第29話 新堂敦司の憂鬱 その1
突然電話が鳴った。
愛想のない着信音を響かせながら机のどこかで
ディスプレイに番号の表示はない。
警視庁特殊犯罪課刑事新堂敦司の今までの経験上、こういう電話はタレコミか、ろくでもない電話のどちらかである。通話ボタンを押し、ドスを効かせた低い声で出る。
「新堂だ」
『俺だよ』
電話の向こうからは能天気な声が返ってきた。
予想は当たった。後者――ろくでもない奴からの電話だ。げんなりとした声で話しかける。
「真島かよ」
もしかするとタレコミかもしれないと細やかな期待を持ってはいたが、期待は見事に打ち砕かれた。そんな新堂の気持ちなどまるで気がつかないのだろう。聞こえてくる能天気な口調は変わらない。
『いま何してる?』
「仕事に決まってんだろうが。公務員は忙しいんだよ」
『どこいるんだよ』
「署内にいる」
『丁度いいや。そばまで来てるんだ。ちょっと出てこいよ』
何がちょうどいいやだ。人の話を聞いているのか。
「聞こえなかったのか。忙しいっつってんだよ」
『どうせ書類とにらめっこしてるだけなんだろ。お前のためを思って親友がわざわざ息抜きする口実つくってやってるんじゃねえか。お前、頭使う仕事向いてないんだからさあ』
チッ――。
まるでどこかで見ているようなことを言いやがる。
「一言多いんだよ」
真島は笑いながら近くの通りの名前をいい、早く来いよ、と一方的に電話を切った。
「ヤな野郎だぜ」
切れた電話を見ながら毒づいた新堂だが、正直、この呼び出しは渡りに船だった。
悔しいが真島の言ったように新堂の頭は事務処理には向いていない。仕事は現場で暴れてこそ、と思っている。
いつもは後輩の吉野に事務を任せているのだが、その吉野は爆発物処理の講習会があるとかで、先週から出張したままだ。予定では昼ぐらいに戻ってくるという話だったが、どこで油を売っているのか一向に帰ってこない。
新堂は朝からずっと昨日起きた実験猿逃亡事件の関係者の調書整理をしていた。
製薬会社の研究施設でバイオテクノロジーを駆使してつくられた猿のような実験体が逃走。無事捕獲できたのはいいのだが、関係者の話す専門用語オンパレードの言葉がまるでわからない。とりあえず話したままを調書にとってはみたものの、何を言っているのかわからないので、まとめるにまとめられず立ち往生の状態にはまり込んでいた。
もう二時をまわっているのに昼飯すら食べに行けない。
――研究所の連中ももうちょっと人間らしい言葉を話しやがれっていうんだよ!
何度心の中で叫んだことか。
――わざわざ猿捕まえてやったのに、発音も出来ねえようなわけのわからん言葉並べられちゃあ割りが合わねえじゃねえか。
これはすべて新堂の所属している特殊犯罪課という部署のせいなのである。
特殊犯罪課というと聞こえはいいが、要は何でも屋である。
近年、事件の増加傾向は発生率だけではなく、その種類も多岐に及んでいた。多種多様になった事件を解決するためには、今までの組織では不可能だ。
そこで警察側は組織の改変を行い、コンピュータ犯罪に対応する情報犯罪課を筆頭に様々な部署を新設した。
特殊犯罪課の扱う事件は、通常犯罪以外の事件である。デミ・ハーツと呼ばれる機械化人間の犯罪から、今回のような得体の知れない生物の事件、一般常識の通用しない不可解な事件などである。
もちろんそんな事件が起きなければ休んでいい、というわけではない。
不可解な事象を含んでいなくても事件は起こる。
現場にさえ出られれば、事務処理でさえなければ――新堂にとっては事件の種類はどうでもよかった。
落ちた書類を拾い上げ、デスクの上いっぱいに散らばっている分に混ぜると、新堂は大きく伸びをしてまわりを見まわした。
捜査課は捜査官と被疑者が入り混じって雑然とした雰囲気が漂わせていた。新堂ひとりがこの大部屋を出たところで別に困ることは何もない。こんな時間まで真面目に書類と格闘していたことこそ奇跡に近い。
――事件は解決したんだ。調書が遅れたから誰かが死ぬというわけでもないだろう。
そう自分を納得させ、新堂は捜査課からこっそり抜け出した。
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