第34話

 時は東雲しののめ

 ヒエムス軍一万七千は進軍した。


「――五列縦隊を崩すな! 生死を賭ける時ぞ! 必死の中に活路あり! 己が生を掴み取れぇ! 今日、この戦に決着をつけぇええるっ!!!」 


 五列縦隊に陣形を取ったヒエムス軍の右端先頭から、ヒエムスの檄が飛ぶ。

 アノイトスとの国境まで、わずかの距離まで詰めて来た。

 ヒエムス軍の五列の先頭部隊たちは、元国王軍兵士。

 その後方に、私兵軍、傭兵部隊が配置されている。


 初戦では、私兵軍や傭兵部隊は盾を装備していない者が多かったが、今は簡易的な者やだいぶ粗末な造りの者も含めて、皆が皆装備していた。

 これは、ヒーロスが危うく受けそうになった、ナーマの広範囲の技が来た時のためだろう。


 一方、アノイトス軍は、横列陣形のまま、後退していく。

 前方に迫って来る、ヒエムス軍を見据えながら、一糸乱れず後ろ歩きでの後進。

 まるで引き込むように。


 アノイトス軍の殿からだいぶ離れてはいるが、医療班とアティアの姿がある。

 数百の兵士に護衛されながら、進軍していくヒエムス軍を追う。

 

 しかし、軍の中にも医療班の位置にも、ヒーロスの姿がない。

 小高い丘の駐屯地。

 その天幕前。

 アズバルドとヒーロスと思われる二人が見える。


 ヒーロスと思われるものが、指揮棒をあっちへこっちへと動かしている。

 何かの合図だろうか。

 声は聞こえない。


 やがて、ヒエムス軍は越境した。

 穏やかな気候から寒風吹く地。


 自らの故郷へ。


 後から来た者は、分かっているだろう。

 しかし、早い段階で移り住んだ者たちは思ったに違いない。

 話には聞いていたが、その余りの変わりようを。


 後進していたアノイトス軍は、森を背に止まった。

 人形のような国王軍兵士の隊列。

 その人と人の間から、動物のような黒い影が現れて来た。

 人魔入り乱れる総勢七千数百。


 ヒエムス軍兵士は、初戦よりは怯えは見られない。

 だが、集中と緊張から顔が強張っている者が多くいた。


 両軍激突まで、その距離十軒。

 エクエスが、手を挙げる。


「騎馬隊! 我に続けぇえ!!」


 エクエスは、馬に鞭打って駆けていく。

 そこに後続がついて行く。

 元国王軍騎馬隊二千。

 敵陣左手に弧を描くように回り込んでいく。

 

 アノイトス側も動いた。

 横列中央が開き、出来た道を奥から、のしりのしりと歩いて来る魔物が一体。

 涎が垂れた地面は、物質が昇華し湯気が立っている。

 

 ヒーロスは、作戦会議の時に、唾液が酸のような魔物が居た事を伝えていた。

 元国王軍、歩兵隊精鋭で、討伐に当たる事になっていた。


 五列先頭の精鋭たちが、その特徴を見て中央へと寄っていく。

 そこへ――。


「バジリスク! お前の力を見せてやんな!」


 女の声。

 ナーマだろう。


 その声に反応し、バジリスクを首を振ると突進してきた。

 首を振った時に飛び散った唾液で、アノイトス軍兵士の鎧が溶けたり、運悪く顔に当たった者は焼けただれてしまっている。


 突っ込んで来たバジリスクに、ヒエムス軍先頭で待機していた精鋭数人は、空中へと突き上げられた。

 しかし、さすが精鋭。

 臆することなく、迅速に円陣を組んだ。


 それを機に、他の五列の元国王軍たちが、大挙としてアノイトス軍へ突撃していく。その数五千強。


 第二陣以降になる私兵傭兵は、足を止め待機している。

 

 弧を描くように敵陣左手に回り込んで、横っ腹を突こうとしたエクエスの騎馬隊は、寸でのところで思わぬ妨害に合う。

 ヒーロスから聞かされていた、もう一体の上位魔物が現れ、魔法を打ち込んで来た。

 その魔法は、幅のある火柱の帯を作り、一瞬で騎馬隊数十人が燃え盛る炎に命を奪われた。


 エクエスの前まで進み出ると、三叉槍――トライデントを巧みに振り回し、進軍を阻む。

 

「こいつの相手は俺がする! 他のものは横っ腹を付けぇ!!」

「このナーガ様の相手をするですって? 何様ぁ?」

「……何だ、お前。話せるのか」

「サキュバス様配下の中でも、あたしは知性を持つ最も有能な配下よ!」


 そう言いながら、トライデントで次へ次へと突いて来る。

 その突きは、エクエスでようやくギリギリ避けられる、弾ける速度であった。


「どうしたのよ、おじさん! ほら、死んじゃうわよ!」


 しかし、エクエスも歴戦のつわものだ。

 本来であれば避けられる速度でなくとも、武器を振るう瞬間の微かな肩や腰の動き。視線。

 それらを己の限界の集中で見極め、先読みしているのだ。

 ただ、防戦一方なのもまた事実。


「手も足も出ないのね! これならどうかしらんっ!」


 ナーガは、溜を作って突いてきた。

 しかし、それは速度にあまり変わりがない。

 大きな隙ができる。


 エクエスは、自然と体が反応し、トアイデントを強く弾いた。

 そこから技を繰り出そうと踏み込んだ。

 そこへ突然、斜め前方から勢いよく何かが迫って――。

 

「――がはっ!」


 勇壮な体躯のエクエスが、吹き飛ばされ転がった。

 数度勢いを殺せず転がると、バランスを取って片膝をついた。

 咄嗟にガードした両腕に、じんじんと鈍い痛みを感じさせる。

 

 エクエスを吹き飛ばしたもの。

 それは、ナーガの蛇のような尻尾だった。


「良くガードできたわね」

「……知性があるというのは本当のようだな」


 ナーガはわざと隙を作って、尻尾の一撃を叩き込んだという事だ。

 人間よりも圧倒的に頑丈で身体能力が高い。

 そんなものが、知性を持つというのは人間側からすれば、厄介極まりない。


 しかし、エクエスは立ち上がると、驚きも焦りも感じていないようだった。

 偃月刀の刃先が地面の雪を撫でながら、ナーガの元へゆったりと歩いていく。

 そこには闘気。

 そう呼べるような、ものを纏っていた。

 













 


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