第23話 真島探偵事務所 その6

   9


 事務所のドアがノックされたのは、それから三時間後のことだった。

 コンコン、という普通のノックであった。これなら貼り直したプレートが落ちることもないだろう。


「どーぞぉ」


 真島が気の抜けた声をかけた。ドアが開く。

 入ってきたのは濃紺のツーピースに身を包んだ女性であった。長いであろう黒髪をアップにまとめている。美しい部類に入る顔立ちだったが、深刻な悩みを抱えているのか、陰鬱な影が貼りつき、彼女本来の表情を覆い隠していた。


 彼女は突然訪れた非礼を詫び、高元恵理子です、と名乗った。

 今日はひとりでやってきたらしい。


「何もないところですが、どうぞ」


 真島がまるで自宅に友達を呼んだときのような妙な挨拶をした。


「あ、えーっと、はじめまして真島です。こっちはアシスタントの檜山」

「檜山です」


 ぺこりと頭を下げる。


「高元恵理子です」


 恵理子は入ってきたとき同様、静かに頭を下げた。


「とりあえず座りましょう」


 席を勧めた真島と恵理子はソファーに、檜山は回転椅子に腰を下ろした。


「さっそくなんですが――」


 真島はちょっと身を乗り出すと恵理子に負けないくらい深刻そうな顔で


「恵理子さんはコーヒーと紅茶、どっちがいいですか? 俺はコーヒーのほうがいいんだけど」


 と言った。

 そんなことを言うために深刻ぶる必要はまるでない。やはり自分が相手をすればよかったと檜山は後悔した。


 本来依頼人の相手をするのは檜山の仕事なのだ。

 何があろうと自分のペースである真島に依頼人と話すことなど不可能だ。今回は依頼人である恵理子が真島を指名してきたので仕方なく任せたが、これからどんどんボロがでてくるだろう。

 もっとも、依頼されたところで解決などとうていできないのだから、最初に断られたほうが気は楽というものだ。


 案の定、恵理子も困惑した顔だ。


「いえ、どうぞおかまいなく」

「遠慮してもいいことないよ。恵理子さんが飲まないと俺が飲みずらい。一人で飲んでもおいしくないでしょ」


 真島の声は檜山の後悔を力強くあと押しした。

 初めて会った依頼人に対して言うような言葉ではない。恵理子がそういう態度や言葉遣いを流してくれる人だったのは幸いだった。

 理恵子は


「そうですか。それでは紅茶を」


 と言った。


「檜山ぁ」


 受話器を持ち上げ飲み物を注文する。

 ソファーに身を預けた真島は今の一件で事件が解決したようなのんびりした口調で言った。


「あ、恵理子さん。あのォいきなりで悪いんだけど、ここ、探偵事務所って看板は出してるけど、探偵の仕事、今、休業中なんですよ」


 これには檜山もあ然とした。いくら探偵はやってないとはいえ、もう少し言い方というものがあるだろうに。言うに事欠いて休業中とは……。

 しかし、恵理子の答えはさらに檜山を驚かせた。


「あの、そのことなんですけど、わたくし、探偵を頼みたくて来たわけではないのです」

「へ?」


 真島も目を丸くする。


「じゃあ、何を……」


 探偵事務所に来て探偵を頼みに来たのではないとしたら、一体この人は何をしに来たというのだ。

 恵理子があわてて頭を下げる


「お気に障ったらごめんなさい。わたくし、こちらの真島さんが賞金稼ぎバウンティハンターをしておられるのを知りまして……」

「どうしてそれを?」

「昨日、テレビで拝見いたしまして」


 愚問だった。

 昨日銀行に突っ込んだときだ。無事犯人を確保して警察に引き渡したあと集まっていた報道陣の前に引っ張られインタビューを受けたのだ。もみくちゃにされながらもしっかりカメラ目線のヒーローインタビューが全国に流れたのである。


 真島がテレビに出るのは今回が初めてではない。もう何度も事件解決直後のインタビューで出たりしている。単に出たがりなのである。真島自身がそういう派手な事件に首を突っ込みたがるのも、そのあたりに原因があるのだろう。


「じゃあ、今日ここに来たのは……」

賞金稼ぎバウンティハンターとしての真島さんにお願いがありまして」


 今まで猫探しだの、女房が浮気をしているようだから調べてくれなんていう探偵依頼が来たことはあるが、賞金稼ぎの依頼が来たのは初めてだ。

 恵理子はちょっと考え込むように目を伏せていたが、やがて意を決したように顔を上げて言った。


「父を――捕らえてほしいのです」

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