第37話

 エクエスが地に伏してから、ふた刻程。

 プププートが居る場所へ、怒りに満ちた私兵軍が列をなして突っ込んでいる。

 列といっても陣形などといったものではない。

 

 しかし、プププートの周囲に居る魔物、国王軍兵士がそれを阻む。

 ヒエムス私兵軍は、ハッキリ言ってしまえば弱い。

 人形のような国王軍の単純な攻撃ならまだしも、魔物達はそうではない。


 かみつかれ、爪で割かれ、突撃によって吹っ飛ばされ……。

 雪に足を取られ転んだところを槍で貫かれる。

 それゆえに、中々プププートの元まで辿り着けないでいた。


 そこに、元アノイトス辺境伯だった男が叫ぶ。


「もの共! あれは王ではない! 人でもない! 魔物そのものだ! 家族を、恋人を蹂躙された事を思い出せ! 恨みを晴らすのだ! 打ち倒せぇええ!!」


 その声を受け、私兵たちは大きく応えた。

 その辺境伯の元へ馬がやって来る。


「良い檄である。ブライデン殿」

「ナダニアス殿」


 そこへさらに一馬。


「全くですな。見られよ。兵の士気がより上がっております」

「イルアルゼン殿」


 彼らは、あの日。

 ヒーロスから貴族ではないと言われた日から、互いを「卿」と呼ぶのを止めていた。

 国を、アノイトスを取り戻した後の事は、互いに違う意見を持っていたかもしれない。

 残るのか戻るのか……。

 しかし、ヒエムスに来て以来、境遇を同じくする者として、時に嘆き、慰め、支え合って来た。

 約一年弱ではあったが、彼らには強い友情が生まれていた。


「ポロボロ殿の無念、晴らすのである」

「ええ、我らも参りましょう。ナダニアス殿」

「二人とも、待たれよ。指揮官が……」

「この隊の総指揮はブライデン殿である」

「後はお任せします」

「あの男に一矢報いねば、ポロボロ殿にも我が娘にも顔向けできぬのである」

「真に」

「行くであーる!」

 

 元アノイトス辺境伯――ブライデンが止めるのを振り切り、二人を馬を走らせて行った。

 この後、二人は確かに一矢報いた。

 その代償として帰らぬ人となったが……。

 

 一方。

 ナーマは、森を背にしたアノイトス軍最後方にいた。

 爪をかみ、苛立ちの表情だ。


 戦況を見れば、被害としてはヒエムスが圧倒的に多いのだが、以前と違い重傷を負った兵士が回復され、次々と戦線へ復帰してくる。

 第三軍五千もまだ動かず残っていた。


 エクエスとナーガが戦場からはいなくなった。

 本来、エクエスが居なければ、戦力も指揮系統も混乱が起きてもおかしくない。

 しかし、ヒエムス軍は士気も高く連携が取れていた。


 そして、陽が真上に上った頃。

 獣の大きな悲鳴が聞こえた。

 バジリスクだ。


 巨大なその図体を地面に打ち付け、倒れた。

 そこには何十本もの槍が刺さっている。

 

「ちっ、ナーガもバジリスクも、使えないゴミ共だ」


 アノイトス人魔軍約七千数百は、いつの間にか五千弱まで数を減らしている。

 そして、ナーマの元にヒエムス後方、第三陣の時の声が響いて来た。

 

 その部隊は二手に分かれ、アノイトスの側面へと進軍してくる。

 ナーマは分かっていなかった。

 ヒーロスが以前、作戦とは何か、そう語って聞かせた貴族たち同じだったのだ。

 彼女の場合は、数ではなく力があれば、そういった考え方だったのだろう。


 確かに、魔物という存在は、人一人で抗うのが難しい。

 特に上位に位置するものが数十体も居れば、ヒエムス軍はどうしようもなかったかもしれない。


 どこかで舐めていた。

 もしくは、そこまで上位種がいないのかもしれない。

 実際、ナーマは援軍を待っていたことは確かだった。

 しかし、それが到着する前にヒエムス軍が動いた。 


 それを見越しても、アノイトス側に引き入れれば勝てる、そう見越していたのだろう。

 このままでは、良くて共倒れ。

 自分一人が残った場合、ヒエムス陣地で指揮を取っているヒーロスとやり合わなければならない。

 それ以外にもエクエスという厄介な男までいる。

 さらには、聖女のせいでヒエムス側では力が制限されてしまう。


 ナーマの苛立ちは沸点を迎えつつあった。

 そこへ――。


 後方の森から地鳴り。

 ナーマが振り返ると、無数の槍が突き出て来た。

  

