第69話 子履と手を繋ぎました

「どうしたの‥?」


雪子の嫌いな花だったのでしょうか、とあたしはそれをひっこめますが、雪子はしばらく間をおいてからあたしの手に持っている鉢を両手で包みます。


「‥‥ありがとうございます。大切にします」


それはどこか無理をしているような、寂しさの浮かぶ笑顔でした。それを見て、あたしはやっぱり鉢を引っ込めますが、雪子も逆に引っ張ってきます。


「‥やっぱり雪子、この花嫌いでしょ?」

「いいえ‥あなたからもらった大切なお花です。本当に‥本当に大切にします」


あたしは雪子のうるんた瞳と目が合います。‥‥そうか、雪子にとってあたしは初めての友達だから、それだけプレゼントにも思い入れがあるんだろうな。あたし、雪子を驚かすつもりで花を買ったんだけど、嫌いなものがないかそれとなく聞いておけばよかったな。とはいえ雪子も欲しがっている様子だし、このまま返品交換するのもよくないよね‥‥。あたしは気が緩んで、手を離します。


「‥‥ありがとうございます」


雪子はもう一度お礼を言ってきました。にっこりと笑っています。その笑顔はやっぱりどこかぎこちないものでしたが、雪子はその鉢をあたしの渡した袋に入れて、しっかり強く握っています。それを見て、やっぱり渡してよかったと思いました。


「‥帰る前にもう一回ゲームセンター行く?」

「はい、ぜひ」


あたしと雪子は、またエスカレーターを下ります。


◆ ◆ ◆


力山を抜き、気世をおお

時利あらずして、すい(※項籍の愛馬の名)かず

騅逝かざるを、奈何いかんすべき

や虞や、なんじ奈何いかんせん


ひなげしは虞美人草ぐびじんそうとも呼ばれ、西楚せいそ項籍こうせき(※項羽こうう)が垓下かいか(※地名)に追い詰められたときに、その愛人・が舞をしたあとに自害し、その墓にこの花が咲いたという伝説から名付けられました。(※註:自害のくだりは『史記』などには記載されず後世の創作といわれる)

確かに「いたわり・思いやり」という花言葉も存在しますが‥中国史に精通する人から見れば、その花言葉は「別れの悲しみ」。


◆ ◆ ◆


「大丈夫ですか?様」


朝起きると隣りにいる子履しりの目から涙がぼろぼろこぼれていたので、あたしは声をかけて起こします。子履はあたしの顔を見て、それから手の甲で涙を拭き、ゆっくりと起き上がります。

以前の出来事から考えても、あたしと子履は共通の夢を見ているはずです。しかし‥あたしは別にあの夢では泣きませんでしたし、子履の泣くポイントがわからないです。あ、もしかして初めての友達ができて感動したんでしょうか。いや、ないでしょう。


「‥‥大丈夫です。少し、考え事をしていました。さて、着替えましょうか」


子履は言葉を選ぶように丁寧に返して、何事もなかったかのようにベッドから下ります。あたしは少し不思議に思いながらも、自分もベッドから下ります。

食事の前に歯磨きです。子履の手渡してきた歯ブラシ、そして塩を気持ちだけ歯磨き粉代わりに、歯を磨きます。


「‥‥ん?」

「どうしましたか?」

「いいえ、何でもありません」


なんだか、その歯ブラシの味が少し変になっているような気がしたのです。ゆうべは塩を使っていなかったからでしょうか、確かに塩は味が濃いので感覚が麻痺するところはあります。ですが‥それ以外にも、ふとした一瞬にかいた歯ブラシの匂いが自分の口臭と違うような気がするのです。‥‥やっぱり塩のせいですね。ものすごく辛いです。昔の人ってものすごいことしてたんですね、本当に。

歯を磨き終わって歯ブラシを子履に返しましたが、なぜか子履の頬が赤くなっているように見えました。


◆ ◆ ◆


朝食も終わらせて寮から学園までの短い草原の小路を歩いていると、後ろから任仲虺じんちゅうきが追いかけてきました。


「おはようございます、履さん、さん」

「おはようございます、仲虺ちゅうき


任仲虺は走ってきたらしく息を切らせていましたが、しばらくして落ち着いてからあたしと子履の手を指差します。


「ところで‥手は繋がれないのですか?」

「えっ」


あたしも子履も思わず声に出しますが、任仲虺は言い放ちます。


「その昔、伝説の夫婦である伏羲ふくぎ女媧じょか(※いずれも三皇さんこう)は下半身が蛇の形で、お互いの下半身を絡ませて深く結びつきあったといいます。2人も、体の一部を絡ませてはどうですか?」

「それは‥‥」


子履はたじろぎつつも、ちらりとあたしを見ます。え、待って、これどういう流れですか。

子履が任仲虺と何かひそひそ話をしていますが、任仲虺は小刻みに首を振っています。あ、子履が振り返って、またあたしをちらちら見ています。なんだか‥日光を反射する子履の髪のつやの形が変わるだけでも、あたしはどきっとしてしまいます。何歩かさがりますが、すると子履は任仲虺から離れて、まっすぐあたしを見ます。その必死な顔つきを見ると、あたしの足はこれ以上動かなくなります。ずるくないですか。

いや、いくら任仲虺に「想像を超えて」とか言われたり、きゅう刑回避のために必要だったりしても、それはいくらなんでも度を過ぎているのではないでしょうか。あたしの体温がみるみる上がっていくのがわかります。こんなの反則でしょう。


「手をつないでください」


しばらくして、子履があたしに手を差し出してきます。要求は想定よりもすっとぬるいものでしたが、あたしの頬が赤らんでいくのがわかります。

それをごまかすように拒否‥‥したかったのですが、立場の問題もあります。


「‥‥わかりました」


あたしはそっと、その手を軽く握ります。子履のやわらかい手にほんのちょっと触れただけでも、暖かさが伝わってきます。手は汗で湿っていましたが、その摩擦があたしの手を逃してくれないような、子履の中に引きすり込まれていくような錯覚さえありました。


◆ ◆ ◆


姫媺きびたちはすでに教室にいました。席替えも昨日1日だけだったようで、あたしも子履もいつもの席に座ります。手をつなぎながら。

誰かからなにか言われるかと思いましたが、姫媺はもちろん声をかけてくることはできないでしょうし、その取り巻き2人も基本は無口なんですよね。でも3人の視線はしっかりこちらに向いてきています。せめて何か言ってきてください何も言われないと焦るだけです。

座っている間はさすがに手を離しましたが、あたしも子履も無口で、お互い反対側を向いています。と、そこに妺喜ばっきが座ってきます。


「どうした、お主ら様子がおかしいぞ?」

「‥‥何でもございません、ちょっと窓の景色を見てただけです、なーんて」

「ふむう」


妺喜はわずかに息を出して笑った後、かばんから一冊のノートを取り出しました。


「この前言ってた小説じゃ。読んでくれ」

「あ‥うん、後で読みます」


あたしはそのノートを受け取ると、子履に見られてないことを確認してこっそりかばんに入れます。

ていうか妺喜がにやにやしながらあたしを見てくるのやめてくれませんか。手をつないている間は誰かに何か言われるのかと身構えていましたが、何も言われないのも不気味です。





★現在、商業原稿で忙しい上にFANBOXの原稿も描かなければいけない状況のため、小説執筆の時間が取れていない状況です。

ストックだけはちびちび進めていますので、今年のどこか(なつ以降になると思います)で数ヶ月の期間限定で2〜3日1話更新をやって進めようと思ってます。

大変おまたせしますが、どうぞご理解くださりますようお願いいたします。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る