雲ひとつない晴天で私は君に恋をした。

青いバック

雲ひとつない晴天で私は君に恋をした。

 空は晴天で雲ひとつも無い洗濯日和といった天気だったが、私の心は雲が覆い尽くし雨が降っていた。


 自分の無気力さに打ちひしがれダラダラと、外を散歩していてた私の目の前に一匹の大型犬がやって来て、威嚇するように吠えてくる。


 何だよ……私何もしてないじゃないか。とうとう私は犬までにも威嚇され下とみなされるように、なってしまったのか。


 いや、もっと前からなってたかもしれないけどそんなの知らない。知りたくもない。

 何を考えてもネガティブ思考になってしまいどんどんと、心に雲が増えていくばかりだ。


「あの、すみません……」


「あぁ、全然大丈夫ですよ。 気にしないで下さい」


 私を威嚇してきた犬の飼い主だろうか、水色のパーカーを着ており下は短パン、髪の毛は短くガタイは細身だが筋肉質で、肌は褐色でスポーツマンスタイルの彼は私に謝ってきた。


「あれ?雨宮さんですか?」


 犬の飼い主は、唐突に私の苗字を言ってきた。雨宮葉月。それが私のフルネームだが、ここ数週間以上学校にも行ってない、行ったとしても教室の隅っこで小説を読んでいるだけの、陰キャを極めた私の名前を知っている人は少ないというよりかは、居ないだろう。


 何なら、学校では伝説の生徒として扱われているらしい。あんまり学校に来ない私、そして存在感が薄くあまり人にバレない私を見つけれたら、その日は一日楽しく過ごせるという、謎のジンクスが生まれているらしい。私自身その事に関しては、全然気にしてない。

 そんな私の苗字を知ってるなんて、珍しい人もいるもんだな。

 

「そうだけど、よく知ってるね」


「知ってますよ。 だって隣の席ですもん。 僕よく教室の外を見てるから知ってますよ」


 隣の席ですもん、と言われても私は学校には滅多に行かない不登校野郎だから、覚えているはずもない。

 あと、教室の外を良く見てるってことは授業をまともに受けてないと言ってるのと同じ事なのには、気付いているのだろうか。


 いや、この満面の笑みで私に喋りかけてきた彼は気付いてないのだろう。

 けれども、学校に行ってない私よりかは、行ってる彼の方が上なのだが。


「そうなんだ」


「あっ、僕の名前は、春榊太陽はるさかきたいようって言います」


 春榊太陽か、こんなネガティブの塊のような私にも明るく接してくれるなんて本当に太陽みたいなやつだ。それに覚えていてもくれるなんて、そんなので脳みその容量を消費するのは勿体ないと思うぞ。


 私も名前を覚えてもらっているため、覚えておく方がいいのかと思ったが、名前を覚えていてもどうせ学校には行かないし、すぐに接点も切れる事だろうし、覚えておく必要は無いか、と思い脳みそから情報を追い出す。


「へえ〜いい名前だね。 じゃあ私買い物に行くから」


「あ、そうなんだね。 また明日!」


 話すのがキツくなり、適当な言い訳をつきその場から早歩きで去ったが、後ろから元気のいい声でまた明日と言われてしまう。

 どうしよう、学校には行かない予定だったのに。いや別に行かなくてもいいのだが、また明日と言われてしまったら、少しだけ悩むというかなんというか……罪悪感が少しだけ積もる。


 学校に行かなくなってしまった私に、親も何も言わなくなってしまった。興味が薄れたというよりかは、もう期待しない方がいいと考えたのだろう。

 賢明な判断だと思う。転校もさせてもらったのに、私は結局過去に囚われて行けなくなってしまった。


 それにしても、また明日か……。


 次の日私は珍しく7時に起き、久しぶりに紺色で色彩された夏の制服の袖に腕を通す。スカートを履き鏡の前に立つが、我ながらいけていると思う。髪の毛は、腰まで伸びていた。もう長いこと切ってないな。

 そして、何年ぶりに着たかも分からない制服は、小さくも無く大きくも無くて、私の成長が止まっていることを丁寧に教えてくれる。


 昼過ぎに起きて、夜中までゲームして朝方に寝る。そんな生活をしてれば当然のように、体は成長はしなかったようだ。


 別に成長してないからなんだ、別にいいじゃないか。うん、別にいいのだ。しかし、胸周りは少しは大きくなってて欲しかったなあ……。


 制服を着終わると、お腹が音を鳴らす。

 お腹空いたな、髪の毛もボサボサだし梳かすついでに1階へ降りよう。


 2階には、私の部屋と他に父親の書斎兼部屋がある。

 父親の部屋を横切り階段へと行き、軽快に降りて行く。

 降りてすぐの所にある、洗面台へ行き歯を磨きながら髪の毛を梳かす。


 リビングからは、包丁を一定のリズムで落とす音が聞こえる。

 母親が朝ごはんを作っている最中のようだ。

 しかし、こんな朝早くから母親の顔を見たくない。私が学校に行かなくなってから、私達家族の仲は最悪になってしまった。


 母親は私の顔を見る度に、ゴミを見るような目をし、父親に関しては、私を居ないものとして扱っている。


 学歴主義の父親からしたら、学校に行かない私なんて底辺のゴミクズとでも思っているのだろう。


 髪の毛を梳かし終えて、口の中に残る歯磨き粉を水でゆすぐ。

 ふぅ、と一息ついてリビングの扉を開ける。


 扉を開けると偉そうにふんぞり返り新聞に目を通す父親と、朝ごはんの準備を急いでする母親の姿があった。


「お、おはよう」


 私は少し吃りながらもおはようと言う。


「……おはよう」


 母親は私のことを、数秒見ておはようと返す。

 父親は、まだ新聞に目を移しており、こちらを向こうともしてない。気付いてはいるのだろうが、無視をしているのだろう。


「……葉月。 その格好はなんだ」


 新聞から目を離した父親の第一声は、私の格好についてのことだった。


「学校に行こうかなって……」


「……そうか。 お前みたいなやつでもたまには行こうと思うものなんだな。 転校もさせてやったのに、この恩知らずが」


 嫌味たらしく父親はそう吐き捨てる。

 お前みたいなやつ。やはり父親は私を道端に捨ててあるゴミとでも思っているのだろう。私は虐めが原因で、一回中学校を転校したが、結局過去の事が引っかかって行けなくなってしまった。


「……お、お母さん。 朝ごはん食べてもいいかな?」


「……ほら、さっさと食べて学校に行ってちょうだい」


 母親は、机の上に私のご飯を並べてくれる。

 私は椅子に座り、手を合わせ作ってくれたご飯を急いで食べる。

 早く行ってちょうだい。それは私の事を長い事見たくない、という事なのだろうか。分からないが、早くこの雰囲気から抜け出したい。そう思い、ご飯を口の中に掻き込む。


「……ご馳走様。 美味しかったよ」


 母親は、「そう」とも何も言ってくれない。無言で私の食べた食器を片付ける。

 ご飯を食べた私は、2階へ上がり通学鞄を持ち学校指定の靴を履き家を出る。


「行ってきます」


 もちろん返事はない。「行ってらっしゃい」そう言ってもらえるだけでも、何かが変わる気がした。

 玄関を開け外へ出ると、燦燦と地面を照り付ける太陽が黒色の影を作り出していた。


 黒色の影は、私の心の雲の黒さを表しているかのようだった。

 心の雨は溢れかえる寸前で、ダムは決壊しそうになっていた。


 外から降り注ぐ太陽の陽は、私の白い肌を容赦なく焼いていき、体温がグングンと上がってゆく。汗もナイアガラの滝のように溢れ出てくる。

 どこか涼める場所を、探さないと倒れてしまいそうだ。


 涼める場所を探すためダラダラと歩いていたら、よく行くコンビニの前を通る。ここって通学路だったのか、全然学校に行かないから知らなかった。

 どうせなら、買い食いでもしてしまおうか。いや、ダメだ。涼める場所は、もうあそこしかないか。私は、学校へと足を早めることにした。


 学校へ向かっている自分の視界が心做しか、歪み始めた気がする。

 地面からの陽炎で、歪んで見えているだけかもしれない。

 右足の力が抜けるのを感じた時に、あれは目眩だったんだと私はやっと気付く。何が陽炎で歪んでるだ。思いきり熱中症じゃないか。


 灰色の地面が近付いてくるのが分かる。あ、ぶつかるなと思った時、褐色の腕が私を優しく支える。

 地面スレスレの所で私は、誰かに支えられる。


「おっと! 大丈夫? 雨宮さん」


 倒れゆく私の体を、姫を受け止めるように優しく受け止めてくれたのは、ボヤけて見えた春榊だった。


「……春榊?」


 春榊は汗が染み込んだワイシャツに、背中に手を回し私の体を支えてくれる。


 春榊が私を支えてる、そして制服は汗でびちゃびちゃ。やばい、やばい。私の女としての人生が終わる。

 異性に汗びっしょりのまま支えられている事実を確認した私は、急いで支えてもらっている腕から離れる。


「大丈夫? 倒れる寸前だったけど」


「あ、いや。 大丈夫。 ちょっと目眩しただけから」


 目眩がしただけ、と言うが本当は熱中症だろう。

 頭もボーとするし、血が上手く回ってない気がする。


「目眩がしただけは、大丈夫じゃないよ。 水飲んで、これ開けてないから」


 そう言うと、春榊は肩からかけていたスクールバックから、500ミリリットルのペットポトルを手渡してくれる。


「いや、悪いよ。 自分で買うから大丈夫だよ」


「遠慮しないで。 今すぐ飲んだ方がいいよ。熱中かもしれないから」


 うっ、こんなに優しくしてもらっているのに、断るのは悪いし有難くもらおう。


「わ、分かった。 ありがとう」


 春榊から、水を貰い一気に飲み干すと体に溜まっていた熱が、どこかへ逃げて行く感じがした。

 本当に熱中症だったのか私。


 もし、春榊が通ってくれなかったら、一生この炎天下の中で、地面にうつ伏せで倒れてそのままあの世へということもありえたのか。

 自然は恐るべしだ。目眩がした時点で注意すべきだった。陽炎などと訳の分からないことを考えてないで。


「あっ、それより汗汚いから早く洗いなよ」


 自分の汗が、春榊の腕にびっしょりと付いていることを思い出し、洗うように言う。

 自分の汗が異性に付いているのは、恥ずかしい。


「なんかここで僕が汚いと認めると、それもそれで失礼な気がするけど、そうするよ」


 確かにここで、春榊が私の汗を汚いと認めてきたら、それはそれで私の心が抉れる。どこまでコイツは、気を回してくれるんだ。


「失礼とか気にしなくて大丈夫だから、早く洗って」


「洗うと言っても、どこで洗おうかな。 あっ、近くに公園あるし雨宮さんも、休憩がてら一緒に行こうよ」


「へっ? 私も?」


「そう、雨宮さんも。 熱中症になりかけてたんだし、ちょっと休んだ方がいいよ」


 熱中症になりかけていた、というよりかはなっていたというのが正しいだろう。

 まだ頭もちゃんとしてないし、少し休憩してから行っても大丈夫だろう。朝早く出たから遅刻はしないだろうし。


「うん、そうするね」


「はい、決まり。歩いてすぐだけど、気分が悪くなったら言ってね」


 気を使うことを忘れない、春榊と共に公園へ向かう。


「誰もいないね」


「みんな登校の時間とか、出勤の時間だしね」


 がらんどうな公園を見ながら春榊はそう呟く。


 今は朝の7時30ちょっとということも相まって、人がひとっこ一人いないが放課後ここに寄れば、子供達の楽しそうな声が聞こえてくる美しい公園だ。


 私からしたら、それは眩しすぎて美しく感じないけどね。ヒッキーの私には強すぎるものだよ。


 外に設置されている手洗い場に行き、春榊は適当にジャバジャバと適当に手を洗う。

 ポッケからハンカチを取りだし、手を拭きベンチに座っている私の横に座る。


「いい天気だね」


「あ、うん。そうだね」


「いつ学校行こうか」


「まだ時間は大丈夫だろうし。 ていうか、なんでこんな早くに春榊は学校へ行ってたの?」


「サッカー部の朝練。 もう遅刻確定だけど」


 春榊は当然のように遅刻確定だと言う。

 私のせいで、遅刻が確定してしまったのか……。申し訳ない事をしたな。私は人にまた迷惑をかけてしまうのか。


「ごめんね、私のせいで」


「あぁ、気にしないで。 元々遅刻確定だったから」


 春榊は屈託のない笑顔で言う。本心なのかどうなのかは分からないが、あまりの優しさのあまり後光が射して見える。拝んでおこうかな。


「どうしたの急に手を合わせて? 謝ってるポーズ?」


「いや、後光が見えた気がして」


「あはははは、何それおかしい」


 春榊は口に手を押え、大袈裟に笑う。

 そんなに笑うことか?と内心思うが、今目の前で疑うほど笑っている春榊を見ていると、そんなに笑うことなのかもしれないと錯覚してしまう。


 人の笑う姿ってこんなにも、美しいものなんだな。


「そんなに笑うな」


「ふがっ!」


 笑っている春榊の鼻をつまみ、強制的に笑いを止らせる。

 少しベンチに座っていたら、体調も回復し始め視界の歪みは無くなった。頭はまだハッキリとしてないが、歩くのには支障はないだろう。


「春榊、もう歩けそうだから部活に行って。 私は1人で大丈夫だから」


「本当に大丈夫? 歩ける?」


「私はおばあちゃんか!」


 春榊の心配の仕方が完全に、おばあちゃんを心配する言い方だった。私はまだ15歳だぞ。ピチピチの中学生3年生で、足腰もまだまだ健全だ。


「確かに、じゃあ先に行くよ」


 これで私みたいな不登校が春榊のような太陽と一緒に登校して、変な噂がたつのは阻止出来たぞ。煙がないところには何とやらだ。それにあんな思いはもうしたくない。


 時計を見ると、8時になっていた。30分もここのベンチに座ってたのか。

 始業は、8時30分のはずだから間に合うだろう。この公園から学校はそう遠くないはず。


 腰を上げ、学校へと足を進める。

 太陽の陽にジリジリと照らされながら、歩く事15分、私は学校へと着く。


 正門の前に立つ先生に挨拶しながら、入っていく生徒達。皆が輝いて見える。私は……こんなに輝けてないだろう。月とスッポンお似合いな言葉だ。


「あ、雨宮さんー! 無事辿り着けたんですね」


 汗を垂らし息を切らした、春榊が走りながらこちらへ向かってくる。あ、これダメ。ダメだ。まただ。終わった。

 周りを見渡すと、何人かは私達の方を見てヒソヒソと話していた。


「は、春榊。 ど、どうしたの? そ、そ、んな汗だくで」


 声が吃る。過去の出来事が頭の中を駆け巡り、言葉が上手く出てこない。普通に話そうとするが、言葉が詰まる。

 一音一音が、壊れたロボットのようになってしまう。


「雨宮さんこそ大丈夫!? やっぱりまだ体調悪いんじゃ」


「ぜ、ぜ、全然、だ、だ、だい、大丈夫だから。 わ、わ、私先に行くね」


 心配してくれる春榊の手を振り払って、私は先へと急ぐ。

 これ以上一緒に居たら、同じ事の繰り返しで、もう繰り返したくない。嫌だ、嫌だ、嫌だ。


 早まる動悸を必死に堪えながら、靴箱まで辿り着く。靴を入れて、久方ぶりの上履きへと履き替える。上履きは全然履いてないせいか、新品同様の綺麗さを保っていた。


 私の教室は5階にあり、階段を上る。2階に着いた頃、息が絶え絶えになる。

 あれ、こんなに体力無かったけ私って。家から全然出ないと、体力ってこんなにも落ちるものなのか。

 教室がある5階へ着いた私は、エベレストを登頂したような達成感を感じる。


 教室に行く前に私はトイレへ行き、息を整える。廊下には、友達と楽しく笑談する人達で溢れており、その声はトイレの個室まで聞こえてきた。

 キラキラとした廊下とは打って変わった、どんよりとした暗い気持ちが漂うトイレの個室で、朝の事を思い出すが、春榊には悪い事をしたな。 心配してくれたのに適当にあしらってしまった。


 上履きには、画鋲は入ってなかったが言葉の画鋲は心に刺さりまくっている。

 ヒソヒソと影で話されてしまうと、私の事じゃなくても私の事だと思ってしまう。

 私がネガティブ思考のせいなのか、その考えは加速する。


「……教室に行こう」


 重たい腰をトイレから上げ、私はキラキラと輝く廊下へと出る。

 私の教室はこの廊下の一番奥にある、3年4組だ。何故学校に行ってないのに、教室がわかるのかと言うと、学期初めに先生がわざわざご丁寧に、手紙を持ってきてくれたおかげで自分が何処の教室なのかを知っている。


