第6歩 希望

 門を潜った先の大通りは、慌ただしく荷物を家から運び出す人々や露店で食糧を買い漁る人々でごった返していた。戦火が広がることを危惧してのことだろう。昼時ということもあってか、大通りの中央広場では炊き出しもされていた。その角で馬車馬は歩を止める。


「世話になったね。少し色を付けておいたから」


 先生は数枚の銅貨に銀貨を混ぜて、馭者に差し出す。


「あと、私のことを秘匿してくれて感謝するよ」

「当然でさ。お客を売っちゃあ、商売人の名が廃れますから」


 話の切れ目を窺って、先生のうしろからノラが顔を出す。


「あの、ありがとうございました」

「おう、坊主。おめえの勇敢さには頭が下がるぜ。よその町でも頑張っていくんだぞ」


 馭者は運賃を受け取ると軽く会釈し、馬を連れて去っていった。小さくなっていく背中にノラは哀愁を感じたが、己を奮い立たせる。生きていくということは、出会いと別れの連続である。それに一喜一憂しているようでは、この過酷な世界を渡り歩けない。

 そうして心を新たにするノラの鼻先を、香辛料の効いたまろやかな香りが通り過ぎる。振り返ると、広場では炊き出しに長蛇の列ができていた。今まで嗅いだことのないような食欲をそそる香りに釘付けになる。そんなノラの心中を察したようで、先生の口角が少し緩む。


「折角だし、いただいていこうか。君も野犬の肉だけじゃ腹が空いただろう」

「や、野犬?」

「言わない方がよかったかな」


 なぜ、ここに着くまで腹が空かなかったのか。薄々気づいてはいたが、こうもあっさり言われると堪えるものがあった。村での活計は限られていたとはいえ、さすがに野犬を食したことはなかった。顔面蒼白のノラ。その肩をぽんと叩くと、先生は列に並んだ。

 ノラはあとを追おうべく小走りする。その矢先、死角よりやってきた人と肩がぶつかった。勢いが強かったのか、その人の手からは紙袋が落ちて、中から果物が顔を見せる。


「あ、ごめんなさい」

「ううん。こっちこそ」


 ノラは謝り、慌てて屈んで紙袋に果物を詰めて差し出す。相手はノラと背丈は同じぐらいで、耳元までの茶髪に頬を軽く覆うそばかすが特徴的な少女だった。にこやかに感謝を伝えると、少女は凄まじい勢いで人の渦に消えていった。それを見送って、ノラは踵を返した。


 ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇ ◇


 半刻ほど待った頃、ようやく二人の番がやってきた。献立は、野菜と小間切れの獣肉の入った汁物。炊き出しは大きな鍋をかき回す男に、食材を切る女たち。そして店先に立つ男の合計六人で行われていた。店先の机に、たっぷりと汁と具材の入った器と串が二つ置かれる。

 待ちに待った昼食ということで、ノラは意気揚々と器に手を伸ばす。途端に、店先の男の表情が曇った。先生はゆっくりと男を見やり、目で用件を問う。


「あんたたち、この町の人間か?」


 大方予想通りの問いかけに、先生は辟易とする。


「いや、旅の者だよ」

「なら飯の代わりに、渡すものがあるだろ」


 不機嫌そうな表情を浮かべながら、男は掌を差し出してくる。先生は懐から銅貨を数枚取り出すと、男の掌に置いた。


「おい姉ちゃん、今はこんなご時世なんだ。弾丸三発で二人分の飯と交換だ」


 訊けば戦火はすでに近隣の町にまで飛び火しているらしく、例に漏れずシュルタも同様の運命を辿ることが目に見えていた。非常時であるために通貨よりも武器や食糧が貴重品となり、優先して取引されているのだ。当然ながら、外の人間への風当たりは強い。地元民の搾取の対象となる。先生の背中にある長銃の存在に気づいたのか、男は目の色を変える。


「その銃でもいい。まだ使えるんだろ」

「弾は入っていないけど、それで構わないのなら」


 男は長銃を預かるや否や、銃身や引き金を念入りに確認して二人の方に向き直る。


「俺たちも、自分の身を守るので精一杯なんだ。悪く思うな」

「随分と手前勝手な言い草だけど、物々交換だからね」


 二人は器を手に、広場を移動しながら食事する。ノラは器に口を付けて汁をすすり、獣肉を頬張っている。思いの外中身が熱かったのか、目を丸くしていたのが可愛らしく思えた。


「ふぇんふぇい、ほれ、ふほくほいひいへふね!」

「なにを言ってるか、わからないよ」


 二人は他愛のない会話をしながら町を歩く。シュルタの町並みは中心部の広場付近は木造の家々と露店の立ち並ぶ賑やかな場所だったが、一つ路地を入ると大きく様変わり。一部の家は戸が開かれっぱなしで、住民は忽然と姿を消していた。

 戦争に巻き込まれることを危惧して、他の町に行ったのだろう。その他にも、ぼろぼろの布で壊れた玄関を覆う家があった。同じ町の中でも、こうも差が大きいものなのだろうか。危険をいち早く察知して避難する人々。来る日に備えて物資を備蓄して、待ち構える人々。


 一見どちらも相容れぬ考え方に思えるが、その根底にある意識は共通していた。死にたくない。外見を繕いながらも、その意識で町中が埋め尽くされていることを先生は直感的に感じ取っていた。それでも、横を歩くノラを見ているとそんなことは些細事に思えた。

 気まぐれで拾ったのに、こうもが湧くものなのかと先生は内心思っていた。それと同時に、まだそんな感情が自分に残っていたのかという黒いざわめきが込み上げてくる。


「先生、どうしたんですか」

「いや。それよりも泊まる場所を探さないとね」

「そうですね」


 でも、とノラは遠慮気味に言う。


「この町には馴染める気がしません」

「どうして?」

「歩いている人を見ていると、皆殺気立っているんです。この町も危ない気が」


 先生は小さく感嘆の声を漏らす。


「そこまで気づけるとは。じゃあ、また新しい町に行こうか」

「それが続いたら、先生といつまでも旅ができますね!」


 先生は「長い旅になりそうだ」と表面上は朗らかに演じつつも、内面は至って冷静だった。今しがた生まれた憂慮を排除するために。ノラは聡明だ。自頭のよさというべきか。ゆえに、

 この混沌とした世界をともに歩み続けることは酷に思えた。理想は理想に過ぎない。

 いつか理想と現実の狭間で、押し潰されるときが来る。折り合いがついてしまうそのときが。こんな世界に折り合いがついたそのとき、ノラはなにを思うのだろうか。そんな思考の海に浸っていたところに、ノラの快活な声が波紋を呼ぶ。


「そういえば、不死者ってなんですか?」

「初耳だったかい」

「撃たれたときは本当に、もう」


 自責に走るノラを落ち着かせて、先生は足元に視線をやる。


「不死者というのは、普通の人と比べて体がとても丈夫なんだ。軽い傷なら治ったりもする。でも実は呼び名ほど万能じゃない。大怪我をしたら死ぬこともある」

「胸を撃たれたのは、大怪我じゃないんですか」

「私にとっては。個人差があるから一概には言えないけど」

「じゃあ、長生きしますよね」

「もう二百年は生きていることになるね」


 弾んでいた会話が急に止まる。


「驚いたかい。君には年上のお姉さんに見えていたのかな」


 ノラはなんともいえない表情になり、黙り込んだ。

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