花束と境界線_II

魚の目

第1話

 私には後天的に嫌いになったものがある。


一つはカッター。


これは中学生の時に、友達がリストカットしていたのを、偶然見てしまったから。放課後の教室、椅子に座ってうつむいていた。元気がないのかな、少し足音を立てて近寄ってみる。

「あっ」

息を呑んだ。夕日にキラキラとカッターが反射する。刃先は腕の上にあった。やめさせないと。そう思って声をかけようとした。

「聖瑋ちゃん、、?」

友達がよくわからない表情でこちらを見る。

「やめたほうがいいよ。」

「なんで、、?」

なんでって、痛いものが苦手な私はうすら目で細い線を見ながら、適切な理由を考える。

でも、今の彼女に合うものが見つからなくて、自分の感想を述べた。

「痛いと思う。」

視線の先で、赤い線が流れていく。

「そっか」

そう言って、彼女はカッターをしまった。

その日から、彼女が長袖を着ていると、あの下にはカッターで自傷した跡があるんだと確信しつつも安心した。彼女が休んでいるとあれこれと詮索した。いつ彼女が死ぬのか、不安になった。結局、彼女は登校し続け、中学を卒業した。


二つ目は牡蠣。


これは高校の修学旅行で、露店に売られていたものを食べておなかを壊したからだ。それだけでなく、一日動けなくなって、ずっとホテルで寝ていた。原爆ドームを見ることも、美術館に行くことも叶わなかった。ホテルの夜ご飯もおいしく感じられなかったし、友達にも馬鹿にされた。そしてしばらくは学校中のネタになった。


三つ目は猫。


これは先輩が彼女の家の猫を、「実家で飼っている猫だ」って、嘘ついて見せてくるから。猫に悪気はない、でもその薄茶色の猫の画像を見る度、彼女の顔がちらつくし、先輩があえて隠しているところもいやだった。彼女が猫を好きなことを知っていたから、決して猫が好き。なんて言わなかったし、興味がないふりもした。そうしていると、嫌いになった。


先輩とは、所属していた学内バイトが一緒だった。出会ったときは、大学院の一年生で私の二つ年上だった。県外の大学から来たらしく、「この近くに良いご飯屋がないか。」、確かそれが最初の会話だった。

「時間帯とか、洋食とか和食とか希望あります?」

「時間は多分夜になるかな。何でも食べると思うからそこは大丈夫かな。でも、そんながっつりじゃないかも」

「女性なら、四丁目の『ココサロン』、男性なら一丁目の『松屋餃子』か『こてつ』ですかね。」

彼女かな。そう思ったけど、なんか変に思われるのもいやで、両方の場合を提示した。

「そっか、ありがと」

後日、『松屋餃子』にいった報告とお礼をLINEで言われた。律儀な人だな、適当にスタンプで返した。


「よければお礼に、教えてもらった『ココサロン』ごちそうしたいんだけどどうかな。」

思いがけない返事が来た。


当時、大学三年生二十一歳の私は、処女というコンプレックスを早く解消したくて、別のバイト先の適当な男と関係を持った。初めての性交は痛くて、全然気持ちよくなかったし、顔を見られるのも見るのもいやで真っ暗な中でした。後日、その男から連絡が来た。そして再びした。相変わらず痛いし、肌に生ぬるいものが触れるのが気持ち悪かった。でも身体を求められることは、ずっと期待されて育ってきた「田中 聖瑋」を肯定してくれる気がした。

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