 あの時はこんな手紙もらっても行かねえよ、と思っていたのだが、まさか今こうして教室の前に立っているとは、あの時の私は想像もしてないだろうな。


 心も落ち着いてきた、入ろう。

 動悸も正常になり、教室の扉に手をかける。


 扉を開けたその先には、机に座って話す者や、チョークで黒板に絵を描くもの、その視線が、黒板から人から離れ一気に私の方へと集まる。


 注目された私は、固まってしまう。なぜ注目されているのか、こんなにも視線を集めるような人物ではないはず、いや、そんな人物だった。


 皆は今こう思っているのだろう、不登校の雨宮を目撃出来た?つまりは今日一日は最高の日だな。と私からしたら、今この現状は最悪そのものだけど。


 足早に席へ着こうと思うが、失念していた。不登校の私が自分の席を知っているはずがなかった。

 もちろん誰も教えてくれる訳もなく、自分で探すしかなく教室をキョロキョロと見回すが、全くもって分からない。


 教室の壁に、席一覧表みたいなの貼っててくれよと自己中心的な愚痴をこぼす。


 どうしよう、どうしようと、教室の扉の前でオドオドとしていたら扉の開く音がし、優しい声色で人を和ませる声が聞こえる。


「あれ、雨宮さん。 どうしたの教室の扉の前で?」


「えっと、自分の席が分からなくて」


 言葉はすんなりと出てきてくれた。良かった、もう普通に話せそうだ。


「あはは、何それ、可笑しい。 着いて来て」


 春榊は、廊下にも響く大声で笑う。

 我ながら阿呆だと思うよ。教室が分かってるからって覚悟決めて入ったら、次の問題を完全に忘れていたよ。


「あ、うん」


 着いて来てと言われ、春榊の後を親アヒルの後を着いていく。子アヒルのように着いていく。


 ここ、と教えてもらった席は窓側で太陽の陽が一番射し込みよく寝れそうな席だった。

 窓の外の景色は、特段綺麗というわけでもなかった。


 よいしょ、と春榊は私の横の席に座る。

 そういえば昨日、隣の席と言ってたような気がする。


 始業を知らせるチャイムが鳴り、先生が入ってくる。


「よーし、出席取るぞ。 今日は席順でとるか」


 出席なんてとるの、取らなくていいよそんなの。

 次々に生徒達の名前が呼ばれていく、私の番が回ってくる、胃がキリキリと痛み始める。

 私は、1番最後に呼ばれる。今のうちに脳内シュミレーションしておこう。


 雨宮と呼ばれたら、はいと返事するだけだ。簡単だ。大丈夫。大丈夫だ。

 前の席の人が呼ばれる。ついに私の番だ。大丈夫、脳内シュミレーションは完璧だ。


「雨宮」


「はひぃ!」


 噛んだ。最悪だ。想定出来る中で最も最悪な形になってしまった。

 教室中は笑いに包まれ、私の方を見ている。心臓が張り裂けしまいそうなほど鼓動が早くなる。息も上手くできない。


「うわ! ハチが飛んでる! こりゃ、雨宮さんも驚くわけだ」


 春榊がわざとらしく驚き、腕を振ってハチがいると嘘をつく。演技が余程上手いのか、クラスの皆はいないハチを必死に捉えようと必死だった。


「あ、逃げた」


 廊下の方を見ながら、わざとらしく逃げたと言っているが最初からハチなど存在してない。私の噛んだことなど、ハチのおかげで忘れ去られた。

 存在してないハチが私の話題を蜜と勘違いし一緒に、持って行ってくれた。


「え〜ハチのことは忘れて、朝の連絡を教えるぞ〜」


 今日一日の連絡事項が伝えられ、1限目が始まる。

 授業を受けていたが、先生の言葉が日本語のはずなのに外国語に聞こえる。

 家に帰ったら、ちゃんと勉強しよう。


 1限目が終わり、10分休みになる。

 私は、一人で過ごすことを見越して鞄の中に読みかけの小説を何冊か入れ持ってきていた。これで、この時間は暇を潰せる。周りの皆は、友達の机に行って喋ったり、授業の内容が書かれた黒板を消したり、お尻を蹴りあったりと各々自由に過ごしていた。

 ちなみに、私を助けてくれた春榊は何処かへ行ってしまったみたいだ。隣の席はもぬけの殻で、次の授業の準備だけがされていた。

 迷惑をかけてしまったからお礼を言おうと思ったが、また今度あった時でいいか。そう思い、小説に視線を落とす。


 2限目が始まることを知らせるチャイムがなり、立っていた人達は自分の席へと座っていく。

 隣の席の春榊はチャイムが鳴っているのに、まだ帰ってきてなかった。一体どこへ行ったんだ。幸い先生はまだ来てないが、いつ来るか分からない。時計の針は、一刻一刻と進んで行く。


 教室の前の方にある扉の前に人影が見える。

 終わった、と私は思った。隣の席の春榊はまだ帰ってきてない。つまりこれは、怒られることが確定してしまったのだ。


「……まだ先生来てない?」


 何と扉を開けひょっこりと頭を出し先生が来てないかと確認したのは、春榊だったのだ。

 間に合ったか、と思ったが次の瞬間春榊の頭は叩かれ揺れる。


「間に合ってない。 それにお前な、こっそり来るなら後ろの扉使えよ。 前の扉を使うバカが何処にいる。あっ、ここにいたか」


「……確かに。 池田先生、もしかして天才?」


「もしかししなくても、天才だ。 早く席に座れ」


 頭を叩いたのは、確か英語教師の池田秀明先生だったかな?無精髭を生やし、覇気のない目、細身の体で猫背で全体敵にやる気はなさそうだが、フレンドリーな性格から生徒たちからも人気な先生と聞いたことがある。今も、遅刻した春榊と砕けて喋っている。

 そして、池田先生も遅刻したことには誰も触れなかった。


 本当の外国語を聞かされ、ますます何を言っているのかが分からなかった。


「はい、これで今日はおしまい。 残った時間は適当に過ごしておいて」


 授業の時間が、20分も残っているというのに池田先生は授業を切り上げて自由時間にしてしまった。当の本人は机に突っ伏して寝息を立てている。

 もしかして、この人自分が寝たいがために授業を早めに切り上げたのか。なんていう先生だ。父親がこんな先生をみたら、怒り心頭を発して鬼と化してしまうのが容易に想像出来たが、あんな人の事考えなくてもいいか。

 私をゴミと思っているような人の事を考えても、無意味だろう。

 小説の続きでも読もうかな。


 20分が過ぎ、チャイムが鳴るが池田先生は起きる気配が無い。先生が学校で熟睡してる、生徒ではなく先生の方が熟睡するなんて有り得るのか。でも、これじゃあ授業終わらないし、どうするんだろう。と思っていたら一人の生徒が立ち上がり号令をかける。


「気をつけ〜礼〜」


 覇気のない号令がかかり、皆はそれに続く。私にとって異様な光景は、クラスの人からしたら普通の事のようだった。


「んあ、目覚ましありがと」


 池田先生はそれだけを言い残し、教室を出て行く。号令の声が先生の目覚ましになっているらしく恐ろしく情報量が凄い。

 隣の春榊もこの状況に慣れているようで、ケロッとしていた。今この場で困惑と混乱しているのは私だけなのだろう。違う空間に一人ほっぽり出され、頑張って生きていけと言われた気分だ。


 次の授業の準備をしよう。時間割が分からないため、鞄の中にはとりあえず全ての授業の教科書を詰め込んでいる。その為、忘れ物は絶対的にしない。完璧な作戦だ。

 一人で満足していると、横でガサガサと鞄を漁り顔面蒼白になった春榊がこちらを見つめていた。


「な、何? どうしたの?」


「教科書忘れた……次の授業国語なのに……。 教科書を忘れたら鬼も恐れる程怒ると、言われている冨倉とみくら先生のなのに」


 鬼も恐れる程怒る冨倉先生?何だその絶妙にダサい二つ名は。春榊はこの世の終わりを迎えたような顔をしている。そんなに怖いのだろうか。

 こんな春榊を見て見ぬふりは出来ない。机の上には、国語の教科書が置かれている。すべき行動は一つだろう。


「一緒に、見る?」


「え、いいの!」


 春榊の顔に一気に血が戻り、いつものの顔に戻る。さっきまでこの世の終わりを迎えて死ぬことを覚悟したような顔をしていたくせに、今は希望に満ち溢れてやがる。

 もちろん、と言うと春榊は机を付けてくる。


 皆に注目されているが、我慢だ。堪えろ。大丈夫。誰も何も言ってない。私は自分の心に言い聞かせる。

 昔の事は、今は忘れろ。過去は過去だ。今に囚われた方がマシだ。


 チャイムが鳴ると同時に、冨倉先生は入って来た。


「はーい、授業始めますよ。 教科書開いて」


 鬼も恐れると言われてるが、顔は優しそうで雰囲気は朗らかで声色も小鳥の囀りのようで、典型的な国語のおばさん先生といった感じの印象だった。

 一体どこが怖いのだろうか。私のそんな疑問は次の瞬間に覆る。


「あの、教科書忘れちゃって」


 一人の女子生徒が恐る恐る前に出て、冨倉先生に忘れた事を正直に話す。さっきの印象だと、優しくやんわりと注意するだけだろう。春榊も大袈裟だなと思っていたら


「……忘れた? 教科書を?」


 冨倉先生の雰囲気が、朗らかなものから殺伐としたものへと変わっていくのを感じた。声色も小鳥の囀りからドラゴンの咆哮へと様変わりしていく。


「貴方、昨日の連絡事項の時に何を聞いていたのかしら? その二つの耳は何のためにあるの?」


 女子生徒が何も言えなくなってしまうほど萎縮し、蛇に睨まれた蛙を体現していた。

 これが鬼も恐れると言われる由縁か……。私はその日から、冨倉先生の授業に忘れ物は厳禁だと心に固く刻む。


 冨倉先生は、女子生徒に隣の人に見せてもらいなさいと言い最初の優しい雰囲気に戻る。

 私は横に座って、一つの教科書を一緒に見てる春榊の方を見ると、安堵した表情を見せていた。自分も、ああ、なるかもしれないと思ったら安堵するのも無理もない。


 だからといって感謝をして欲しい訳でもない。私は誰かに迷惑をかけずに生きていければそれでいいのだ。迷惑をかけられる分にはまだ良いのだ。

 ただ、迷惑をかけずに平穏に過ごして笑顔を作ってれば、それでいいんだ。


「ねえ、春榊。 出席の時はありがとうね。 私、あれが無かったら恥ずかしくて死にそうだったよ」


「全然大丈夫だよ。 本当にハチはいたし、僕は真実を言ったまでだよ」


 春榊に小声で朝のお礼を言うと、ハチは本当にいたと何とも阿呆らしいことを平然に笑って言ってみせる。

 私には見えてない何が、春榊には見えてたのだろう。


「何それ、おかし」


「そこ、うるさい!」


「いて!」


 冨倉先生が飛ばしたチョークが春榊のおでこに命中する。おでこは赤くなり、チョークの白い声が少しだけ付いていた。

 教室は笑いの渦に呑まれていたが、私だけは呑まれてなかった。

 あぁ……口を開いたから、また春榊に迷惑をかけてしまった。迷惑がかかるのなら、喋らない方がマシに思える。


 3限目が終わるまで私は口を固く閉ざし、冨倉先生が号令と言い授業は終わった。


「ねえ、雨宮さん。 教科書見せてくれてありがとう」


「あ、いや。 大丈夫だよ、次からは忘れないようにしないとね」


 春榊のおでこはまだちょっとだけ赤かった。でも、笑って私に話しかけてくれる。さっきの事は気にしてないのかな、いや、気にしてても春榊のような性格の人なら顔に出さないだろう。言わないだけってやつだ。


 4限目は普通に受け、昼休みとなった。昼休みになったが私は一人ぼっちだ。ご飯を食べる友など誰一人としていない。悲しい現実だ、青春とはほど遠い。


 そもそも、何故中学校なのにお弁当持参なんだ。給食を用意してくれよ……。いや、用意されても誰とも喋れないから気まづいだけ何だけどさ。


 あっ、お弁当なんて無いんだった。朝早くあの雰囲気から抜け出したかったから、前日に教科書を詰めた鞄を持ってさっさと出てきたんだ。

 財布を入れてたはず、そう思い鞄の中に入っている財布を取りだし中身を確認するが、230円と何とも言えない金額が入っていた。


 これで何が買えるんだ……。とりあえず1階にあるはずの購買へと向かおう。

 この中学校は、何故か購買がある。購買にはおばちゃんがパンを売ってたり消しゴムを売ってたりするのを、転校する前の学校見学で見た記憶がある。


 階段を下り、購買へ着くと人は少なく買ってる物も消しゴム等の、文房具でパンを買ってる人は見当たらなかった。皆、お弁当を持ってきてるのだろう。

 手に握りしめられた230円が、虚しく思える。


 焼きそばパン150円、シャケおにぎり160円。買えるのはどちらか一つだけ。どちらにしようか。お腹に溜まりそうなのは、焼きそばも食べれてパンも食べれる焼きそばパンなのだが、好きなのは鮭おにぎり。どちらかを天秤にかけても平行になってしまう。


 いや、ここは


「すみません、焼きそばパンひとつください」


「あいよ、150円だよ」


 固く握りしめられ、少し体温で暖かくなってしまった230円から200円を出す。お釣の50円を受け取り、私の全財産は80円となった。良かった、朝コンビニに寄らなくて。


 さっ、どこで食べようかな。なるべくなら人が居ない穴場スポットでゆっくり一人で食べたいな。大体の人は、教室で食べていたけど中庭で食べようっていう、声も聞こえていた。中庭は人が居るしな、屋上とか開いてないかな。

 普通は開いてないだろうけど、もしかしたら開いてるかもしれないという一縷の望みに託して私は屋上を目指す。

 屋上は確か教室の横の階段を登った先だったはずだから、まずは教室に戻ろう。


 2階へと着いた時私の息はまた絶え絶えになる。降りるのは疲れないからいいのにな。

 5階へと何とか足を動かし、またもやエベレスト登頂を成功させる。しかし、まだ階段は残っている。


 3年4組を素通りし、奥にあるもう一つの階段を登る。緑色の扉が目の前に見える。

 緑色の扉の真ん中には硝子がハメられており、太陽の光を反射させていた。扉の前に立ち、銀色のドアノブに手をかけ奥に引く。


 鉄が錆びた音と共に、扉は開く。

 開いた……。屋上には天井など無く雨風に晒されて錆びたフェンスだけがあり、青い空が頭上に、広がっている。

 屋上からは、私の住んでいる南倉みなみくら町が一望でき、この町唯一の商業施設トゥインもここなら見え、この町が狭い事が再確認出来た。

 トゥインは、この町で唯一無二の商業施設でどこか遊びに行くとなったらそこに必ず行く。というか、そこしか遊ぶ所がないのだが。カラオケも、ゲームセンターも、本屋も、何でも入った万能な施設だ。土日の昼時は、学生で溢れかえっている。


 屋上には誰も居なかった。ここなら一人でゆっくりと食べれそうだ。

 左手に持っていた焼きそばパンを空け、カラカラになったお腹に流し込む。


 美味しい、濃すぎず薄すぎないソースが絶妙でパンとの相性が最高だ。あまりの美味しさに、気付いたら手から焼きそばパンは消えていた。

 お腹はまだ空いているが、手持ちは80円のため何も買えない。しょうがない、教室に帰って小説でも読んで時間を潰そう。


 腰を上げ、緑色の扉の前に立つと硝子越しに人影が見える。

 やばい、やばい。先生かもしれない。入ったらいけない場所に入っている今見つかってしまったら、絶体絶命だ。何処かに隠れないと、でも隠れる場所なんてない。

 これは覚悟を決めるしかない。どう怒られてもいいように心を強く持つ。


 人影は、とうとう硝子の正面に立ち扉を開ける。

 さぁ、こい!


「あれ、雨宮さん。 もしかして屋上でご飯食べてた?」


 何と扉を開けた人物は、無気力な池田先生でも無く、怒ったら鬼になる冨倉先生でも無く、春榊だった。これは、助かったのかな。もし開けた人物が先生だった場合、本当に終わっていた。ありがとう春榊。


「あ、うん。 でも、今食べ終わった所」


 食べ終わった所と言った瞬間、タイミングが最悪の時にお腹が鳴る。何で今鳴るんだよ!鳴るなよ!

 私は私のお腹を呪った。本当に最悪だ。


「えっと、ご飯食べる? 購買で沢山買ったからさ」


 春榊は手に持っていた、透明の袋を見せながら言う。袋の中にはぎっしりと焼きそばパンが詰まっており、シャケおにぎりの影はなかった。

 でも、貰うのは気が引けるし断ろうと思った時、またお腹が鳴る。


 ……貰おう。


「じ、じゃあ一個だけ貰おうかな」


 恥ずかしさを押し殺して何とか声に出す。顔が熱いのが分かる。きっとこの熱は、空に昇っている太陽のせいではないだろう。


 春榊から、焼きそばパンを一つだけ貰う。

 そして私の中には一つの疑問があった。それは春榊が屋上で食べようとした理由だ。彼は、教室の人気者で誰にも嫌われてないようだったけど、そんな彼がここで食べる理由なんてないはずだ。友達と笑って、楽しくご飯を囲んでそうな彼が、何故ここに。

 しかし、それを私が聞いてしまってもいいのか。人の気持ちをズカズカと土足で入り込んで、聞くのは良くない事だ。


 私は横で焼きそばパンを美味しいそうに、頬張る春榊を見ながらそう思った。

 彼には彼の理由があるのだろう。


「ねえ、雨宮さんは何でここで食べてたの?」


「え、一人で食べたかったから?」


 唐突にそう聞かれ、焼きそばパンを食べるのを中断し一人で食べたかったと言う。


「そう、僕もそうなんだ」


「え?」


 春榊の言葉から出たのは、私の言葉に対する同調だった。彼からそんな言葉が出るとは思ってなかった私は、呆気に取られる。

 でも、確かに春榊は言った。僕もそうなんだと、少し哀愁が含まれた表情で零した。


「いやね、やっぱり疲れちゃうんだ。 誰かに囲まれるとその分傷つけないと神経をすり減らして、喋ろうと努めるんだ。 でも、それが次第に疲れてきちゃって……どうすればいいんだろうね……」


 誰かに囲まれて喋るなど、私には分からない話だ。でも、人気者には人気者の苦労や悩みがあるのだろう。正反対の、私がかけてあげれる言葉なんて見つからない。

 どれも上辺だけの取り繕った言葉ばかりで、春榊の心を救えるようなそんな素敵な言葉が見つからなかった。

 けれど、私はなにか言葉をかけるべきだと強く思う。取り繕えないのなら、取り繕って喋らなければいいんだ。ありのままの気持ちを春榊にぶつけてあげるんだ。


「……春榊。 私にはあんたのその悩みが贅沢にも思える、そして悩みも理解してあげれない。 でも、ここで悩みや愚痴なら聞いてあげれる。 助けるなんて大層なことは言えないけどさ、少しはその悩みを半分個してよ。 それにどんなに悩んでいても、あんたはあんただしね 」


