第17話 真島探偵事務所 その1
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『真島探偵事務所』
エルミタージュとガレージの間にある階段を昇ったところにある扉。
そこに貼りついているプレートに書かれている文字である。しかもこのプレートがやたら小さい。本にはさまっているしおりを二つ折りにしたような細さしかない。ここが真島探偵事務所であるということをあまり伝えたくないと無言でアピールしているかのようなプレートだ。
そのプレートのすぐ横に。
ドン! と拳が振り下ろされた。
こんなあってもなくてもいいようなプレートなどどこか飛んでっちまえと言わんばかりの勢いで叩きまくる。
「んあ、はーい。いま行きまぁす」
もはやノックとはいえないノックの嵐に、檜山はしょぼしょぼした目をこすりながら返事をした。
檜山はドアの向こうにいる嵐の元が誰なのか知っていた。
こんな叩き方をする人間はそうそういるものではない。借金取りでももっと優しく叩くだろう。このままではドアを叩き破られるも時間の問題だ。
時計の針は十時二十七分。
……琴美さん、今日は早いなあ……
いつもは昼を過ぎないと来ない琴美である。
こんな時間にやってくるということは、昨日の夜か今朝、よほど面白くないことがあったのだろう。
その憂さを晴らしにやってきたのだ。
その火の粉が檜山に飛んでくることはないのが救いだが、朝っぱらから来られるのは困りものだ。
ボロボロの川中島を抱えて帰ってきたのが三時半。
傷の手当てなどをしてソファーに倒れこむようにして寝たのが四時過ぎである。今日は昼過ぎまで熟睡しようと思っていた檜山のささやかな希望はものの見事に潰えてしまった。
「おはよう。檜山くん」
ドアを開けるとさわやかな笑顔の琴美が立っていた。
素敵な笑顔だった。彼女を知らない人間だったら、さっきのものすごいノックをしていた人物と目の前で笑顔を見せている女性が同一人物とはとても信じられないだろう。
「おはようございます。琴美さん」
「これ、落ちてたわよ」
琴美が細長い定規のような板を差し出した。板には真島探偵事務所と書かれていた。
「あ、ありがとうございます……」
「真島いる?」
礼を言った檜山のことなど気にも止めていないのだろう。
琴美はずかずかと部屋に入ると客用のソファーで寝ていた真島を見つけニヤリと笑った。先ほどのさわやかな笑顔とはちがう、たっぷりと悪意を含んだ笑みである。
そして、悩みなど何にもないような間抜け顔で寝ている真島のわき腹あたりをいきなり踏んだ。
部屋の中に悲鳴が走る。
「いってえぇ! いてぇいてぇいてぇいてぇ!」
「おはよう、マジマクン」
「あぁ? なんだよ、琴美! モーニングサービスなんて頼んでねえぞ!」
ヒールのかかとが食い込んでいる。手足をばたばたさせながら抗議するさまは、ピンで留められた昆虫みたいでなんだかひどくもの悲しい姿である。
「なに寝ぼけたこと言ってんのよ。世の中もうとっくに動きはじめてるのよ。いつまでゴロゴロしてんのよ」
「いいじゃねえかいつまでゴロゴロしてても。俺の勝手――いぃってぇ!」
かかとがさらに食い込んだ。琴美が体重をかけたらしい。
「お前ェ、かかと刺さってるって! 何があったか知らねえけど、踏むなら檜山を踏――いてえいてえいてえ! わかった! 起きる! 起きるからこの足どけてくれ!」
部屋の主の搾り出すような悲鳴が響いた。
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