「何だとっ!?」


 ヒエムス軍が多数。

 後方のアノイトス軍へと槍衾やりぶすま

 ナーマは、空中へと飛びあがった。


 アノイトス軍は後方を突かれ、対応できていない。

 よく見れば、アノイトス軍は、ヒエムス軍に全包囲されていた。


 アノイトス軍の人魔は、ナーマの命令によって動く。

 彼女自身が、対応に遅れれば、軍もそれに合わせて遅れることになるのだ。


 実は昨日、ヒエムス元王国軍三千は、ブナイポに戻り、そこから大地を伝って静かに静かにアノイトス側へ越境し、森へと入って、今この時を待っていたのだ。

 ヒーロスが言う。逃亡はさせられない。

 しかし、逃亡する可能性もある。

 だからこそ、きっと森を背にするだろうと。


「このっ、くそがぁ! 謀ったな! 出てこいヒーロス!」


 ナーマは、虚をつかれ、激しい怒りを森に向って叫ぶ。

 どこだ、そこかと、次々強力な魔法を打ち込んだ。

 森は、至る所で燃え盛り、切断され倒木し、毒なのか腐敗もあった。


 ナーマは空中で、息を切らし、ぐるりと首だけをヒエムス陣地に向ける。

 そして、手だけ動かしているヒーロスだと思っていた者。

 その手前に目を移した。


「いいわ、出て来なくても、ふふふ。あれを殺せばおんなじよ」


 ナーマは、狙いを付けて魔法を打ち放った。

 巨大な炎槍。

 それは、医療班。

 アティアの元へ飛んでいく。


「くふふ、さようなら、お嬢さん」


 しかし、見えるアティアはその攻撃を見もせずに、倒れている兵に何かをしている。

 ナーマは、訝しんだ。

 だが、もうそこまで来ているのだ。

 何をしていようが同じ。

 そう思って再び笑みを浮かべた。


 だが、当たる直前。

 何もない中空に突然、大滝のように水が降り注いだ。

 炎槍は、その厚い水の壁に当たって蒸発し、辺り一帯が水蒸気に包まれた。

 

 やがて、そこに見えた人物。

 重傷を負ったはずのエクエスだった。


「あのやろうっ!」


 そこに今度は森から矢が飛んできた。

 ナーマは、それを当たる手前で掴む。

 また、森を向き激高した。


「どいつもこいつもぉ、うざいのよぉおお!!」


 矢の飛んでき方向へ、魔法を放つ。

 森を駆け回る影。

 速さは馬だろうか。

 ナーマは、その影を追いかけ、次々と魔法を打ち込んだ。


「逃げてんじゃねーよ! このクソガキ!!」 


 ナーマは軍の指示も忘れる程に感情的になっている。

 森を横切っていく影を、並走するように追いかけ、軍からも外れていった。


 ナーマが追いかけていた影。

 それはヒーロスではない。

 アズバルドであった。

 しかし、知らないナーマはヒーロスだと思い込んでしまったのだろう。

 空を飛びながらその影に魔法を打ち込んでいて、後方下に全く注意がいっていなかった。


 突如、少年の声が響く。


「サンダードラゴン!!!」 


 ナーマが声に反応し、振り返ったその時には、左右前方から、三体の大口を開けた竜が迫っていた。


 ナーマは両手で左右に防御壁を展開。

 前方を避けようとした。

 だが、若干遅く片腕片翼を捥がれる。


「ぎゃぁあああ!!」


 悲鳴を上げながら地面へ落ちた。

 そして、顔を上げる。

 そこには魔法を打ち込んで来た者の姿があった。

 一般の兵士と同じ鎧、フルフェイスの兜。

 その兵士は、息切れしているようだ。

 そして、兜を脱ぎ払う。

 

「くっそー、あれでやっつけられなかったのは痛いなー」


 ナーマは、唇をかみしめながら立ち上がると、まさに魔物らしい憎悪の表情となる。


「ヒーロス……やってくれたな、このクソガキィ」


 ナーマは、残った方の手の爪を鋭い剣のように伸ばした。

 ヒーロスも、剣を抜いた。

 そして、対峙する両者は同時に踏み込む――。


――激突。


 互いに激しい攻防が続く。

 どれくらい、闘っていただろうか。 


 やがて、ヒーロスが押され始めた。

 ナーマの鋭い爪は、ヒーロスの鎧を割き、肩や腕、腰に浅くない傷をつけていた。


 そして、ナーマの攻撃にヒーロスの剣が弾き飛ばされた。


「終わりだぁああ!!」


 ナーマの爪がヒーロスの喉元に迫る。

 だが、その爪はヒーロスに届かない。

 ヒーロスが付けていたペンダントが強烈に光ったのだ。


「ぐぁああ!! この、またぁああ!!」

「今です、殿下!!!」


 森からヒーロスに向って、声と共に剣が飛んできた。

 ヒーロスは、それを掴むと――。


――一閃。


 間を置かず二つ三つと斬り割いた。


「こ、この、私が……に、人間如きにぃ……」


 ナーマは三つに分断され、断末魔をあげて消えていく。


 ヒーロスは、膝をつき肩で息をしている。

 限界ギリギリだったのかもしれない。

 そこへ、森から馬に乗りアズバルドが駆け付けて来た。

 彼も火傷や斬り傷を負っていた。


「お見事でございました、殿下」

「……はぁはぁ……かなり、危なかったけどね。皆の助けがあってこそだよ」


 戦場に目を向ければ、魔物の姿はなく、誰も戦いをしていなかった。

 アノイトス側の兵士は、訳も分からず辺りを見回している。

 そこへ。


「ぐぎゃぁああっ――!」 



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