第10話 檜山進一郎の受難 その1

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 檜山と真島はゆっくりと顔を見合わせた。

 真っ青な顔で檜山が訊いた。


「ま、まじ、まさん……」


 歯の根があってないのかうまく言葉が言えなかった。

 賞金首相手の時は銃撃戦を展開したり、捕らえるためにやむを得ず負傷させたりすることもあるが、これは事故だ。相手にはなんの罪もない。


 しかも最後にハンドルを切ったのは檜山である。

 せめて電柱にでもぶつかっているのなら……という希望も前方に広がる道路、そしてそこに倒れている人らしきものによってあっさりと打ち砕かれてしまった。


「なんか……いたな」


 さすがに真島も緊張しているようだ。


「ひ、ひ、人、ですかね……」

「そういえば、さっき笑い声みたいの聞こえたな」

「ゆ、幽霊ですかね」

「だったら衝撃はないだろ」


 それもそうだ……ということは、考えられることはただひとつ……。


「あああ、終わりだァ! ぼくの人生おしまいだァ! 人を、人を轢いてしまったァァ!」


 両手で抱えた頭がダッシュボードにぶつかったのことにも気がつかないほど檜山は動揺していた。

 こんなことならハンドルなんか触るんじゃなかった。どうしてあそこでハンドルを奪おうとしてしまったのだろう。自分で運転して帰ればへこんだボディが直るわけでもないのに……。


 しかし、すべては手遅れなのだ。

 檜山は何度も何度もダッシュボードに自分の頭を打ち付けた。


「おい、檜山。落ち着けって! そんなに頭ぶつけてるとバカになっちまうぞ。お前、それ以上バカになってどうすんだ」


 真島はよく考えてみろと言った。


「まだなに轢いたかわかんねえだろうが。頭ぶつけんならちゃんと確認してから思う存分ぶつけろよ。ひょっとしたら誰かが置いたマネキンかもしれねえじゃねえか」


 真島の言葉に檜山の動きが止まる。

 今までさんざん偽善者だと思っていた真島が初めていい人に思えた瞬間だった。冷静に考えればこんなところにマネキンが置いてあるはずがないのだが、いまの檜山がそこまで気が回るはずもない。

この人についていこう――と思った。檜山の心にわずかではあるけれど一条の希望の光が差してきた。

 ゆっくりと顔を上げる。


「そ、そうですよね。人とは限らないですよね。そうだ、マネキンかもしれない。マネキンなら罪にはならないですよね」

「いや、何かの罪にはなるかもしれねえが、まあ、人よりマシだろ」

「よ、よし、確認してみましょう」


 きしむドアを強引に開けると二人は車を降りた。

 辺りにはまだ薄く白煙が漂っている。

 檜山は人影に向かっておそるおそる歩みを進めた。

 真島はいぶかしげな顔で周囲を見回したが、すぐに檜山のあとを追う。


 人影の傍らで檜山は呆然と立ち尽くしていた。

 目の前には着物を着た銀髪の老人がうつぶせになって倒れていた。額は血で真っ赤に染まり、ぴくりとも動かない。

 追いついた真島が他人事のようにつぶやいた。


「人だな」

「ああ、もうダメだァ! ぼくの人生おしまいだあぁぁ!」

「まあ、轢こうと思って轢いたわけじゃないから過失致死ってやつだな。そんなに長くぶちこなれることはねえだろ。執行猶予中おとなしくしてりゃあなんとかなるかもな」


 頭を抱え、がっくりと崩れ落ちた檜山を励まそうという真島だが、あまり励ましているようには聞こえない。


「真島さんだってハンドル握ってたじゃないですか。ぼくだけ責めないでくださいよ」

「人を巻き込むなよォ。お前が横からハンドル掴まなきゃこんなことにはならなかったんだぜ」


 それを言われると非常につらい檜山である。しがみつき、すがるような視線で懇願する。


「そんなこと言わないでなんとかしてくださいよ。お願いします」

「お願いしますったってお前……」


 なんとかしてやりたいのは山々だが、いかな真島でもこればっかりはどうしようもない。

 泣き叫ぶ檜山を放ってしばらく考え込んでいた真島は、ふと顔を上げ、あたりをきょろきょろ見まわしてから小声で言った。


「……逃げるか」

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