 この応えが最善だったのかは分からないが、今の私が言える最大限の言葉だと言える。綺麗事は言えない。


「………ありがとう雨宮さん。 少し軽くなったよ」


 そう言うと、春榊は勢い良く焼きそばパンを食べて行く。そんなに急いで食べたら、喉に詰まらないか?と思ったが春榊は胸を叩いてむせ始める。

 ……やっぱり。


 私は春榊の横に置かれていた水のキャップを開けて、手渡す。

 水を凄い勢いで飲むため、ペットボトルがへこむ。


「大丈夫?」


「三途の川見えかけたかも」


「大丈夫じゃなかったね」


 私達は昼休みが終わるまでの間、屋上で他愛も無い話を話し続けた。

 話すのに夢中で、昼休みが終わるチャイムが鳴っているのに気付かなかった。急いで扉を開け、階段を下り先生が来てないことを確認し後ろの扉からこっそりと入って行く。


 春榊のおかげでお腹も膨れた、これで残りの授業に集中出来る。

 5限目は何事も無く終わり、6限目の残り10分の時私に猛烈な睡魔が襲ってくる。


 ダメだ、寝ちゃダメだ。首を横に振り目を覚まそうとするが、睡魔は永遠に襲ってくる。このままじゃ寝てしまう、どうにか起きる方法を考えないと、そして目立たないやつを。

 頬っぺを叩くのはどうだろうか。いや、あれは大きな音が出るため却下だ。そうだ、腕を抓ろう。これなら音も出ないし、痛いから目が覚めるはずだ。


 試行錯誤した結果、私は10分間腕を抓り続け何とか起きていることに成功したが、腕は真っ赤になってしまった。まあ、これは代償だと思おう。


 今日受ける全ての授業が終了する。その後は掃除をし、先生が帰りの連絡を言い、その後は日直の号令でさようならと言い帰ることになった。

 クラスの皆は、この後部活へ行ったり、友達と遊びに行ったりと、浮き足立ち自由に色々な所へ散っていった。


 さて、私は何処にも寄り道をせず真っ直ぐ帰ろう。寄り道しても一人だし、大して楽しくない。家へ直行が一番だが、あの家にも帰りたくない気持ちがある、でも帰るしかない。

 靴箱へ行き、下靴に履き替え上靴を入れ直す。

 昇降口を出ると、夕陽が顔を出しており白色の学校を橙色に染めていた。もうこんな時間か、学校に居ると時間が早く過ぎるような気がする。

 いつもなら、まだ寝ているかな?それとも起きてゲームに勤しんでいるかのどっちかだな。


 紅く染った空を見ながら歩いていると、雨宮さーんとグランドから声が聞こえる。

 私の名前を呼ぶのはあの男しかいない。グランドの方を見ると、案の定春榊が手をぶんぶんと振ってこちらを見ていた。よくあの距離から私って分かったなアイツ。


 春榊は部活動の最中なのだろう、私の方を見ていた為監督らしき人から頭をグーで殴られていた。もう見てないだろうけど、手は振り返しておいた。

 朝倒れかけた場所を通り、家もそろそろ近付いてくる。はぁ、嫌だな。またあの目で見られるのか。


 進まない気持ちと足を無理やり前に向かせ、何とか家に着く。扉を開けたくないな。黒塗りの扉をじっと見つめ開けるのを躊躇う。傍から見たら私は、主の居ない家を狙う空き巣にでも見えるのだろうか。

 そう見られても構わないから、家には入りたくない。けれど、入らないといけない。

 はぁ、入ろう。ここでうじうじとしていても何も変わりはしないし、母親と父親に迷惑がかかってしまう。


「ただいま」


「……早く手を洗ってちょうだい、汚いから」


 扉を開けると、洗濯物を畳んで洗面所に持っていく最中の母親と鉢合わせる。お帰り、とは言ってくれなかった。

 早く手を洗ってちょうだい、汚いから。それは私の全てが汚いと言っているのだろうか、だから今もゴミを見るような目をしているのだろうか。

 そんなこと分かったところで、私が傷付くだけ。今よりもっと家族の仲が悪化するだけ、もう仲良くなんてなれない。前のようには戻れないんだ。


「うん、手洗わないと汚いもんね」


 私は、石膏で作れた笑顔の仮面を被り、お母さんに返事をする。

 不快感を与えないように、笑うんだ。どんなに苦しくても、本性は仮面の下に仕舞いこんでしまえ。この家は、私の大きなサーカスステージだ。そして私は、ピエロになり踊りあかす。


 手を洗って2階に上がり、葉月の札が掛けられた部屋に入り制服を脱ぎ私服に着替える。ここは落ち着く。誰の目も気にしないで済む。唯一無二の心安らぐ場所だ。


 暇だな、ゲームでしよう。机の下に置かれているパソコンの電源を付け、夜ご飯の時間までゲームに没頭する。これが学校に行ってない頃の、私の全てだった。

 私は、ゲームをしながら今日の事を考えていた。


 学校なんて本当に久しぶりに言ったな。相変わらず、人の目は凄く気になってしまうけどこれは癖みたいなものだから、治したいのに治る気がしない。

 でも、春榊の目は真っ直ぐで嘘偽りの無い清らかな綺麗な目をしており、あの目だけは気にしないで済む。


「あっ、負けた」


 KOと、私が負けたことを知らせるナレーションが部屋に木霊する。今日はゲームに身が入らないな、いつもは、もっとのめり込んで他のことなんて考える余裕なんて無いのにな。

 どうしちゃったんだろ。いいや、ゲームに集中しよう。


 扉が二回ノックされる、夜ご飯か。この家では、夜ご飯の時間になったら私の扉を二回ノックしてお知らせをしてくれる。

 私に話しかけたくないのか分からないが、わざわざ2階まで上がってきて扉をノックするのだ。律儀なのか、どうなのか。


「……葉月、明日も学校に行くのか?」


 1階におり、扉を開けると父親が私のことを見ながら言う。目はあの目だ。

 明日も学校に行くのか?そんなの考えてなかった。


「わ、分からない」


「やっぱりお前はそういう奴なんだな」


 私の全てを知っているような口調だ。

 何様だ、私の何も知らないくせに。なんでそんなに偉そうに出来る、そう叫んでやりたかった。でも、ぐっと堪え心の奥に仕舞い込む。


 父親の言葉を下唇を噛んで堪える。


「ご、ごめんなさい」


 お金を払って貰ってるのに行かないのは、悪いと思っている。

 でも、この人は私が虐められていると言った時も、興味無さそうに話を聞いていた。子供の戯れだろ、と言わんばかりの顔をしていて私を助けようとは思ってなさそうだった。転校させれば、解決するだろうと考えていたのだろう。私の心に深く刻まれた傷を見ようとせずに。


 母親も、父親のそんな姿を見て見ぬふりをした。

 私はその日から、この家には居場所が無いんだと察した。誰かに泣きつくことも許されない。

 母親が作ってくれた、ハンバーグを食べて私は2階へ行く。リビングに長くは居たくない。

 お風呂の時も私は一番最後で、お母さんが扉をノックしてくれたら入るようになっている。


 ちょっと冷めた湯船に浸かる。

 明日学校どうしようかな。行ってもどうせ一人だし、行く必要が無いかな。


 次の日、私は制服に腕を通していた。カーテンの間から零れた陽の目が、制服姿の私を照らす。

 あのまま言われたままで終わるのは悔しい、これは二人に対する私の些細な反抗だ。誰に見られるわけもないちっぽけな反抗だ。それにアイツが居るしな。学校に行くのも悪くない。


 学校に行くのはいいが、お昼ご飯の問題がある。全財産80円じゃ、何も買えない。

 部屋た置かれている本棚の隅に埃をかぶった貯金箱がある。お弁当は作ってくれないだろう、これを割れば多少のお金は手に入る。

 貯金箱を持ち、本棚の角にぶつける。パリンと、貯金箱は粉々になりお金が落ちてくる。落ちたお金を拾い集計すると、1250円あった。これだけじゃ、お金が足りないのは明白だ。

 しかし、他にお金をあてがあるわけでもないし、困ったな。いや、待てよ。確か机の引き出しの中にお年玉を入れてたはず。

 机の引き出しを開けると、お年玉袋と書かれた白い袋包が2つあった。ビンゴ! 中を見ると1万が1枚入っていた。もう一つの方にも1万が、合計2万円だ。

 一気に小金持ちだ。これなら、購買で沢山焼きそばパンが買えるぞ。


 鞄の中にある財布に、2万円全部入れる。

 粉々になった貯金箱をそのままにし高揚した気分のまま、1階へ降りていく。


 リビングに行くと、二人は座ってご飯を食べていた。私の分は一応は置いてくれている。学校に行かない時も、私の分のご飯は置かれていた。

 目を合わせないように座り、手を合わせご飯を食べる。


「なんだ、葉月。 学校に行く気になったのか?」


 父親は、へらへらと嘲笑しながら言う。この人は、何処までも人を馬鹿にする。

 私はそれが嫌だった。誰かを下を見るような喋り方をして、自分が中心だと思ってるその考え方が気に食わなかった。

 今も、汚い笑顔を浮かべながら私の方を見ている。


「う、うん。 行こうかなって」


「こんなまぐれが2日も起きるなんてな。 何日続くかな」


 まぐれ、私が学校に行く事をそう揶揄してくる。まぐれでも、良いじゃないか。私が行こうとしているその姿を褒めてはくれないのだろうか。小学生の時のように、私を褒めてくれないのだろうか。

 涙なんて溢れない。とうの昔に枯れてしまった。泣いていたらキリがないと気付いたのだ、泣いても何も変わらない、だから私は期待しない事にした。自分にも他人にも。


 鞄を持ち、玄関の扉を開け外に出る。行ってきますは言わない。

 今日も天気がいい。昨日の事と同じ過ちを繰り返さないように、道の途中に置かれた自動販売機の水を1本購入する。これで、熱中症にはならないぞ。


 今日は昨日より少し遅めに家を出た、朝少しだけ寝過ごしてしまったのだ。同じ学校の生徒に会うかなと思ったが、私の通う道には同じ学校の生徒はあんまし通らないようで、誰にも会わなかった。

 会ったところで、何も言えないのが関の山なのだが。


 そういえば、この道を通る生徒を私は一人知っていた。

 昨日倒れそうになっていた私をかっこよく受け止めてくれた、春榊だ。しかし、今日は会わなかった、昨日と同じで朝練に行っているのだろう。

 今日は私に出会ってないから、遅刻はしてないだろう。昨日は私のせいで遅刻させてしまったけど、今日は大丈夫だろう。


「……あれ? 雨宮さんおはよう」


「春榊!? 」


 後ろから声をかけられ、振り向くと魂がどこかへ行ってしまったのか顔白の春榊が立っていた。

 落ち込んでいる様子だが、一体何があったのだろうか。ドブに足を突っ込んだか?いや、足は綺麗だな。顔を綺麗だし、こうなっている原因が分からない。


「ねえ、凄く落ち込んでいるようだけど、どうしたの?」


「実は……寝坊してさ朝練に遅刻しちゃって。 今から行っても絶対練習終わってるからさ、放課後、監督に怒鳴り散らかされるのが目に見えてるんだ。 今日一日元気に過ごせそうにないや」


 ……お気の毒に。よーく見ると、髪の毛もボサボサで制服のボタンも一個ズレで留めており、慌てて出たことが目に浮かんだ。

 しかしこのペースで歩いていたら、朝練に遅刻どころか学校にも遅刻しそうな勢いだ。

 目立つけどしょうがない、一緒に歩いて行こう。人の目は、極力無いものとして頑張ろう。


「ほら、春榊。 ボタンも一個ずつズレてる、早く学校行くよ」


「おー」


 なんとも覇気のない返事なのだ。

 ボタンをちゃんとした位置に直してあげて、魂が抜けた春榊と共に学校へ向かう。


 学校へ着くと、予想していた通りだった。登校している生徒達が、私と春榊の方を見ている。自意識過剰とかでは無い。確かにこちらを見ている。今すぐに目を逸らしてしまいたい気持ちを抑える。

 やはり、人の目は怖い。何を思われているのかが、分からないから怖いのだ。

 私がさとり妖怪だったなら、心が読めるから怖いとは思わないだろう。


「ほら、学校に着いたよ。 元気出して、後のことは後で気にしなよ」


 後の事をうじうじと考えて行動する私が言えたことでは無いが、春榊の元気を出させるためだしょうがない。

 靴箱へ行き、上靴に履き替える。まだ春榊は落ち込んでいて、肩からは力が抜けている。


「シャキッとして、靴も履き替えて」


 春榊と書かれた靴入れから、上靴を取りだし履きかえさせる。なんで私が、こんな親みたいなことしなければならないのだ。

 こいつを元気にする魔法の言葉さえあればいいんたが、そんな都合のいい言葉など私の辞典には存在してない。


「なぁ、今日サッカー部監督が風邪ひいたらしくて休みなるらしいぜ」


 廊下を友達と歩いていた一人の生徒のサッカー部という言葉に、春榊は反応する。

 ダラっとしていた姿勢が、水を与えられた植物のようにみるみる伸びてゆき、いつものの姿勢に戻ってゆく。


「え、何。 どうしたの」


「部活が休みって聞こえたんだ。 これで放課後の心配は無くなったから、元気に過ごせるぞー!」


 なんと現金な奴なんだ。元気になった春榊は、階段をリズムを刻みながら軽快に登ってゆく。

 登校の時の姿は、幻だったのかと思うぐらい元気になったなアイツ。


 教室の扉を勢いよく開け、先に登校していたクラスの皆と挨拶を交わしてゆく。あ、私は友達がいないので、誰とも挨拶をせずに席は座る。

 席の横に付けられているフックに鞄をかけ、小説を読み始める。


 ……友達か。小説を読んでいた私は、ふとそんなことを思う。

 小学生の頃は友達は居た。昼休みには、楽しく校庭で遊んでるような子だった。帰り道も、友達と笑って石を蹴ったりして帰って家族の仲も悪くなくて、家に帰ってただいまって言うと、おかえりって返ってきてた。父親も人を下に見る癖は、昔からあったが家族にはしてなかった。休みには、どこかへ出掛けたりして楽しく過ごしてた。ただごく普通の家族だったはずなのに、崩れるのは一瞬だった。


 小説から視線を離すと教室には誰かと笑いあったりする声が響きわっており、私の過去を写している鏡を見ている気分になり、耐えられなくなる。

 トイレに駆け込み、鍵を乱雑に閉める。落ち着こう。過去と今は違うそんなのは、とっくの前に分かっているだろう。

 けれど、頭がそれをまだ拒否していたのだ。私は分かった気でしか無かったことを思い知らさせれる。頭に理解したと言い聞かせ、麻痺させて現実から目を背けていたんだ。受け入れ難い現実を無かったことにして、自分で作りあげた何かに縋っていたんだ。でも、やっとちゃんと理解したんだ。過去と今が違う事に。

 学校へ行くのも、反抗じゃなくて過去に縋っていたからかもしれない。一回目は春榊がまた明日と言ったから、二回目は、私が学校にもう一度行けば父親が認めてくれるかもしれないと思ったから、行こうと思ったんだ。反抗じゃない、救いを求めてたんだ私は。


 誰にも泣きつけない私は声を殺してトイレで泣いた。枯れたと思っていたはずの涙は、溢れ出てくる。もう一度再認識した現実が、度し難いほど辛い事に絶望する。希望なんて、未知数観測でしかない。

 泣いて泣いて、涙が出なくなった時私は個室から出た。トイレの鏡で自分の姿を見ると、目は赤く腫れ上がり、頬には涙の道があった。

 これじゃ、泣いたことがバレバレだ。

 でも、誰も気にしないだろう。私が泣いたところで、気にする奴なんていない。だから、これも気にする必要なんて無い。


 教室へ帰ると、楽しい雰囲気が漂っていた。心の中に渦巻く薄暗い雲は、次第に大きくなってゆく。

 自分の席に戻り、顔を隠すように小説を読み進める。


 時間は簡単に過ぎてゆき、昼休みになる。

 私はたんまりとお金が入ったお財布を取り出し、購買へと向かう。購買は今日も文房具を買う人がチラホラといるだけで、焼きそばパンを買っている人は居なかった。

 私は、焼きそばパンを3個買って屋上に行く。


 扉を開けると、風が吹き抜け髪の毛が揺れる。涼しい、今日は天気がいいから暑いかなった思ったけど風が心地いい。

 昨日と同じ場所に座り、焼きそばパンを食べ始める。


 はぁ、学校で泣くなんてダサいなあ。私ってやっぱり弱いんだな。今日の事で分かったことが沢山ある。

 まず、私はクソ弱メンタルだという事が分かった。触ったら直ぐに割れてしまいそうなほど、私のメンタルは弱いらしい。展示物には触れないでくださいという、札をメンタルの前に置いておきたいぐらいだ。


 そして、過去を受け入れて無かったこと。過去を受け入れられたけど、今後どうすればいいかは分からない。


 私は私を押し殺して、生きている。そんな私がどうすればいいんだろう。一天の曇りもない空を見上げながら、考える。

 焼きそばパンを食べながら、ぼーっと考えていたら扉が開く音が聞こえる。


「あ、雨宮さんやっぱりここに居た」


「どうしたの? また悩みを吐きに来た?」


 春榊が、扉を開け右手にはパンパンに膨れ上がった袋をさげていた。

 ここに来るってことは、また悩みを吐きに来たのだろうか。悩みや愚痴なんて一日もあれば、沢山溜まるものだ。

 だから、今日もまたここに来たのだろう。


「いいや、今日は雨宮さんの番だよ」


「私の番?」


 春榊は、優しく微笑みながら私の横に座る。

 今日は私の番と言うが、昨日そんな約束をした覚えはない。どんなに記憶を辿っても、そんな記憶は存在してない。


「うん、今日1限目始まる前どこかに行って、帰ってきたら目赤く腫らしてたから、何かあったのかなって」


 見られていたのか。誰も私の心配などしないなどと思っていたが、春榊は違ったらしい。わたしの些細な変化を見抜かれていた。

 でも、今は全てを話せそうにない。その覚悟はまだ出来てない。


「……ちょっと昔のこと思い出して、それで今と昔の違いに泣いただけだよ」


 嘘は言ってないが、かなり断片的で切り取った喋り方をする。


「そうなんだ、雨宮さんって1人で全部抱えちゃうタイプ?」


「じゃないかな? 分からないけど」


 どうなんだろうか、考えたことも無かった。

 でも、多分私は全てを自分で抱え込んでしまうだろう。誰かに迷惑をかけてしまうのなら、自分一人で苦しんでしまった方がマシだ。


「よし、じゃあ明日の休みトゥインに行こう!」


「……え?」


 春榊は当然立ち上がり、指を空に突き出し声高々に言う。

 私はあまりの唐突な出来事に、きょとんとしてしまう。いや、当たり前だろう。急に遊びに行くなんて、私したことないし。出会って3日目でこんなこと言われるなんて、誰が予想出来るのだろうか。

