第30話

 穏やかな風が吹く大地。

 寒風が吹きつけている大地。


 その境界で向かい合う兄弟。

 ヒーロスは、腰の後ろに手組んで、何やら拳に力を溜めながら。


「兄さん」  


 声をかけられ、頭を振りながら身体を起こすプププート。

 周りを確認するかのように、見回している。

 ヒーロスは、その兄の姿を悲しそうに見ていた。


 ヒーロスを見止め、プププートは少し驚いたように、口を開いた。


「――お、お前、そこでなにしてる?」 


 ヒーロスは、黙っている。

 ただ、挙動不審となっている兄を見詰めていた。


「何だ! ここはどこだ! 何なんだ!?」

「……兄さん……」


 ナーマは、本当に魅了魔法を解いたのだろう。

 素の――本来のプププートが、そこには居たのだった。

 後の歴史家が、哀れな王として語る、プププートという人物が今、ここに姿を現した。


「落ち着いてよ、兄さん」

「お、お、落ち着けって……何だアレらは!?」


 プププートは、自分の後方に蠢く黒い影に怯えてる様子だ。


「何って、兄さんたちが連れてきたんじゃないか」

「たちが……連れ……? おい、ここはどこなんだ?」

「ここは、ヒエムスとアノイトスの国境さー」

「な、なんで、何でそんな場所に俺はいる?」

「……兄さんが思い出せる最も新しい記憶は?」

「記憶……?」

 

 プププートは、頭を振る。

 そして、目を上に下にと動かす。


「確か、お前をヒエムスに派遣して……」


 それをヒーロスは聞いて、少し顔を強張らせた。

  

「そうだ、その後、下女共が宮城から消えて……。それで……?」

「そう、兄さんは、それまでの記憶はあるんだね」

「当たり前だろ」


 ヒーロスは、目を閉じ、歯噛みしたような表情だ。

 プププートは、辺りを見ながら、今だ落ち着がない。


「十歳くらいから記憶が……せめて魔王討伐に出かけてからの……」

「……ヒーロス、お前、何の話をしてるんだ?」

「いやさー、アティアが本当の兄さんは、悪い人じゃないかもしれないとか言うからさー。確かめておきたくて。でないとさ、終った後にわだかまりが心に残るかなーって」

「アティア、だと? 何の話だ? そうだ、貴様、あの雌の秘密は手に入れたのか?」


 ヒーロスは、目を細めた。

 その視線から見えるのは怒り。

 兄弟に向けるには、些か度が過ぎているような。

 卑しいもの、汚物を見るような、そんな視線だ。


「僕の好きなひとを雌とか言うの止めてくれるかな?」

「……好き? 好きだと? はっはっはっはっは。お前、ああいうのが好みだったのか! もうヤったか? いろいろ聞きだせ! ははははは!」

「……下種が……」

「何だと? 貴様、今何と言った?」

「……もう、あんたと話すことはないよ。ナーマ!」


 ヒーロスが呼ぶと、暗闇の中からサキュバスの姿のままで、ナーマが現れた。


「――あら、もう話しは終わったのかしら?」

「ああ、もうコレと話すことはない」


 ヒーロスとナーマの会話。

 それを聞いているわけではない、プププートが居た。

 ナーマが近づいて来ると、一つ後ろに飛んで退く。

 剣を抜き構えた。  


「魔物!? ナーマ? 何だお前は?」


 ナーマは、面倒そうにプププートに視線を移す。


「何って、あなたの相手をいつもしてあげていたナーマですわ、陛下」

「何だと!? 嘘を吐くな! あれはただの下女だ!」


 ナーマは、以前のナーマの姿に瞬時に代わり、また、エイシェットと呼ばれていた時代の姿も取り、どちらが好みだったかと、薄ら笑いを浮かべた。

 プププートは、剣を手放し尻もちをついた。


「……ど、どういう事だ??」


 プププートは、頭が混乱しているようだ。

 そして、気づいたのだろう。

 初めて女性を知った日。

 その日から、自分が覚えてる限りの記憶。


 そのどれもが、考えてみれば異常な事だった事に……。

 なぜ、その異常さに気づかなかったのか。

  

