第143話 伯爵と歴史
俺たちは食事会を終えて、ナターシャの寝室に案内される。どうやら、俺もそこで寝ていいらしい。女の子の部屋ってなんだか緊張する。
「ここですよ」
そう言ってナターシャは俺を部屋に招き入れる。
とても落ち着いた部屋だった。女の子らしいかわいい置物や人形もあるけど、一番目を引くのは、巨大な本棚にぎっしりと本が敷き詰められている。
文学や医学書、哲学書、農業書などなど……
あらゆるジャンルの専門書が置かれている。村やイブラルタルの家にも、ナターシャはたくさんの本をおいていたけど、やっぱり実家の本棚は迫力が違うな。
「ほかの家に置けなくなった本をここに置いているんですよ。もう、私の部屋じゃなくて書庫ですよね」
そう言って、ナターシャは恥ずかしそうに、はにかむ。
「すさまじい本の量だ。お父さんの書斎もすごかったけど……」
「父は、一応、学者ですからね。本を読むのが仕事です」
「ナターシャ? たぶんだけど、今日ここに来たことには、俺と家族の顔合わせ以外にもうひとつ意味があるんだよな?」
「気づいていましたか……はい、そうです」
ナターシャの肯定を聞いて、俺は続けた。
「伯爵が、失われた歴史について、何か知っている可能性がある、違うか?」
彼女はゆっくりと頭を縦に動かした。
※
「お父様、ナターシャです、今お時間ありますか?」
「ああ、大丈夫だよ。入っておいで」
俺たちは、伯爵の書斎に戻った。
「やあ、ふたりとも。どうしたんだい? いや、聞く必要もないか。さっきとは、まるで違う顔をしているからね。今回は、ギルド協会最高幹部アレク官房長として、マッシリア王国の伯爵である私に用事がある。そういうことだね」
「はい、ミラル王宮にあった"グレートヒェンの指輪"と失われた歴史についてです」
ナターシャは父に向かって、強く言葉を放つ。
「そうか、ふたりとも、そこまでは行きついているんだね。ならば、話は早い。このことは、他言無用で頼むよ」
「わかりました」
「まずは、グレートヒェンの指輪だ。あれは、俗にいう"始祖の遺産"と呼ばれているものだよ。世界各地の大国は、"始祖の遺産"を
「ほかの大国は、一体どんなものを持っているんですか? 教えてください、お父様!」
「大国の中で東大陸だけが一般に公開している。キミたちも見たことがあるかもしれない。"
「あの指輪は、一体どんなアイテムだったんでしょうか?」
俺も伯爵に聞く。
「あれは、王族だけが取り扱えるものだったよ。始祖たちの遺産の中でも、"生命"を司るものだと考えられていた。対して、図は、"真実"を語るものだ」
「今回のクーデターの首謀者であるエレンが、天界文書というものの知識を使ったと言っていました。それも始祖の遺産なんですか?」
ナターシャも辺境伯様のところで同じものを見たとは言わなかった。父親とはいえ、警戒しているんだろうな。
「天界文書は、世界各地に散らばる始祖たちの知識について書かれた書物の断片だと言われているよ。"
「では、始祖の遺産を集めて、天界文書を解読すれば、"失われた歴史"を
「言い伝えに従えば、そうだな」
「どうして、始祖たちの遺産を集めることで、大悪魔メフィストが復活したんですか?」
「……」
「そもそも、おかしいんですよ。始祖たちの遺産を集めて、特定の儀式をすることで、エレンはメフィストを復活させることができた。つまり、
「……」
伯爵は、肯定も否定もしない。ナターシャは続ける。
「そして、お父様は、まだ何か隠しています。それは、なぜ、お父様がそこまでの情報を知っているかです。指輪は王族だけに伝わるものだったはず。大貴族だけで情報を隠しているとしても、数百年も隠し通せるはずがありません。よって、そこから考えられる結論はひとつ。お父様が、いえ、この伯爵家は、始祖の遺産と関連があるということじゃありませんか?」
「さすがだね、ナターシャ。親として、キミの思考力は誇らしいよ」
「私の推察通りなんですか?」
「そうだね、的を得ている。我が伯爵家、いや、世界各国の王族や大貴族のほとんどは、始祖に連なる一族だと言われているんだよ」
「……」
「……」
始祖の末裔が、今の王族と貴族ということか……なら、失われた歴史は、貴族たちの不利益になる真実が含まれているということなのかもしれないな。
「かつて、始祖たちは高度な魔力文明を誇っていた。そして、滅んだ。そして、どこから生まれたかわからない魔族と人間たちは、戦争状態に突入した」
「つまり、私たちが失われた歴史と呼んでいるのは、魔力文明の崩壊から戦争が起きるまでの期間なんですね」
「ああ、そうだ」
「具体的に、何が起きたか教えてください、お父様」
「すまない。私が知っているのはここまでだ。おそらく、王族たちはもっと詳しく知っているとは思うが、それでも断片に過ぎないだろうな。情報は細かく分割されて、全体が見えないように加工されていると思ってくれればいい。すでに没落した名家も数多くある。大貴族たちが持つ情報を集めてもおそらく真実にはたどり着かないだろうね」
「じゃあ、全体図を把握している者は存在しないと?」
部屋の中には沈黙が生まれる。
その沈黙を破ったのは、伯爵だった。
「ひとつだけ可能性はある」
「可能性とは?」
「影の評議会だ」
「影の評議会?」
ナターシャも俺も初耳の言葉だった。
「そう、非公式ながら存在していると噂される
影の世界政府だって?
「参加者の名前も人数もわからない。もしかしたら、噂だけかもしれない」
「そんな組織が本当にあるんですか?」
ナターシャは懐疑的な声だった。
「私にもわからないよ。ただ、その組織が始祖たちの遺産からわかった知識を独占していると考えれば、いろいろ納得がいくことも多いんだ」
「例えば?」
伯爵に、俺も迫ってしまった。
「本来、戦力が劣る人間が、魔王軍にどうやって対抗してきたのかだよ。伝説級の冒険者が存在していなかった時期だってある。にもかかわらず、魔王軍と人間は数百年以上、互角に戦うことができていた」
「その劣勢を挽回するために、評議会はなにかしらの形で始祖の遺産を使っていた、と?」
「うん。魔王軍最高戦力である魔王自身が、歴史の表舞台にほとんど姿を現さないのも気になるだろう。彼が出てくれば、戦争なんて簡単に終わるかもしれない」
「でも、魔王は動いていない」
「そう、つまり、始祖の遺産によって、魔王をけん制する手段が何かあるのかもしれない。魔王を封じ込めるなんて、始祖の遺産の知識以外に考えられないじゃないか」
書斎には、冷たい空気が漂っていた。
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