 ましてや、異性となんて行ったことがあるはずない。服とかに疎いし、オシャレとか出来ないし断ろう。


「あの、私服とかオシャレじゃないから」


「なら、俺も変な格好で行くよ」


 ええ……変な気の回し方をしてくれなくてもいいのに。

 春榊の顔は眩しすぎるほど輝いており、断るという選択肢が、その輝きで焼き消されてしまった。


「じ、じゃあ明日行こうかな」


「10時、トゥインの前集合ね! あ、でも急な予定出来た時に連絡できないと困るか、うーんそうだ。 雨宮さん今スマホって持ってる?」


「あ、いや。 持ってないけど」


 スマホなんて持ってきてるはずがないだろう、校則で禁止されているのに。なんで、普通に持ってきている前提なのだ。

 じゃあこれ、と春榊は一枚の紙切れにポケットから取り出したペンで、何か書いた物を渡してくる。


 電話番号と書かれており、明日用が出来たらここに電話してと、春榊は言う。

 初めて異性と電話番号を交換してしまった。まだしてないけど。


 明日の格好どうしよう。屋上にいる間は、その事で頭がいっぱいになり春榊と喋った内容を全然覚えてない。

 昼休みが終わり、放課後になるが私は未だに明日の格好の事で悩んでいた。


 靴箱に行き、下靴に履き替え昇降口から出る。

 ダラダラと、明日の事を考えながら正門に向かっているとグランドの方から、ここまで聞こえてくる声量で怒られている生徒が居た。

 目を凝らしてみると、朝練に遅刻した事で監督に怒られていた春榊だった。


 あれ、今日部活無いって。デマ情報だったのか、ドンマイだ春榊、私は一足先に行くぜ。

 着きたくない家に着いてしまったが、扉を開け家の中に入る。今日は母親と鉢合わせることは無かった。足早に手洗いうがいを終わらせてしまい、さっさと2階に上がってしまった。


 部屋に入った私は、クローゼットを開け服を手当たり次第に引っ張り出す。

 チェック柄のワンピースに、シンプルなデザインの白のスカート。一体どれを着れば正解なのだろうか。ファッションセンスが、ほぼないと言っても過言ではない私は頭を捻ってどうにかお洒落な服を選ぼうとするが、どれがお洒落なのか分からない。


 この花柄のワンピースを着ていくか?これなら上下合わせなくても、大丈夫だし一番安全な気がする。あとは、暑いだろうから麦わら帽子を被って行こう。鞄はこの黒い手提げカバンでいいか。よし、これで明日の準備はバッチリだ。お金はあるから、大丈夫。

 あっ、お金で思い出した……貯金箱の片付けしないと。部屋の隅に置いておいた、新聞紙に破片を包みゴミ箱に捨てる。

 全てが終わった時、扉が二回ノックされる。ご飯だ。

 下におり、リビングで夜ご飯を食べてお風呂に入る。お風呂から上がった私は、ベットの上に置いてあるスマホを見てある事を思い出す。

 あ、春榊の電話番号登録してないや。ベットに横になり、スマホに電話番号を打ち込んでいき、全部打った後に間違えが無いか確認していると、間違えて発信ボタンを押してしまった。


 切らないとと思った時、コール音が鳴り止み次に聞こえて来たのは春榊の声だった。


「もしもし〜? どうした雨宮さん」


「あ、ま、間違えてかけただけなの」


 私は、恥ずかしさのあまり殺してくれと心から願う。顔から火が出てしまいそうだ。


「なんだ〜用が出来たと思って焦ったよ」


「そんな事は無いから、安心して」


 スマホの向こうから、椅子の軋む音が聞こえる。

 春榊、椅子に座りながら電話してるんだ。


「えっと、じゃあおやすみ」


「うん、おやすみ」


 ぷーぷーと、電話は切れる。

 電話は数十秒だったが、もっと長い感じがした。はぁ、顔が熱いのぼせたかな。明日も朝早いから寝ないと。


 次の日私は、朝早く起きる。太陽もまだ完全に起きていない、何時だろうと思いスマホを確認すると5時30と表示されていた。

 かなり早起きしちゃったな。二度寝しようかなと思ったが、もし寝過ごしてしまった場合の事を考えると、寝ない方がいいなと思い起きていることにした。

 しかし、やる事がない。夜からぶっ通しで、やる場合は少し違うのだが、朝早く起きてゲームをする気になれない。暇を潰すものがない。


 窓に目をやる。外でも歩こうかな。散歩がてら、外を歩くのは気持ちがいいかもしれない。

 父親達はまだ寝ているはずだから、起こさないようにそっと階段を下りサンダルを履き外に出る。


 外に出ると、夏なのに少し肌寒かった。空を見上げると、青と紺色が場所を譲り合って空を彩っていた。

 学校へ行く道を散歩コースとして、歩く事にする。

 町はまだ寝静まっており、辺りに響くのは私の足音だけだった。一歩前に出すと、私の足音が町に響く。二歩前に出すと、遅れて二歩目が追い付いてくる。だんだんと楽しくなり、リズムを刻みながら歩く。

 町全体が、私のコンサートホールに変わってゆく。飛んでいる鳥たちの囀りは、コーラスになり私の歌に彩りを加えていく。

 静寂に包まれた町には、私の歌が響いていた。


 疲れた私は、公園のベンチで一休みする。あ〜楽しかった。

 公園の時計を見ると、5時50を指していた。まだ、6時にもなってないんだ、もうやる事はやったと思うしな、久しぶりにブランコでも漕いでみようかな。


 ベンチから立ち上がりすぐそこにある赤い柵に囲まれた、ブランコに乗る。

 昔どこまで靴を飛ばせるかなんていうゲームしたな、今ならどれぐらい飛ぶだろうか。サンダルだから飛ばしやすいしやってみよ。


 ブランコを漕ぎ、座っている椅子が前に出た瞬間に、サンダルを勢いよく飛ばす。サンダルは弧を描きさっき座っていたベンチの所まで飛ぶ。そこそこ飛んだ方かな。

 飛んで行ったサンダルを履き直し、ベンチにもう一度座り直す。本格的にやることが無くなってしまった私は、家に帰ることにした。


 そっと扉を開け、静かに手を洗い2階へ行く。父親の部屋の前を通るが、寝息が聞こえる。どうやら、まだ寝ているらしい。

 母親と父親は、別々の部屋で寝ている。昔からそうだ、母親曰く父親の寝相が悪いからとの事らしい。部屋に帰ってきた私は、ベットに横になる。

 約束の時間までは、約4時間ちょっとあった。この時間を完璧に暇じゃなくさせる方法は、無いだろうか。いっその事寝てしまった方が、いやそれはダメだ。寝過ごしてしまいそうで怖い。


 もし、このまま自然に目が閉じてもいいように9時にはアラームをセットしておこう。これでいつ寝落ちしても安全だ。

 ……ピピ。アラームの音が耳の横で鳴る。うるさいなもう、スマホからなる耳障りな音を消すため画面を開き停止ボタンを押す。

 うるさいなもうじゃないよ、起きないと。寝ようとするからだを起こし、遊びに行く準備をする。

 トゥインは歩いて20分ほどで着く距離にあるため、9時30にはここを出なければ待ち合わせの時間に間に合わない。


 昨日予め用意しておいた服に着替え、洗面所に洗顔、歯磨き、髪の梳かしを急いで済ませてしまう。リビングに行き、朝ごはんを食べる。


「……貴方、どこかへ行くの?」


「友達と遊びに行くの」


 いつもとは違う私の格好に気付いた母親が、どこへ行くのか聞いてくる。聞いたところで、特に何もしないくせに。


「そう、7時までには帰ってくるのよ」


「わかった」


 この家は、小さい時から夜の7時が門限だった。それさえ守れば何処へ行ってもいいというルールで、海に行こうが川に行こうが別に構わないって訳。ある種の、放任主義に近い。


 ご飯を全部食べご馳走様でした、と言い2階へ行き麦わら帽子を被る。手提げ鞄の中にちゃんとお財布が入っていることを確認し、準備は万端だ。

 玄関へ行き少しだけ厚底のある黒い靴を履いて、今日二回目の外へ出る。

 朝とは違って、寒さが消え去り暑さだけがやってきていた。スマホの画面をつけ時間を確認すると、9時35と表示されており、今のまま行くと間に合わないことが分かる。


 駆け足には満たないスピードでトゥインを目指す。赤信号に何回か捕まってしまう。急いでいる時に、何故こんなに捕まってしまうのだ。急いでない時は、パッと行けるのに神様は意地悪なのでは。もっと下界に優しくなってくれ。


 なんていう愚痴を零しながらも、トゥインに着く。複合商業施設トゥインは、白塗りで所々壁の塗装が剥がれ老朽化が進んでおり、これが町一番の施設だと思うと悲しくなってくる。太陽の光は、そんなトゥインを必死に照らし老朽化を隠そうと頑張っていた。


 それにしても、春榊遅いな。スマホの時刻は10時10分になろうとしていた。約束の時間から、10分も遅れているのだ。私が着いた時スマホの時刻は9時55でギリギリだったが、遅刻はしなかった。

 周りを見た渡すが、春榊らしき人物は見当たらない。人目を憚らずにイチャイチャするカップルは何組かおったが、それは見なかったことにしよう。肝心なのは、私を誘っておいて遅刻している春榊の方だ。


 ……電話してみるか。


 電話帳に登録された、春榊太陽という名に電話をかける。


 コール音が5回ほど繰り返された時、やっとコール音が鳴らなくなる。


「雨宮さん。 今、何処にいる?」


「え、トゥインだけど」


 今何処にいる?そんなの決まっておるであろう。トゥインだ、トゥイン。どういう意図の質問なのだ。

 頭の中には、混乱のマークが何個も湧き出る。


「僕も今着いたんだけどさ、どこにいるか分からなくて電話しようとしてた所なんだよね」


 僕も今着いたとサラッと言うな。遅刻してるのにサラッと言い流すな。まあ、いいやその事は、会った時に問い詰めよう。

 今は自分のいる場所を教えるのが先決だ。目印になりそうなのは、あ、バス停がある。これなら分かりやすいだろう。

 トゥインはご年配の方も利用される為、バス停が設置されており通過するようになっているのだ。


「バス停が近くある所にいるよ」


「あ、居た! おーい!」


 スマホ越しに聞こえる声と、現実の世界で春榊の声が聞こえ、前を向くとアロハシャツに真っ赤のズボンを履いて手を振り立っていた。なんだ……あの格好は。


「良かった、いたいた」


「あの、その格好は?」


「あぁ、これ? 昨日雨宮さんがオシャレじゃないって言ってたから、とびきりダサい格好で来たよ」


 本当に真に受けてこんな格好で来るとは思ってなかった。春榊の行動は、私の予想を遥かに凌駕してくる。

 でも、こうなったのは昨日の私の発言のせいだし、何も言えないや。むしろ、悪い事をした。

 道行く人達は、春榊の格好を見て笑ったり不思議に思ったりしているようだった。


「でも、雨宮さん今日の格好可愛いね。 僕のダサい格好もそれで掻き消されそうだよ」


 サラッと可愛いとか言った。サラッと言われた。どう反応すればいいのだろうか……正解が分からない。とりあえず


「ありがとう」


 だよな。褒められているだろうし、それに自分がダサい格好で来る原因になった私を責めないなんて優しいな。


「あ、でも10分は遅刻だよ?」


「ご、ごめん。 そうだ、クレーンゲーム1回奢るよ」


 10分遅刻を指摘すると、何故かクレーンゲームを1回奢るという。そこは普通お茶とか、アイスなのでは?と思うが、ゲームは好きだしクレーンゲームでもいいか。


 私と春榊の、トゥイン遊び大作戦は始まった。

 最初に私達が向かったのは、2階にあるゲームセンターだった。久しぶりにゲームセンターに来たが、相も変わらずここは色々な音が混ざっててうるさい。しかし、この五月蝿さがゲームセンターという感じもする。

 これが無ければ、ゲームセンターと呼ばない。


 取れそうな物をゲームセンターを回りながらぐるぐると見ていく、あ、これ取れそうと思ったがせっかく二人なのに一人でするゲームは嫌だなと思い春榊にある提案をしてみる。


「ねえ、太鼓叩くゲームしない? 二人で」


「太鼓マスターの事?」


「そう、それ。 せっかく二人なのに一人は悲しいからさ、一緒に叩こうよ。 もちろん、春榊の奢りでね」


 いいよ、と春榊は笑って言ってくれる。二人で太鼓マスターのあるコーナーへ向かう。

 太鼓マスターとは太鼓を叩き、画面に出てくる赤い顔をリズム良く叩いてスコアの大きい方が勝ちという、シンプルながらも楽しいゲームなのだ。一人でやるには100円必要で、二人でやるにはその二倍の値段200円かかる。お財布にも良心的なゲームだ。


「よし、負けないぞー!」


「私も負ける気は無いよ」


 春榊が左の太鼓、私が右の太鼓を叩く。最初に曲を選ぶところから始まるのだが、流行りの物から演歌まで収録されており幅広い音楽を取り扱っているのも、一つの売りだ。全部で4曲できるため、最初は春榊、次は私と交代で選ぶ事にする。


「雨宮さんフルコンボ!? 凄いね!」


 フルコンボとは、全部の赤い顔を叩いた事の事を言う。下から二番目の難易度のため、少しやれば取れるのだがフルコンボという文字の力は凄まじく何も知らない初心者が見れば、どんなに低い難易度でも凄く見えてしまう優れ物ちゃんなのだ。


 2曲目は私が選ぶ番で、その後も二人で楽しく太鼓を叩く。太鼓が終わっても私達は、ゲームセンターを出ようとはせずにクレーンゲームをしたり他のゲームをしたりして、楽しんでいた。

 時刻は、11時を回り少しお腹も空いてきた頃合だった。3階にあるフードコートに行けば、沢山のご飯屋さんがある。


「お腹空いたし、フードコート行こうか」


 3階へ続くエスカレーターに乗り、フードコートへ向かう。向かう途中には、綺麗に飾られた宝石店や、年頃の子が好きそうな可愛い服が置いてあったりしてた。私にあんな服似合うかな、と黒のトレンチコートをすれ違いざまに見てそう思うが、あれは大人の女性が着るものであって、私みたいなガキ臭い女性が着るものでは無いか。

 でも、いつかあういうのが似合う女性になりたいな。

 色々なお店の前を通り過ぎ、フードコートへ着く。フードコートには、ハンバーグ屋さんからハンバーガー屋さんが並んでおり、食べたい物が詰まった夢の国のようだった。


 どれ食べようかな、たこ焼きもいいけどハンバーガーも良いよね。あ、でもラーメンも美味しそう。こっちからもいい匂いが。あっちへ行ったりこっちへ行ったりをしていたら、春榊が可笑しそうに笑いながら


「雨宮さん、お店は逃げないから座ってゆっくり考えよ?」


 と言う。久しぶりの、フードコートでついテンションが上がりすぎてしまった。

 こっち、と春榊は一つのテーブルに座り私もそこに座る。


 さて、どれにしようかな。席についた私は、四方八方に並ぶお店をみながらどれにするか悩んでいた。いっその事全部、食べれてしまったらいいのに。胃袋は無限じゃないから、それは叶わないのだけど。

 悩みに悩んだ末私はうどんを食べることにし、トッピングにえび天とさつまいもの天ぷらをトッピングした。

 席へ戻ると、肉を鉄板で焼いている春榊がいた。どこぞの富豪のように綺麗に切り、口に運んでいた。


「雨宮さんはうどんにしたんだね」


「スルッと食べれていいからね」


 うどんの利点は、スルッと食べれて美味しいえび天が食べれる所だ。このえび天が食べれるだけで、うどんの価値は一気に跳ね上がると思う。

 私はうどんを啜る。もちっとした食感で、えび天はパリッと揚がっており美味しい。さつまいもの天ぷらには塩をかけ別で食べる。


 10分ほどで食べ終わり、食器返却口と書かれたところに返しに行く。

 春榊はまだハンバーグを食べており、私はそれを眺めていた。食べ終わった春榊が食器を返しに行き、腹も膨れたことで次の遊び場所へ行く。

 ゲームセンターは、全部クリアしたと言ってもいい。なら、次に行くべき場所はどこか。本屋?二人で遊びに来ているのに、本屋行くか?普通。いや、行かないよな。

 じゃあ何処に行くべきなのだろうか。屋上にある遊園地しかなくないか?


「次、屋上にある遊園地行かない?」


「あ、いいね。行こう行こう」


 屋上にある遊園地といっても、ちょっとしたメリーゴーランドとお金を入れたら動く乗り物が置かれている閑散とした、悲しい遊園地何だけどね。

 エレベーターに乗り、屋上のボタンを押す。

 ガタン、と勢いよく屋上へエレベーターは向かい出す。ここのエレベータースピードがおかしいほど出るため、大体エスカレーターに乗るのだが屋上に行くにはこれに乗るしかないのだ。もしかしたら、このエレベーターも含めて遊園地なのかもしれない。

 エレベーターの扉が開き、古ぼけて錆びれたようこそトゥイン遊園地の看板がお出迎えしてくれる。こんな看板に、お出迎えされても気分が上がらない。

 看板の横に置かれている、券売機で遊園地の入場チケットを買う。入場チケットを買ったら、建付けが悪くなった扉にかけられている、ここにチケットを入れてねと書かれた箱に入れる。

 建付けが悪いせいか、遊園地の扉はお化け屋敷の扉のような音がする。


 人は、もちろん誰もいなかった。義務を果たすように回るメリーゴーランドだけが、この場でずっと動き続けていたのだ。

 頭上には青空と太陽があるはずなのだが、何故ここは暗く見えてどんよりとした気分になる。


「久しぶりに来たけど、相変わらず怖いねここ」


「そうだね、特にあのメリーゴーランドが」


 私は、誰も居ないのに回り続けるメリーゴーランドを指さして言う。ていうか、あれ誰かが止めたりして操作するもんじゃないのか?一体誰があれを止めるんだ。


「あ、じゃあメリーゴーランド乗ろうか」


「え、でも動いてるしどうやって」

 

「大丈夫、大丈夫。 任せて」

 

 関係者以外立ち入り禁止と書かれた札を無視しして、春榊は操縦室に行きメリーゴーランドを止めてしまう。

 口笛混じりに、止める姿は手馴れてるようだった。


「え、勝手に止めて大丈夫なの?」


「大丈夫だよ、ここいつも人いないからこうやって来た人が勝手に止めて乗ったり、動いてるやつに飛び乗ったりするんだ」


 いつも人がいないのはどうかと思うが、それが普通ならばそれに従うべきだな。しかし、飛び乗るのは危ないからやめた方がいいと私は思うぞ。


 さ、乗って、と言われ止まったメリーゴーランドに乗る。


「よし、乗ったね。 それじゃあ、出発〜」


 春榊が赤いボタンをポチッと押すと、メリーゴーランドは音楽を鳴らしながら動き始めるが、音楽を鳴らす機会が壊れているのか分からないがノイズが酷く呪いの歌のようになっていた。

 3週ぐらいするとメリーゴーランドは止まった。次は雨宮さんの番だよと春榊は言い、このメリーゴーランドの操作の仕方を丁寧に教えてくれる。

 まず、この赤いボタンを押したら、メリーゴーランドは動き3週回ると自動的に止まるらしい。つまり、私はこの赤いボタンをポチッと押すだけでいいって事だ。

 しかし、メリーゴーランドを動かすなどしたことが無いためワクワクする。自分が遊園地の従業員になったようだ。


「乗ったよ〜、ボタンを押して」


 赤いボタンを押すと、ノイズが酷い呪いの歌と共にメリーゴーランドは回り始める。こんな歌小さい子に聞かせたら、大泣きするだろう。一生のトラウマになる可能性も、十分にありえるな。

 3周し終わったメリーゴーランドは、自動的に止まってくれる。


 この遊園地にある他の乗り物は、お金を入れたら動くパンダの乗り物だけか。何が楽しいのだろうか、これの。ゴーカートのような疾走感は無いだろうし、トロトロと動くだけで特にこれといった楽しみ要素はない気がするな。


 私は顎に手を当て、これを最大限楽しむ方法を考えているとメリーゴーランドから降りた春榊が、いつの間にか横に立っており驚いてしまう。


「……うわっ! いつの間に」


「雨宮さんがあまりにも真剣に考えてるから、声かけるの忘れちゃったよ」


 それは忘れないで声をかけていただきたいものだ。殺人鬼が横に立っている気分になる。


「ねえ、これどうしたら最高に楽しめると思う?」


 いつも友達と喋って、色々な所へ行ってそうな春榊ならこれの楽しみ方も知ってそうだ。私には無い知識を、沢山持っている春榊を私は尊敬する。

 どんな知識であれ、それを覚えていられる事がすごいのだから、余計なことを覚えているだけなどと、謙遜せずに誇ればいいと私は思う。


「この最高の遊び方はあるけど、危ないからやめておいた方がいいよ」


 このトロトロとした、乗り物が危なくなる遊びだと?どんな遊び方を考えたらそれに行きついたのだろうか。それは、ともかくその遊びは意外にやってみたい。例え、危険だとしても。


「危険でもやってみたい」


「言ったね?」


「言ったとも」


 二人の顔は覚悟を決めた渋い顔をしている。

 100円投入口に先ずはお金を入れてと言われ、財布から取り出し1枚入れる。


 その次はこっちにぶつかって来てと言われる。

 ……ぶつかってきて?もしかして、乗り物と乗り物をぶつけ合って遊ぶっていうことなのか?

