第28話

 天幕の外へ二人は慌てて追いかけた。

 そこで、一時程悶着があったが、ヒーロスの意志は固く、エクエスもアズバルドも見送るほかなかった。


「じゃ、行ってくるねー」

「殿下……」


 アズバルドの心配そうな声に、ヒーロスは馬を歩ませながら、片手を上げて答える。


「大丈夫。言ったように逃亡手段はあるから。それより、アズー。辺境伯と話した方が良いんじゃないの? あはははは」  


 ヒーロスは、いつもの調子で軽口を叩きながら、敵陣へと月下の元、進んでいった。

 ヒーロスの狙い。

 止めるエクエスとアズバルドに、仮に今夜襲を受ければ、ヒエムス側はさらに甚大な被害を被ることになる。

 それは、敗戦と同義になる可能性が高い。

 

 初の戦で、皆、心身ともに疲れ切っている。

 夜明けまで、まだ数刻はある。

 時間稼ぎが必要なのだと。


 そして、それは、自分が行くから意味があると。

 エクエスでもアズバルドでも、元貴族たちでも駄目なのだ、と……。


 最もな意見であるかもしれないが、総大将が単身敵陣に行くなど考えられない。

 あり得ないにも程がある。

 ヒーロスを失えば、いくら総指揮官がエクエスであったとしても、御印なしには成す術が無くなるというものだ。


 しかし、確かに敵は、この機を逃すわけがないと感じられた。

 元国王軍の兵士も数百人失い、作戦の問題を指摘している者もいる。

 戦闘経験の無かったものは、疲労困憊だ。


 交代しながらの寝食とは言え、疲れが取れるはずもない。

 そこに夜襲があれば、きっと悲惨な現状になるだろう。


 ヒーロスを失っても夜襲にあっても、絶体絶命に陥るだろう。

 魔物には、まだ上位の存在もいるのかもしれないのだから……。

 

 エクエスもアズバルドも、不思議な力を感じさせる、ヒーロスという少年に運命を託したのだった。

 どこかで、何とかしてくれるだろうという期待。

 希望的観測。


 本来、軍人としてはあり得ないリスクマネジメントだが、彼らも疲れて切っていたのかもしれない。


 夜だというのに、寒さもなく暑さもない、このヒエムスの穏やかな気候。

 元アノイトスがそれであった。

 領国を知った者なら誰もが思うだろう。

 いや、厳しかったヒエムス育ちの外国知らずも、逆もまた同じ。

 

――何故、神は全てを救わないのか――。


 ヒーロスが、鼻歌を歌いながら月下の血の草原を進んでいく。


 その頃、ブナイポ大聖楼では、アティアが開戦以来、ずっと祈りを捧げていた。

 しかし、その祈りは豊穣の祈りではなかった。

今まさに、傷つき倒れ、死んでいく者たちへ。

 その中でも――。 


「――どうか……どうか……あの方を……」


 アティアは、ヒーロスに抱きしめられて動けなかったあの時。

 気づいてしまった。

 どこかで自分を騙していた事に……。


 六つ歳の離れる幼さ残る少年なんだ、と自分に言い聞かせていた事に……。


 ヒーロスが去った後。

 自身の無意識に覆い隠していた感情を、下女たちに吐露したのだった。

 下女二人は、同性だからわかるのだろうか、共に涙ながらに抱き合った。


 ヒーロスの想いに応えれば、アノイトスに行くことになる。

 それはつまり、また、見捨てることになるのだ。

 自分にこの地に住むことを許し、助けてくれた優しい人々を……。


 ヒーロスは言った。

 国を奪還すれば、アノイトスの王となる、と。

 で、あれば、この地には住まないという事だ。


 第一王子の時と違う、ヒーロスへの想い。

 大人と言われる年齢に近い女性が、弱冠十三歳の少年に抱くには、少々首をかしげる人も多いかもしれない恋心。

 アティアも、そこらの十三歳にそんな感情は抱かないだろう。


 だが、それを跳ねのけ、ヒーロスは近づいてきたのだ。

 スカートを捲られていたアノイトス時代。

 そんな、イタズラっ子としか認識していなかった少年。

 それが、たった数ヶ月で、自分の中で日増しに大きな存在となっていた。

 心をヒーロスに覆われ満たされて行っていたのだ。


 そう、下女に語り、涙を流した。


 言ってはならない、口に出してはならないと、自分にいくら言い聞かせても、堰が切れたように、次から次へ止めどなく話してしまった。


 今こうして、祈りを捧げていても、ヒーロスの安否が気になって仕方ない。

 そう言えるのは、開戦の報より、大聖楼の正門が開くたびに、敏感に反応し、下女の元へと状況を聞きに行っているのだから。


 伝令は、一刻置きに状況を伝えにやって来る。

 アティアは、聖楼での祈りの中で、身体に自然と備わった正確な体内時計を持っていた。

 

 だからこそ、伝令がそろそろ来る時間になると、祈りの集中もそぞろとなって、そわそわとしてしまっているほどだった。


――正門の開く音。


 立ち上がる。駆け出す。

 第二門を開き――。


「ご無事!?」  


 伝令は、すぐさま片膝をつく。

 その様子からは、動揺などはない。

 それを見て、安堵する。

 アティアは、開戦数刻、これを繰り返していた。


 男子禁制の聖楼の外で、片膝着く伝令も、初めは戸惑っていたが、何度も同じことが繰り返されているので、今は慣れたものであった。


「案じ召されまするな。殿下は、敵の上位魔物を一撃にて打ち破る戦果をお上げになったとの事。大変喜ばしい事でございます!」

「……そうですか」


 アティアは胸をなでおろすと、礼を言って祈りの間へと戻っていく。

 大聖楼の正門は閉められ、第二門の手前の椅子に、下女二人は腰かけた。


「まさか、あのお嬢様が……」

「いいえ。年齢的には少し遅いくらいよ」

「……そっか、そうだねぇ……」

「どうなるにしても、誰にも話せないわね」

「旦那様に聞かれても?」

「……ど、どうなんだろう?」

「質問に疑問で返さないでよ」

「ごめん……でもさ、殿下……かっこ良過ぎ……」

「顔が?」

「まあ、それもだけど、私……お姫様抱っこされた時に……」

「えええええ!!?」


 慌てて、大声を出した下女に、もう一方が口に人差し指をもっていく。

 この光景を見るものが居れば、アティアも含め思ったかもしれない。

 「お前ら、ここは聖楼だぞ」と……。



  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る