君のキスで死にたい
位月 傘
☆
この身は、毒に塗れている。この手で摘んだ花はたちまち萎れ、涙のひとつでも地面に落とそうものなら、そこは不毛の土地となる。
我々の種族に共通するこの身の内を迸る毒だが、私のはその中でもとりわけ強い毒であったらしい。本来血縁者であれば効かないはずの毒は、まず母を殺した。
それからあれよあれよと言う間に私に家族というものは居なくなり、結局十を超える頃には国に売られ、仇なすものを殺せと命じられた。
……この身は、毒に塗れている。ならば私は、人を殺すためのものだ。そういう星のもとに生まれた。そこに私の意思は介入しない。ならば理由なく人を殺してしまうことも、あるかもしれない。
「お分かりになられましたら、すぐに立ち去ってください」
目の前の男――呼んだことは無いが名を恭という――の顔を見ずに素気なく言い放つ。恭は話を真面目に聞いてはいたようだが、終始驚く様子はなかった。
「確かにこの衣服はあふれ出る毒を抑えることが出来ますが、私はその気になればいつでもあなたを殺せるのです」
「あぁ、そうかい。だが人を殺すものだと言うのなら、俺だって変わりゃしねぇよ」
そう言いながら、恭は腰に下げた刀を撫でる。どっかり椅子に腰かけた姿は、まるでこの家の主であるかのようだ。
とはいえそれはこの場に限った話ではない。どこに居ようとこの男はその場の主導権を握ってしまう類いの人間だった。剣よりも弁を振るう方が『らしい』美丈夫が、戦場では鬼のようになると言っていたのは誰であったか。
同じ人間に仕えているとは言っても、この男と私では仕事のやり方が違う。必然的に行動を共にすることは無いと言うのに、私を見かけるたびに友人のように親し気に声をかけてくる。
「同じではありません。あなたは軍人でなくとも生きていけますが、私はこの仕事以外では生きていけません」
そう言いながら、なぜ自分はそうまでして生きているのだろうかとも考える。死ぬことが恐ろしいから?違いない。だけれどそれは私だけに限ったことではないだろう。
「御前様の言う通りだ。俺は父の仕事を継いで商人にもなれたろうし、真面目に勉学に勤しんで外交官や医者にだってなれたろう」
間違いなく恭の方が立場は上なのだが、彼はいつも私のことをまるで敬っているかのように呼ぶ。そのせいかどうしても上官に会いに行かなければならない時、今まではすれ違っても気味悪そうな目を向けられるだけだったのが、近ごろは好奇心の色も交じって来た。
「だが実際には軍人になった。ならもしものことを考えたってしょうがねぇ。殺される方からしてみれば、相手がどんな人間だろうが死ぬことには変わらないだろう?」
「……だから、私とあなたが一緒だと?」
「そうだ。御前様も俺も、殺したくて殺しているんだ」
「違う」
反射的に声をあげる。私は今日初めて恭の顔をまっすぐ見た。彼の顔に想像していた責め立てる表情は無く、ただ当然のことのように口元に笑みを浮かべていた。
次第に私の激情は行き場を無くし萎んでいく。言葉を重ねれば重ねるほどに、この問答は無意味で無価値になり下がっていく気がしたからだ。
そもそも私は彼のことを人殺しと罵るつもりも、自分が快楽殺人者であると言いたかった訳でもない。そのことはお互い分かっているはずなのに、気づいたらレールを敷かれているように話が逸らされるのは男の常套手段だった。
「諦めな。御前様も俺も、どうせ地獄行きなんだ」
反論を封じるような威圧的な話口だ。分かっているのに話し続ける男の言葉は、間違いなく私の精神をじわじわと蝕んでいく。無視すれば良いのに出来なかったのは、それが私のいちばん隠したい部分だったからだ。
「なら、ならどうすれば良かったの?そもそも生きていてはいけないとでも言うの?」
「そうだ。誰も殺したくなかったのなら、死んじまえばよかったんだ」
男の言葉は、無駄なあがきをする私へのとどめに違いなかった。戦意喪失どころではない。だのに未だに生に執着してしまうのは、いったいなんなのだろう。
