第66話 子履の怒り(2)
ま、まあ
「王族の婚約者が浮気した場合、十中八九は
あたしはもう一度背中を凍らせます。宮刑とは去勢のことであり、男性は
わかりやすく言い換えると、先祖の血を次の世代へ受け継ぐ、すなわち子供を作ることが当たり前と考えられているこの世界において、子供が作れない体になって、気まずい、恥ずかしいと感じながら生きていなければいけません。宮刑の本質は宗教社会からの排除なのです。(※男性はこれに加え、小便を垂れ流しにする羞恥もあったといわれる)
「そんな、
「
あたしは身を震わせながら、
「目的を達成したければ、うまく立ち回ることですよ」
そう言って立ち去っていきました。
◆ ◆ ◆
あたし、商の国に来たばかりの頃、
任仲虺の口ぶりからすると今すぐ処罰されることはなさそうですが、一応次善策を考える前に子履の機嫌をとるべきでしょうか。
寮に戻って、夕食の時間になります。あたしは無意識に、食堂に後から入ってきた子履を目で追います。今日は同室の
あれ‥?今、あたしの隣には
「今、どうして席を立ちかけたのじゃ?」
「う、うるさいよ‥‥」
「声が小さいぞ」
妺喜にいいようにいじられてしまいます。やめてください。
「わらわは恋の話も大好きじゃ。小説も書こうと思っておる。神聖な学園内で熱愛する百合カップルのな」
「それはもっとやめて‥‥」
「小説の題材じゃ、愛し合ってくれ」
「やめてよ‥‥」
あたしは肩をよじらせて、妺喜からのきつい攻撃に耐えるしかありませんでした。
◆ ◆ ◆
翌日、あたしはいつも通り学園の教室の奥の長机の真ん中に座っていました。右側に子履が座ってくるでしょうから、その時はどうしましょう。普通に挨拶すればいいのでしょうか。それとも、勝手にお見合いをセッティングしたことを素直に謝ればいいのでしょうか。あたしのほうから声なんてかけたくないし、素直になんてなりたくないですが‥‥宮刑にはかえられません。何とかこの場をうまく取り繕って、その後の作戦はこれから考えましょう。
などと思っていると、教室に子履がやってきました。あたしは緊張で肩をこわばらせますが‥‥‥‥子履はなんと、あたしから遠く離れた向こうの机の左端に座ってしまいました。えっ、そこいつも
「あの‥‥」
あたしが小声をかけますが、子履はまるで聞こえなかったかのように準備します。
そのあとに趙旻、
あたしが焦っている間にも、次々と学生が入ってきます。あたしは一気に心細くなります。
などと思っていると、任仲虺がやってきます。任仲虺はなぜか子履の隣ではなく、あたしの後ろの机に座ってきました。すでに妺喜があたしの左隣にいますから、任仲虺は3人用の長机に1人で座っています。真ん中に座っているあたり、残りの2人の推移と子辨を子履の机に座らせるつもりでしょう。任仲虺が子履と離れるなんて珍しいですね‥‥と思っていると、任仲虺は机から身を乗り出して、小声で囁いてきました。
「謝ったほうがいいですよ」
そのあと教室に入ってきた
その日、あたしはどうにも子履から避けられているようです。話しかけても無視されますし、わざわざあたしから遠い席や位置を選びますし、気にするなと言われても気になってしまいます。
◆ ◆ ◆
‥‥うん、やっぱり謝りましょうとあたしは決心しました。別に子履がいなくて寂しいわけではありません。宮刑を回避するためです。今はまだ小さい問題でも、のちのち話が大きくなってしまうところを前世の中国史で嫌というほど聞いたからです。あれ、誰から聞いたんだっけ。
その日、夕食が終わるとあたしは足音を殺して、女子寮の子履の部屋までやってきました。姒泌は‥いるようですね。いなければ子履は確実にあたしを避けますから。あたしはおそるおそる、ノックします。
「どなたですか?」
「
「帰ってください」
その返事を聞くと、あたしは急に悲しくなってしまいます。宮刑よりも遥かに重いものを背負ってしまったかのような感じがするのです。どうして。どうしてあたしは今こんなに寂しいんでしょう。よく分かりません。全然分かりません。ただ今は、子履の声を聞いていたいような気がしました。
ですが帰ってくださいと言われた今、あたしはそのドアの前で呆然と立ち尽くすことしかできませんでした。そうやってもしもししていると、足音が後ろから近づいてくるのに気づきました。そりゃ廊下ですし人通りもあるでしょう、不審がられる前に帰りましょうと思っていると、その足音の主が声をかけてきました。
「摯さんではありませんか」
「‥‥!
「‥‥‥‥これから部屋にはいるところでしょうか?」
「いえ、帰ってくださいと言われました」
うつむくあたしを見かねたのか、任仲虺は一呼吸置くと、すかすかとあたしをどけてドアをノックします。
「あ、ちょっ‥」
あたしは止めようとしますが、中からまた声がします。
「帰ってくださいと言ったでしょう」
「仲虺です」
「‥‥‥‥入ってください」
しばらく間をおいて返事した子履の声にはどこか元気がなく、小さくなっていました。任仲虺はドアを開けて、あたしの手を引いて部屋に入ります。
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