第33話 幽鬼の抵抗

 猪の如く息を荒げる槍使い――三浦義也みうらよしやに、型や構えなど最早無用の長物であった。死の淵にあって平静さは失い、六尺(一八〇センチ)を優に超える体躯と怪力で、豪槍をただ振り回し続けている。その眼に映るのは、目の前の剣客唯一人だ。

 対する剣客――佐々木累ささきるいは、無駄の無い動きで三浦の槍を躱していく。怪力によって生まれる速度と空気をかき乱すほどの威力。三浦の槍は、当たれば抜群の破壊力を持っていることは確かだろう。しかし、躱す累の動きには迷いが無かった。

 平静と共に失われた技の妙。直線的で大ぶりな払い。片手で放つ突きは管槍の利点を完全に殺している。これでは棒切れを振り回しているに等しく、避けるのは造作もないことだった。

「……まるで児戯だな」

 躱しながら累が呟く。足元をふらつかせ、滑稽に槍を振り回す姿に哀れみさえ覚えた。

「ぐぅっ……はぁっ……何だどぉ!?……糞ぉ……糞っ!死ねや゛ぁあああっ!」

 三浦の獣にも似た絶叫が轟く。槍を持つ太い右腕に震えるほどの力が籠もる。そして槍を勢い良く振り被り、斜めに振り下ろした。

 槍は空気を割りながら、低く鈍い音と共に累に迫っていく。近づく槍を前に、累はその場から動かない。左半身を前に出し、脇構えで槍を迎えた。

 累は、槍の穂に刀の刀身をぶつけた。食らいつくように力強く。キィン――と高く鋭い音が鳴った。

 刹那、両者の視線がぶつかる。累の迷い無く、真っ直ぐな眼。それを見た三浦は微かに眼を見張った。

 刃と刃が交差し滑る。累は刀を振って槍を弾いた。三浦の怪力を持って振るった豪槍。しかしそれは、累にいとも容易く弾かれ、返された。

 これだけ身体の筋肉量に違いがありながら槍を返せたのは、偏に身体の均衡の差にあった。三浦は最早、前後不覚となりふらつきながら膂力りょりょくで槍を振るっていた状態に対して、累は左半身を前に刀を構え、丹田に集中して身体に一本の棒が通ったように重心を取った。それによって四肢に的確に力を伝える事が出来た。累が地深くに根を張った巨木であるならば、三浦はゆっくりと回転する倒れかけの独楽だった。

「――!」

 外側に弾かれた槍。三浦の体勢が崩れる。身体は大の字に開いて、後方に大きく仰け反った。累は瞬時に刀を頭上に掲げ、上段に構えた。

「はぁあっ――!」

 振り被った累は気合いの声を上げて、三浦の胴を肩から斜めに斬り払った。


(浅いっ……!)

 刀を振り抜いた瞬間に感じた違和感が、電流の如く脳に駆け巡った。確かに刃が肉を斬った感触はあったが、抵抗を感じた。これでは、致命傷には至っていない。すぐさま刀を切り返すも、二の太刀は叶わなかった。

「――うっ、ぐぅっ……!」

 三浦は一歩後退するも倒れず、累が二の太刀へ移行するよりも早く累の首を鷲掴みにした。がっしりと頸部を圧迫され、吐き気が込み上げる。空気を求めて自然と顎が上がっていた。

「はぁ……んぐっ、はぁ……はは、はっはっはぁっ!この鼠がぁっ!ようやく捕まえたぜっ……!」

「ぐっ……はっ、あっ……!貴様っ……胴丸を……」

 累は、三浦の胸元に素早く視線を走らせる。荒々しく上下する胸。はだけた小袖の隙間から朱色が見える。三浦は、はだけた小袖の下に胴丸を着込んでいた。朱の他に白や金といった色が散りばめられた絢爛な鎧だ。

