第35話 主従
17
歩道に並んだ街路樹の緑が風に揺れ、さわさわと囁きあっている。
そんな街路樹のそばに黒いセダンが滑り込んだ。
後部のドアが開き真島が降りた。助手席の屋根に肘をかけ、運転席をのぞき込む。窓を空けた吉野越しに元相棒に話しかける。
「んじゃよろしくな。詳しいこたァ、また後で連絡するからサ」
運転席からはおう、という野太い声が返ってきたが、真島はすでにポケットに手を突っ込み、少し背中を丸めて数メートル先の歩道を歩いていた。
「真島さぁん、それじゃ!」
吉野の声に真島は片手をひらひらさせて路地に入っていった。
「本当なんですかねえ」
吉野が訊いた。
新堂は正面を見据えたまま
「まあ、来週中に高元ンとこで何かあるのは間違いねえな」
と答えた。
その視線はいったい何を見据えているのだろう。
詳しいことはわからなかったが、新堂とあの真島が絡むのだ。何か面白いことになるのは間違いない。
吉野は何だかわけもわからず嬉しくなった。
18
結局、檜山は八波を連れて事務所に帰ってきた。
ドアをノックし、中に声をかけながら開ける。
「善次郎さん、いる?」
「おお、檜山くん。早かったのぉ」
川中島は立ちあがって出迎えた。テーブルの上に高元邸の見取り図が広げられている。彼なりに作戦を考えていたらしい。
歩み寄ってきた川中島の足がピタリと止まった。檜山の後方から声が飛ぶ。
「善次郎!」
「京さま!」
ようやく再開できた二人の男はがっちりと抱き合った。足元を菊麻呂が跳ね回っている。
「おお、菊麻呂。大きくなったのォ」
川中島はしゃがみこむと菊麻呂の頭を撫でてやった。お返しとばかりに菊麻呂が川中島の顔を舐めまわす。
「どわっははは、これ、よさぬか、菊麻呂」
「善次郎、探したぞ。道中危うくのたれ死んでしまうところであった」
じゃれ合う二人を見ながら八波が声を掛けた。すると川中島は撫でていた手を止め、一歩下がると正座した。背筋をピンと伸ばし、まっすぐ八波を見る。
「面目次第もありませぬ。かくなる上はこの場で腹掻っ捌いてお詫び申し上げまする」
老人は帯に差していた小刀を目の前に静かに置いた。
これには檜山があわてた。
「うわあぁっ、ちょっと待ってくださいよ! 何でそうなっちゃうんですか! 善次郎さん、落ち着いてくださいよ! 八波くんも止めてよ!」
檜山は八波を君付けで呼んでいた。言葉こそ古めかしい言葉を使っているが、年は檜山よりも五つか六つは若いだろう。八波が嫌がるのであれば君付けはよそうと思ったが、八波はとくに嫌がる風でもなかったので、そのまま呼び続けている。
「善次郎。檜山殿の言うとおりだ。お前に腹を切ってほしくて言ったのではない。ようやくこうして会えたのにそなたに腹を切られては会えた意味がないではないか」
「もったいないお言葉を……」
「それより傷の具合はどうなのだ」
「おかげさまでこのとおり充分回復いたしました」
まだ、包帯だらけの川中島だが、たしかにここ数日で随分回復した。ここに運び込んだときには身動きできない状態だったことを考えると、驚くべき回復力である。
「しかし、よく、わしがここにいることがおわかりになりましたな」
「菊麻呂を連れてあてもなく彷徨っていたところで、この――」
八波は檜山に向き直った。
「――檜山殿とお会いしてな」
そして袴の裾を払って川中島の隣に膝をつくと
「檜山殿、先刻は疑ったりしてすまなかった。その上善次郎まで救っていただき、何と礼を言ってよいものか……この通りだ」
と頭を下げた。隣の川中島も
「檜山くん、よくぞ京志さまとお会いなされた。善次郎、心より礼を申す」
と頭を下げる。
目の前で頭を下げている二人を見ながら、檜山は心底困っていた。
救うも何も、川中島を車で轢いたのは檜山である。
檜山があのとき轢かなかったら川中島は怪我をせず、黒マントを着た四ツ戒堂と名乗る男と闘ってもこんなにひどい怪我を負うことはなかったのかもしれない。
お世辞にも役に立ったとは言い難い。
もっとも怪我をした川中島を連れて帰っていたからこそ今回八波に引き合わせることができたのも事実である。
ただ、どうにも居心地が悪かった。
「あのぉ、とりあえず二人とも顔上げてくださいよ」
檜山が言った。
顔を上げた二人が見た檜山の顔にはひどく曖昧な笑顔が浮かんでいた。
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