2 地上の惨事
2-1 最弱の魔獣にも
地上に降りた二人。転移してきたのは草原と森の間だった。位置的には人間とエルフの国の間である。
「さて、女神。まずはどこに行きますか」
「まず、その女神って呼ぶのをやめて。デンファレって呼んで」
未だ、彼女は刺々しい態度だ。トールもそこまで友好的な態度ではない。彼が敬語を使わないのは、熱くなった時と妹と話す時だけだ。敬語で話すということが心の距離を空けているというわけではないのだが、それでも今、彼が話している言葉には相手をよく思っていないという感情が込められているのが、女神にもわかった。
「わかりました、デンファレ。それで、まずはどこに行きますか」
「そうね。まずは人間の国に行きましょ。あの国が、三国の中で一番私を信仰していたはずだからね」
得意げに豊かな胸を張りながら、彼女がそう言った。トールはそれを聞いて、信仰されていたのなら行くべきではないだろうと思ったが、それを言わなかった。嫌われてる自分がそれを伝えるより、現実で見た方が自身への反感もないだろうと考えていた。
とりあえず、二人は次に行く場所を決めたので、移動を始めた。この三国の周辺の地理はデンファレの頭に入っている。腐っても女神、と言うわけだ。トールはそれを当然と言ったかのように彼女についていく。
草原を歩きながら、二人は別々の方向を見渡していた。この世界には魔獣と呼ばれる他の生物を襲う危険生物が存在している。それは邪神が来る前からそれは存在しているが、邪神が来たことにより凶暴性が増している。
草原を見渡す限り、その魔獣がそこかしこにいる。女神はその中を堂々と歩く気のようで、一切の警戒なしに移動している。トールはその後ろで平然としながら付いて行っている。そんな中、トールがデンファレより先に魔獣が近づいてきたのを察知して、足を止める。彼が止まったことなど知らずに彼女が歩き続け、違和感を感じたところで足をとめ、振り返る。その瞬間、彼女の正面に短い耳に、楕円形の胴、胴と同じような楕円のしっぽを持った茶色の魔獣がしっぽを女神に叩きつけようとしていた。
それはラクーンドックと言う魔獣だ。ヴィクターの知識の中で言えば、狸と言う生物が一番近いだろう。狸と違う点と言えば、その尻尾が胴体と同じくらいの大きさであるということだろう。体長は一メートルだが、四足歩行であるため、さらに小さく見える魔獣で、実際、一番弱い魔獣として知られている。邪神が来た今も、このラクーンドックだけなら人間でも討伐できるほどの弱さだった。最弱の魔獣の地位は未だにこの魔獣のものなのだ。
そんな最弱の魔物に攻撃されて、デンファレは二メートルほど後ろに飛ばされた。子供でも押し負けることはない、魔獣に押し負けたのだ。いくら油断していたからと言っても、そんなことになることはないのだ。
女神は飛ばされた後にその魔獣を確認して、ショックを受けた。最弱の魔獣に二メートルとは言え、飛ばされたのだ。
(今の私は、こんな魔物にも勝てないの)
「デンファレ。膝を折っている場合ではないですよ。まずは戦い方を覚えなさい。ヴィクター様が下さった剣を構えてください。さぁ、戦いますよ」
トールは優しやさ親切心からそう言ったわけではない。ヴィクターから任された仕事をこんな序盤で終わりにするのは、自身の誇りが許さなかった。自分が失敗すれば、ヴィクターの名誉に傷がつくかもしれない。それだけは嫌だった。だが、ここで自分が手を出して助けてしまえば、依存されてしまうかもしれない。それはきっと、ヴィクターが自分にこの任務を任せた意味がなくなるはずだ、と彼は考えていた。
「戦えない。こんなに弱くて、どうしろっていうのよぉ」
またも半泣きの女神。トールの顔にイラつきが現れる。
「女神なのでしょう? この世界の責任を異世界の私だけに託していいのですか。悔しくはないのですか。無力な自分が。誰も守れない、世界も守れない。そんな自分が嫌になりませんか。もし、この言葉の意味が少しでも分かるなら立ちなさい。立って、戦いなさい」
その言葉の一部は、トールの過去、弱虫だったころにヴィクターに言われた言葉だった。彼は女神に昔の自分を見た。まるで昔の弱さを今、見せつけられているようで、腹が立っていたのだ。克服したと思っていても、昔の弱さも今の自分の中に少しは残っているのを自覚している上で、その事実を突きつけられているようで、イライラするのだ。きっと、彼女が女神でなくとも、トールの態度は冷たい者だっただろう。
デンファレは、彼の言葉に顔を上げ、魔獣を見る。魔獣は歯をむき出しにして、今にも彼女に飛び掛かりそうな様子だ。この程度の魔獣、昔なら死ななかったかもしれない。
――でも、今は……?
あの牙で噛み付かれたら、今度こそ消滅するかもしれない。それは嫌だ。まだ、何もできていないのに。
彼女は腰に帯剣している鞘から、剣を抜いて構えた。瞳に涙を浮かべる。それでも彼女は戦う意志を示したのだ。
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