第2話 闇獣霊の襲来 (1)
ギギギギギ……と、何かが擦れるような音が再び鳴りながら赤い垂れ幕が下がっていく。これにてオークションはおしまい、僕らは無事に買われた。買われたくも無いのに。
僕らの方も案内人とやらに連れていかれる。その際に僕らの枷がどこに繋がっているのかを確認することができた。それぞれの鎖の伸びる先には分厚い金属の輪があり、鍵穴がある。それを案内人が持っていた。
今更になって逆らうこともできないので大人しく連れられて行く。
かなり動ける範囲は狭い。しかし、いくら狭いと言っても通路の関係もあり僕らはステージの上に立っていた時よりも仕方なしに近づくことがあった。
それにカモフラージュするように僕の隣に立っていた青年、つまり僕らを買った人をずっと見ていた青年が急に近づいてきた。そして僕に小声でこう言った。
「あの女、注意しとけよ。何されるかわかったもんじゃない」
「え? ああ……はい」
そんなこと、言われなくてもわかっている。人間をオークションで買うような人間が、まともな人格を持っている訳がない。何かしらの事情があったとしても、その事情はきっと常識外れの事情に決まっている。
それ以降青年が話しかけてくることは無かった。そもそも話すことが無いし、オークション会場内部に入って行けば行くほど、黒いスーツ姿の屈強な男が増えていく。異常な緊張感を持たざるを得ない。
紅いふかふかのカーペットを踏みながら長い廊下を歩く。こんなカーペット、これから先の人生で踏むことがあるだろうか。結論、商品の僕らにそんな道を歩かせる主などいない。所詮人間以下の扱いしかしないのだ。
状況が状況で、暗いことしか考えられなくなっていく。徐々に精神が疲弊していっているのが自分でもわかるほどに、追い詰められていった。
「ここだ、入れ」
僕らを連れていた案内人がとある扉の前で止まる。そして入室を命令した。促されるままに部屋に入る。
まず目に入ったのは高級そうな濃い緑色のソファとガラスのローテーブルだった。そのソファに先ほど僕らを十億で買った女性が、いや、少女がいた。
僕は自分の目を疑った。座っているせいで正確な身長はわからないが僕らよりは遥かに小さい。ステージ上で左隣に立っていた少女よりも小さいだろう。
見た目は十一、十二歳の少女。華奢な身体に毛先の整えられていない藍色の長髪が映える。普通の人間と比べて色白で顔色が悪く、不健康とも見て捉えられる。
他の人は仮面を着けていたが、少女は着けていなかった。煌びやかな服を身に着けている訳でも無い、紺色のローブに身を包んで、その痩せた身体を隠そうともしていた。
一瞬、栄養が足りていないのか? という疑問が浮かんできたがそれは無いはずだ。僕らみたいな身元もわからない人間を十億で買った少女が、日々の食事に困っている訳がない。結局はどれも推測に過ぎないが、こればかりは確信していた。
「カインさん、急に金額を跳ね上げられると本当に困るんですよ……」
先ほどステージ近くで会場を盛り上げていた人とは違う、スーツ姿の男に少女が叱られていた。叱られている当の本人はそれを気にも留めない様子で座っていた。
この少女の名はカインというのか……。
「もう十分遊んだだろう。あれだけ盛り上がれば観客は満足しているはずだ。ほら、早く手続きを進めてくれ。これでもこっちは客だ」
僕らに座る権利は無い。人権を奪われた人間など奴隷と等しく、それにいくら価値があろうとも奴隷という地位からは抜け出せないのだ。主が何か妙な行動をしない限りは。
「客……まぁ大金を払ってくれるルールを守らない客ではありますね。一通りの手続きは終わりました。最後に購入された商品の確認をして、この書類にサインを……」
スーツ姿の男の説明が終わる前に少女は立ち上がった。立ち上がっても尚小さい。こんなことを本人に言ったら怒るのだろうけれど、今は言える状況でも立場でも無いので言わない。でもいつか言ってやる。
