第23話

 ブナイポの公爵家へ向かうヒーロスは、ある場所で足を止める。

 彼が見詰めていたのは、大聖楼。

 

 このヒエムスで初めに建てたものとは段違いに大きく立派だ。

 アノイトスにあった物よりも大きい。


 ヒーロスは何かを含むように、しばし見ていたが、やがて去っていく。


 その聖楼の中。


「季節を司る豊穣の女神エウポリア様、どうか皆の幸福のため、わたくしの祈りをお聞き届けくださいませ」


 聖楼の祈りの間。

 アティアは、両膝をついて胸の前で手を組み、祈りを捧げていた。

 虹水晶が強く温かな光を発し、その奥の女神像は、微笑みをたたえて、アティアを見下ろしている。

 白楼石の壁は、虹水晶の七色の光りを受け輝き、それらの光りは天へ天へと昇っていく。


 アティアは、数刻祈っていた。

 ヒエムスに来て以来、特に最近は、不思議なほどに力が溢れて来るのが分かるという。

 母から聞いた言葉。


――初代聖女様は、女神エウポリアと対話が出来た――。


 アティアは、自分の中に湧き上がる願望。

 それをヒーロスに、話してしまったのだった。

 女神と話すことが出来れば、両国を助けるための方策を聞くことが出来るのではないか、と……。 


 どちらも知ってしまったアティアにとって、どちらか一方だけをという気持ちを持てなかった。

 ヒーロスは、両国が今のヒエムス、以前のアノイトスとなることは難しいだろうと話していた。


 確かに、過ぎた願いなのかもしれない。

 だが、アティアはどうしても諦めきれないと語った。


「どうか、私の声が届きますれば、お応え頂きとうございます」


 組んだ手に力が入る。

 目を閉じた表情も、穏やかとは言えない。

 険しいと言った感じだ。


 アティアは、願い続けた。

 短い時間で済むようになっていたが、アノイトスの状況を聞くにつれ、最近では祈りがまた長くなってきている。 


 今日は特に長い。

 数刻、もっとかもしれない祈りを捧げ、着ている衣が汗でびっしょり濡れている。


 力を使う事に限界が来たのか、両手を地面について、肩で息をしている。

 ポタポタと、汗が頬を伝って落ち、長い髪が乱れていた。


 やがて、息を整えると、立ち上がり、少しふら付きながら祈りの間から出る。

 この大聖楼は三重の回廊と二階には清めの間がある。


 一番外側の回廊には下女二人が、待機していた。

 出て来たアティアをすぐさま支え、清めの間へと連れて行く。

 アティアを、台座に座らせ、手際よく服を脱がし、清めの水を数度かけ、丁寧に身体を拭いていく。


「……いつもありがとう」


 少し憔悴した顔で、アティアは礼を言った。


「何をおっしゃいますか。当然のことにございます」


 皆、従者たちは口に出さないが、聖女という存在が、行ってきた事が何だったのかを、知らぬ者は居ない。

 いや、今はアノイトスでも、ヒエムスでも、それを知らない者は居ないだろう。


 まさに、神の御業を使う存在なのだと。

 誰からも尊敬され、大事に扱われる。

 時には、余所余所しくさえ感じると、アティアが漏らすほどに。

  

 また、中には恩恵を受けているにもかかわらず、心ない事を言う者もいた。

 魔女だ、魔物だ。怪しい女だ、と。

 そうした事に一抹の寂しさを思えど、ブレる事無く聖女の使命を果たす姿は、聖女が聖女たる所以かもしれない。


「わたくしね、あの日――前王陛下が……その時、どこかで、どこかでこんな苦しい役割から解放されるかも、そう思ってたんじゃないかって……だから、あんな素っ気なく謁見の間を後にしたんじゃないかって……アノイトスの人々を見捨てる事になると分かっていたに……」


 アティアの頬から伝う雫。

 汗でも清めの水でもなかった。


「お止め下さい。自分をそれ以上お責めにならないでください」

「でも! あの方は、性格はどうであれ、操られてたのよ!」

「お嬢様……」


 ヒーロスとの二人旅の間、何度となくその話を語り合った。

 ヒーロスは、泣くアティアを引き寄せ言う。

 誰しも人間一人では限界があると。


 誘惑に負ける事もある。

 楽な方に流れてしまう事もある。

 判断を間違う事もある。

 悪意に巻き込まれる事もある。

 不可抗力で願わぬ顛末を迎える事もある。


 それでも、自身が考える最善の道を、常に模索するしかないのだ、と。

 失敗したと思うなら、そこから学び生かすしかない。

 後悔も懺悔も呵責も、自身で乗り越えるしかない。


 他人は話を聞き、寄り添う事しか出来ないのだから……。


 アティアは、旅すがらの祈りの後は、決まってヒーロスに寄り添われ、自分の思いをぶつけていたのだった。


「さ、お嬢様、お服を召してベッドへ」


 備え付けのベッドに、服を着せられ、半ば強引に寝かされる。


「一刻だけでもお休みになってください」


 アティアは、軽く頷くと、目を閉じた。



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