第71話 神の加護を受けに行きました(1)

夕食です。あたしは子履しりと一緒に寮の食堂に行きました。なぜか周りの学生たちがあたしたちを見てひそひそ話しているのですが、服が汚れたりしていたのでしょうか?特にそのような様子もありませんでしたが、などと思っていると、お盆を持ってテーブルを探しているときに妺喜ばっきが寄ってきて言いました。


「おぬしら、いつまで手を繋いでおるのじゃ?」

「え?」


それであたしも子履もやっと思い出しました。あたしたち、今朝からずっと手を繋いでいたのです。えっえっ、トイレの時はどうしてましたっけ‥?の記憶も曖昧なくらいに、手を繋いでいるのが当たり前のようになっていました。あたしも子履も思わず手を離してしまいます。

この手、徹底的に洗わなくちゃ‥と思って子履から距離を取るあたしに対して、子履はその手を胸に当てて、頬を赤らめていました。それが気持ち悪い‥‥とは思ったのですが、それを見るとなぜかあたしの心臓の鼓動も速くなります。えっ、なにこれ‥‥気持ち悪いだけですよね?うん。

そのままあたしは、子履から距離のある席に座って食事しました。そばで妺喜がくすくす笑いながら食事しているのが、どうにも鼻につきます。


◆ ◆ ◆


今更ですが、あたしは一日だけ子履の奴隷になっているのでした。その終了時刻ももうすぐです。

あと少しでおしまいですねと思いながら、あたしは子履が机に向かって本を読んでいるのを尻目に、ベッドに座ってぼうっとしていました。でもこのベッド、子履がいつも寝ているんですよね。なんだか座っているだけで子履の匂いが伝わってきそうです。

と、ドアのノックがして推移すいいが入ってきます。


「おじゃまします。‥あれ、伊摯いしさん、いたんですか」

「どうも‥」


推移はの国の出身ですが、夏にもいろいろ都市があります。推移の故郷は、窮石きゅうせきという場所です。前世では会社が東京にあっても電車を使って埼玉や神奈川から通えるものでしたが、この世界では電車なんて便利なものはなく、斟鄩しんしん学園のある斟鄩以外に住んでいる人は全員が寮に泊まっているのです。

しかし妺喜ばっきの一件もあり、推移はあたしとも子履ともあまり接点はないはずです。


「どうしましたか、推移」

「はい。今日の課題についてですが、きん属性の加護をもらえる神は分かりましたか?」

「今調べているのですが、なかなか資料がないものですね」


子履はため息をついて、ちらちらと机の上の本を見ます。推移も子履と同じ金の魔法を扱います。今日の授業で、務光先生はあたしたちに宿題を残しました。自分の使う魔法の属性に対して力を与えてくれる神を探さなければいけないのです。前世の日本では八百万の神といって、何でもかんでも神がいると考える風習がありました。しかしこの世界にはその考え方はなく、資料や噂話などから自分で探し当てなければいけません。

推移もいくらか資料を持ってきている様子でした。2人が話し込んでいる間に、奴隷終了の時間が来ました。あたしは2人に見つからないように、こっそり部屋を出ていきます。


しかし、あたしもあたしでの加護を授けてくれる神を探さなければいけません。


「そもそも、この世界じゃ神様よりも先祖様のほうが大切だしな‥‥」


もちろん伏羲ふくぎ女媧じょか神農じんのう三皇さんこう河伯かはくなど熱心に祀られている神がいないでもありません。しかしこの世界では、神よりもむしろ先祖様の存在のほうが身近なのです。神なんて聞いてもすぐ忘れてしまうくらい、とにかく先祖先祖としつこいのです。貴族はおろか一般市民の家の庭にすら先祖様をまつる祭壇があり、毎日お供えをするのが常識です。先祖様の名前は全て覚えなければいけません。自分の先祖を軽んじた人は、どのような理由があろうと、無関係の他人にすら蔑まれます。まあ、あたしは親が不明ですから自分の先祖が誰なのかわからないんですけどね。(※儒教研究家の知人によると、夏・商の時代は実際は神のほうが大切だったようである。周の時代に儒教思想が広まったが、道教も発達している)


部屋に戻って、学園の図書室で借りてきた本を読み始めます。子辨しべん趙旻ちょうびんも土の魔法を扱いますが、平民の分際で貴族にものを乞うのは遠慮してしまうものです。あたしは1人でとにかく本を読みます。全然関係ないことを思い出しました。以前に子履が前世の夏の時代に紙はないはずだと言ってましたが、この本、おもいっきり紙なんですよね。

及隶きゅうたいが勝手に入ってきてあたしのベッドで寝転がっているのが聞こえてきました。それからしばらくすると、ドアのノックがします。


「入ってください」

「失礼します」


趙旻でした。肩にはこもの切れ端が引っかかっています。おそらく、ついさっきまで姫媺きびとまた何かひと悶着あったのでしょう(※三年の喪では菰をかぶって寝る)。


「どうかしましたか」


あたしが椅子から立って一礼すると、趙旻は歩いてきてあたしに本を手渡します。薄い紫色の表紙でした。


「これは‥?」

「陛下(※姫媺)からでございます。陛下が、これをあなたもお読みになるようにと」


あれ、この口ぶりだと、姫媺もようやく会話するようになったのでしょうか。


そう王さまがそうおっしゃっておられましたか」

「まさか。陛下は素直ではないので、私たちが察するしかないんですよ」


趙旻が苦笑いを始めたので、あたしもつられて目を細めながらふふっと笑います。あたしにとって趙旻も姜莭きょうせつもはじめは悪いイメージがありましたが、こうやって話してみると至って普通の女の子でした。2人共、姫媺がそばにいると変に力んでしまうのかもしれません。


「趙旻様は土の神をお見つけになりましたか?」

「いいえ、まだですよ」

「えっ?この本はご覧になりましたよね?」

「まだです。一緒に読みませんか?」

「‥はい」


驚きました。趙旻がこうやってあたしを誘ってくるなんて、あまりイメージしていなかったので新鮮なことのように思えます。「ではそちらに」と言って通した部屋の中央のテーブルに並んで座って、本を読みます。概要を読む限りですと、斟鄩の東側の地理に関する本でした。

あたしは趙旻のペースにあわせて読もうとしますが、趙旻が本のページをめくるときに必ずあたしの顔色をうかがってくるので、かすかな気まずさを感じます。


「‥


突如として、聞き慣れた女の子の声がします。子履が硬い靴で柔らかい絨毯を踏みしめて、あたしへ歩いてきます。

えっ、あたし?奴隷の話はもう終わりましたよね?


「‥様、いかがなさいましたか」

「何で勝手に帰ったんですか?」

「‥それは、昨日から1日が経過しましたので‥」


あたしは冷酷に説明しようとしかけて、はっと気づきます。あたしを睨んでいる子履のまぶたは赤くなっていました。あたしにしかみついているような、何かを期待しているかのような目つきです。

子履はこれまで失恋したことがないのでしょうか。‥いえ、かわいそうだとは思ってはいけません。優しくしてしまったら相手の思うつぼです。あたしはそう思いながらも、子履の不安定な表情から目が離せませんでした。


「‥あたしは趙旻様と一緒に調べ物をしている途中でございますが」

「そばにいていいですか?」

「は、はい‥」


子履は、テーブルの向かいの椅子を1つ持ってきて、あたしの隣に座ります。子履があたしの体に触れてくることはありませんでしたが、あたしの隣に子履がいるという感覚が、安心感にも存在感にもつながっていくのがなんとなく慣れませんでした。

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