「……お、俺は、ま、魔王を……、愚かな父を……?」


 ナーマは、呆れるような仕草を取る。

 そして、女性の誘惑に満ちた表現は消えた。


「あのお方は、やがて世界を統べる存在。お前のようなゴミにどうこうできるわけがないだろう」


 プププートは、わなわなと震え出し、側に落ちてる剣を拾うと、ナーマに向って斬りつけた。


「きっ、貴様が俺をぉおおお!」

 

 ナーマは、斬りつけて来た剣を、片手で掴む。

 そして、後方へ投げ飛ばした。

 そして、指を鳴らす。


「はあ、めんどくさ」

「ねー、ナーマさん。兄の記憶ってどうなってるのかな?」

「どうって?」

「女を手籠めにしたり、父を殺したり、聖女を追放したりさ。そこら辺のこと……」


 ナーマは、自分の意のままに操れる。

 しかし、魅了で操り続けるのは面倒だから、話してはいけない事などの制限。やりたいことを増幅させる程度で、普段は好きにさせていたと語る。

 普段考えてる事をやりやすくするため、タガを少し緩めていただけだと。


「じゃ、生来の性格があれということ?」

「そうね。あなたら兄弟の中で、最も操りやすい。うってつけだった人物ね。まあ、王を殺すとは思ってなかったし、何れは、聖女は殺させようと思ってたんだけど、うまくいかないものね」 

「なるほどねー。じゃ、もう聞く事も聞いたし、帰るねー」

「待ちな、坊や。いろいろ教えてやったんだ、対価を払っていきな」

 

 ヒーロスは、凄むナーマを無視し、馬に飛び乗った。


「ここまで来ておいて逃がすと思うのか? お前にはハーピーをやられた恨みもあるんだからね」


 ナーマは指を鳴らした。

 すると、二体の上位魔物と思われるモノが現れた。

 一体は、下半身が蛇。上半身は一糸纏わぬ女性の裸体に三叉槍。

 もう一体は、鶏のようはトサカを持ち、口からは涎を垂らす、爬虫類の姿。


 さすがのヒーロスも、目の前三体を相手にするのは厳しいだろう。

 ヒーロスは、胸から例の白楼石を取り出した。

 そして、踵を返すとそれを後方の頭上高くに放り投げる。


「対価はこれでいいでしょ」


 放り投げられた白楼石は、一瞬にして、辺りを昼のように照らした。

 目くらまし。

 その隙に、既に馬を走らせていたヒーロスは、大声で唱えた。


「アース・クエイク!!」


 すると、ナーマの後方から、大地が揺れ地割れが起きた。

 それは、巨大な穴となって、次々とその位置にいた魔物を地中深くへといざう。

 ナーマは、光のなかで何が起きているのかを悟ったのだろう。

 魔物らしい本来の声。奇声を上げた。


「くぅそぉがぁきぃがぁあああああ!!!」 


 ナーマは、ヒーロスの頭上に向って手をかざし、叫ぶ。


「チャーム・レイン!!!」


 桃色の矢が雨のように次々と地面へと突き刺さっていく。

 そのいくつかがヒーロスを目掛け飛んでくる。

 

 ひたすら馬を走らせているが、矢の速度がそれを上回る。

 ヒーロスは、会話の最中ずっと準備していた大魔法を使ったばかりで、その矢を防ぐ力を残していなかった。


 鎧を身に着けているが、普通の矢ではない。

 魔法の矢だ。

 何の効果があるかも分からない。


 くらうわけにはいかない。

 しかし、矢はヒーロスの真後ろへ迫った。

 これでは当たってしまうと思われた。

 その刹那――。


「――グラウンド・ロック」


 ヒーロスの後ろに高い壁が現れる。

 矢はその壁へと次々と阻まれ、ヒーロスには届かなかった。

 難を切り抜けたヒーロスと並走する者がいる。


「殿下、ご無事で何より」

「さすがだね、エクエス。マジで助かった」


 エクエスは、心配だったのだろう。

 実は、離れた位置でずーっと見守っていたのだった。 


「マイヒーローだよ君は。おっさんじゃなかったら恋してたかもね」

「私には妻も子もおりますれば」

「はっはっは。さぁ、戻ったらたらふくご飯を食べて、少し休もう! もう、夜も明ける」

「はっ!」


 二人は、馬を走らせ陣地へと帰って行った――。


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