第106話 魔王軍

「本当の目的か」

 提督は、困った顔になっている。


「はい、そもそも魔王軍との戦争はいくつもおかしなことばかりです」

「例えば?」

「例えば、魔物は数百年前に突如出現して、人類を絶滅させるために侵攻を開始した。それが公式のアナウンスです」

「そうだね」

「でも、おかしいんですよ。どうして魔王軍は、最強の存在であるはずの魔王自身を最前線に動かさないのか? 歴史上、魔王自身が動いたのは、2回です。魔王軍との初期の激戦であるスローヴィ攻防戦。そして、大賢者ジジ率いる人類の最大の反攻作戦リト攻勢」


「さすがは、よく勉強しているな。現代の聖女は……」

「からかわないでください。スローヴィ攻防戦では、魔王は分身を使って、最前線に出てきました。その時は、最初のレジェンド級冒険者であった勇者イールが活躍し、分身を破壊した。リト攻勢では、魔王軍の副大将であった冥王を大賢者が打ち破ったものの、魔王本人が突如、戦場に降臨し、戦況をひっくり返した。リト攻勢には、閣下あなたも戦艦の艦長として参加していたはずです」


「ああ、懐かしいな」

「魔王軍が人類の滅亡を目指しているなら、どうして最強の戦力である魔王が前に出てこないのか? おかしいですよね」

「何か前に出てこれない原因があるんだろうね」

「いくつか仮説があります」

「聞かせてもらおう」


 ナターシャと大臣の問答が続いていく。


「1つ目は、魔王本人が死亡しているか、すでに権力を失っていて、魔王軍は最高幹部の集団指導体制に移行している。リト攻勢において、出現した魔王は魔力によって偽装された別人物。それなら、魔王の直系の息子であるパズズが幽閉されているのも納得がいきます」

「面白い解釈だね。でも、キミの本命は別の説なんだね」


「そうです。私の本命は別の仮説です。魔王軍は、そもそも人間を壊滅させる気がないのではありませんか? 魔王軍はなんらかの理由で、人間を生かし続けなければいけない。だからこそ、戦争は継続しながらも、本格的な総力戦を挑んでくることはない」

「……」


「そして、わからないことはまだ、あります。魔王軍と人類の戦争は、何がきっかけではじまったのか。イデオロギー的な開戦理由は、教科書には書かれますが、直接的な原因は一体何か。明確的に語られた書物を読んだことはありません。魔王軍と人類の戦争がいかにはじまったのか。閣下はご存じではないのですか?」

「つまり、ナターシャ君は、失われた歴史があると考えているんだね」

「はい、閣下。そして、その歴史の中に、魔王軍の本当の目的があると思っています」


 そこで、老提督はワインを口に含んだ。


「キミの仮説は正しいと思う。だが、はっきり言えば私も失われた歴史についてはわからない。いや、私が知っていることが、はたして本当に歴史の真実かは、わからないと言った方が正しいな」

「教えてはくださらないんですね」

「キミたちに変なバイアスを持たせたくはないんだよ。だが、キミは本当に賢いよ」

「この仮説があるからこそ、あなた方は和平を目指している。そういうことですね?」

「ああ」


 老提督は、ナターシャの仮説がおおむね正しいことを認めた。


「わかりました。私が聞きたいことは、終わりです。これで先輩もある程度、公平に決断できると思うので」


 ナターシャは、まだ大臣さんや副会長を信用しきれていないということだろうな。大事な情報を教えられないまま、重要な決断を迫られている俺に助け船を出してくれた。


 ふたりからボールは俺に託された。


 決めるのは俺だ……


 ※


 俺たちは、大臣さんとの会談を終えて帰路に就いた。

 ナターシャの貸衣装は明日返却なので、これを着て帰ることになる。


 俺たちは、波の音と月の光に包まれながら夜道を歩く。


「あれでよかったんですか? 、本当に良かったんですか?」

 ナターシャは、俺の決断をもう一度、問いかける。

「うん、あれが一番だと思うから」

「そうですか……」

「ありがとうな、ナターシャ。さっきかなり助けてくれたよな」

「そうですよ。先輩は、人が良すぎて、貧乏くじを引きやすいんですからね。近くにいる私が、ちゃんとしないとですよ」

「いつもありがとう、ナターシャ」

「今日は、本当に素直ですよね? いつもそうならいいのに~」

「ナターシャにだけは、素直になりたいだけだよ」

「ホントに、もう……」


 俺たちは、自分たちが恥ずかしいことを言っていると自覚があるので、あえて目をそらしている。恥ずかしすぎて、目を合わせることができない。


「ナターシャ、行きたい場所があるんだけど、付き合ってくれる?」

「もちろんです。そういうと思って、準備もできていますよ? 海の近くの花屋さんに、予約済みです」

「助かる。相変わらず優秀だな」

「もう何年の付き合いですか? 先輩のやりたいことはお見通しですよ。いきましょう?」


 ナターシャは、俺に向かって手を伸ばした。俺も、さっきの劇場に比べたら、少しはスマートに手を握る。


 帰るまでが、エスコートだよな……


 ※


 俺たちは、ナターシャが予約していた花束を受け取り海岸に向かう。

 花屋さんにナターシャの愛用している杖も預けていたようだ。


 準備万端。


 ナターシャは、仕事モードになっていた。ヒールを脱いで、裸足で砂浜を歩く彼女は、とても神々しい。


 巡洋艦ゴーリキの撃沈や海上要塞の戦闘で、数千人クラスの人が死んだ。彼らにも家族がいて、好きな人がいたはず。もし、ボタンの掛け違いがあれば、俺やナターシャだって、海の向こう側の存在になっていたかもしれない。


 死者のことを少しでも考えるのが、生きている者の義務だと思う。独善的だろうな。英雄としてもてはやされている自分が、こんなことをするのは単なる自己満足かもしれない。彼らの犠牲がなければ、俺は英雄なんてものになれないんだから……


 矛盾を抱えながら、俺は、今回の戦争の犠牲者を弔うために、海に向かって花束を投げ込んだ。

 これが弔いがはじまる合図。


 ナターシャは杖を振るい、魔力を海面に向かって放つ。


鎮魂歌レクイエム

 高位神官だけが操れる浄化魔法。


 無念のうちに死んだ者たちが、アンデッド系モンスターとして死後も苦しまないように、使われる高位白魔術だ。


 戦場からここまでは離れすぎている。だから、あくまでも形式的な儀式だ。

 今回の戦争で、亡くなった者たちの少しでも慰めになればいい。


 守ることができなかった俺たちが、死者にできる精一杯のことだ。

 ナターシャが詠唱を唱えて、杖を一振りすると海面は輝き、光は天に昇っていく。


 俺たちは目を閉じて、死者の安寧を祈った。

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