 確かに、この遊びは二つの意味で危ないかもしれないが、今更引き返すことなど無理らしい。春榊の顔がやる気になってしまっている。乗り物の耐久値を信じ、私は突撃していく。


 10分間ぶつかり合ったが、スピードがそもそも無いため乗り物にはそこまでのダメージはなさそうだった。おしりが痛い。ぶつかる度におしりが宙に上がりそこそこ硬い椅子にぶつけるためおしりが痛い。長時間はやりたくない遊びだな。一回で十分。


「楽しい? 雨宮さん」


「え、うん。 もちろんだよ、すごく楽しい」


 物理稽古が終わり、おしりが痛いためベンチに座っていると春榊が唐突に楽しいかと聞いてくる。

 もちろん楽しい。ここへやって来てから、つまんないという感情を抱いてない気がする。心の底から湧き出た楽しさ100パーセントだ。


「なら、良かった。 今日、半分強引に誘ったから嫌がられてるかもしれないなと思ってたから」


 確かに、半ば強引に約束を取り付けられたが、今はそれがあって良かったと思っている。こうして、家族ではない、他の誰かと久しぶりにどこかへ出かけれたのだから。


「ううん、むしろ嬉しいよ。誘ってくれてありがとうね春榊」


「あ、ならさ、いつでも誘えるようにさNINE交換しようよ」


「私、NINE入れてないんだ……」


 NINEとは、若者を中心に流行り今は主流となった、連絡アプリだ。友達と気軽にメッセージ交換ができ、何時間でも無料で通話が出来るため、若者から年寄りの方まで使われているアプリなのだが、それは友達がいる場合の話だ。

 私は、家族ともNINEを交換してない。連絡する時は電話でしろと言われているためNINEなんて入れる機会が無かったのだ。そんな私が、NINEを入れていても虚しくなるだけだ。誰も追加されてない友達リストを永遠に眺めるだけのものになってしまう。


「今入れて交換しようよ」


 春榊は、そんな私を馬鹿にしなかった。若者でNINEを入れてないものは馬鹿にされるかと思っていた。いや、春榊の性格なら絶対にそんなことはしないだろう。人を傷付けないように神経を尖らせ、皆と仲良くしているコイツがそんなことを口に出すはずがなかった。


「あ、えっとうん!」


 アプリストアから、青いマークで吹き出しにNINEと書かれたアプリをインストールする。私のスマホに若者のアプリが、インストールされているのを見ると感動を覚えてしまう。

 NINEのインストールが完了し、春榊とNINE交換をする。友達と書かれた欄に、太陽とかかれた茶柱が立ったお茶がアイコンの人が追加された。

 ピコンと、通知が鳴る。目の前にいる春榊からだった、よろしくというゴリマッチョなコアラのスタンプが送られてきた。どういうセンスのスタンプなんだこれは。


「ねえ、なんでアイコンお茶なの?」


「茶柱が立ったから、アイコンにしたら縁起がいい事がずっと続くかなって」


 多分続かないと思うが、春榊の目はそれを信じて疑わない純真な眼をしていた。

 私もアイコン決めないと、家に帰ったら考えよう。


 その後は、アイスクリームを食べたしたりして時間を潰し、気付いたら5時になっていた。

 そろそろ、帰ろうかな。


「春榊、私そろそろ帰るね」


「うん? わかった」


 春榊は、2時間前ほどに食べたアイスをもう一つ購入し食べている最中だった。

 あ、そういえばなんで春榊は今日私を誘ったんだろう。ただ、遊びたいから?でも、他に何か理由なんてないような。


「ねえ、今日何で私を誘ったの?」


 思い切って真正面から、質問をしてみる。


「ん? 一人で全部抱えるタイプって言ってたからさ、仲良くなって話してもらえる仲になろうかなって思って、誘ったんだ」


 私の斜めをゆく、返答が帰ってくる。一人で抱えるタイプだから、仲良くなって話してもらいたいか。どこまでもお人好しで、馬鹿なんだろうな。


「あはは、何それ」


「やっと僕の前で笑ってくれた。 たまに見る笑顔は作られたような笑顔だったからさ、良かった。 見れて 」


 作られたような笑顔。無意識に家での笑い方をしてしまっていたのだろう。知らず知らずのうちに癖になって、抜けなくなって心から笑えなくなってしまった。それに春榊は気付いてたんだ。自分自身が、気付けなかったことに。

 私は、久しぶりに声をあげて笑った。心の底から面白いと思ったんだ。


「……ありがとう」


 ありがとうが正解なのかは分からない。だけども、私が今言える一番の言葉だと思う。 ごめんでも無くて、自分に気付かさせてくれてありがとう。

 私は私をまだ知らない。仮面を付けるのが当たり前になってしまった、私の本当はどこへ行ってしまったのだろう。


 その後は、春榊と別れ家に帰る。

 今日は、最高に楽しかった。こんなにも一日が楽しいなんて思ったことは、もう何年もなかった。夕陽が、歩く私の影を奥へと伸ばしていた。

 黒塗りの扉の前、私は家に帰ってきた。扉を開けると、仕事からちょうど帰ってきた父親とバッタリと会う。まだ靴も脱いでなくて、スーツ姿の父親はじんわりと額に汗をに滲ませており、髪の毛はしっとりとしていた。

 父親は私の方を見るや否や


「何だ、その格好は? 遊びにでも行ったか? 学校には中々行かないお前が、遊びには簡単に行くんだな」

 

 と、嫌味らしく汚い声でケタケタと笑いながら言ってくる。

 これが帰ってきた娘にかける言葉なのだろうか。こんな言葉を吐かれるために、私は生まれてきたのだというのだろうか。私だって、普通に暮らしたい。家族と笑いあって学校には友達がいて、そんなごく普通の毎日を送りたいよ。

 でも、見て。もう叶わない。ドブネズミを見るような目をしている父親を見ながら、叶わないと察する。


「あ、ご、ごめんなさい。 でも、最近は学校にも行ってるよ」


「たった二日のまぐれじゃないか、何を言っているんだ」


 学校に行けていることを、褒めて欲しかった。すごいなあ!と笑って褒め欲しかった。でも、帰ってくるのはまぐれと言い、褒める気など1ミリもない人を容易に傷付けてしまう言葉のナイフが帰ってくる。

 その言葉が、どれだけ私の心を侵食していくか考えたことがあるのだろうか。言葉には、人格を捻じ曲げる力がある事を知っているのだろうか。

 知っていて、私で実験でもしているの?どんだけ汚い言葉を投げかけたら人は壊れるのかって、母親と一緒に私をモルモットにして実験でもしているの?


 拳を血が滲むほど強く握り、感情を押し殺す。この感情は不要だ。不要なものは捨ててしまって構わない。

 だけど、この笑顔だけは取っておく。今日、春榊の前で見せた感情だけは無くさせない。


 手を洗い、部屋に篭もる。二人の顔を今は見たくない。

 布団にくるまり、私は私を呪いたかった。こんな状況にした過去の私と、何も言い返せずに今を変えようとせずにただ傍観するだけの自分を呪い殺してやりたかった。弱気にならず、強気で対等に物が言えたならば、父親も変わってくれるかもしれない。母親もそうだ、お弁当を作ってと一言言えばいいのだ。

 なのに、それが私には出来ない。一人で泣くことしか私には出来ない。居場所の無い私の孤独な一人戦争は、援軍など来やしない永遠と続く一方的な攻撃を受け、私は防衛しか出来ない。


 誰かに悩みを打ち明けたい、でもそれをしたら迷惑がかかってしまう。矛盾だらけだ、助けて欲しいのか、迷惑をかけたくないから何も言わないのか。結局の所、どっちなんだって話だよ。


 気付いたら寝てしまっていた。目を開けた時には、カーテンの外は暗くなっておりスマホを確認すると一通のメッセージと、時刻は深夜の2時30分を回っていた。

 メッセージを開くと、春榊から送られてきていたNINEだった。

 内容は無事に家へ辿り着けたかというもので、うん、とだけ返しておいた。


 お腹が空いたな。リビングに行けば何かあるかもしれない。そっと、ベットから立ち上がりリビングへ行く。

 真っ暗なリビングに明かりをつけると、机の上にはサランラップがかけられた私のご飯が置かれていた。夜ご飯にはちゃんと呼んでもらえないが、私のご飯は何があっても必ず置かれている。微かに残っている愛情の絞りカスで、置いてくれているのだろうか。

 サランラップを取り、冷めたままのご飯を口に入れる。レンジでチンをすると音が鳴ってしまうため冷めたまま食べる。

 

 喉が乾き冷蔵庫を開け、食器棚からコップを取りだしタプタプになるまで注ぎ一気に飲み干す。キンキンに冷えた、お茶が喉と胃袋を冷やしかき氷を食べるとなる、あれが頭にやってくる。お茶でも、なることを私は初めて知った。

 てことはあれ、冷たければ何でもなるってことなのか?


 ご飯を食べ終わえ、食器を片付ける。洗おうかなと思ったが、水の音で起こしてしまった方が面倒臭いため、そのまま放置する。

 お風呂入ろうかな、いや、でも起こすとあれだろうし。それに明日は日曜日だから今日入らなくても大丈夫か。

 2階へあがり、私はもう一度夢の中へ誘われる。



「おーい、葉月こっち向いて笑えよ」


 父親が、いやお父さんが私の方を見ながら、カメラを構えている。

 私は恥ずかしがり、下を向いてしまう。カメラは苦手なのだ。あれに自分の顔が保存され、未来永劫残ってゆくと思うと苦手だ。


「もう、葉月顔を上げて高校生でしょう?」


 そうだ、私は今日から高校生なんだ。新品の綺麗な制服に身をまとった私は、お母さんと入学式と書かれた看板の前で記念写真を撮っている。


「ほら、こっち向いて。 撮るよ」


 カメラのシャッターが切られた瞬間、私の目の前は真っ暗になる。

 あれ、お母さん?お父さん?どこ?どこに行ったの?


「……この出来損ないが」


「こっち来ないでちょうだい」


 なんで二人ともそんな冷たくするの?私いい子にしてたよ?ねえ、行かないでよ……待って。


「ねえ、待ってよ……」


 目が覚めると、私は泣いていた。夢か……。ありえないはずの未来を願いすぎて、とうとう夢にまで侵食してきたか。あんな現実何処にもないっていうのに。

 そういえば、今何時だろうか。スマホの時計は、10時32分と指しており中途半端な時間に起きてしまった。

 とりあえず顔を洗おう。涙の跡を消すように私は顔を洗う。


 ご飯は、いいや。深夜にご飯を食べたせいか、まだお腹が空いてなかった。一応、母親にはいらないって言った方がいいかな。


「わたし、昼ごはんいらないから大丈夫だよ」


「……そう」


 冷たい二文字の返事、無機質なロボットと話してるようだ。幸い、まだご飯は作り出してなかったようだ。これでゆっくりと、部屋に篭もれるな。


 机の下にあるパソコンを付け、とあるサイトを開く。無料で小説が読める、読もう小説というサイトをクリックする。ここでは、プロからアマチュアの人が好きに小説を投稿出来るサイトで、国内で一番大きなWeb小説の市場となっている。面白い作品が沢山眠っており、まさに小説の金山だった。


 私はまだ読み途中の、500年と青空という小説の続きを読み進めてゆく。このWeb小説は、初めてネットから書籍化が決定した作品で、人気はWeb小説でも一番高い。

 この小説の物語は、500年間コールドスリープした主人公が、友達も家族も居ない変わり果てた生きていこうとするが、過去と今の違いにどうしても適応できずに、500年前に戻る方法をどうにか探して戻るというストーリーだ。

 過去と今の違いに適応出来ない部分などが、私に似ていて親近感が湧く。

 だけど、私は過去に戻りたいとは思わないかな。戻っても、また同じこと繰り返しちゃいそうだし。


 それなら、今の状況に適応してしまった方がマシだ。友達や家族などいないに等しい私は、500年間コールドスリープしても過去には戻ろうとは絶対に思わないだろうな。なんなら、500年後の方が、最高かもしれない。この、物語の主人公は強いな。今に抗おうとしてるんだから。私もこうなりたいな。


 全ての話を読んでしまい、次に読む小説を探しに行く。

 NINE、とスマホが振動する。スマホを取り、電源を付けると春榊からメッセージが入っていた。


「深夜まで起きてるなんて、雨宮さんかなりの夜行性だね」


 と、ゴリマッチョなコアラのスタンプと一緒に送られてきていた。

 確かに夜の方になったら、よく動く方だ。日中はダラダラとしており動く気力すらも湧き上がらないが、夜中になればどんなに眠くともみるみると元気になっていくのだ。植物が太陽の光で光合成をするのならば、私は月明かりで光合成をする植物だ。


「夜の方が動きやすいからね」


 と返事を返す。昨日はずっと起きていたわけじゃなくて、夕方に寝てしまったから夜中に起きていたんだけどね。久しぶりに遊びに行ったら、思いのほか体が疲れていたらしい。ちなみに、足はちょっとだけ筋肉痛になっている。連日動き続けたツケが、3日目にしてやっと回ってくる。でも、別に動けないほど痛いという訳では無いから、ありがたい。


「僕は逆に、日中じゃないと動けないな」


 春榊から返事が来る。私と真逆の春榊は、日中じゃければ動けないらしい。なら、コイツは太陽の光で光合成する植物だな。羨ましい、学校に行くのならばそっちの方が何かと都合がいいだろう。


「私と逆だね」


「あ、お母さんに呼ばれた! ごめん行くね、また明日学校で!」


「あ、うん分かった。 また明日」


 ついまた明日と返事してしまったが、どうしよう。これじゃあ、学校に行く事が決定しちゃったよ。

 ……明日も学校に行こう。


 学校に行く事が、決まってしまった私は憂鬱という気分とは違う別の何かの感情を抱いていた。

 高揚という訳でもない、今心は落ち着いてるがざわめきはしてる。一体何の感情なのだろう。学校へ行く事を決めた自分への高鳴り?いや、それとはまた違った何かだ。こう、心が波打っては引き返すような不透明で不確定な感情。心臓の病気では無いな。

 結局、感情の正体は分からずじまいで一日は終わった。


 次の日の朝、私はまた小言を言われる覚悟でリビングに行く。どうせ、父親から何かを言われるのは分かっている。この人が何も言わないなんて、天地がひっくり返ってもありえないだろう。神様も肩を上げて驚くよ。


「おは、よう」


 父親は、私のことをじっと見つめる。


「……今日も行くのか」


「うん」


 今日はそれだけだった。それ以上は何も言ってこなかった。珍しいこともあるもので言い方も棘が無くなってたような気がする。ただの気のせいかもしれないけど。

 父親の前に座り、朝ご飯を食べる。ちらっと前を向いてみると、照明に照らされ光る父親の頭頂部があった。私はその光景に吹きそうになってしまうが、どうにか堪える。

 いつの間にか、こんなに禿げてしまってたのか。いつも見ないように必死だったから、気付かなかった。当の本人も、頭頂部が禿げ始めていることに気付いてないようだ。


「おい、母さん。 髪の毛入ってるじゃないか」


 それあんたの残り少ない髪の毛だよ、ちゃんと頭に戻した方がいいんじゃない?今は1本でも、大切にすべきだと私は思うよ。

 ご飯を食べ終え、学校に向かう。

 今日も今日とて、太陽が元気に活動し地面からは陽炎があがり、家の窓は反射していた。連日ずっとこんな暑さが続いている。地球温暖化のせいだろうか、昨今はこんなのばっかりだ。


 地球温暖化を止めないと、地球は滅びるらしいが温暖化を止めるために工業とかをやめてしまったら、逆に人類が滅びてしまうから、難しい問題だと私は思う。

 これの解決策は、よぼよぼのしわくちゃのおばあちゃんになった時に出てそうだな。若い世代に頑張ってもらいたいもんだ、私も若い世代だけど。


 暑さを耐え忍びながら、クーラーの効く教室へ着く。汗が引いていき、体が涼しさを取り入れてゆく。太陽が1番当たる席へと座りに行くと、私の進行方向を妨害するように3人の女性たちが立ち塞がる。