「はっはっはぁ!……飾りで着てただけだが、使えるもんだなぁ……!」

 三浦が装備する胴丸は、大部分が鉄では無く革で造られており、防具というよりも装飾としての意味合いが強いものだった。しかし胴丸の一部、胴部分や背面には鉄が使われた金交かなまぜと呼ばれる手法で仕立てられており、鉄板が使われた部分に関しては、一定の防御性を発揮した。累が斬った脇腹部分は革製で刃が通ったが、袈裟斬りにした胴部分は混ぜられた鉄板によって防がれ、致命傷には至らなかったのだった。

「浅すぎるぜっ、剣客さんよぉっ!!」

「――!」

 累の身体は軽々と持ち上げられ、地面から足が離れた。三浦は、腕を振り上げると、真下へと振って力任せに累を地面へと叩きつけた。

「がっ――はっ……!」

 強かに地に身体を打ちつけた。地面と接触する瞬間、ゴッ――という鈍い音が骨に響いた。視界がスパークしたかのようにチカチカと明滅している。累の顔は苦悶に歪むが、すぐに追撃が襲い掛かった。

「ふぐぅうっ!!」

 三浦の爪先が腹を深々と抉る。身体が衝撃で僅かに浮き上がり、後方に吹き飛んだ。鞠のように転がり、砂が肌を打つ。昇降口前の道とグラウンドを隔てる樹にぶつかって、ようやく止まった。


「はぁ……はぁ……ふっ、刀は離さねぇか……ご立派なことだ……」

 三浦は血が混じった唾を吐き、ノロノロと累の元へ近づいていく。

「ぐぅ……ぐっ……!はっ、くぅ……はっ……!」

 尋常ではない痛みが腹を襲う。息を吸いたくても吸えず、浅い呼吸を繰り返す。唾液が口から漏れ地面を濡らした。

「……っつぅ!痛てぇ……糞っ!たかが町道場の牢人風情がっ!調子に乗り過ぎだ……!」

 累はうずくまりながら横目で三浦の姿を見た。近づいている。すぐに立ち上がり、刀を構えなければ。しかし、当の身体がそれを拒絶するように痛みを訴えている。身悶えするばかりだ。

「ふっ、んぐ……ぐうぅ……!」

 唇を噛んで身体に鞭を打つ。口端くちばたから血が一筋流れた。

(起きろっ……立ち上がれっ……!)

 身体に檄を飛ばす。地面に手をついて身体を持ち上げるも、手が震え上手くいかない。さらに刀を地面に突き立てて、ようやく上半身を起こすことができた。その頃には三浦はすぐ傍まで近づいていた。

 総髪を後ろに撫で付けた髪は乱れ、大粒の汗を流している。呼吸は荒く、息をするごとにごぼごぼと血を吹く。まるで幽鬼のような顔で累を見下ろした。

「っふぅ……しぶといじゃねぇか。忌々しいっ!」

 突き立てた刀を支えに片膝を立てて座り、三浦を仰ぎ見る。息は乱れ、大量の汗を垂らしながらも血走った眼で睨みつけた。

「……それは……貴様だっ……獣め」

「てめえ……!何だその眼はぁああ……」

 累の眼を見た三浦は怒りに震え、般若の如き相貌へと表情を歪ませた。

「っふ……良い表情をするではないか……外道に堕ちた者の……醜悪な顔だ」

「……くっ、はは!外道か……いいじゃねえか。悪くねぇ……!」

「ごふぅっ――!」

 三浦は、累の顔面を殴りつけた。右頬に強烈な衝撃が走る。顔の骨が軋んで悲鳴のような音が聞こえた。まるで槌の一撃だ。口の中一杯に鉄の味が広がっていく。身体は仰け反って血を噴きながら地面に頭を打ち付けた。

「がっはぁっ!」

 さらに三浦は、再び腹を蹴り上げた。胃液がせり上がって喉を焼き、堪えきれず吐き出した。吐瀉物のえた臭いが鼻を突く。累は身を捩って腹を押さえた。まるで穴が開いたかのような感覚に襲われる。

 三浦は、構わず累の胸倉を掴んで力任せに身体を起こすと、腕を引いてぐっと顔を引き寄せた。互いの顔が近づく。累は浅い呼吸を繰り返して、虚ろな瞳で三浦を見た。

「まだ死ぬんじゃねえぞ……気が収まらねえからよ……!」

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