第107話 願い

「お疲れ様、ナターシャ!」

 少しだけ汗をかいているナターシャは、青いドレスを直しながら俺のところに戻ってくる。高位浄化魔法を使ったからだろう。体力を消費している。


「やっぱり高位魔法は疲れますね。このレベルを連発するS級冒険者の人たちのやばさを実感しますよ」

 ナターシャはそう言って苦笑している。


「普通にこのレベルの魔法を1発使えるだけでも、天才扱いなんだけどな~」

 彼女は、恨めしそうに俺をからかった。


「ありがとうな。俺のわがままに付き合ってくれて」

「いいですよ。私だって神官です。みんなのために、戦ってくれた英雄たちを、無下にしたくはありませんからね」

 現代の聖女様といわれるわけだ。どんな修羅場にでも、積極的に現地に行って、その場所で全力を尽くす。


「こんなんじゃ、足りませんよ。私たちは、彼らのためにもっと大きな責任があるんですからね」

「ああ!」


 俺たちは海岸を離れようと歩きはじめる。


「アレク官房長とナターシャさん、ですよね?」

 一人の青年に呼び止められた。さっきから、ずっと海を見つめていた男だ。

 殺気はない。むしろ、友好的な声だ。


「はい」

 ナターシャは、透き通った声で肯定する。

「そうだよ」

 一歩遅れて、俺も続いた。


「そうですよね。よかった。さっきのは、浄化魔法ですよね? とても綺麗でした」

「ありがとう。ところで、あなたは?」

「申し遅れました。俺は、ゲパルトと言います。C級冒険者です。先日の戦争では、巡洋艦ゴーリキに乗って戦っていました」


 巡洋艦ゴーリキ。南海戦争で、沈んだ艦の名前だ。乗艦していた冒険者の半数が、艦と共に運命を共にした。


 彼がずっと海を見つめていたことを考えると、きっと……


 大事な人をあの戦争で亡くしたんだろうな。


「あの戦争で、俺、アレクさんたちの戦闘を見ていました。すごかったです。S級冒険者が戦うところを初めてみました。もう、別次元の強さでした」

 彼は、わざとらしく興奮した声を発する。


「ありがとう」


「俺とそんなに歳は変わらないのに、どうやったらあんなに強くなれるんですか。本当にすごいです」

 彼は目に涙を浮かべた。


「俺にも、あなたたちみたいに力があれば、みんなを救えたんですかね?」

「……」

 

 彼は、かすれた声で続ける。


「すいません。調子がいいお願いだと思っています。でも、俺じゃできないことだから……俺たちの気持ちをアレクさんに託したいんです。聞いてくれませんか?」


 俺たちはうなずいた。


「終わらせてほしいんです。もう、こんな気持ちを他の人に味わって欲しくないんです。だから、こんなこと、終わらせてください」


 彼は、俺の手をつかんで震えた。


 ※


 俺たちは、青年の気持ちを受け止めて、帰路に就いた。


「やっぱり、重いな」

「そうですね。先輩には、どうしてもみんな期待してしまうんですよ。それが、世界の頂点にいる人の責任でもありますからね」

「ニコライもこの責任の重さにつぶされたんだろうな。同じ立場になってよくわかったよ。ナターシャやボリスみたいに支えてくれる人がいなかったら、間違いなく心に隙間ができてしまうな。そこをあの女に付け込まれたんだろうな」


 俺は、後悔をナターシャに伝えた。人が良すぎるといわれるかもしれないが、俺ももう少しニコライに寄り添うべきだった。そうすれば、あいつは今でも立派な勇者だったと思う。


 責任を忘れる場所が欲しい。そんな心の隙間に、エレンはうまく潜り込んだ。そして、その隙間を埋めるためにあいつは、悪女に依存した。


「過ぎたことは、考えても仕方ないですよ。それに、先輩はできる限りのことはしていたと思いますよ。ボリスさんもそう言っていましたからね。あのパーティークラッシャーの悪意は、人の善意を上回るほどのものだったんです。ニコライも、先輩のように器が大きくはなかったんですよ。人の善意をそのまま飲み込めるほどの器だったら、あんな風にはならなかったはずです」


 ナターシャは、相変わらずニコライのことを呼び捨てにしている。怒りは収まっていないんだろうな。俺のために、怒ってくれる人がいる。そういう人を大事にしていきたいと本気で思った。


「先輩、エカテリーナさんには会わなくていいんですか?」

 ナターシャが意外な事を言った。


「えっ?」


「エカテリーナさん、先輩の病室に何度も来ていました。本気で心配していたんだと思います。せっかく会えたのに、このまま会わないと、また長い時間会えなくなっちゃいますよ?」


「でもさ……」


「ふたりとも、私に気を遣ってくれているのはわかりますよ? でも、やっぱりちゃんと会って話しておくべきですよ。そうしないと、ふたりとも絶対に後悔します!」


「そう、だよな……」


「ということで、明日の12時にエカテリーナさんと待ち合わせしているので、行ってきてください!」


「なっ、お前、いつのまに……」


「お願いします。行ってきてください……」


 彼女は我慢して、俺のことを考えて行動してくれている。なら、この善意は受け取らなくちゃいけないよな。


「ありがとう、ナターシャ!」

「どういたしまして」


 そして、俺たちは宿の前に到着する。


「じゃあ、私、着替えてくるので先に部屋に行ってください」

「お、おう」


 ナターシャは、朱色に染めた笑顔で、俺を見つめた。



 ※


 私は、ドレスを脱ぎ捨てる。

 なんとか、先輩を笑顔で送ることはできた。よかった。本心を出してしまえば、先輩は気にして絶対に明日は会いに行かないはず。


 だから、あそこは笑顔でいるしかなかった。


「意地っ張りだな、私」


 戦闘服ドレスは、もう私を守ってはくれない……

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