第90話 任仲虺の部屋で泊まりました

気がつくと、あたしは子履しり六博りくはくの盤を囲んでいました。いや何でだよ。六博のルールが分からないと言ったら、任仲虺じんちゅうきから「子履がルールを教えてくださりますから、さあ」と言われて床に座らされたものです。


「あたし平民なので六博はやったことがないのですが、碁盤を使ってやるものなんですね」

「はい。時代が下ると専用のきょく‥‥盤が出てきましたが、当初は碁盤を代わりに使っていました。そして、前世のすごろくで一般的だったさいころの代わりに、これを使います」


と言って、子履は6本の細長くて小さい棒を取り出しました。麻雀の点棒のようなサイズです。


「それがさいころですか?」

「はい。ちょといいますが、これを振って指示通りにを動かします」


盤上には、6個の黒い棊、6個の白い棊が並べられています。黒が手前にあるから、あたしは黒色のほうでしょうか。


「6個の棊、6本の箸を使うから六博というのですか?」

「はい。はじめは単にはくと呼ばれていたのですがそれが変遷したものです。漢代以降は樗蒲ちょぼという名前のゲームが出てきますが、六博と同一のゲームだとする文献と、同一性があるか不明とする文献があります。そもそもこの時代に六博という呼称があるのもおかしい話ですし、この世界でご先祖様の代から遊ばれてきたゲームと聞かされましたが前世の文献と矛盾します。前世の記録によると、六博りくはく夏桀かけつ(※夏后履癸かこうりきをさす)の家臣の1人である烏曹うそう(※烏冑うちゅうとも)という人が発明したとされます。つまり今は本来ならまだ発明されたばかりなので、遠くせつしょうに伝わっている事自体が不自然なのです。それから」

「はい、ストップ」


あたしは手を叩きます。また変なスイッチが入っちゃったみたいですね。夢の中だけでなく現実でもやんなよ。それで子履はほほえみながら口を止めました。まったく、歴史の話は振らないようにしたほうがいいですね。あたしの質問から歴史の話に入るなんて全く想像できなかったんですけどね。

あたしと子履はそれでいいんですけど、なぜか任仲虺と妘皀目うんきゅうもくが地面に座って、不思議そうに子履の顔を覗き込んでいます。


「前世とは三皇五帝のことか?六博は三皇五帝の時代からあったのか?」(※ここでの『前世』は三皇五帝の徳があった時代をさす)


妘皀目が男勝りで純粋無垢な声で子履に尋ねます。ああ、あたし妘皀目の声をはっきり聞くのは初めてかもしれませんが、元気な子供という感じがします。子履は少し慌てている様子でした。そりゃ、この世界に存在してはいけない言葉が次々と出てしまいましたからね。


「いいえ、あの、私は空想が好きなので‥」


言い訳する子履を眺めるのも楽しいものです。というか、あたし妘皀目とは今ここで初めて会話できるほど近づいたばかりですので、あまり深く突っ込みづらいです。妘皀目は子履としばらく話しているうちに、あたしに気づきました。


「君、誰だっけ?」


あ、妘皀目とは挨拶してませんでした。任仲虺に招かれて部屋に入った時、妘皀目は机に向かって本に集中していたものですから、声をかけられなかったのです。あたしは座ったまま、手を合わせて丁寧に頭を下げます。


「あたしはしょうから来た、姓を、名をと申すものです」

「アタシはりく妘砃うんたん尚書しょうしょ(※しゅうの時代の官職。王様の文書を管理する秘書のようなもの)のしゅく(※三女)で、姓をうん、名を皀目きゅうもくと言います。って、初対面だったかな。何組?」

「はい、1組です」


妘皀目は、髪の毛があまり整えられておらず、まさに男の髪という感じでした。さすがに子履ほど派手でないもののリボンのようなひもで髪の毛をポニーテールにまとめ、髪の束をロール状に丸めることで毛先を隠しています。しかしそのリボンのデザインも花などではなく、青色の地にげき(※武器の1つ)が描かれているという、男のようなデザインでした。

この年令ってまだ声変わりしていませんでしたっけ?この世界の人達は、親からもらった大切な髪の毛を切ってはいけないと言って一生ずっと伸ばしっぱなしの人も多いんですよね。ですから女は髪が長い、男は短いといった前世日本にあったステレオタイプは、この世界では通用しません。顔立ちをよく見ないと本当に男と間違えてしまいそうです。


「そっかあ、アタシは3組なんだ、よろしくね」

「はい、よろしくお願いします」


そう言ってあたしは黒の棊に手をかけますが、そこを妘皀目がまた呼び止めます。


「その棊はそこには動かないよ。六博は初めて?アタシが教えてあげる」

「すみません、は私のものなので」


子履が阻むように、身をかがめて頭を前に突き出します。それに妘皀目は驚いたのか引いたのか、「あ、うん、分かった」と言って退きました。

うん、今までにも結婚とか言われてましたが、私のものって言われるの初めてです。ていうか子履、外堀埋めようとしてませんか?


「妘皀目様、今のは誤解で‥」

「摯、続きをやりましょう」


あたしの弁解を遮るように、子履が一際大きい声で言います。


「妘皀目様」

「摯、続きをやりましょう!」

「は、はい‥‥」


あたしは肩を落として、妘皀目が任仲虺と話しているのをちらちらっと見ながら子履に六博を教わっていました。


◆ ◆ ◆


あたしと子履がベッドに座って並んで歯を磨いているのを、任仲虺と妘皀目がまた不思議そうに眺めています。


「それは、どういった行いでしょうか?」

「ああ、仲虺ちゅうきにこれを見せるのは初めてでしたね。歯磨きといって、歯をきれいにして虫歯を減らします」


子履の説明を聞いても、任仲虺は何がなんだかさっぱりの様子です。


「虫歯とは何でしょうか?」

「仲虺もせつ王さまもりく王さまも、歯の痛みや歯が溶け落ちることに悩んでいますか?あれは歯の中にきんが‥‥悪い虫がいるのです。それを取り除くのです」


科学の発達していないこの世界で虫歯を説明するのも一苦労です。2人はしばらく不思議そうな顔をしてあたしと子履の歯磨きを見ています。うん、そんな目で見られるとやりづらいかな。

すると妘皀目が手を握って言いました。


「すごいな、親からもらった体のを削ぎ落とすなんて」


ああ、気というのはこの世界で信じられている迷信の1つ(※医学用語でもある)で、思念というか目に見えないパワーのようなものです。こんな世界ですから、こういう迷信めいた言葉が飛び出しても無理はないでしょう。


「そう見えますか?」


用意していた、前世でいう風呂桶サイズの小さな桶の水で口の中を濯ぎ終わった子履も、特に驚いた様子は見せませんでした。


「アタシには親の気を削っているように見える。髪を切るのと同じようなことだ(※親からもらった体を一部も欠かさず大切にすることで、親への尊敬を現しているとされる)。アタシはやらないな。何でそんなことやってるの?」

「体を掃除することは健康や長生きにも繋がります。長く生きてより多くの子孫を残すことが、より孝行になると思います」

「そっか、なるほどね」


妘皀目も一応は肯定しつつ、体は少し引いています。任仲虺も笑顔ではありますが、眉毛が凝り固まっています。なんだか、あたしのほうも現代人と昔の人の意識の差を見せつけられたようで複雑な気持ちです。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る