第97話 仲間
彼女の手は、信じられないほど柔らかだった。その天使のような細い腕に見合わないほどの力で、俺はエルの背中に引き上げられる。
彼女の手は、あの時のように柔らかかった。
「やっと、見つけた……よかった」
彼女の声は驚くほど澄み渡っていた。もしかしたら、俺は死んでいて、ここは天国なのかもしれない。
「私のこと、わかりますよね、先輩?」
引き上げられたまま、彼女は俺を優しく抱きしめてくれる。体の節々が痛かったはずなのに、その抱擁で俺は癒されていく。
「ナターシャ……ありがとう」
俺は、なんとかそれだけを絞り出した。小さな彼女の背中が、まるで死んだ母さんのように優しくたくましいものに感じた。
「無理しないでください。骨も折れています。今、回復魔法を――」
彼女の手は本当に温かかった。
「よし、アレクも無事に助けられたから、みんな逃げるぞ! エル、一気にスピードを上げてくれ!!」
だめだ、それではあいつの重力魔法にやられる。
だが、声はでなかった。血を流し過ぎたのか、意識が曖昧になっていく。
エルが急上昇しようとした瞬間、悪魔の声が聞こえた。「それを許すほど、私は甘くないよ」と。
「くそ、リバイアサンに引き付けられる」
エルの悲鳴のような声とともに俺たちは、再び海に向かって落ちていく。
「この時を待っていたよ!」
ニキータさんが、5個の小さな魔力結晶を放り投げた。
光の魔力結晶だ。そうとうな希少品で、対魔族にたいして大きな武器になる。
リバイアサンは、重力魔法の影響で、その小さな結晶まで引き寄せてしまう。なるほど、重力魔法はある意味ではノーガードになってしまうのか。ニキータさんは老獪な冒険者。その弱点を見抜いて、対抗策を考えていた!!
「そのまま、艦と運命を共にするといい」
光の魔術が詰まった結晶が誘爆し、艦上で大きな爆発を引き起こした。
さすがに、この爆発を喰らったら、ひとたまりもないはず。
だが、黒煙をあげる艦上には、ひとりの大男が笑って立っていた。あの隠し玉すら効かないのか……
リバイアサンが悪魔の槍を構える。俺を襲ったものと同じ黒いオーラが今度はボリスを襲った。おそらく白兵戦最強のボリスを無力化してしまえば、あとは対抗できるやつがここにいないと瞬時に判断したんだろう。
だが、突発的な攻撃に対しても、ボリスは俺以上に強い。みごとに剣を使って、受け流す。
「やるな! さすがは剣聖と呼ばれるほどの男だ。気に入ったぞ!」
リバイアサンがさらに重力魔法を使って、エルの巨体を引き寄せた。
このままでは、逃げられない。
「エカテリーナさん、サーチ完了しました! やってください!!」
俺を回復させていたナターシャは、いつの間にかエカテリーナの肩に手を置いていた。あれは、補助魔法の構え。遠距離攻撃の射撃補正をする少しだけマニアックな魔術。
「お願いね、ナターシャさん」
「大丈夫です、みんなの命、私が預かります」
エカテリーナの手からは矢が放たれる。ナターシャは、それを遠隔操作した。
ナターシャは魔力を使い、矢を遠隔で操作する。
この遠隔操作は、魔力の流れを正確に管理する必要がある。医術で鍛えた精密な魔力の操作が得意なナターシャにピッタリの仕事だ。
威力が高い魔法を使うのと、魔力を寸分の狂いなく操るのは、別の領域の問題となる。俺やニキータさんの魔法は威力が高いため、ある程度大雑把に扱っても敵を倒せればいい。敵を倒せれば、目標から数ミリの誤差があっても、魔法の威力でカバーできてしまうからだ。
だが、精密な魔力操作は、そうはいかない。ナターシャの場合は、医療の分野で魔術を使わなくてはいけない。よって、その数ミリをずらしてしまえば、患者の生命の危機になってしまう。だからこそ、一滴の落ちていく水の
医学分野の若き権威。彼女の精密な魔力操作の才能は、いつしか世界的な医学者としての名声に繋がっていった。だからこそ、この役割を担えるのは、ナターシャしかいない。ナターシャが失敗したら、もう誰もできない。
ナターシャとエカテリーナの協力した狙撃は、数百メートル以上離れたリバイアサンにまで正確に届く。あんなに潮風に左右されやすい矢を数百メートルさきの目標に正確に打ち込む。それも足場が最悪の環境で、だ!
人間の技の限界だろうな。さすがは、ナターシャ。
「なめられたものだな。先ほどと同じ狙撃。私は同じ
俺の攻撃を避けた時と同じようにリバイアサンはいつの間にか別の場所に移動していた。
「くそ、はずしたか!!」
ボリスは叫んでいた。だが、この中で最も頭がいいナターシャがあんな簡単な攻撃でリバイアサンを倒せるとは思っていないだろう。さきほどの魔力結晶すら倒すことができなかったのだから……
エカテリーナはあの矢に、火炎魔力を籠めていた。
つまり、リバイアサンに向けて放った攻撃はブラフ。よけることすらナターシャのなかでは計算の範囲。
矢はそのまま艦を包んでいた炎の中に消えると、そこから大きな爆発が起きた。
やっぱりだ。ナターシャはこれを狙っていた。
さっき、ナターシャはこう言ったのだ。
「エカテリーナさん、
これはおそらく、敵の艦内までサーチしたということ。すでに火炎に包まれているあの艦は、最も重要な魔力炉の防御力が脆弱になっているはず。おそらく、爆発で艦内の防御壁も露出しているだろう。魔力が籠もった矢の精密射撃で、露出している魔力炉を狙撃する。
すでに限界を迎えていた魔力炉は、ひとたまりもないはず。
矢がトリガーになって、魔力炉は完全に暴走。俺がニコライを倒した時のように、暴走した魔力はすぐに大爆発を引き起こす。
そして、数秒のうちに大爆発が連鎖し、あの輸送艦は一瞬にして水中に引きずり込まれた。
「やったぞ、重力魔法が消えた!」
エルは叫びながら、あの海域を離脱する。これはリバイアサンが死んだか、継戦力を失ったのかのどちらかだろう。
黒煙が水平線の彼方に動いていくのを俺たちはただ見つめていた。
「やったな、ナターシャ!!」
俺は、なんとか声をひねりだした。残念ながら、かなりかすれ声だった。
彼女は俺の方をみつめて笑った。
「みんなのおかげです。ニキータさんとボリスさんが時間を稼いでくれた。エカテリーナさんが、正確に矢を放ってくれた。エルが危険を顧みずに先輩を助けてくれた。そして、先輩がニコライたちから私を助けるために、戦ってくれた。あの先輩とニコライの決闘がなければ、こんな作戦、魔力の暴走を利用しようなんて思いつきませんでした。みんながいてくれたから、できたんですよ……?」
そう言って、ナターシャは俺の手を強く握った。
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