第19話 奇怪な者

「もう、これ以上は答えようがないぞ、小島」

「小島さんね」

 椅子の上で胡坐をかく累は、正面に座る小島に言い放った。

 住宅街から場所を移し、累は墨田区内の交番に連れて来られていた。四畳半程度の狭い詰所に向かい合う二人。小島は額に手を当て、指で机を一定のリズムで叩いている。

「えー……出身が下総しもうさの……古河?で家族無し。歳は二十歳。今は親戚の家にいると……携帯電話も持ってないし、住所も分からない。どうしたもんかねぇ……それ模造刀だよねぇ?そんな持ち方しちゃだめだよ。コスプレもほどほどにしないと」

「全く言っている意味がわからん」

 累は、ここに来てからこの調子でわからん、と大体の質問をやり過ごしていた。事実、小島は累にとって理解不能の言葉を話しているのだから嘘ではない。しかし、小島の口調はそこまで深刻ではない。刀をあらためられることもなかった。玩具か何かかと思っているらしい。後は、身内に保護してもらう必要があるとのことだ。だが、この時代での知り合いといえば九十九しかいない。連絡手段も無く、どこにいるのかもわからない。もう話せることはなく、そっぽを向くしかなかった。

「んー、まぁ成人してるしねぇ。でも親戚の人がいるなら伝えておきたいんだよなぁ……」

 小島は、ボールペンのノック部分で、頭をがりがりと搔きながら渋い顔をして呟いた。

「なぁ、小島よ。何故、親戚を呼ぶ必要があるんだ?」

 累は、腕を組んで目を瞑りながら言った。

「小島さん。佐々木さんのことを伝えて、ちゃんと見ててもらわないと。またそれ持って歩いてたら、僕の仲間に声掛けられちゃうよ」

「小島っ!私を子供だと思っているのか!」

 ばんっ、と机に手をついて前のめりに小島に迫る。小島はびくっと驚いて身を引いた。

「そんなこと言ってないでしょっ、ねっ?落ち着いて」

 小島は宥めるように言うと、累の肩を持って押し戻した。

「全く……無礼極まりないな、小島は……」

「もう、だめだよ。そんなに怒鳴っちゃ」

 埒が明かないと小島は頭を抱えた。

 本来ならば、厳重注意で帰しても良いのだが住所不定、職業不詳、この時代に携帯電話すら持っておらず言動もどこかおかしい。警察官である以上、そのまま放って帰すのははばかられる。知人に引き渡し、注意をした上で監督させてこの件を終わりたかった。

「もう、いいから帰してくれ。それとも小島は暇なのか?私と話をしたいのか?」

「君ねぇ……」


 そんな、とりとめのない会話を続けていると突然、交番に一人の男が入ってきた。ふらっとごく自然な足取りで、累と小島が座る机のすぐ真横に立つ。

 長身の男だ。ぼさぼさの長い髪で顔の半分は覆われている。表情を窺うことは出来ない。

「うん?」

「あの……何か?」

「……」

 小島が怪訝そうに要件を訊くが、男は答えない。無言のままで、首をゆっくりと回して累を見、続けて小島の方へ顔を向けた。やはり、表情は窺い知れない。怪しさを纏ったような男だが、敵意などは感じられない。

 累は言葉を発さず、静観を決め込んだ。

「えっと……どうされました?落とし物?道迷っちゃいましたか?」

 小島が、男に座ったまま向き直る。すると、男は人差し指と中指を立て、それを顎に付けた。


「アンタリヲン・ゼツメイ」


 そう、小声で呟いた。

 ごく小さな声だったが、男の声は波のように室内に拡がっていく。室内を駆ける声は、やがて一点に収束していくようだった。目標は――小島だ。

 声が小島に殺到し、やがて無音となったと同時に小島は座ったまま、両膝の間に頭を埋めるようにして前のめりに倒れた。小島はピクリとも反応がない。完全に意識を消失している。

「なっ……」

 累は、目を見開き、立ち上がって男を見上げた。既に手は柄を握っている。いつでも抜刀は可能だ。

「……何者だ。今のはまじないか。この時代にも呪い師がいたとはな……この白昼に良い度胸だ」

 累は捲し立てるが、男は先ほどと同じように呟く。


「ビョウ」


 声が室内に響き渡る。

 累は身構えるが、身体に異常は起こらない。と、なにやら頭に違和感があった。重量を感じる。何かが頭に乗っかっているようだ。

「にゃあ」

「えっ!?」

 累は頭の上に乗っかるモノを優しく持ち上げて、目の前に持ってきた。

「お、お前っ!どうして……」

 それは、先ほどまで追いかけていた黒猫だった。

 近づけば消え、遠ざかれば現れる黒猫が、累の手で抱えられていた。猫の身体は、脱力してだらんと伸びきっている。のんびりした顔で、にゃあ、ともう一鳴きして口の周りを舐め始めた。

