第47話 母の系譜

 私には、確認したいことがあった。

 梅芳さんの血脈を綴る糸を求めたい。


「――あざよ」


 独り言ちたのは、育児日記にも記したことだ。


「和伯母さんは、体のどこかにしば桜のような痣がありませんか?」

「嫁には、右乳房にあるが。本人は、ネズミイボだと言っておったっぺ」


 持田の伯父さんが代わりに教えてくれた。

 予想が当たってしまい、複雑な気持ちになる。


「幼い頃、フクお祖母さんと五右衛門風呂に入ったときに聞いたのですが、右乳房とへその少し上にあるのは、ネズミイボだとね。和伯母さんも疑う訳がなかったわよね」


 今は亡き祖母を偲ぶ。

 夫婦で、お見舞いに行ったとき、茅葺の家を懐かしく語っていた。


「ネズミイボなら、ママもあるよね」

「全くそれと疑わなかったわ。私のはへその上だけにあるの」


 痣の件、ポーラスターで、私が体を奪われたことをパパに明かした愚かなオトコがいた。

 それでも、寧くんは、人を呪わば穴二つと宥めてくれた。

 パパの隣へ寄り添い、じっとりと汗ばんだ手を絡める。


「パパも小さい頃から知っているよ。美桜緒さんも全く同じ所にあるよね」

「私から、遺伝したのかしらね」


 梅芳さんを気遣って、私が産んだとは言わなかった。

 ここの母斑は、美桜緒さんと臍帯さいたいが繋がっていた証にも感じる。

 パパは、私の緊張を察してか、握り返してくれた。


「僕は、違うよ?」

「梅芳さん、深く気に掛けたら駄目よ」


 今、はっきり言った方がいいのだろうか。

 この秘密を知る者と目を合わせる。

 彼の眼力が物語った。


「どうしたんだい。ママ」

「梅芳さんは、乳房にあるの。沐浴のときに、気が付いたわ。まさか、こんな形で、母親の系譜を辿ることになるとは思わなかったわね」


 頭痛がして来たので、おでこをぐっと押さえる。


「痣で、梅芳さんの出自が分かるわ」

「シュツジだって? 僕の……」


 不倫をした伯母には申し訳ないが、正直に伝えるしかない。

 寧ろ、それで手をこまねいているのは、私達家族だ。


「持田夫妻には赤ちゃんが灯るのを忘れたのよ。けれども、伯母と太田総一郎氏との間に奇跡的に、昭和四十一年、緑さんが芽吹いたわ」

「母上? それがシュツジなのかな」


 私は、今度は梅芳さんの手を熱く覆う。

 彼女の脈拍が走り出した。

 元凶とも言える不倫がなければよかった。

 でもそれを否定すると、梅芳さんも消滅してしまう。


「平成十七年、陶芸家の紫香として、紫堂航丞と出会う。紫堂はギリシャ彫刻のような透明な肌が好きで手が早い。紫香も年下と高を括っていた所を不用意に妊娠してしまった」


 梅芳さんも美桜緒さんもしっくり来ないようだ。

 中学生には、妊娠に至るまでの認識は難しい話だったか。

 かく言う私も甘かった位だ。


「緑さんもしば桜のような痣があるのよね。私の従妹だもの。持田の伯母さんから受け継いだら、右乳房にかしら」

「そ、そうだな。娘が従妹か……。ああ、緑にあるが。自分は疑問に思わなかった」


 太田氏が認めた。

 これは、貴重な証言だ。

 話が聞ければと、緑さんの方へ二、三寄った。


「娘は急に巣立ってしまった。他の窯へ行って、陶芸の研究をすると出て行ったはいい。けれども、自分が心配しては見つけ出し、家に連れ帰るのを繰り返した」


 太田氏によれば、緑さんは、相当ふらふらしていたようだ。

 やけっぱちだったのだろうか。


「平成十八年もそうだったのかしら」

「ママ。ママが傷付くから、よした方がいいよ」


 私は、首肯して、大丈夫と口唇で伝言した。

 すぐさま、パパが、私が話を聞くなと、胸に埋める。

 これでは、身動きも取れない。


「六月だった。もう、陶芸に夢も希望も抱かなかった娘は、雨の中を飛び出したな。しかし、臨月だった為、車中でお産を一人で行ったようだ」


 私は、パパの胸から顔を助け出した。

 店長は、娘の顔を覗き込む。

 膝に本を置いてやっている。

 どうやら布絵本のようだ。


「あの日、喧嘩するのではなかったよ……。どんな命でも祝福すべきだったな」


 そこで語り疲れたようだった。

 太田氏にも思う所があるのだろう。

 布絵本の裏表紙を見ていた。

 真っ赤な林檎が微笑んでいる下に、『かず』と刺繍してあるのがよく見えた。


「お父さん、ごめんなさい……」


 緑さんが、か細く念を吐く。

 この贈り物は、母からだと知らされていたのか。

 ぼつぼつと、雫を落とす。


「しば桜に似た痣が、生まれ落ちた赤ちゃんにもあれば、自分の子どもではないと否定できないわよね」


 緑さんが震え出した。

 絵本で顔を覆ってしまう。


「そうよね。もう一息、がんばれるかしら」

「僕の方からも頼む」


 二人で頭を垂れた。


「そして、シドウコウスケとは連絡が取れなくなり、ただ、ぐったりしている赤ちゃんを一人抱え込んでしまった。時刻も分からない程の雨の中」


 ――これが、梅芳さんの出自だ。


「その後は、ご存知の通り、赤ちゃんを私に投げていかれたわ」

「でも、僕は養子なのでしょう? ママ、パパ」

「ちょっと異なるわよ。愛されている養子なのよ。それに美桜緒さんとは再従姉妹はとこだわ」


 梅芳さんは、しば桜の見える窓辺に寄り、背中を見せた。

 気丈にも泣かないでいるようだ。


「美桜緒さんは、ママに似てへその少し上にしば桜のような痣があるのよね」

「うん……。ママ!」


 こちらは甘えん坊さん。

 ママのお腹にぐるっと腕を回した。


「――私、思うのね。しば桜は、本当の産みの親を教えてくれたわ。でも、家族って、一緒に過ごして来た積み重ねで育んで行くのではないかしら」

「どこに痣があってもええっぺ」


 その声に振り向いた。

 大伯父さんが、妻を後ろから抱き締めている。


「あらあら、大きな赤ちゃんね」

「嫁は一生一人だって決めてあっぺ。初めての縁談で、惚れ込んだんだっぺよ。優しい笑い顔は、今でも変わらねっぺ」


 持田の伯父さんは、愛が深い。

 一生を添い遂げるのは、相手がどのような病に罹っても変わらないと実感した。

 それから、誰も、物を言わずにいた。

 窓に目をやると、ただ、しば桜が舞っているのが見えた。


 ひゅるふふふ。

 ふひゅるうふふ。


 暫くして、所長と面会を行った。

 幾つか確認事項にレ点を入れて行く。

 母は、介護付き有料老人ホーム『しばざくら』に入居が決まった。

 ここへ来て話した諸事情については、誰も口にしなかった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る