第5話 タカモトコレクションと深夜の来訪者 その3

 ふたつの影が庭に踊り出た。

 老人も機敏な動きでついてきている。


「心強いお嬢さんじゃのォ。いや、警報がなったときはどうなることかと思ったわい」


 老人の言葉に琴美の足が止まる。


「ちょっと待って。あんたが警報鳴らしたの?」

「いや、わしは警備の連中に見つかっただけじゃ」

「同じことじゃない!」


 危ないところを助けてくれてありがとうと思った自分に腹が立つ。〝危ないところ〟をつくりだしたのはこの男なのだ。

 そうしているあいだにも、老人は庭木の陰から飛び出してきた黒服を一人、カウンター気味に殴り倒し、池の中に放りこんでいた。そして豪快に笑い飛ばした後で、今は逃げることを考えよう、ともっともらしい顔でぬけぬけと言うのだった。


「もお、最低ッ!」


 そんな二人の行く手を数人の影が遮った。

 同じ黒服ではあるが、そこから放たれている殺気は今までの男たちの比ではない。あと一歩で逃げ切れるところで、やっかいな奴らが待っていたものである。

 老人がすっと前に出た。


「お嬢さん。ここはこの川中島善次郎かわなかじま ぜんじろうに任せて早く逃げなさい」

「当然よ!」


 予想していた返答ではなかったのだろう。

 川中島は眉を落としてつぶやいた。


「冷たいのォ」

「何言ってんのよ! あんたがドジったからこんな目に遭ってんじゃない! あたしひとりならこんなことにはならなかったわ!」


 これは川中島を擁護しなければなるまい。琴美のあの行動では遅かれ早かれ見つかって、このような状況に陥るのは火を見るより明らかだったのだ。川中島はツキのなかった自分を呪うほかない。


「任せたわよ! せめて時間稼ぎぐらいしてよね!」


 承知、という川中島の言葉と同時に二人は弾かれたように動き出した。

 正面突破は無理と踏んだ琴美は真横に飛んだ。

 そのまま屋敷を取り囲む塀を越えで脱出する。


 後を追おうとした黒服の鼻先を、一瞬で間を詰めた川中島のまわし蹴りがかすめていく。

 女と黒服のあいだに割って入った川中島はゆっくりと構えをとるとその唇をニヤリと曲げた。


「まずはわしが相手になろう」



 塀の手前で琴美は後ろを振り返った。

 予想に反して川中島は完全に黒服たちを押さえ込んでいた。自分から買って出ただけあってそれなりに心得があるのだろう。加勢してやる必要もなさそうだったし、義理もない。


 琴美はフン、と鼻を鳴らすと塀に向かって駆け出した。

 手前で地面を蹴りつけ跳躍――。

 その体が軽やかに宙を舞う。

 元々運動神経はいいほうなのだ。並のスポーツ選手よりも身体は動く。が、それにしたって塀を飛び越えるなんてことは常人ができることではない。


 それを可能にしているのが彼女の内包する『』の力である。

 本人はまったく理解していないのだが、琴美は体の中にある氣をコントロールすることができるのである。

 いまも飛び上がる瞬間、踏み込んだ足に氣を集めたことで普段とは比べ物にならない跳躍を可能にしている。


 もっとも琴美が気を操る氣功きこうのマスターかと言われれば残念ながら答えはノーだ。

 なぜなら彼女は意識的に氣を使っているわけではないからだ。いまも無意識に踏み込んだ足に氣を集中させただけなのである。彼女の氣は普段はもっぱら肌の潤いなど美容のために機能している。


 空中でひらりと一回転して表の道路に着地した琴美は、今度は振り返らず闇の中へ消えていった。

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