてあげる」
「……えっ」
今にして思えば大胆な提案だったかもしれない。けれど病人を放っておく訳にもいかない。
「いいから、黙って口を開ける」
「は、はい」
私の強気な口調に彼は渋々折れてくれた。半ば強引に彼からスプーンを受け取るとお粥に沈めて。
「ふぅふぅ……はい、あ〜ん」
「……あ、あ〜ん」
彼の顔は熱でもあるんじゃないかと思う程に赤くなっていた。
そしてきっと私も……
お粥と野菜スープ。
彼の口に吸い込まれるふたつに私はなりたいと思ってしまった。
「ご、ご馳走様でした。野菜スープも美味しかった」
「そ、そう……良かった、良かった」
その一言で少し場の空気が緩む。
「そ、そうだ! 桃缶も買ってきたんだ。食べる?」
「い、今?」
「そう今! 病人はいっぱい食べきゃね」
沈黙がいたたまれなくなった私は急に話題転換を持ちかけて食器を持ってキッチンへ。
「も、桃宮さんと一緒に食べたい」
ポツリと呟いた言葉を私は聞き逃さない。
「うん」
その後に2人で食べた桃の缶詰は、冷たいのになぜか熱くとっても甘い味がした。
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