第26話 風呂に入りました
当然、
それでも年下の及隶に敬語を使い始める料理人が散見されます。少なからず影響はあるようですね。やれやれ。これから年の瀬の準備をしなければいけませんが、先が思いやられます。まあ料理人たちもプロですし、なんだかんだで大丈夫だと思います。
しかし子履も
寝室にあたしだけでなく及隶も入れた件といい、本来気弱な子履はあたしと2人きりになるのがまだ苦手かもしれません。話しかけてくれないのならこっちのもので、あたしも終始無言で食事するところなのですが、今日は子履と打ち合わせたいことがあります。
「
「ひゃい!?」
この時の子履はあたしの隣には座っていません。テーブルの向かいにいます。今までの2人きりの食事のときもそうでした。姚不憺や任仲虺がいる時はあたしの横にくっつくように座っていたのですが、今はそんな面影は微塵も感じられません。
いつもは声をかけられて驚くのはあたしのほうなのに、今回は子履のほうが驚いています。ていうか、学者スイッチの入っていない2人きりでいるときにあたしから声をかけるのは、これが初めてかもしれません。
もしこの世界にスマホがあれば子履の顔を撮っていたに違いありません。それくらい子履の顔は猫よりかわいく、愛嬌のあるものでした。これが女友達だったらなあ。‥‥とはいえ、婚約が解消されない限り子履と仲良くしたくはないので、あたしは淡々と話を続けます。
「‥本日の入浴のことですが、あたしはいつ入ればいいですか?」
この質問は重要です。まだ一緒のベッドで寝られない子履がまさか一緒に風呂に入りたいと言うはずがないのは分かっていますが、それをはっきり確認したかったのです。
「‥‥そうでございますね。風呂にはまず最初に母上、次に私が入ります。身分の順で申しますと、
「分かりました。あと、あのきれいなベッドで寝るのですから、及隶も一緒に風呂に入れていいですか?」
「えっ‥その‥」
子履はどこか不満そうに、指をいじっています。姚不憺の一件から、あたしはなんとなく子履の悲しんでいる顔は見たくないと思っていました。ベッドを運び込まれるような変な罰をさらに受けたくないというのもありますけど‥単純に、悲しそうにしている子履を見ていると、あたしの心まで傷ついてしまうのです。この感情はものすごく漠然としていて、なぜだかはっきりとは分かりません。
「‥‥及隶は入れないほうがいいですか?」
「いえ‥そういうわけではないです、及隶にも入ってもらいたいです」
困りました、これじゃ何が不満なのか分かりません。と、子履がまた言いました。
「‥‥そうですね」
「はい」
「えっと‥この世界は前世の日本ほど公衆衛生は整備されていませんので、及隶とタオルを使い回すことはないようお願いします」
「分かりました」
なんだ、そんな簡単なことですか、とあたしはほっと胸をなでおろします。
「‥‥摯の好きな色は何ですか?」
「はい、オレンジです」
「朱色でも構いませんか?黄色と誤解されやすい色は使いたくないのです」
「大丈夫です」
「分かりました、用意しますね」
「ありがとうございます」
タオルの色までしっかり聞いてくれる子履は、根はまめで気遣いのできる人だとも思いました。そう思うと、なぜか子履に頭が上がりません。
◆ ◆ ◆
さすがに子履の裸は間違ってても見てはいけません。一度見てしまったら、また子履が新しい一歩を踏み出しかねません。
あたしと及隶は早めに仕事を終わらせて、子履の部屋で待機します。最近は引き継ぎの料理人がある程度仕切ってくれるようになったので、少人数グループのリーダーのあたしも仕事を休めます。及隶と話していると、子履が戻ってきました。今、戻りましたね。確実に戻ってきましたね。
「それでは行ってまいります」
「はい、いってらっしゃい」
あたしは及隶を連れて、更衣室に行きます。
この屋敷の浴室と更衣室は初めてです。さすがに屋敷に当初なかった浴室をこしらえるのはいろいろ無理があったらしく、更衣室の大きさは前世の一般家庭のそれととてもよく似ていました。いえ、洗濯機や洗面台がない分だけ少し広いかもしれません。
裸になって浴室のドアを開けてみます。浴室は確かに広いといえば広いですが、前世のあたしの家のそれと比べられる程度でした。湯船は2人が思いっきり足を伸ばせるくらいのサイズでした。ほとんど黒や白の石で造られたそれは、前世の温泉のような雰囲気を醸し出していました。
「
「あっこら
水アカは滑ります。前世では常識ですが、この世界ではそもそも入浴という概念がないために知らない人がかなり多いかもしれません。実際、及隶は滑りかけましたが、浴槽の端を掴んで事なきを得ました。
「もう、本当に危ないから走ったり暴れたりしちゃダメ!」
「分かったっす、センパイ」
あたしと及隶は一緒に湯船に入ります。前世で死んでから7年ぶり、いや6年ぶりかな?の風呂です。
こうやって湯船でほっと一息つく機会もこれまでなかったので、あたしは感傷的な気持ちに浸り‥浸り‥浸りたいところですが、及隶が湯で遊んでいます。子供かよ。いえ、実際子供ですね。恋愛に関しては6歳とは思えない鋭い洞察力を持ってはいますが、それ以外は完全に子供なんですよね。
「こら隶、暴れないでじっとしてて!」
「センパイはいじわるっす」
「いじわるじゃないよ、ここはそういう場だから」
やがて湯船から出て、体を洗います。洗い場には、丁寧に朱色のタオル、青色のタオルがかけられていました。朱色はあたしのタオルですね‥と思ったのですが、及隶が指差します。
「隶、赤がいいっす!」
「ああ、そういえば隶は青が苦手だったね」
「青は男っぽいっす!」
ごもっともですね、確かにそうです。及隶が朱色のタオルを取ったので、あたしは青色のタオルを使って体を洗います。
この世界に石鹸なんてないです。そりゃ風呂に入ってるのが商の国の人くらいですから、風呂まわりの技術が発達してるわけないです。ですが代わりに米や
風呂から出ました。体を拭くタオルも、ご丁寧に朱色と青色に分けられています。あたしは朱色のタオルを及隶に渡して、自分は青色のタオルを使いました。
部屋に戻ると、なぜか子履がベッドの上で正座していました。部屋は子履1人のはずなのに、なぜか緊張しているようです。
子履はあたしを見るや、表情を少し崩します。
「‥お帰りなさいませ」
「入ってまいりました。
「ええ、少し考え事をしておりました。
そう言って子履は立ち上がって、あたし・及隶とすれ違う形で部屋を出ていきました。
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