いっそ死ねるものなら死んでしまいたいという気持ちは、嘘じゃない。でもどうして私だけが苦しむのが正しいというのだ。
あぁ、そうじゃない。そんなことが言いたい訳ではない。だけれど、でも、だって。
「ひとりで死にたくない……」
それは
ひとり、たったひとりだけでいい。私は私の
しかし私の毒に触れたものは、今まで一人残らず伴侶足りえることはなかった。何故なら私たちは殺す者と殺される者だからだ。立っている場所が違うからだ。そしてこれから向かう場所も違う者同士だ。
毒が零れる。誰とも深く関わらないことは、他人を守るためでなく自分を守るためだ。だのにこの男は、柔い場所を土足でずかずかと踏み込んでくる。
一体なんの意味があって彼がこのような非道を犯すのか、皆目見当もつかない。だがどうにも恭の方はいたぶるつもりは無いようで、しかし先ほどの穏やかな顔つきとは一転して瞳に妖しい色を宿し口を開いた。
「だが、どれもこれも人間の道理だ。だから本当は、御前様には関係ない話だ」
「……私が化け物だと?」
己の声に怪訝が含まれていたのは不快だったからじゃない。私自身が初めに告げて、そして男が肯定しなかったことを今更蒸し返してきたからだ。
彼は声を荒げることもしなければ、罵ることも嘲ることもしてこない。ただ相変わらずこの状況では不自然なほど自然に口元に微笑を浮かべていた。
「どうして自分の涙が土地を枯らし、触れた人間が死んでいくのか考えたことがあるか?」
「それは毒が――」
「いいや、違う」
私の言葉を遮って、恭は語り続ける。何故だか今、この男が頭の良い馬鹿だと言われていたことを思い出した。突飛なことを思いついて行動し出し、おまけに口が回るものだから手に負えないのだと。
「それはな、罰が当たったからだよ」
「……罰?」
「そう、罰。御前様は神様なんだ。だから御前様を泣かせたら人間は飢えに苦しむし、その肌に指一本でも触れたら不敬で死ぬんだ」
「何を馬鹿なことを……」
「馬鹿だと思うか?だが俺は一目見たときから、そう信じていた」
恭は手袋で覆われた私の手を掴んだ。彼の手は私よりずっと大きいので、形だけ見れば掴むというより覆い被さったと言う方が正しいかもしれない。
そのままじぃっと私の瞳を見つめると、恭はおもむろに立ち上がり私の側に片膝をついた。そして壊れ物を触るように私の手を取ると、あろうことか指先にひとつ口づけを落とした。
言葉を失う私に対し、自ら行動を起こした恭は照れの一つも見せずに、恭しく頭を垂れる。ここは絢爛豪華なお城でも教会でもないただの小さな木造の家なのだけれど、男の行動はやけに様になっている。
「異国の武士はこうやって隷属の儀式をするらしいぜ」
茶化すように恭はそう言った。照れ隠しや自慢ではなく、それは黙り込んだ私への気遣いらしい。かといってすぐに何かを言えるほど私は口が上手い方ではない。
まごついているのを良いことに、恭は追い打ちに言葉を重ねる。私はもう彼が次に何をするのかはらはらして仕方が無かったが、それを止める術を持ち合わせていなかった。だがもし術を持ち合わせていたとしても、私は止めることが出来なかったかもしれない。
「……皆が御前様を神だと気づかなかったのなら、きっとそれは俺だけの神だからなんだと思った。御前様が望むことならなんだってしてやる。だから上手くやれたら褒美が欲しい」
「……褒美?」
「あぁ、御前様の口づけが欲しい。俺の罪を、他の誰でもなく御前様に罰してほしい」
私は再び言葉に詰まり、それからまさかと思って口を開いた。
「あなたもしかして、私のこと口説いてる?」
恭は子供のようにくしゃりと笑って、依然として膝をついたまま私の手を両手で握り締めた。
「なんだ御前様、今更気づいたのか」
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