息子の恋人

@naranjaja

第1話

 『年末に帰省する』と息子の慶太からメールが届いたのは12月の初め頃だった。東京で働く慶太が宇都宮の実家に帰省するのは2年ぶりのことだ。決して遠くない距離なのに、いつも忙しいからと帰って来たがらないのだ。

 慶太からのメールを見て知子は少し違和感を感じた。慶太らしくない。普段は滅多に実家に帰らない慶太だが、帰って来る時はいつも突然だ。『今から帰る』とメールが来て3時間後には家に着いている。計画性がないのは子どもの頃から変わっていない。さっさと済ませてしまえばいい事を先送りにしてしまうのだ。こんな調子で会社で大丈夫なのかと知子は少し心配してしまう。

 ともかく慶太に電話してみよう。メールのやりとりではモヤモヤするばかりだ。


「もしもし、久しぶり。母さんだけど…。元気?年末って何日に帰ってくるか決まっているの?」

「元気だよ。えっと…30日くらいかな?」

「わかった。お正月もこっちにいられるんでしょ?」

「うん。たぶん。ところでお節料理って作るの?」

「そうねぇ、慶太が帰って来るなら作ろうかな。」

「ふーん…」


曖昧な返事をして慶太は言葉を濁し、短い会話をして通話は終わった。


ふう、と知子は軽くため息をつく。慶太に聞きたい事は山ほどある。

ちゃんとごはんを食べているのか。

仕事はうまくいっているのか。

休日は何をして過ごしているのか。

恋人はいるのか。

結婚は…


聞きたいけれど聞かないほうがいい事だ。誰だって私生活を根掘り葉掘り質問されるのはいい気がしないものだ。しつこく詮索して嫌われたくないし。

それよりもお節料理を作る計画を立てよう。最近はずっと手抜きだったから、要領よくできないだろう。乾物は早めに買っておかなくちゃ…。知子は作る物を書き出して、買う物リストを作り始めた。


 慶太からの2度目のメールが来たのは、日曜日の朝だった。

『今度帰るとき 紹介したい人がいるから。あとお節料理作るの手伝うから29日にかえる。』

 まだ布団の中にいた知子は一瞬息が止まるほど驚いて、隣で寝ていた昭夫を叩き起こした。昭夫は知子から差し出された携帯電話を見るとニヤリと笑って言った。

「紹介したい人って彼女だよな?結婚の話かな?」 

たぶんそうだろう。それ以外には考えられないと知子も思った。



 12月29日は雲ひとつない、よく晴れた寒い日だった。まさに青天の霹靂という表現がぴったりの日だ。

 慶太が連れてきたのは、すらっとして背が高く、落ち着いた感じの青年だった。

 リビングのソファに慶太と並んで座ったその男の子はハジメと名乗った。

一緒に暮らし始めて1年になるらしい。ずっと一緒にいたいと言った。

 一体どうなっているんだろう。知子の頭の中は真っ白だった。昭夫も同じだ。2人とも慶太の恋人に会えるのを楽しみにしていた。今日のために家中の大掃除をして、床にはワックスをかけ、カーテンも新調した。孫が出来るかもしれないと気の早い妄想をしてデパートでベビー用品を物色したりもした。どんな子を連れて来ても喜んで応援しようと決めていた。慶太が選んだ子で、慶太のいいところを分かってくれている子だから絶対にいい子に決まっている、と。

 その日の夕食は出前で寿司を取り、翌日からお節料理を作ることになった。知子は明日使う乾物を水で戻し、出汁を作ってから寝室に向かった。ハジメをどう思うか昭夫に聞きたかったが、昭夫は聞かれてはまずいというように唇に指をあてた。

 翌日は朝から4人で買い出しに行った。卵や肉、野菜、エビも蒲鉾もいくらも買った。みかんや餅も多めにあった方がいい。買っても買ってもまだ何が忘れている気がしてならない。慶太は缶ビールやカップ麺もカゴに入れている。ハジメは話し上手で明るい子だった。買い物をしながらこっちの方がお得だとか、これは新鮮だとか言いながら真剣に考えてくれる。すぐ「どれだって同じでしょ?」というウチの男性陣とは大違いで、一緒にいて楽しい。大荷物を車に積んで帰るとキッチンは物で溢れた。買ってきた物を片付けるだけでも一仕事だ。

 家に帰ってからもハジメはお節料理の準備を率先してやってくれた。さつまいもの裏ごしなどの力のいる作業も、にんじんの飾り切りも。もともと料理上手なのか手際がいい。今日は煮物メインで明日は焼き物。お節作りの合間に今日のお昼ごはんも作って夜はカレーでいいや。忙しく動いていると余計なことを考えずにすむ。

 ハジメはすごくいい子で、料理も上手。でも私たちに孫を抱く日は来ない。ハジメが悪いわけでも慶太が悪いわけでもない。


 大晦日は知子とハジメがお節作りをしている間に、慶太は大掃除だ。滅多に帰省しないのだから自分の物を少し整理しておきなさいと知子が言ったら、昭夫も家中から慶太のものをかき集めてきて2人で捨てる物とウチに置いておく物と東京に持って行く物に分けている。お節作りがひと段落したので知子とハジメも加わってアルバムを見たり、懐かしい漫画を見つけたりしてあっという間に時間が経っていた。

 夜になってから知子は忘れていたことに気がついた。

「大変!年越しそば用意してない…。買いに行かなきゃ。天麩羅も揚げて…。」

大慌てで買い物に出ようとすると慶太が呼び止めた。

「昨日買い物に行った時、俺ちゃんと買ったよ。」

 そばなんて買ったかしら?少なくとも冷蔵庫の中には見当たらない。慶太はキッチンのストッカーをガサゴソ探し、満面の笑みでカップ麺を出してきた。

「ほら、緑のたぬき。ちょうど4個だよ。」

知子も昭夫もハジメも一瞬固まった。年越しそばがカップ麺でいいだろうか?

大きな笑い声で沈黙を破ったのはハジメだった。

「あはは、慶太のそういうところ 大好き。」

まぁいいか。知子も昭夫も慶太のこんなちょっとピンボケなところがかわいいと思っている。それをハジメは分かってくれている。

 4人は緑のたぬきを年越しに食べた。いつまでもこんなふうに楽しく過ごせますようにと願いながら。







 









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