第31話 死合い

 のっぺりとした灰色の雲の下、薄暗い視界の中で、剣客と槍術使いの死合いが始まった。

 空気を切り裂く音が累の耳に届く。三浦の怒涛の槍術が、あられの如く累を貫かんと襲い掛かってくる。

 三浦は累の刀の間合いの外から突き、払い、懐に入らせんと攻撃を仕掛けてくる。それに対して、累も懐に潜り込もうと、隙を探りながら繰り出される穂先を捌いていく。しかし、一筋縄ではいかなかった。


 刀と槍の戦いでは、圧倒的に槍が有利だ。その長い柄を持ってして相手の間合いの外から一方的に攻撃することが出来るからだ。それが、さらに柄の長大な大身槍ともなれば他の近接武器とは隔絶した距離の間合いを誇る。しかし、その長さに比例して重量も増し取り回しも困難になる。常人が扱えるような得物ではなかった。だが三浦が振るう槍は、柄が二丈(六メートル)に穂は二尺(六〇センチ)を優に超えるほど長い。間違いなく大身槍に該当していた。それを軽々と、傍から見れば枝の如く振り回している。驚異的な膂力りょりょくだった。そして、驚くべきは怪力だけではない。

「……くっ!」

 次々と繰り出される高速の突き。三浦の身体の動きから軌道を予測し、切先で僅かに往なし弾く。どうにかその穂に食らいつき、三浦の体幹を崩したいが容易ではなかった。

 中段に構え一直線に槍を突き出し、引く。この突き出しの際に手首を捻り槍を巻く。これによって、突きは絶大な威力と貫通力を得るが、三浦が持つ大身槍のような、長く重量のある槍で安定した刺突を行うことは非常に難しい。にも関わらず、三浦が放つ刺突には異常な回転が掛かり、穂が螺旋を描いているのが分かるほどの力が加わっていた。そんな突きが既に幾本も放たれていた。

 さらに鉄砲の如く突き出された穂は、超常の速度を持って三浦の元へ引き寄せられていく。累の刀は三浦の槍を捉えることが出来ずにいた。

「はあ……はぁっ……!」

 次第に累の息が上がっていく。累の刀が三浦の槍の穂にほんの僅かに触れる度に、その衝撃が直に伝わり、累の身体には疲労が蓄積していった。

「おら、おらぁっ、さっさと貫かれちまいな!」

 三浦は突きを繰り出しながら大声で笑う。異常なほどの静けさが支配する空間で、その笑い声が鐘のように脳内に木霊し苛立ちが募る。

「ちぃっ……調子に……乗りおってっ……!」

 累は身体中を駆け回る苛立ちを抑え込みながら、大身槍の穂先に神経を集中させ、切先を細かく動かし続けた。


 三浦の刺突は留まるところを知らず、絶えず突き出されるが先に比べると幾分緩慢になってきたようだ。それでも高速であることには変わりないが、突き出しと引きの間隔の開きが僅かに大きくなったように感じた。