 1人は黒色で艶のいい髪の毛を靡かせ、スタイルはスラリとしており2人を従えてるように見えた。


 その他の2人は、両方とも眼鏡をかけており黒色の髪の毛の人に並ぶように立っていた。

 机と机の間は狭いから、そう立つと窮屈だろう。


「ちょっと来なさい」


 立ち塞がれた時点で、嫌な予感はしていたがまさか当たるとは。

 嫌だなあ……また同じ事を繰り返しちゃうのかな。


 屋上に行く階段の下に連れて行かれる。こんな所あったんだ。

 階段の下は、誰も掃除をしてないようで埃ぽくて太陽の光も届かないため、どんよりと暗い雰囲気が漂っていた。


 これから、何を言われるか私は大凡の検討はついていた。春榊の事についてだろう。

 こういう手の人が、誰かを呼ぶ時は大体そういう時だけだ。状況を悪化させないために、私がすべき行動は昔習っている。


「アンタ、最近春榊と仲が良いじゃない」


 ほら、やっぱり。お決まりのセリフを大根役者のように棒読みで言ってくる。


 ここで私が取るべき行動は、知っている。

 でも、本当にその行動を取っていいのか。少し躊躇ってしまう。前の私ならすぐに、笑って取るべき行動をとっていただろう。

 だが、春榊を遠回しに馬鹿にするような言い方はしたくない。


 例え、虐められようとも。


「……う、うん。 仲良いよ、それがどうしたの?」


 白々しく何も知らない、何も察して風に言う。分かってくる癖にと言わんばかりの顔を、黒髪はする。

 臆するな。あの主人公のように、なれ。過去の自分は脱ぎ捨てろ。


「あんた分かってて言ってるでしょ? 春榊とアンタは似合わないから、もうつるむのやめて。 それが春榊のためでもあるし」


 黒髪は勝手に、人の気持ちを考え言う。誰かみたいに。人の気持ちなんてその人しか分かりえないものなのに、それを勝手に他人が形成して好きに言っていいものじゃない。


「人の気持ちは、道具じゃないよ」


 口から溢れ出たのは、私とは思えないほど鋭く尖った鋭利な言葉だった。

 ……やってしまった。何でこんなこと言っちゃったんだろう。もう後悔しても遅いか。一度出した言葉は、回収不可能なんだから。


「……こんの!」


 頭に血が上がった黒髪は、腕を振りかざす。あ、叩かれると思った瞬間


「おーい、そこで何してんだ?」


 無気力でやる気のない声が聞こえる。池田先生だ。池田先生は英語の先生だから、ここに来るはずないのに何で。


「あ、いや。 なんでもないでーす!」


 黒髪は慌てて手をおろし、声を作り何も無いように振る舞う。


「お、そうか。 じゃ、行くわ」


 池田先生は行ってしまう。黒髪は池田先生がちゃんと行ったことを確認し、もう一度腕を振りかざす。


「……と思ったけど、やっぱりこんなことしてたんか」


 何処かへ行ったはずの池田先生が、階段の上から覗きこんでいた。足音も立てずにゆっくりと登ったのだろう。この場にいる誰も気付かなかった。


「先生、これは違います。 雨宮さんの頭についてたゴミを取ろうとして、決して叩こうなんてしないですよ」


 黒髪は、見え透いた嘘をつく。こいつはこうやって生きてたんだろう。何も悪くない、私は悪くないという顔をしている。


「俺なんも言ってねえし、ここからじゃ何にも見えないんだよな。 まさか、お前が人を叩くような奴だったとはな。 後で職員室来い」


 池田先生の語調は強くなっていた。いつものの、無気力で何も考えてなさそうな声ではない、ちゃんと怒りが籠った声をしていた。

 こんな先生でも怒るんだ。


「それと雨宮は、そこに残れ」


 私だけ、この薄暗い空間に残るよう言われる。居心地がそこまで良くないから、あんまし居たくは無いけど先生から言われたから、居るしかない。

 学校では、先生が一番偉いのだから。


「ほら、行くぞ。 白山は教室に帰ってろ、昼休みに職員室来い。 あ、残りの二人もだぞ、お前達もこの状況を見て見ぬふりをした罰があるからな」


 黒髪のアイツは、白山というらしい。名前に白が付いてるのに、腹は真っ黒だ。


「……はい」


 白山とその取り巻きたちは、元気なさげに肩を落として教室へと帰って行った。

 トントンと、足音を鳴らし階段をおり、池田先生は私の目の前に立つ。


「雨宮、その何だ。 親御さんとも上手くいってなかったようだし、困ったらちゃんと言えよ?」


 なんで、親と上手くいってないことを知っているのだろうか。誰にも話してないはずなのに、何故この人はそれを、知っているのだろう。


「なんで知ってるんですか? 私が親と上手くいってないことを」


「ん? あぁ、学校見学に来た時、 なんかギクシャクしてからよ上手くいってねえのかなって。 それにいじめのこともあるしよ」


 学校見学の時……約一年前ほどのことだ。



 一年前、私は虐めから逃げるためにこの学校へ転校してきた。最初の5日間は頑張って登校をしていたが、やはり人の目が、気になってしまい行けなくなってしまった。

 私が人の目を、気にするようになったのは父親と母親が、私をゴミを見るように蔑んだ目で見るようになってからだった。二人がその目で私を見るようになったのは、虐めが原因で学校に行けなくなった中一の夏頃の時からだった。

 それまで私は、人の目なんて気にしないでいられた。自由に生きていたんだと思う。そこからだ、私に人の目が一点に集まったり、威圧的な目をされると吃るようになったのは。


 親に、虐めを打ち明けられたのは中二が終わろうとする冬の事だった。

 夜ご飯の時間私は、二人に面を向かって「学校で虐められているから、学校に行けなくなった」と伝えた。


 心臓がドクンドクンとわかるほどに、私は緊張して言ったのに2人の反応は呆気ないものだった。


「そうか、なら転校すればいい」


 辛かったね、よく言ってくれた。ごめんね、分かってあげれなくて、そんな暖かく私を包んでくれるような言葉は出なかった。

 あぁ、こんなちっぽけでどうでもいいと思われている存在なんだな、私って。

 頭を撫でて欲しかった。優しい言葉をかけて欲しかった。でもそんなのは、夢想で現実は冷たく非情なものだった。


 そこから、父親が近くにあるもう1つの学校に転校されてくれた。

 転校する前、校長室で面談をした。たしかその時だったかな、頭をボリボリと掻きながら面倒くさそうに歩いていた先生を見かけたのは。あれは、池田先生だったんだ。


「たしかに家族の仲は、悪いです。 けど、大丈夫です。 心配してくださってありがとうございます」


「あ、ちょい!」


 私は、池田先生にお辞儀をしその場を離れる。これ以上、家族のことは話したくなかった。家族のことは、極力考えたくない。


 教室に戻ると、白山が私のことを睨みつけてくるが無視して席に座る。自業自得ってやつだ。私は知らない。

 自分を出して、誰かに言い返したのは久しぶりだった。

 あの時から、私は誰かに言い返すことなく笑って頷いて平穏に過ごそうとする、ロボットになっていたから今日自分が言い返した時は、私が1番驚いたまである。


 何で、春榊を悪く言いたくなかったんだろう。人として悪口は言いたくなかったから?いや、違うもっと他の理由なのはずだ。

 昨日の感情といい、この感情も何なんだ。得体の知れない感情を、私は二つ抱く。


 朝の連絡事項で、白山と取り巻きたちの名前があがり職員室に来るようにと担任の先生からも言われていた。

 本格的に、逃げ道を無くしたようだった。

 池田先生なら許してくれるだろうと思い逃げる可能性がある、白山の名前を担任から言わせることによって、必ず行かないといけないように仕向ける。

 やはり、どんなにダラっとしていても先生だ。私達の頭で敵うような相手では無い。


 でも、まあ帰る時の白山の様子を見ていたら担任から言わなくても、行きそうだったけどね。念には念をってやつだろう。


 白山の名前があがったことにより、視線がそちらに向きどんなことをしたのかという、憶測が飛び交い教室はざわめきだす。

 先生が、手を叩き静かにと言う。


 さっきまでザワついてた教室は、静寂に包まれる。


 昼休みが始まったチャイムが鳴り、白山とその取り巻きたちは。足に重りを付けられたかのように引きづりながら教室を出て行った。


 私は購買に行き、シャケおにぎりを購入する。

 今日は、焼きそばパンの気分ではないから、シャケおにぎりを2個買う。


 朝呼び出された階段をのぼり、屋上へ向かう。

 扉を開けると、いつもの位置に春榊が先に座っていた。


「今日も居るんだね」


 座って焼きそばパンを食べている、春榊に屈んで声をかける。

 んご、ふご。とご飯を口に入れて喋るため何を言ってるかさっぱりだった。


「口の中無くなってから、喋りなよ」


 傍らに置いていた、水のキャップをあけ一気に焼きそばパンを流し込んでゆく。


「よし、これで喋るぞ」


「そんな掃除機みたいな食べ方しなくても、ゆっくり食べればいいのに」


 私も、横に座り袋からシャケおにぎりを取りだし食べ始める。


「今日ここに来たのは、雨宮さんに聞きたいことがあったから」


「私に聞きたい事?」


 何だろうか、好きな食べ物でも聞いてくるのだろうか。それとも好きな色だろうか。どちらにせよ、答えるのは簡単だ。


「うん、今日教室に帰る途中、聞こえちゃったんだ。虐めっていう言葉が」


 聞かれてしまってたか。あんなところで喋っていれば、聞かれて当然かもしれない。

 春榊なら、馬鹿にしないだろうし話してもいいか。


「うん、私虐められてたんだ」


 中学一年生の頃、仲のいい男子友達が居た。彼はクラスの人気者で、皆から遊びに誘われたりして気さくな人だった。

 そんな彼と、よく遊んでいて色々なところに遊びに行った。7時まで帰ってくればいいという門限を守り、私は遠くにも行った。

 ただの男女の友情だと、私は思っていた。


 でも、周りはそうじゃなかったらしい。人気者と私が一緒にいることを許せない人達が出てきたんだ。その人達とは、別に仲が良かったわけじゃないから、最初は何もされてなかった。

 しかし、日が経つにつれ我慢が出来なくなったのだろうか、とうとう私に手を出すようになった。

 最初のうちは、靴箱の上に上靴が置かれたりとイタズラ程度で済んでおり、私もさほど気にしてはなかった。

 でも、どんどんとヒートアップしていき上靴に画鋲を入れられたり、体操服がチョークまみれになってたりと、散々な仕打ちを受ける。私は何でこんなことをされているのかが、分からなかった。そりゃそうだろう。私は誰にも害は与えてないのだから。


 そして私が不登校になった、決めつけは黒板に大きく死ね!雨宮!と書かれ私は動悸が早くなり、私は気を失ってしまった。

 その仕打ちは、中学一年生という小さな私にはあまりにも大きすぎるものだった。


 気を失ったことにより、先生がやってきて黒板も見られた。緊急会議が始まり、黒板にあれを書いた奴は呼び出された。


 保健室で、休んで目が覚めた私は現実を受け止めきれなかった。

 そして父親がやってきて、「子供の戯れでしょう」と吐き捨てた。

 私のために怒ってくれないの?なんで?と私は父親に泣きついたが、「うるさい! こんなことでわざわざ会社から呼び出すな! 私に迷惑をかけるな!」と怒鳴られる。

 泣きつくことも許されず、迷惑をかけることも許されなかった。


「これが私の不登校になった理由だよ」


 春榊は、唇を強く噛み締め何かを堪えているようだった。


「……酷いよ。 それが親の言う言葉なの? おかしいよ。 そんなのおかしいよ、雨宮さんは一人で堪えてきたんだね。 もう堪えなくてもいい、大きな声で泣きついていい。 僕になら、いくらでも迷惑をかけてよ」


 春榊は、優しく寂しさを含んだ笑顔で言う。

 堪えなくてもいい。私が言ってほしかった言葉を、なんの迷いもなく言ってくれる。

 私は泣いた。赤ん坊のように大きな声で泣き、誰にも弱さを見せまいと、迷惑をかけまいと頑張ってきた。

 でも、やっと迷惑をかけ泣いてもいいと言ってくれた。私の心の雲には、空と同じ太陽がのぼる。


 泣いて泣いて、声が枯れるまで泣いた。心に積もっていた何かがスっと抜け落ちる。


「……もう大丈夫」


 涙を拭い、泣くのをやめる。出る分の涙はだしきった。


「愚痴こぼしたくなったら、NINEで言ってきて」


「うん」


 あぁ、分かった。あの感情の正体が。好きなんだ、私春榊の事が。

 私に優しく微笑んでくれるその笑顔が好きなんだ。

 未知の感情は、そこらじゅうに溢れている感情だったんだ。

 心には雲ひとつない時、私はこの感情に気付く。

 雲ひとつない晴天で私は春榊に恋をした。


 好きという感情に気付き、少し春榊の顔を見るのが恥ずかしくなってしまう。どうやって今まで喋ってたけ。あれ、喋り方も分からなくなってしまった。

 えっと、いつも通りにすればいいだけだよね。簡単だよ。簡単。


「え、えっと今日いい天気だね」


「え? うんたしかにいい天気だね」


 あぁぁあ! 違うだろ!なんで急にいい天気だねなんて言ってるんだよ、ずっと屋上にいるからそんなの分かりきってる事だろ!? ほら、見ろよ春榊もちょっと困惑してるじゃねえか!

 そりゃ困惑しますよね、急にこんなこと言われたら、ほんとうに申し訳ない。


 無言の時間はキツくなかったはずなのに、何でこんなにもキツイんだろう。

 好きな人と屋上に二人きりということを、無理やり押し付けられるからキツいんだ。

 なんか話して気を紛らわさないと、でも話すことなんて無いしなあ……いや考えろ捻れ少ない頭で考えるんだ。

 そうだ、土曜日行った遊びの事を話そう。あれなら、話が盛り上がるはずだからね。ってあれ、二人きりじゃん、てことは実質デートだったのでは?なんていう事実を、私は見落としていたんだ。


「さっきからどうしたの? なんか悩み事?」


 春榊は、顔を近付けて心配してくる。

 顔近い、アカン。好きな人の顔が近過ぎる、そして私の顔がみるみる熱くなっていくのを感じる。


「え!? 凄く顔赤くなっけど大丈夫?」


「全然大丈夫。心配しないで」


 顔が赤くなったのは君のせいなのだが、そんな事言えるはずもなく私はどんどんと恥ずかしがる顔を押え下を向くことしか出来なかった。

 その後は結局、ロボットのようなぎこちない喋りで何とか話を繋げていった。


 6限目が終わり、私の心臓は常に破裂しそうだった。隣に好きな人がいる、それを思うと心臓が鳴り止まなかった。

 教室中に響き渡っているんじゃないかと、心配になるほどだった。


 ちなみに、屋上から帰ると顔から魂が抜けた満身創痍の白山が机で死んでいた。職員室で先生にこってりと絞られたみたいだ。


「じゃあね、雨宮さん。 また明日」


「あ、うんまた明日」


 また明日ってこんなに素敵な言葉だったんだ。

 交わす人が変われば、言葉というのは美しく色を変え輝くものだ。

 軽快なステップで、階段をおりてゆく。この何の変哲もない階段が今は、舞踏会の階段に見える。

 靴箱を開き、念の為下靴を逆さまにしてみるが画鋲は落ちてこなかった。どうやら、白山はもう懲りたらしい。


 さっ、家へ帰ろう。今日という日だけは、家に帰るのも苦じゃない。ステップを踏みながら家への帰路を辿る。


 散歩中の犬が私に吠えても怖くない。これからどんな恐怖でも打ち勝てる気がする。

 世界が薔薇色とはこういう事なのだろう。恐れるものがなくなり、あるのは楽しいという心だけ。そりゃそんな精神だと、世界も薔薇色に見えるわけだ。


 家の扉を開け、靴を脱ぎ手を洗う。

 リビングからは、サスペンスドラマの音が聞こえる。母親が見ているのだろう。

 私は、あういうのには興味が無い。私利私欲で、人を殺すなんてバカバカしいよ。なんかもっと壮大な理由が欲しい。

 例えば、世界を救うために悪の組織の幹部を殺し、自分が悪者になるとかさ。あ、でもこれじゃあサスペンスというよりかは、ヒーローものだな。

 まあ、いいや。2階に上がろ。


 2階にあがった私は、鞄を部屋の隅に置き制服から熊がプリントされた服に着替える。

 今日は小説は読まない。今日する事は、SMS漁りだ。何か面白いことを呟いてる人や、絵を見たりする。

 絵を鑑賞するから、SMSはネットの美術館だと私は思っている。

 だけど、頭の固い人達は認めないんだろうなあ。今は色々な議論がされているけど、平行線上を一生仲良く走ってるだけに見える。一生終わらないマラソンを見ている気分だ。


 おっ、この記事面白いな。

 見つけた記事の見出しは、スクープ!あの有名実業家の闇!とデカデカと太字の黒で書かれていた。

 こういう記事を書く人ってどれぐらい張り込んでるんだろうな。3日とか4日とか普通なのかな。

 そしていいネタが手に入ったらすぐに帰って、新聞作りでしょ?大変そうな仕事だな。


 記事を一通り読んでいるが、どうも胡散臭くおもしろみはそこまでなかった。ガゼネタも、何個か織り込んでいることだろう。


 結局私はゲームを始めた。

 毎度恒例の2回がされ、夜ご飯の時間になってたことをお知らせする。ゲームに集中してしまうと、時間も忘れるからノックで夜になったことを知るのは少なくはない。

 リビングに行くと、父親の姿がなかった。残業でもしていて帰りが遅くなっているのかな?まあ、父親の姿がないことは、度々ある事なのだが。


 明日も学校に行こうかな、また明日って言っちゃったし破るのも悪いし、行こう。

 決して、春榊に会いに行くとかではなく、私自身のために行くのだ。不登校を治すためのリハビリだこれはうん、そうだ。これはリハビリなんだ。


 さっ、明日に備えて今日はもう寝よう。


 小鳥の囀りが気持ちいい朝を迎え、私は目を覚めます。時刻は7時10分とちょうどいい時間帯だ。

 1階へおりると、料理の心地の良い音が聞こえてくる。


 鏡に映るボサボサに伸びきった髪の毛を見ながら、切ろうかなと思う。こんなに伸びきっている髪の毛は私にとっても邪魔だから、切ってしまった方がいい。今度の土曜日に切りに行っちゃおう。


 美容院ってどれぐらいするんだろう、行ったことないから分かんないや。

 持って来ていたスマホで、美容院値段と調べると3000円から5000円ほどで切ってくれるらしい。そこそこの値段はするんだな、大体ゲーム1本分か。

 髪の毛を切るのに、ゲーム1本買えるお金が飛んでいくなんて、世の中のオシャレ女子たちは凄いな。


 歯も磨き終わり、リビングに行くとまだ父親の姿は無かった。出張か何かに行っているのかな?

