第90話 任仲虺の部屋で泊まりました
気がつくと、あたしは
「あたし平民なので六博はやったことがないのですが、碁盤を使ってやるものなんですね」
「はい。時代が下ると専用の
と言って、子履は6本の細長くて小さい棒を取り出しました。麻雀の点棒のようなサイズです。
「それがさいころですか?」
「はい。
盤上には、6個の黒い棊、6個の白い棊が並べられています。黒が手前にあるから、あたしは黒色のほうでしょうか。
「6個の棊、6本の箸を使うから六博というのですか?」
「はい。はじめは単に
「はい、ストップ」
あたしは手を叩きます。また変なスイッチが入っちゃったみたいですね。夢の中だけでなく現実でもやんなよ。それで子履はほほえみながら口を止めました。まったく、歴史の話は振らないようにしたほうがいいですね。あたしの質問から歴史の話に入るなんて全く想像できなかったんですけどね。
あたしと子履はそれでいいんですけど、なぜか任仲虺と
「前世とは三皇五帝のことか?六博は三皇五帝の時代からあったのか?」(※ここでの『前世』は三皇五帝の徳があった時代をさす)
妘皀目が男勝りで純粋無垢な声で子履に尋ねます。ああ、あたし妘皀目の声をはっきり聞くのは初めてかもしれませんが、元気な子供という感じがします。子履は少し慌てている様子でした。そりゃ、この世界に存在してはいけない言葉が次々と出てしまいましたからね。
「いいえ、あの、私は空想が好きなので‥」
言い訳する子履を眺めるのも楽しいものです。というか、あたし妘皀目とは今ここで初めて会話できるほど近づいたばかりですので、あまり深く突っ込みづらいです。妘皀目は子履としばらく話しているうちに、あたしに気づきました。
「君、誰だっけ?」
あ、妘皀目とは挨拶してませんでした。任仲虺に招かれて部屋に入った時、妘皀目は机に向かって本に集中していたものですから、声をかけられなかったのです。あたしは座ったまま、手を合わせて丁寧に頭を下げます。
「あたしは
「アタシは
「はい、1組です」
妘皀目は、髪の毛があまり整えられておらず、まさに男の髪という感じでした。さすがに子履ほど派手でないもののリボンのようなひもで髪の毛をポニーテールにまとめ、髪の束をロール状に丸めることで毛先を隠しています。しかしそのリボンのデザインも花などではなく、青色の地に
この年令ってまだ声変わりしていませんでしたっけ?この世界の人達は、親からもらった大切な髪の毛を切ってはいけないと言って一生ずっと伸ばしっぱなしの人も多いんですよね。ですから女は髪が長い、男は短いといった前世日本にあったステレオタイプは、この世界では通用しません。顔立ちをよく見ないと本当に男と間違えてしまいそうです。
「そっかあ、アタシは3組なんだ、よろしくね」
「はい、よろしくお願いします」
そう言ってあたしは黒の棊に手をかけますが、そこを妘皀目がまた呼び止めます。
「その棊はそこには動かないよ。六博は初めて?アタシが教えてあげる」
「すみません、
子履が阻むように、身をかがめて頭を前に突き出します。それに妘皀目は驚いたのか引いたのか、「あ、うん、分かった」と言って
うん、今までにも結婚とか言われてましたが、私のものって言われるの初めてです。ていうか子履、外堀埋めようとしてませんか?
「妘皀目様、今のは誤解で‥」
「摯、続きをやりましょう」
あたしの弁解を遮るように、子履が一際大きい声で言います。
「妘皀目様」
「摯、続きをやりましょう!」
「は、はい‥‥」
あたしは肩を落として、妘皀目が任仲虺と話しているのをちらちらっと見ながら子履に六博を教わっていました。
◆ ◆ ◆
あたしと子履がベッドに座って並んで歯を磨いているのを、任仲虺と妘皀目がまた不思議そうに眺めています。
「それは、どういった行いでしょうか?」
「ああ、
子履の説明を聞いても、任仲虺は何がなんだかさっぱりの様子です。
「虫歯とは何でしょうか?」
「仲虺も
科学の発達していないこの世界で虫歯を説明するのも一苦労です。2人はしばらく不思議そうな顔をしてあたしと子履の歯磨きを見ています。うん、そんな目で見られるとやりづらいかな。
すると妘皀目が手を握って言いました。
「すごいな、親からもらった体の
ああ、気というのはこの世界で信じられている迷信の1つ(※医学用語でもある)で、思念というか目に見えないパワーのようなものです。こんな世界ですから、こういう迷信めいた言葉が飛び出しても無理はないでしょう。
「そう見えますか?」
用意していた、前世でいう風呂桶サイズの小さな桶の水で口の中を濯ぎ終わった子履も、特に驚いた様子は見せませんでした。
「アタシには親の気を削っているように見える。髪を切るのと同じようなことだ(※親からもらった体を一部も欠かさず大切にすることで、親への尊敬を現しているとされる)。アタシはやらないな。何でそんなことやってるの?」
「体を掃除することは健康や長生きにも繋がります。長く生きてより多くの子孫を残すことが、より孝行になると思います」
「そっか、なるほどね」
妘皀目も一応は肯定しつつ、体は少し引いています。任仲虺も笑顔ではありますが、眉毛が凝り固まっています。なんだか、あたしのほうも現代人と昔の人の意識の差を見せつけられたようで複雑な気持ちです。
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