第40話 姉妹の情

「赤ちゃんの名前をどうしようか。さくらお母さんと櫻絵ママから、桜の字を残したいよね」

「そう? さくらは、難しくない漢字の桜がいいわね」

「梅芳ちゃんともお花でお揃いになるよ」


 長女にもフォローを忘れない。

 いい人だ。


「梅だけ違うと言われないかしら」

「梅の花は先に咲くから、お姉さんの証だよね」

「考えようで仲良しになれるわね」


 私は、もう痛かったのを忘れた。


「美しいの美で美桜みさだと、ママに似ているな」

「やーだー、パパ。何か添え字はないかしら」

「糸に者で、。物事の始まりとかの意味があるけれども」


 二言、三言で、迷い道へ行くことなく辿り着いた。


美桜緒みさおはどう?」

「美桜緒で決まりね」


 書道を嗜むパパが、綺麗な命名の和紙に墨で書き、台紙に挟んだ。

 よく分からないけれども、パパがドヤ顔をしている。


「美しいしば桜のように、代々続きますようにね」


 クベースから出られた美桜緒ちゃんが個室に運ばれて来た。

 命名、美桜緒とある薄桃色の用紙が、赤ちゃんベッドに入れられる。


「ママそっくりだね」


 母も義理の父母にパパも揃って、覗き込む。


「梅芳ちゃん、妹の美桜緒ちゃんが産まれたよ。ママががんばったんだ」


 パパが梅芳ちゃんを抱き上げた


「よしー、よしー」


 驚くことに、誰が教えた訳でもないのに、梅芳ちゃんが妹に手を伸ばした。

 よしよしと撫でている。


「凄いわ。妹だって、分かっているのよね」

「この子もパパとママの子だからだろうさ」

「もう、お母さんったら」


 ノックの音がする。


「失礼いたします。点滴を見ます。困っていることがありましたら、仰ってください」


 看護師兼助産師さんが、私と美桜緒ちゃんの方を向く。


「遺伝子って怖いわ」


 彼女にまでご指摘を受けて、大笑いだ。

 礼をして、次の仕事へと退室して行った。


「ははは。似ちゃうよね」


 パパもにこやかで楽しそうにしている。


「梅芳ちゃんは、お祖父さんやお祖母さんに似たのかな」


 鶴見のご両親に言われた。


「ぷっぷ。ばあば、ちゅき」

「そうですね。偶々、今は両親の面差しと異なるようです。成長して行ったら、変わるでしょう」


 暫く賑やかに過ごせた。

 けれども、私と美桜緒ちゃんの退院と共に、義理の父母は鶴見へ帰られてしまった。

 生原の姓にすると言うことが、パパを縛っているようで、私を殴りたくなる。


「ごめんね。一人息子なのに、婿入りさせて」

「気にしないで」


 庭に広がったしば桜は、歩き易いように、玄関まで石を積んで道を作った。

 しば桜の花は季節外れでない筈なのに、靄のように咲いて見える。

 美桜緒は、蕾が開くかのように、日々美しくなって行った。


「これはどうかしら」

「おお、大きく描かれた梅芳ちゃんのTシャツに、『大きくなりました』の一言が、いいね。ママらしい愛し方だと思うよ」


 絵手紙か。

 私に合っているのかも知れない。


「しば桜のような痣があるのね」


 おむつ替えをしていて、気が付いた。

 よくあるイボだと聞いたけれども、梅芳ちゃんにもある。


「偶然って恐ろしいわ」


 私は、呑気に構えていた。


 ◇◇◇


 ――それから一年後の平成二十一年春。

 保育園問題が立ち上がった。

 これは、入れるか否かではなく、入れるかどうかの問題だった。


「ママ、保育園をそんなに拒むのは、育児を投げ捨てたと思いたくないからかな」

「そうよ。可愛い我が子を手放せないわ」


 トイレトレーニング中の梅芳ちゃんをさっと洋式便座の上に置いたおまるにまたがせる。

 私はいつものウンチ出るの歌でがんばらせた。


「あのね、ママは根詰める方だから、長い時間でなくてもいいから、預けることを考えた方がいいよ」

「甘ったるい考えを持って、育児だなんておこがましい!」

「ママ、怒った?」


 梅芳ちゃんをおまるから下ろすと、便器は綺麗なものだった。

 パンツ型おむつを穿かせる。


「今するのでちゅか? 梅芳ちゃま」


 いい音出して、気持ちがよさそうだった。

 折角だけれども、続きがあるかも知れない。

 

「僕は、ゆとりある生活もママに必要なのではないかと思うよ」

「大丈夫よ」


 おまるのトイレは、失敗だ。

 新しいおむつを穿かせてやると、梅芳ちゃんは上機嫌だ。

 

「それに、保育園に行くと、お友達との関係性とか、食育とかにもいいと思うし」

「理由が本人の為だと言うのなら、反対しないわ。ごめんなさいね。トイレトレーニングに躍起になっちゃって」


 その後、絵手紙よりもお店を広げないと描けない油絵に専念する時間を持てた。

 数点描いたが、中でもお気に入りなのは、『薔薇の蕾と枯れ行くまで』の写実的な作品だ。

 淡さを呈していた紅が、恍惚なまでに開き、花弁を落とすまでの花の生涯を表す。

 ここに私は、女性を重ねて描いた。

 蕾の赤ちゃん、開花途中の私、枯れかけの母を各々らしさを求める。

 リアリティを出すことと、物語性を求めることに夢中だった。


「パパ、これも燦展に出してみるね」

「よかったね。楽しみも持てて」


 パパの目的が、そう言うことかと思う。

 甘えてしまえ。


「やーだー。甘いキスをしてくれたら、いい線、行くかも知れないわ」

「がぶっ」

「しょ、しょれは、噛んだと言うのれは?」


 ――秋が過ぎ、紅葉も終わった。

 そして、燦展の結果は、居間に広げた新聞でいち早く知った。


「燦展絵画部門、燦賞受賞みたいよ! 聞いてよ、聞いて」

「よかったね……。今夜は、僕を抱いてよ」


 聞き間違いかと思う。


「ん?」

「いや、聞かなかったことにして」


 パパが、急にテレビを見始める。


「あのね。私が、貴方をどれ程愛しているか。泣く程抱きたいわ……」


 お構いなく。

 私達は、隗より始めよならぬ、キスより始めよです。

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