第34話 来訪者

 突然照らされた廊下。光源は分からない。まるで暗室のような赤橙色の妖しい光で、九十九と紫乃の周りは照らされている。しかし、廊下の奥までは見渡せない。未だ闇に包まれている。

 その廊下の奥の暗闇から、何者かがこちらに近づいていた。コツ、コツ――っと靴が床を叩く音が響き渡る。

「……」

「……」

 息を殺して、その者を待った。味方である可能性は低いだろう。二人は自然と身構えた。早鐘を打つ鼓動がやけに大きく聞こえ、緊張が高まっていく。九十九の腕の中の黒猫は例外で、安らかな寝息を立てて眠っていた。

 やがて、その者が赤橙色に照らされた領域に入り、姿を現した。

 スーツを着た長髪の男だった。肩まで掛かる髪は、この赤橙色の光にも負けないほどの濃い赤色に染め上げられている。黒地に白のストライプのオーバーサイズスーツ。ワイシャツの胸元は大きく開き、首からネックレスを下げていた。傍から見れば、とても堅気の人間とは思えない身なりだ。ポケットに手を突っ込み、背を仰け反らして歩く男は、二人の数メートル手前で足を止めた。

 近くに来ると、男の体躯は九十九とそう変わらない。歳もまだ二十代前半といった所だろう。男は眉を吊り上げ、冷ややかな表情を二人に向けた。

「んあ?二人いるじゃん。何で増えてんだよ」

 男は紫乃を見て目を細めた。

「おい、グラサンのお前っ。そう、嬢ちゃん。嬢ちゃん誰だ?」

「……私はここの生徒です」

「は?んなもん見りゃ分かるわ」

 九十九は、紫乃の手を引いて隠すように前に立つ。両腕を独占していた黒猫は片腕で抱えられ、抗議の鳴き声を上げた。

「ここは学校なんだ。いても問題ないだろ。あんたこそ誰だよ」

 九十九がそう言い放つと、男は首を傾げて白い目で九十九を見た。

「言葉遣いがなってねぇな、クソガキ。少し黙ってろや」

「何だとっ……」

 長髪の男への苛立ちを露にする九十九。一歩詰め寄ろうとした時、上着の裾を引かれているのに気付く。後ろに立つ紫乃だ。振り返ると同時に紫乃は口を開いた。

「……これ、貴方の仕業ですか?」

 紫乃は廊下の窓、そこにへばり付く異形を指差した。

「はぁあ?この怪異が!俺っ!?んなバカげたこと出来るわけねぇじゃん。てか、俺の質問に答えろよ」

 男は腰を折って顔を突き出すと、おどけるように言った。

「……で、ですが呪いについて何かしら知っているようですね。関係者であるのなら説明をお願いします」

 男は何のことか、とは云わず、出来るわけがない、と云った。現在の状況が、誰かしらの手によって引き起こされていることを暗に示唆していた。紫乃の中で、男は関係者と断定された。

「あのな、お嬢ちゃん。人の話を聞けよ?質問してるのは俺だぜ?」

「……いいえ。貴方が答えるべきです。貴方が学校関係者でないことは……恰好を見れば明らかですね。そもそも、貴方は何故ここにいるのか、説明する必要があると思いますが」

「……結構、グイグイいくのな、お前」

 九十九はつい口を挟んでいた。自分と話している時よりも、何故か饒舌じょうぜつになっている事実に驚きを隠せなかった。

 男は、苛立たし気に長髪をかき上げ、首に手を置いて頭を回した。

「だからよぉ……ちっ、めんどくせぇ……だからガキは嫌いなんだよ。もういいや。おい、お前だけこっちに――」


臣桐会しんどうかい


 男が紫乃との会話を切り上げ、九十九に指を差しながら声を掛けた時だった。紫乃が発した一言で男の動きが硬直した。

「えっ?」

 九十九は、男の様子を見てから振り返って紫乃を見た。紫乃は身じろぎせず、男をじっと見据えている。

 男は腕をだらんとさげると、顎を突き出し剣呑な顔で紫乃を見下ろした。

「……もう一度聞くぞ。お前は何者だ?」

「……わ、私は陰陽師……見習いです」

 紫乃は徐々に語気を弱めながら言った。陰陽師、と名乗るのはまだ憚るのか、九十九に言ったのと同じように見習い、を付け加えて。

 男は、斜め下に顔を落とし、眉間に皺を寄せ、難しい顔をしながら虚空を見つめている。

「兄貴が言ってたのはこれか……ちっ!簡単な仕事の筈がよ……」

「……貴方っ……!」

 男の言葉を聞いた紫乃は、どうしてか動揺していた。九十九には、その反応の理由が分からず、ただ紫乃と男の様子を窺うばかりだった。

「そうか。まさか、こんなガキがな……道理で幻術に掛からねぇわけだよ。どうやって嗅ぎ付けたんだ?あ?」

「……あっ……うぅっ……」

 目を剥いて語気を強める男に、紫乃はたじろいだように身を竦めた。九十九の袖をぐっと握りしめている。僅かに震えているのが九十九にも伝わった。

「おいっ!この野郎っ。あんたがこんな悪趣味なことしやがったのかっ」

「あぁ?」

 男は、首を捻って九十九を睨みつけた。

「……つ、九十九先輩……!」

「何でこんなことしやがったっ?外の侍とも関係あんのかよっ?ってか、さっさとこの化物どうにかしやがれっ!」

 九十九は、男に向かって声を荒げた。張りつめた空気が流れる。紫乃が心配気な表情で息を飲み、驚いた黒猫が耳を忙しなく動かしている。

「……うるせぇガキだな。俺にはどうにも出来ねぇよ。それに、外のアホは知らん。言うこと聞きゃしねぇ……」

 やはり、外の侍とも繋がりがあるようだが、その関係は決して良好なものではないらしい。苦い顔でそう吐き捨てるように男は言う。

「……貴方でないなら、この幻界を創り出しているのは誰なんですか?」

 紫乃が聞くと、男はガクンと首を下げて深い溜息を吐いた。

「はぁー、疲れたわ。お前らに答える義理はねぇよ……もう、さっさと終わらせちまおう」

 男がうんざりした様子で言った直後、その背後で動きがあった。

 男の身体の輪郭が、ぼんやりと黒に覆われていく。その黒が何であるか、九十九には分からない。ただ不吉な感覚が襲い、右手には僅かな痺れを覚えた。

「どうするか……両方連れてくか……いや、嬢ちゃんは殺した方がいいか」

 男を縁取っていた黒が周囲の空間を浸蝕し、徐々に面積を拡げていく。そして、男を境として明暗がはっきりと分かれた。余りの暗さに滑り落ちるような錯覚に陥る。それほど深く、黒い闇。

 男は、おもむろに両手を広げた。指の間には紙片を挟んでいる。右手の指の間に三枚、左手に四枚の紙片。そして、ゆっくりと指を開くと、紙片は男の元から離れ、男を取り囲むようにぼんやりと浮かんだ。

「なっ……!」

「……あれはっ……呪符!?」

 紫乃が、驚きの声を上げ身じろぐ。

「さぁ、出て来い」

 男は目を見開いて、せせら笑った。

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