第36話 闇から逃れて
低い呻き声と共に、六体の化物が動き出した。
六体が廊下一杯に広がって、所狭しと向かってくる。身体を壊れた玩具のように震わせて歩く様は、何とも不気味でゾンビ映画のワンシーンを思わせた。その動きは意外と俊敏で、両者の距離はあっという間に縮まってしまった。
「――!」
化物達の予想外の動きに、二人は息を飲んだ。九十九は、紫乃をかばうように前に立つが動くことが出来ない。六体の化物が九十九に殺到し、長い爪の生えた手を伸ばした。
「くっ……!マロンッ!」
紫乃は、咄嗟に黒猫の名を叫んだ。マロンは瞬時に紫乃の声に応え、眼を光らせた。
化物の手が九十九に触れようとした瞬間、マロンが鳴き声を上げた。剃刀の如き超高音が空間を
「ぐぁあああっ!痛ってぇええっ!」
マロンの鳴き声を真正面から受けた化物達は動きを止めてよろめき、長髪の男は絶叫しながら耳を押さえて腰を折った。
「今の内だっ。行くぞ、紫乃!――おい、猫!」
九十九は、紫乃の手を引いて走り出した。振り返ってすぐの階段を三階に向かって上っていく。追いついた黒猫マロンが、九十九の身体をよじ登って頭にしがみ付いた。
「……ど、どうしましょうっ、九十九先輩……!」
九十九に手を引かれて階段を上りながら、紫乃が不安気に聞いた。
「ハァ……ハァ……咄嗟に逃げちまった。三階に行くしかねぇ」
この校舎は幻術に掛けられ、
「くっそ……流石に生身で戦ってどうにか出来る相手じゃねぇよな……」
「……ハァ……ハァ……馬鹿なこと考えないで下さいね……」
二人は三階へ着くと、足を止めず息つく間もなく廊下を走る。二年A、B組を通り過ぎてC組の教室の前で立ち止まった。そう言えば、と戸の小窓から中の様子を確認する。靄の姿は無く、教室内は無人だ。
「誰もいないっ……!」
勢い良く引き戸を開け、倒れ込むように教室内に入ると戸を閉め、息を整えた。
「ハァ、ハァ……C組は移動の日だ。ふぅ……助かったぜ。ん……紫乃?何やってんだ?」
教卓側の引き戸の方へと慌てて走る紫乃に声を掛けた。
「……ハァ……ろ、籠城です……鍵だけじゃ……すぐに突破されちゃう……ので」
紫乃は、九十九の方へと小走りで駆け寄りながらそう言うと、教室後ろの引き戸に紙片を貼り付けた。その紙片には、またしても不思議な字が書き込まれている。鬼という漢字、その右の払いの中に小さく絶と書かれている。
その紙片は貼り付けられると、紙は戸に溶け込んで消え、字だけが残った。その字を囲うように円が現れ、その円から戸全体を縛るように枝の如く墨が張っていく。
「結界……みたいなもんか?」
「……そんな強力なものでは無いですけどね。簡易ではありますけど、呪的な障壁を展開しました」
「……すげぇな」
「……ぜ、全然大したものじゃないです。先生に比べたら……」
思わず漏れた、九十九の率直な感嘆の言葉を、紫乃は手を振って否定した。紫乃の反応に九十九は思う所もあったが、今は心の内へと押し込んだ。
「無いよりは全然良い。助かるよ。それにしてもあの化物……」
「……はい。式神だと思いますが、私も初めて見たので何とも……すみません」
「そうか……でも、俺が見てもやべぇってのは分かった。くそっ、ロン毛野郎……あの化物で俺達を捕まえる気だろうが、それだけで済むとは思えないぞ」
肝が冷えるほど恐ろしい風貌。苦悶の表情と人ならざる異質の呻き声。あの姿を思い出しただけで身が震えた。捕まれば、命はあっても精神に支障を来すことは間違い無い。
「……そうですね。あの人が御しきれているのか疑問です……」
「自分で呼び出しておいて制御出来ないなんてあるか?」
「……あれほど強い怨念を抱えた式神ですから……それも七体です。使役者もそれ相応の力量が必要なはず……でもあの人が……?」
「釣り合いが取れてないって?」
「……そうですね。一言で言えば」
紫乃の言うことが正しいかどうか、九十九に判断することは出来ない。だが、あの男が高い能力を持った使役者かどうか、という点については素人ながら同意見だった。あの風貌に振る舞い、言動。どこをとってもそこらのチンピラと違いなく思えた。見た目で判断してはいけないことは分かっているが、どうしても疑問が拭えない。もしそうであるなら、術者に近付ければ、どうにか出来るかもしれない。
「ロン毛野郎ぶっ倒したら、式神の方は消えるか?」
「……普通なら。ですが……式神と術者の格の差が大きければ、式神は術者の元を離れ、暴走してしまうかもしれません」
「首輪外すようなもんか……」
使役者を制圧したとしても、その後に暴走した式神が残っているかもしれない。二人であの式神の相手が出来るか。それ以前に、能動的に行動する式神の隙を衝いて、術者に近付くことが出来るのか。尤も、どれもこれも仮定の話だ。全てが見当違いの可能性も十分ある。
「くそっ……!」
九十九は右手を苦々しく見つめた。鬼面との戦いの時に現れた剣。あの剣を使えれば少しは戦力になれるかもしれないが、どうすれば剣は現れるのか。あの時もいつの間にか剣を握っていた。九十九自身が望んだわけではない。あの時、何を考えていただろう。感覚は?或いは何かきっかけが無かっただろうか。いくら思い返しても皆目見当がつかなかった。
ただ、この校舎に飲み込まれてから感じる右手の僅かな痺れは、一体何だ。九十九の身体の奥底の、何かを揺り起こそうとしているかのようなこの振動は――一体何だ。
「九十九先輩」
はっきりとした声。九十九は、思考から引き戻されて慌てて頭を上げた。
じっと九十九を見つめる紫乃に少なからず驚く。こうやって向かい合ったのは初めてかもしれない。紫乃の表情は強張っているようにも見えた。しかし、怯えでは無さそうだ。俯くことなく色素の薄い唇をぎゅっと引き結んでいる。サングラス越しでも力強い視線をはっきりと感じることが出来た。
「もう話している時間は無さそうです。私が……私が式の相手をします」
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