 でも、まあいない方が小言言われないで済むから良いけど。広いリビングで、母親と2人で朝ご飯を食べる。


 もちろん、無言で言葉なんていうものは流れない。聞こえるのは外からの子供たちの笑い声や、車の排気ガスの音などの生活音だけが、今この場に流れている。


「ご馳走様でした」


 食器を足早に片付けに行き、鞄を持ち家を後にする。

 公園に寄り私は時計を確認する。いつも公園の時計で、時間を確認している。早く着きすぎると、やることが無くて暇だからだ。

 今の時刻は、7時45分。学校までは、歩いて15分ちょっとだから、ちょうどいいぐらいの時間に着くな。


「うぉぉぉー! 遅刻遅刻!」


 公園の時計を確認していると、猛ダッシュで通り過ぎて行く春榊が見え遅刻遅刻!と叫んでおり、また朝練に遅刻しそうになって、急いで走っているといったところだろう。アイツは、遅刻しないと死んじまう病気かなにかにかかってるのかな。


 私も学校に行かないと。


「おはよう!」


「おはようございます」


 いつもは無視してた、体育教師の挨拶に返事をする。

 熱血漢下山大輔、と生徒たちからは言われている。何かあれば、根性!努力!と言うらしく、頭の中まで筋肉が詰め込まれ、思考回路が麻痺してると馬鹿にされてるのも度々聞く。


「おぉ! やっと返してくれたな! 努力は実を結ぶ!」


 靴箱に向かっていると、後ろから歓喜の声を叫ぶ下山先生の声が木霊する。耳がキーンとなりそうなほどでかい声で叫ぶため、横に立っていた冨倉先生に叱られていた。あの声をよく真横で聞いて、鼓膜破れなかったな冨倉先生。

 私なら、あの声を真横で聞いたら鼓膜が破裂する自信がある。


 上靴に履き替え、5階にある教室を目指す。

 これが一番キツイ。この5階まで上がるのが、本当にキツイ。重たくなっていく足を、1歩1歩確かに踏み出し5階を毎回目指している。エスカレーターにしてくれないかな、普通に疲れるから。


 教室に着き鞄から小説を取り出すと、あの!と三つ編みをして眼鏡をかけ身長は私より小さめの、女の子に声をかけられる。


「その小説、波打ち際で君を待つですよね!?」


「え、ああうん。 そうだけど」


 私が読もうとしていた小説は、今話題沸騰中で、アニメ化、映画化、実写化と引っ張りだこの波打ち際で君を待つだ。


「やっぱり! 私もそれ買って読んだんですよ、面白いですよね〜」


 私の目の前で盛りあがっているところ申し訳ないが、まだ読んだことがないのだ。今からやっと1ページをめくるところで、話の内容などは全くもって知らない。


「……えっと、私今から初めて読むんだ」


「あ、え、そうだったんですね。 危ない、危ないネタバレしちゃうところでした」


 額を拭い、ふぅと一息つく彼女。


「えっと、名前は?」


「あ、鳥井彩芽とりいあやめって言います。 急に話しかけちゃってごめんなさい、いつも小説を読んでたから、小説が好きなのかって思って。 もしそうなら一緒に語り合いたいなって」


「私は、雨宮葉月。 小説は好きだよ、特に500年と青空が一番好きかな。 鳥井さんは?」


 鳥井さんは、私のことを見ていたらしく小説が好きだから、一緒に語り合える人を探していたらしく、小説を教室の隅っこで読んでいる私に白羽の矢が立ったって訳だ。

 私としても、小説を語り合える友達は欲しい。元々友達が少ないため、こうやって誰かに話しかけてもらえることが凄く嬉しいのだ。


「あ、鳥井さんじゃなくて気軽に彩芽って呼んでよ。 私も葉月って呼びたいからさ」


 友達を下の名前で呼ぶなんて、何年ぶりだろうか。謎に緊張してしまう。そんなに緊急するようなことではないのだが、やはり人間久しぶりの事をするとなると緊張してしまう生物らしい。


「じゃあ、彩芽はなんの小説が好き?」


 あぁ、友達感凄い。この幸福だけで一年は生き延びる。


「私は、青空の下君の笑顔を奪い去りたいが、好きかな」


「あぁ、あれね〜。 良いよね」


 青空の下君の笑顔を奪い去りたい。これは好きな人を異常に愛しすぎてしまった恋人が、好きな人を殺して一生自分のものにしようとする、サイコラブコメだ。

 でも、中々に評価は高い。人の好きという気持ちは、その人によって違うということを今一度考えさせてくれる内容で、それで評価がうなぎ登りしたんだ。


 私達は、先生が来るまで何の小説が好きか、どの場面が1番良かったを語り合った。


「あ、先生来ちゃった。 また昼休み喋ろうね」


 彩芽は、斜め横にある自分の席に戻る。

 やっぱり誰かと、好きなものを喋りあうのは凄く楽しい。喋っている時は、別空間に飛ばされて二人だけの世界にいる気分になる。


 1限目が始まり、コツンと肩に何かが当たり机の上に折り畳まれた紙が落ちる。


 ……?なんだこれ? 拾ってみると、小さく書かれた開いてみての文字があった。言われた通りに開くと、「電話番号聞くの忘れてない?By春榊」と書かれていた。

 横を見ると、グッとポーズを取りウィンクをしている春榊がこちらを見ていた。

 電話番号……聞いておこうかな。


「ありがとうBy雨宮」と紙に書き元の持ち主のところに紙を投げ返す。

 昼休みになり、彩芽がこちらに小動物のように駆け寄ってくる。


「葉月、ご飯食べよ!」


「あ、私購買でなんか買ってくるから待ってて」


 彩芽を待たせる訳には行かないため、早足で購買に行き、早足で教室に帰る。疲れた。


 どかっと椅子に座り、休憩する。あの距離を急ぐのは自殺行為だったかもしれない。


「大丈夫? はい、これお茶飲んで」


 彩芽は、水筒のコップにお茶を入れてくれる。お茶を受け取り、喉に流し込む。

 疲れた五臓六腑に、染み渡るね。美味い。


 あ、電話番号聞かないと。


「ありがとう。 彩芽、電話番号教えてくれない?」


「電話番号? 良いけど、ちょっと待ってね」


 ノートを手頃な紙サイズに破り、電話番号をサラサラと書く。

 はいこれ、と手渡された紙にはうさぎの絵と電話番号が書かれており可愛らしくデコレーションされていた。


「これで、いつでも連絡が取れるね」


「うふふ、そうだね」


 初めて教室で食べたお昼ご飯は、有意義で楽しかった。これが青春というやつなのか、みんなが青春と、うるさくなる理由もわからんでもないな。

 こんな楽しい時間を過ごしてしまったら、青春と口を酸っぱくして言いたくなるものだろう。


 春榊も屋上に行かないで、友達とご飯を食べている頃だろう。


「じゃあね〜」


「うん、バイバイ」


 放課後になり、彩芽と靴箱まで一緒に行き帰り道は逆のため、正門でわかれる。

 最近の私の人生は、劇的に変わり始めた。まだ5日ぐらいしか学校には登校できてないけど、だんだんと行けるようになってきた。

 そして、友達も出来た。最高で唯一無二の友達が。

 好きな人も出来た、明るくて誰かを包み込むような優しい人だ。


 でも、変わってないものもある。家族の仲は、まだ変われてない。このまま一生冷たい家族間で、終わるかもしれない。

 いつかは、楽しい家族に戻りたいものだけどそれは私も含め、母親も父親も変わらなければならない。

 人間はそんな簡単に変われない。けれど、人生は簡単に変えられてしまう。


「ただいま」


 家に着きただいまと言うが、やはり誰もお帰りとは言ってくれない。

 言ってよ、と一言私が言えたらすぐに解決するだろう。そんなことわかっているが、私がそれを言っていいとは思わない。


 母親は、最近リビングでサスペンスドラマを見ている。父親も居ないから、自由時間が沢山あるのだろう。この家は亭主関白だ。

 父親は、王様のように威張り散らして母親はそれにペコペコして王様のお調子取りだ。

 私は、その中にすら入れてもらえてない。入るとするのなら、王室の埃だろう。


「彩芽の電話番号、追加しないと」


 スマホを取りだし、彩芽の電話番号を追加する。

 かけてみちゃおうかな。ちょっとだけ人に迷惑をかけちゃえ。


「……もしもし? 葉月どうしたの?」


「ちゃんと電話番号が合ってるかって」


「あはは、何それ。 ちゃんと繋がったから、間違ってなかったからね」


 電話越しに、彩芽の笑い声が聞こえる。


「そうだね、間違えてたら私は知らない人と喋ることになっていたよ」


 これで、間違えてたら知らない人ともしもしだ。それはそれで面白いが、上手く話せる自信が無い。

 あ、えっと、間違え電話です。と言っても不審者感がぷんぷんと臭うだろう。

 新手の、詐欺と間違われるかもしれない。


「あ、私お風呂だからまた明日学校で話そうね。 おやすみ」


「うん、おやすみ」


 スマホの画面に表示されている、赤い受話器のマークをタップし電話を終える。

 友達に電話かけちゃった。春榊の時は事故だけど、今回は自分からかけちゃったよ。電話越しに聞こえる、彩芽の声は少し違くておっとりとしていた。家では、あんな感じなのかな。



 私もお風呂入って寝ちゃおう。


 ピコン、と寝る前に春榊からNINEが送られてくる。

「夜分遅くにすみません。明日の7時に私を起こしてはくれませんでしょうか? こんなことを頼めるのは雨宮さん、あなたしか居ません。 どうかお願い致します」とかしこまったメッセージが飛んでくる。

 ははーん。さては、明日遅刻したら本格的にやばいんだろうな。好きな人からの頼みだし、起こしてあげよう。朝早くから、声が聞けたら私にとっても嬉しい事だ、ウィン・ウィンの関係ってやつだよ。


「いいよ、任せて。 出なかったら、焼きそばパンを屋上からわざわざ買いに行かせるからね」と脅迫も添えて送っておいた。


 ピピピ。振動するスマホのアラームを目にも止まらぬ早さで止める。時刻は6時50分。すっかり私も早起きの仲間入りだ。


 あと10分で春榊を起こさないといけないが、少しイタズラをしてやろう。


 電話を鳴らし、コール音が終わる直前に春榊は電話に出る。


「……もしもし」


 寝起きの声には、いつものの元気は篭っておらず覇気のない声が聞こえてくる。


「もしもしじゃないよ! もう7時10分過ぎてるよ! 何回もかけたのに出ないから!」


「えっ!? 嘘!」


 うん、嘘だ。こういうタイプは大抵二度寝をするため、こういうイタズラで焦らせ目を覚まさせるのが一番だ。


「うん、嘘だよ。 おはよう」


「……雨宮さんー! 」


 少し間が空いて、春榊が叫ぶ。電話越しに春榊のお母さんがうるさい!と怒鳴るのが聞こえた。


「あははは、怒られてる」


「笑い事じゃないけど、起こしてくれてありがとう。 僕は準備するから、また学校で会おうね」


「うん、じゃ」


 春榊どのちょっとだけの電話だったが、私は終わった瞬間枕に顔を埋め、足をじたばたさせる。

 こんな朝早くから、話せるなんて……NINEを考えた人には、ノーベル賞をあげてほしいよ。


 私もちょっと早いけど、学校に行く準備しちゃおう。

 髪の毛を鼻歌混じりに梳かしていると、数日ぶりに見た父親が「なんだ鼻歌なんか歌って、うるさいな」と言ってくる。

 この人は、本当に何処までも人を馬鹿にする。一回輪廻転生でもしてきた方が、いいんじゃないか?


「ごめんなさい」


 あれ、私父親の目を見ても怖くないし吃らなくなってる?いつもは、吃っていたのになんで急に。

 分からないけど、もう怖くない。臆することなんて何も無いんだ。私は私になれたのかもしれない。


「いいからそこをどけ」


 私を無理やりどかそうと、腕をかけてくるが私はどこうとしなかった。


「なんだ、邪魔だどけ」


 私はそれでも、どこうとはしない。先に居たのは私だ。私が終わるのを待つと言わないなら、私はどかない。


「私が先に居たから、お父さんは待っててよ」


「なっ! なんだその口の利き方は!」


 父親は、茹で上がったタコのように赤くなり怒る。頭頂部も禿げているから、ますますタコみたいだ。体もうねうねして怒っているし、体全体を使って自己紹介でもしているのだろうか?


「ごめんなさい、口の利き方には気をつけます。 でも、私はここをどきません」


 ちっ、と舌打ちを鳴らし父親は洗面台を後にする。ちゃんとした反抗をしたのは、これが初めてかもしれない。私は今やっと反抗期を迎えたんだ。

 変わっていくんだ。私は。


「おはよう、お母さん」


 母親は私にお母さんと言われたことに面を喰らい、目をがん開きにする。

 ふふ、何その顔。ひょっとこより面白いじゃん。


「おはよう」


 けれど、葉月とは呼んでくれなかった。まだ呼べないのだろうか、なら私は呼んでもらえるまで言うだけだよ。お母さん。


 朝ごはんを食べている時、父親の機嫌は目に見えて悪かった。私に言われたことに、まだ腹をかいているのだろう。お母さんへの、態度もよりいっそう悪くなっていた。お茶!と机にコップを叩きつけたりと、玩具を買って貰えなかった子供のようなことをする。


「ご馳走様でした。 美味しかったよお母さん」


「そう、なら良かったわ」


 二人の会話はぎこちないが、一つまた一つと増えていく。

 父親だけは、虫の居場所が悪いと言わんばかりの顔をしており、家を出るまでの間ずっと不機嫌だった。


 私もそろそろ学校に行かないとな。鞄を持ち、家を出ようとすると「……待って」とお母さんから呼び止められる。


 これ、と渡されのはピンクの風呂敷に包まれたお弁当だった。


「お母さん、ありがとう。 行ってきます」


「うん、いってらしゃい。 気をつけてね葉月」


 名前を呼んでくれ、何年ぶりかに戻った二人の母娘の絆。私がちょっと頑張って勇気を出して動けば、簡単に氷は溶けて二人を繋ぐ架け橋が渡る。


 何かを変えるには、何科を恐れていてはいけない。ただ真っ直ぐ前を向いて、突進するのみだと私は気付かされた。

 お母さんから貰った、お弁当を鞄に入れ学校へと向かう。


「あっ、葉月! おはよう」


「彩芽、おはよう」


 正門で偶然彩芽と会い、一緒に教室へと向かう。

 教室に着き、後ろの扉から入ろうとすると白山とその取り巻きが私の前にまた立ち塞がる。

 今度は一体何の用なんだ。私は用なんてないのに、相手側さん用しかない顔をしている。


「……雨宮さん。 この前はごめんなさい。 私が悪かったわ」


 白山から出てきた言葉は、私が予想していたものとは違う謝罪の言葉だった。また、近付くな!やら、春榊はわたしのものよ!などとほざくのかと思っていたが、どうやら違ったらしい。


「いいよ。 でも、許すには条件がある」


「な、何かしら」


 白山は固唾を飲み込む。


「私と友達になって?」


 私が、白山に要求することそれは友達になることだった。ほら、昨日の敵は今日の友って言うから、白山友達になりたいなって。


「……わたし最低のことしたのよ? 家に帰ってたから、冷静に考えたら私が悪かったってことが分かったの。 それなのに貴方は友達になるだけで許すと言うの?」


「もちろんだよ。 貴方に何かを仕返しするつもりもない、したところでなんの意味もない。 だから、私と友達になって。 もちろん、そこの後ろの二人もだよ」


 これが一番最善の策で、私にとっても白山にとっても一番だろう。

 私達は、手を握りあって友達になる。あ、友達になるなら電話番号交換しないと。


「ねえ、電話番号教えて?」


「で、電話番号? ちょっと待っててください」


 彩芽が私の方を見ながら、不思議そうにしていた。


「どうしたの? 顔になにか付いてる?」


「いや、電話番号いつも交換するの不思議だなあって」


「学校には、スマホ持って来れないからね。 電話番号を交換するようにしてるんだ」


「……え? スマホ持って来ても大丈夫だよ、この学校。 知らなかった?」


 え?でも、学校でスマホを触ってる人なんて一人もいないし、普通中学校ではスマホを持ってこないものじゃないの?

 私だけ、異空間に住んでたかな?


「……嘘でしょ」


「本当だよ。 ほら」


 彩芽は、鞄の前ポケットからスマホを取り出す。

 ほ、本当に持って来てる。え、じゃあ私は今まで存在しない校則に縛られていたって訳なのか。


「学校内では触ったらいけないけど、放課後触ることは許されてるんだ。 帰る時何かあったら、困るからって」


 なるほど。理にはかなっている。登下校中何があるか分からないから、スマホを持たせておけばいつでも警察に通報が出来るため、親も安心出来るだろう。


「はい、雨宮さん。 これ私の携帯電話番号ですわ」


 取り巻き達……じゃなくて、名前はなんて言うんだろう?