 累はこれを機として攻勢に出た。三浦の槍が突き出され、最大射程に到達した瞬間に小太刀を振り抜き、三浦目掛けて投擲。同時に累自身も駆け出した。

「っ!」

 累が放った小太刀は正確に狙ったものでは無いが、三浦は僅かに反応し隙が生まれた。その時には、累は三浦の間合いの内側へ潜り込んでいた。

「はああぁっ!」

 刀の切先を地面に擦るように脇構えで駆け寄り、腕を振り上げて上段に、三浦の額目掛けて刀を振り下ろした。

 しかし、累の腕に伝わるのは硬い感触。聞こえたのは鉄同士がぶつかり合った時の高音だった。振り下ろした刀身を受け止めたのは、三浦の二尺にも及ぶ槍の穂だった。

「ぐぅっ!」

「おぉ、危ねぇ」

 三浦は、片方の口角を引き絞るように上げて笑った。

 累は目を見開いて、槍の柄から穂先へと目線を走らせた。まさか槍の引きが間に合うとは、と内心の驚愕を隠せない。

「ふっ……ぐっ!」

「……」

 そのまま鍔迫り合うも、力勝負では分が悪い。三浦は累の刀を涼しい顔で受け止めている。

 暫し押し合うも三浦は累の刀を跳ね上げ体勢を崩すと、自分の間合いから追い出すように石突で腹部を突いた。

「がっはぁっ――!」

 累は後方へと勢い良く突き戻された。砂煙を上げながら身体が転がっていく。

「はっはっはぁ!驚いたねぇ。俺の突きぃ、捌くんだもんなぁっ。やるじゃねぇか」

「……はっ、はぁ……くそっ!」

 鳩尾を突かれ、息が止まるほどの激痛が襲う。累は堪えながら地面に刀を突き立て立ち上がった。

「貴様にこれほどまでの技量があろうとはな……つっ……」

「舐めてもらっちゃ困るぜ?こちとら天下の徳川幕府旗本だ。餓鬼の頃から仕込まれててなぁ」

「……ふっ、直参旗本が今やゴロツキとは……御家の恥だな」

「ふははっ!たかが別式・・如きが言ってくれるじゃねぇか」

「彼女らは優秀だ。貴様より強いぞ」

「ほざけやっ!」

 三浦は槍を真横に突き出すと、半円を描くように地面に滑らせた。穂先がガリガリと地面を抉り、土を砕く。半円を描き終えると槍は折り返し、砕いた土を掬うように払うと砂塵が濛々と巻き上がる。

 累は、羽織で鼻と口を押さえながら目を細めた。中空に立ち込めた砂煙が視界を塞ぐ。三浦の姿も完全に覆い隠された。

「……」

 未だ痛みの残る鳩尾を手で押さえながら辺りを窺う。眼球を忙しなく動かして、煙の中を探った。

 視界全体に広がる砂の粒子。一瞬の静けさ。まず異常を察知したのは耳だ。ゴウッ、とこもった音が聞こえるや否や、累は身体を真横に投げ出していた。直後、急速に砂塵が渦を巻いて膨れたかと思うと、その渦を槍の穂先が貫いた。超高速に回転する槍は、砂塵さえも巻き込んで渦を形成していた。穂先が通過したのは、さっきまで累が立っていた位置。身体の反応が遅れていれば、頭部は確実に貫かれていただろう。

 累は三浦の思惑を察すると、起き上がって倒れ込んだ方向へと勢い良く駆け出した。


 この砂煙、累だけでは無く三浦の視界も当然奪うものだが、槍の間合いの優位性は崩れない。おおよその位置に当たりを付け、出鱈目に突きを繰り出しても、視界を奪われた相手の身体を貫くのは容易いことだろう。そして、この静けさ。動けば思いの外大きな音になる。その音の方へ突きを繰り出すだけでいい。累も、この視界では刀で対応することは出来ない。三浦は、己の視界と引き換えに累の刀を奪ったのだった。

 累は、出来る限り身体を低くして砂の中を駆けた。音を察知した三浦が突きを放つ。累が通った軌道上を交差するように槍の穂が走った。三浦の刺突が徐々に迫る。が、その刺突が身体を捉える前に累は砂塵の中を抜けた。視界が開け、三浦の姿も確認出来た。累はそのままの速度で、弧を描くように三浦の元へ駆け寄った。

「鼠か、てめえはっ!」

 三浦は音の方向で累の位置を読んでいたのだろう。既に槍は突きの動作を終え、手元に引き戻されている。槍を持った右腕を左の肩口へと回し、迫る累目掛けて真横に斬り払った。

 しかし、払った槍が累を捉えることは無かった。

 累は膝を折り曲げ背を反らせ、迫る槍の下を潜るように避けた。鼻先すれすれに穂が通り過ぎる。倒れる寸前、左手で鞘のこじりを地面に突き立て支えると左手に力を籠め、上体を持ち上げた。

「何だよっ、そりゃあ!」

 三浦と累。彼我の距離は、刀の間合いにまで近づいていた。槍を真横に払った三浦の脇はがら空きだった。累は刀を右脇に構え、逆袈裟に振り上げた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る