今まで注目していなかったが、驚いた点は他にもある。そのうちの一つは瞳だ。
無色透明では無い、僅かに色が入っていると思ったらそれは銀色だった。この照明の光が彼女の目に入る度に煌めいて、新たな色を作り出す。この部屋にある証明はオレンジがかった温かい光を放っているが、それが彼女の瞳に映ると、彼女の瞳も淡いオレンジ色になる。
その不思議な瞳に魅入られて、ずっと彼女を見てしまっていた。これが失敗だったのかもしれない。立ち上がって少し離れたところから眺めていた彼女はそれに気づいた。そしてこちらに向かって歩いてきたのだ。
「……」
僕の前に立ったと思うと、何も言葉を発さずに僕のことを見つめるだけだった。
「な、なんでしょう……?」
「二億五千万の価値があったな、と改めて思っただけだ」
それだけを言って、彼女は再び椅子に座った。そして無言で書類にサインをした。
「はい、これで全ての手続きが終わりました。この人たちはカインさんの所有物ですよ。ああ、どうします? お帰りの際に何か使われますか? 国内であればお送り致しますよ」
「生憎国外でね、悪いが遠慮しておくよ」
「さようでございますか」
これで僕らは正式に彼女に買われた。底にある感情は絶望でも感動でも、期待でも無かった。底にはただ、虚無が居座っているだけだった。
少女は再び立ち上がり、ゆらゆらと藍色の長い髪を揺らしながら僕らの前に来て、じっくりと見つめてからゆっくりと口を開いた。
「カイン・レフローディ。それが私の名前だ。よろしく頼む」
「……」
僕らは誰一人として返事をしなかった。下手な返事を返したら命が無いかもしれない、カインがどんな人物かわからない、色々理由はあるだろうがこれはあまり好ましくは無かった。
「各々の名前は後で聞くことにするよ。警戒心高いし」
「レフローディ……」
カインの苗字を小声で呟いたのはステージ上で僕の左にいた女だった。何か心当たりがあるのか、虚ろな目でカインの方を見ていた。
「私の家を知っているのか? 今時珍しいな。さぞ歴史が得意か、仇の苗字かは知らないが知っていてくれてどうもありがとう。
「っ……はぁ」
マリオネットという言葉に酷く反応し息を詰まらせて、そのままため息へと変わった。彼女にも彼女なりの事情と理由があるのだろう。それに自分から足を踏み入れるようなことはしたくない。
「ところで案内人」
「なんでしょう?」
「この場所で魔法を使用しても構わないか?」
「ええ、勿論です。そういった商品も扱っておりますので、建物自体に耐性はありますよ」
「それはどうも。では早速帰るとしよう」
魔法? 魔法なんてもの、あっただろうか。
どうしてだか、ここに来る前の記憶が一切無い。そんな僕にとってこの世界で起こりうる全てのことが常識か、常識外れかなんて判断しようが無い。
「さあ名も知らぬ少年少女、私の家に案内しよう。家といっても別荘だがな」
カイン含めて五人の足元に、小さなオレンジ色の円が広がっていく。人一人分入れるのがやっと、というサイズになったところで大きくなるのをやめて、細部を刻みだす。それは線となり、記号となり、文字となる。
『
その呪文のような言葉を聞き終えた途端に、視界の全てが光に覆われて、思わず目を瞑ってしまった。それとほぼ同時に衝撃と痛みが襲ってきて、落ち着くまでは動くこともできなかった。
「やはり抵抗力が無い人間には酷か」
カインの声がする。まだ生きている。
恐る恐る僕が目を開けると、先ほどの風景とは全く違う場所に居た。青々と生い茂る草原に、風に揺られる花。頬を撫でる風がくすぐったいが全く不快じゃない。
ここは、どこだろうか。
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