「二人は名前なんて言うの?」


「私は、牧田とりこって言います」


「私は、鳥田絢香と言います」


 二人とも眼鏡をしており、大人しそうなだけど身長と胸周りは、大人しくしていないようだった。

 何を食べたらこうなるんだ……?裏技が存在しているのだろうか。もしかして、コマンドとか!?なわけないか。


「ねえ、二人ともどうしたらそんなにでかくなるの?」


「葉月、それは私も気になっていた」


 彩芽も私と同類で、悲しい絆がここで結ばれる。


「えぇ!? 普通に生活しててこうなったから、分かりません 」


 普通に生活してて、そうなる?はは、嘘はよしてくれよ。私はともかく、普通に生活してたであろう彩芽があのザマだぞ。

 それに、白山もこっち側の人間だろうな。うん。


「白山も小さいし、私たちは小さい同士仲良くしような」


「え? 私はさらしを巻いてますから、小さくは無いですよ? これを巻かないとデカすぎて、私生活に支障が出ますの」


 はは、もう嫌だ。現実から目を背けたい。何で、私たちはでかくしてくれなかったのですか?神様。


「そうだ、今度の土曜日髪の毛切りに行こうと思ってるから、皆で行こうよ」


「土曜日ですか? ちょうどなんの予定もありませんし、良いですわよ」


「私もなーにもすることないから、いいよ」


「じゃあ、決定ね」


 伸びきったこの髪の毛を一人で切りに行こうと思ったが、友達が増えた今、友達と行く方が楽しいと私は思う。

 春榊と遊んだ時も、凄し楽しかったし。


「雨宮さん、おはよう」


「あ、お、おはよう。 春榊」


 朝練終わりの春榊が後ろの扉から入って来て、私に挨拶をする。私も、挨拶を返すが少し詰まってしまった。急に後ろから話しかけられるのは、心臓に悪いというかなんというか……こうドキッとしてしまう。


 春榊と話すのは、心臓にかかる負荷が、深海2万ぐらいの圧がかかる。


「……成程ね。 葉月、そういうことなら任せなさい」


 彩芽が、急に何かを悟ったような覚悟を決めた顔をして私の方に手を乗せてくる。

 え?何?何で他の皆も、頷いてニヤニヤしてるの?怖いよ、恐怖だよ。


「え、なんのこと? え、待って座らないで教えてよ」


 彩芽達は謎の結束力で、私に何も言わず席に座り石膏の置物のように固まってしまう。

 何が何だが、状況把握がイマイチ出来てない私も席に座る。


「雨宮さん、電話番号交換出来た?」


「え、うん。 出来たよ。 ていうか、春榊スマホ持って来ても良いなら言ってよ」


「あれ? 言ってなかったけ? 」


 春榊は、キョトンとした顔で言うため、言った気になってたのだろう。本当に言った気で終わらないで欲しかった。


 ていうか、生徒手帳の校則の欄にそこも記述しておいてほしい。学校へ行かなかった、不登校の時無駄に校則を読んでいたが、そんな記述は見た事がない。


「まあ、いいや。 朝練は間に合った?」


「うん、バッチリ。 雨宮さんのイタズラのおかげで目がぱっちり冴えたよ。 おかけで監督に怒られないですんだ」


 あのイタズラは、やはり効果大のようだ。私も二度寝常習犯のため、あのやり方が一番なのは知っている。

 そして、春榊には一人で起きる努力をしてもらいたい。


「これからは、一人で起きる努力しなよ?」


「大舟に乗ったつもりで、任せてよ!」


 胸をドンと叩き、任せてよと言ってくるがこんなに信用出来ない任せてよは、聞いたことが無い。

 この、大船はきっと水に弱い紙で出来ており、すぐに沈んでしまうだろう。


 お昼休みになり、私たちは円を作ってご飯を食べていた。屋上には行かない。あそこは、春榊とご飯を食べる場所だから。


 お母さんの作ってくれた、お弁当を開けると私の好きな、おかずが所狭しと並べられていた。

 覚えててくれてたんだ。ゴミを見るような目をしていたのに、私の好きな物は覚えててくれてる。やっぱり、お母さんはお母さんだったんだな。


「うわあ、葉月のお弁当美味しそうだね」


「うん、お母さんが作ってくれた自慢のお弁当だよ」


 このお弁当は、どんなに高級な食材で彩られたお弁当よりも高価なものだ。


「いただきます」


 手を合わせ、お弁当を食べ始める。美味しい、美味しい。箸が止まらず、次々に食べて行く。

 急いで食べすぎたせいか、喉に詰まらせ彩芽が慌ててお茶をくれる。


「葉月!? 大丈夫? ほら、これお茶飲んで」


「はぁはぁ、三途の川見えかけた」


「もう、急いで食べるからだよ。 ゆっくり食べな」


 そういえば、春榊も慌てて食べて私と同じようになってたけ。まさか、私もなるとは。

 ゆっくり急がず、喋りながらお弁当を食べてゆく。


「ご馳走様でした」


 食べ終わったお弁当を片付け、机の上には次の授業の準備をする。

 少しトイレに行きたくなり、トイレに行く。


 トイレに行く途中、男子友達と食べている春榊を見かけるとこちらに気付いたのか、手を振っくれる。

 私も手を振り返すが、トイレが近くなり足早でトイレに駆け込む。

 何とか社会的死を免れた私は教室に帰り、彩芽達と5限目が始まるで喋っていた。


 放課後になり彩芽と牧田さん鳥田さんは、一緒に帰り私は白山と同じ方向だっため、一緒に帰ることにした。

 土曜日何処に行くか、何をするかなど二人で話し合っていた。


「雨宮さん、なんかたった一日で凄く変わりましたわね」


「そう? 変わってないと思うけど」


「はい、自分の意見を真っ直ぐに言ったりと何かが吹っ切れたように変わってますわ」


 何かが吹っ切られたように変わった。人の目が怖くなくなったことかな。いつから怖くなくなったのか、それは分からないけど人の目を気にしなくなってから、生きやすくなった気がする。

 父親ともぶつかり、お母さんとは仲直り?って言っていいのか、また母娘みたいになれたし。

 こう考えると、私はたった一週間ちょっとで劇的に変わったな。


 でも、変わるのに何日とか何時間とか関係ないと思う。その人が変われる瞬間を見つけたのなら、その時からその人は別人に生まれ変われると思う。


「……そうかもしれない」


 白山と別れ、家に着く。扉を開けるとリビングからは、またサスペンスドラマが聞こえてきていた。


「ただいま」


「お帰りなさい」


 とリビングから聞こえる。お母さんだ。

 靴を脱ぎ、お母さんの居るリビングへ行く。いつものはすぐに手を洗い、2階へ行くのだが今日は違う。


「お母さん、お弁当美味しかったよ。 ありがとう」


「いいのよ、お弁当は洗い場に置いておいて」


 聖母のような微笑みで私と喋ってくれている。私が望んでいたものは、意図も簡単に手に入る。こんなに簡単なことを、私はウジウジとうずくまって自分のものにしようとしてなかったんだ。


 お弁当を洗い場に置き、手を洗いに行く。制服を脱ぎ、ワニがプリントされた服に着替える。

 スマホに今日貰った、三人の電話番号を入れていく。


 私の電話帳に、五人の友達の名前が刻まれる。お母さんと父親しかいなかった、侘しい電話帳は生まれ変わり神々しい輝きを放っていた。

 これが私の電話帳……。中一の頃スマホを買ってもらったが、友達と交換する前に不登校になってしまったから、電話帳には友達の名前なんて当然なくて、NINEなんていうアプリもいれなかった。

 中一の頃の私に、二年後たったの一週間で友達五人と連絡先交換するよ、と言っても信じないだろう。

 捻くれ者の私のことだどうせ、あーでもないこーでもないと、口からベラベラと喋るだけだ。


 ふふ、土曜日が楽しみだ。


 次の日、私は学校にスマホを持って行くことを決意する。悪いことはしてないが、学校にスマホを持っていくという背徳感がたまらなく気持ちがいい。

 スマホを鞄にしまい、1階へおりて朝ご飯を食べる。


「葉月、今日も学校に行くのか?」


「うん、行くよ。 学校は楽しいからね」


 私は笑って言ってみせる。もう、お前の言葉と目なんて怖くないぞと言わんばかりに。


「ふん、そうか」


 つまらそうな表情をすればいいさ、私はそんなのに構ってあげれるほど大人じゃないからね。

 朝ごはんを食べ終え、洗い場に持って行く。


「葉月、お弁当は、洗い場に置いてありますからね」


「母さん、あんな奴のためにお弁当なんて作らなくていい」


「あら、それじゃあ貴方のお弁当の作る時間を無くして、葉月のお弁当に力を入れようかしら」


 いつも父親の言葉に、ヘコヘコと笑って何も言わなかったかお母さんが反論する。


「なっ、お前もどうしたんだ。 葉月に毒されたか?」


「ふふ、そうかもしれませんね。 このままじゃ、いけないってやっと気づけたのですもの」


 お母さんは、私に毒されたと認める。変わっていってる家族が。氷山のようにデカかった、家族の氷が溶け始める。


「なんだ、二人して。 気分が悪い、もう行く」


 父親は、気分を害されたと言い椅子を雑に引き扉を強く閉める。

 それでも、私達は気にしなかった。父親が出ていったあとのリビングには、お母さんと私の笑い声が響いていた。


「それじゃあ、行ってきます。 お母さん」


「はい、いってらしゃい」


 玄関でお母さんはわざわざ私を、見送ってくれる。今までしてこなかったことを、取り戻そうとしているのが分かった。これはお母さんなりの贖罪なんだ。


 学校に着きジャーン!とセルフ効果音を付け、私は彩芽達にスマホを持ってきたことを言う。


 おぉ、と拍手が沸きあがるがどうして拍手されたのかは、よくわかってない。


「あ、じゃあこれで土曜日遊び行く時のグループを作りましょう」


「グループ? 何それ?」


 グループを作ろうと、彩芽は提案するが私はさっぱりだった。グループ?グレープフルーツ?

 なんのことなんだ、グループとは。


「グループってのはね、NINEで友達を招待してみんなで喋れる場所をグループっていうの」


 個人しかないと思ってたけど、みんなで話せる機能もあるらしくそれがグループというらしい。

 私だけ、機械に疎いおばあちゃんみたいだった。


「先生はまだ来てないし、こっそり今作るね」


「あ、でもその前に私みんなとNINE交換してない」


 私はみんなと、NINEを交換してないことを思い出す。


「あ、そうだったね。 スマホを振って、よしこれで交換完了。 他のみんなはグループ作ったら簡単に追加出来るから、大丈夫だよ」

 

 私のNINEに、彩芽と書かれたハムスターアイコンが追加される。これで、春榊以外の友達追加だ。


 彩芽から土曜日というグループに招待されました、参加しますか?というメッセージが送られて来る。

 参加を押すと、グループに参加しましたと出る。


「葉月、これでここのアイコンをタップすると簡単に追加できるよ」


 言われた通りにアイコンを押し、追加というところを押すと簡単に白山が追加される。

 凄い……文明の利器ってすごい。


 やっほー、と試しに送ってみると4人のNINEの通知が鳴る。本当に多人数で会話が出来るんだ。これを作った人は、相当の天才だろう。

 なのに、無料でインストールさせてくれるなんて神様だよ、神様。


「先生来たら怒れちゃうから、早く仕舞わないとね」


 鞄の中にスマホを入れ直し、先生が来るのを待つ。

 その後は普通に授業を受け、土曜日が来るのを心待ちにする。


 遊びに行く前日、私のNINEは活発に通知を鳴らしまくっていた。

 何処へ髪の毛切りに行くか、その後はどうするかなど色々な話が出たり変わったりしていた。


「明日それじゃあ、髪の毛終わったあとは服を見に行こう」


「うん、分かった」


 何故か、服屋さんに行くことになり私をコーディネートするというのだ。

 私をコーディネートする意味がよく分からないが、せっかく四人がしてくれると言うのなら、私はそれに甘える。お金は、まだ残っているし大丈夫だろう。


 明日着ていくのは、春榊と遊びに行った時と同じ格好でいいか。

 そして土曜日当日、待ち合わせの学校正門前に私は来ていた。

 昨日の話し合いで、一番分かりやすい学校の正門前集合となった。これだったら、誰も迷子にならないから安心とのことらしいが、ここで迷子になるのは小さい子供だけだと思うが。まあ、安全に越したことはないか。


 少し待っていると、白鳥のように白いワンピースに身をまとった彩芽がやって来る。

 次に、三人が一緒にやってくる。仲良いんだな。


「みんな集まったね、よしそれじゃあ出発〜」


 集まった私たちは早速、美容院床屋というところに行く。嘘のような本当の名前なのだ。美容院床屋という名前で営業している場所であり、値段は格安なのに腕は確かな場所らしい。


 美容院床屋は、学校の正門から100メートル行ったところにある横断歩道を渡ってすぐの所らしい。

 信号が青になってから、ちゃんと渡ると美容院床屋という看板が見える。

 本当にあった……正直半分嘘だろうと思っていた自分がいたが、この看板を見てしまっては本当だと信じるしかなくなる。

 それにしても、頭がこんがらってしまいそうだ、美容院と書かれているのに床屋とも書かれている二重人格なのか、この店は。


 そんなことを思いながら、扉を叩くと強面の禿げたおじさんがいた。お客さんは私たち以外いなかった。


「いっらっしゃい」


 重低音強めの渋い声で、私たちの入店を歓迎する。

 これで声が高かったりしたら、面白かったのだが、顔に似合った声をしていた。


「誰が髪の毛を切るんだい……」


 椅子の前に立ち、セット万端になってから聞く。

 手を挙げて、私ですと言う。


「こっちへ」


 椅子の方へ来るよう言われ、椅子に座る。あっ、この椅子フカフカだ。

 4人には、椅子に座り私の髪の毛が切り終わるのを静かに待っていた。


「今日はどんな髪型に?」


「えっと、短くバッサリと切ってほしいんですけど」


「……なるほど、分かった」


 要望を言うと、腰に巻き付けてた用具入れからハサミを取りだし私の髪の毛を切ってゆく。

 ジャキン、ジャキンと私の髪の毛が切られてゆくのが分かる。

 1時間ほどすると、おじさんの手が止まる。


「終わったよ」


 目の前にある、大きな鏡を見ると腰まであった髪の毛は耳ぐらいまで短くなっていた。

 床を見ると、大量の髪の毛が落ちており私の髪の毛の長さがおかしかったことが分かる。

 頭も軽くなるが、似合っているか心配だ。


 後ろを向いて似合ってるか、聞いてみよう、って聞かなくても分かるや。

 後ろを振り向いてみると、うさぎを見るような目をした4人がこちらを見ており、似合っている事が分かる。


「……代金は1000。 お金はここに」


 1000円、この腕で1000円は安いな。財布から1000円を1枚取りだし、青い色のトレーに置く。


「毎度」


 最後までしぶさ全開の美容院床屋で、バーの店主と話しているようでバーなのではないかと錯覚をするが、聞こえてくるのは髪の毛を切るハサミの音だけだった。

 次に行くのは、トリルという服屋さんらしい。私は服屋さんとかに詳しくないから、四人に着いていくしかない。

 ていうか、提案した本人なのだが今日行くお店とかは、ほぼ四人が決めてくれた。私は、物置状態でただ会話を眺めていた。


 トリルという服屋さんは、美容院床屋から歩いて1分の所にあった。

 NINEでの話し合いの時、なるべく近場ですまそうと言っていたが、こんなに近くですませることができるとは、この四人はとんでも天才集団なのかもしれない。


「それで髪の毛切って、可愛い服きて春榊君をデートに誘うんでしょ? 葉月」


 トリルに着き、服を適当に眺めていたら横にいた葉月がイタズラげに言ってくる。


「え!? いや、そんなことしないよ! 恥ずかしいから、出来ないよ」


「好きなのは認めるんだ。ふーん」


 はめられた。やっぱりコイツは天才だ。葉月は、楽しそうに私の反応を見てる。

 でも、馬鹿にするような感じではなかった。どちらかというと応援だった。


「もしかして、今日来てくれたのって私がデートに誘うと思ってたから?」


「そうだけど、違うの?」


 違うけど、こんな事されてまで違うとは言いづらい。既成事実が作られてしまうが、しょうがない。


「違くはないけど……」


 私は認めてしまう。これで春榊をデートに誘わなければいけなくなってしまった。

 本当は誘う勇気なんてないのに、告白はしないで自分の中に押し込めておこうと思ったのに。


「よし、それじゃあ気合い入れて服選ばないとね」


 彩芽は熱の篭った目をし、服を選び始める。手当り次第に、持って来ては私に試着させる。


「この服もいいんじゃないですか!?」


「いや、こっちの方が!」


「いやいや、こっちの方が」


 次第に、白山達も参加しだして私は完全に着せ替え人形となる。

 どれがいいかな、どれがいいかなと悩んでいる彩芽を見ているといい服を見つける。


 ピンク色でフリルの付いたワンピースを手に取り、試着室に行き、着てみる。

 似合ってるのかな?これ。私は私の着ている服が似合っているかの判別が苦手だ。

 自分から見た似合ってるは、他人からしたら似合ってない可能性もあるから分からない。

 春榊とデート行く時、これ着ていったらどんな反応してくれるんだろう。可愛いって言ってくれるのかな、綺麗だねって言ってくれるのかな。どうなんだろう。


「彩芽、これ似合ってるかな? 可愛いかな?」


 そんな思いが強くなり近くにいた彩芽に聞いてみる。


「うん、似合ってると思うよ。 葉月の可愛いさがグンと上がってるよ」


 可愛さがグンと上がってる、そう言われると自分でも似合っている気になる。

 これを買おう、私も気に入ったし可愛いと言われたし最高の服を一着を見つけられた。


 お会計をすませ、まだ服を見ている彩芽の元に行く。


「いい服が買えたよ。 ありがとう」


「私が選んだわけじゃないよ、葉月が自分で似合う服を選んだんだよ。 春榊君のためにね」


「最後の一言は余計だよ」


 春榊のために、買う時に頭に浮かんでいたのはアイツの顔だった。私は本当に好きなのだろう、アイツのことを。じゃなければ、服を買う時にアイツの顔が浮かぶはずがない。

 誰かのために、何かを買うなんてしたことなかったな。


「それで、雨宮さん。 服は買ったでしょうけど、まだやることは残ってますわよ」


 白山が含みのある言い方をする。春榊をデートに誘えってことだろう。私もそれは、分かっているけどやっぱり誘う勇気が出ない。

 異性を、ましては好きな人をデートに誘うなんてメンタルがクソ弱い私には、難しすぎる問題だよ。


 もし誘って断られたら、どうしよう。それで学校でも避けられて、私ともう関わってくれなくなったり……終いにはうわなんだコイツって思われるんだ……。

 なんていう、そんなこともない妄想だけが捗っていく。


「はい、落ち着いて葉月」


 彩芽が、私のほっぺを両手で挟む。

 挟まれた私は冷静になり、彩芽を真っ直ぐ見る。


「は、はい」


「葉月が行けるタイミングで誘えばいいよ、ゆっくり焦らずにね?」


 優しい言葉で私のペースでいいと言ってくれる。出来ると信じてくれてるのだろう、私なら言ってくれるって誘えるって。

 それに答えるべきだ、わたしは。


「分かった、今度の月曜日屋上で誘ってみる」


 屋上は、私と春榊の秘密の場所。二人だけの居場所。

 そこなら、勇気が出るはずだ。誰の目もない、あるのは涼しい風と太陽の熱だけ。頑張れ、私。


「うん、頑張って!」


「雨宮さん、応援してますわ」


 みんなが私を応援してくれてる。応えないと、見ててみんな私頑張るよ。

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