「落ち着いて下さい」

 男が言う。

 はっとして顔を向けると男は、出入口横の壁にもたれ掛かり、腕を組んでこちらを見ている。先の呪いの時とは違い、男の声は穏和で優し気なものだった。

「貴女は……昨夜、こちらに来たのですね」

「あ、あぁ」

 ふむ、と言って男はぼさぼさの頭を掻いた。

 長い前髪の隙間から双眸が見えている。その体躯とは不釣り合いな幼さを残す眼だ。その目に険は無く、じっと累の姿を観察しているようだった。

「少年はどこに?」

 男は、観察を続けながら呟くように言った。

「……九十九のことか?九十九なら、なんと云ったか……学問所のような所へ行くと云っていた」

 累がそう答えると、男は斜め上に顔を上げて、虚空を見遣って目を細めた。

「あぁ、あの辺りは学校か」

「うむ。それだ」

 男の不思議な様子に、累は顔をしかめる。

 昨夜の出来事を知っているし、『少年』――九十九のことまで。あの時、どこかに隠れて見ていたのだろうか。

 累は、猫に目を遣った。身体を預け切って弛緩している。首元には小さな鈴。その鈴の横に何かが括りつけられている。人型を模したような小さな紙切れだった。人型の胴体部分に『祓』の一字が書き込まれている。

「この猫はお前のか?」

「ん?いやぁ、違います……そうとも言えるか」

「はぁ?」

 男は、曖昧な返事をして小さく溜息を吐いた。

「まったく……その子にも困ったものだね。紫乃しのも扱いきれないなら、あんなに抱え込まなきゃいいのに」

「紫乃?」

「それよりも……それ」

 男は、累の腰に佩いている刀を見遣った。

「隠しておいた方がいいです……これを使うと良い」

 男が胸の辺り、何もない空間を掴み引っ張り出すような動作をすると、ずるずると黒く、細長い帯状の布が出現する。それを累に放ってよこした。

 黒猫を片腕に抱え込み、放られた布を掴む。

「おっと……まったく、何なのだ、お前は……」


 男の奇術師のような振る舞いに空恐ろしいものを感じた。どの時代であっても、浮世離れした人間というのは、どこか恐れを抱かせるものらしい。同種の人間でありながら全く別の世界を生き、現世を漂っているような――。過去にもこのような人間はいた。

「それで隠して。腰には下げない方が良いんですけど……まぁ、いいか。間違っても、平時に抜いたりしないように」

「あ、あぁ……助かる。心得ておく」

 累は、形だけの礼を述べる。

 平時――非常時があるということを示唆しているのか。現代に来ている者達がどのような人間か、この男は把握しているのだろうか。この男に対する疑問が尽きない。

「さあ、彼の元へ行くつもりだったのでしょう?その子が案内してくれます。行って下さい」

「待て。お前は……一体なんだ。昨日の夜、どこかで見ていたのか?何を知っているんだ?」

「何も。ここに長居はしたくないものですから……もう行きます」

 男はうっすらと笑ったように見えた。ただ、口角が上がったように、そう見えただけかもしれない。

「だから待てと……せめて名をっ」

「いずれまた、顔を合わせます。その時に」

 男は、累の制止を遮るように言うと、素早く右足でステップを踏んだ。


 三つ、二つ、三つ。繋げると漢数字の『三』になるように地面を踏む。最後にその足跡を断つように上から一本、つま先で線を引いた。その動きは素早く、足が動作を覚えているようだ。すると、足先から男の身体が薄く消えていき、やがて完全に消失した。


「……消えた」

 累は、男がいた場所を腕で掻いてみたりしたものの、ただ空を切った。

「……ちッ、妖術使いめ」

 いずれまた、とはどういうことだろうか。何故、累が過去から来たことを知っているのか。あの男は何者なのか。考え出せば疑問の山に埋もれそうだ。いずれにせよ、今回の件について何かしらを知っていることは確かだ。そして、恐らくは敵ではない。というよりも、敵対したくない。昔からああいう手合いは苦手だった。

「お前の主はどうなっているのだ……」

 黒猫を顔の前に持ってきてそう言うと、黒猫は目を細めてにゃっ、と短く鳴いた。抗議でもしているようだ。

 黒猫はもがき、累の手から離れると出入口の引き戸をかりかりと爪で掻き始めた。

「んっ?」

 かりかり。

 黒猫は、むすっとした顔を累に向け、開けろ、と訴えているようだ。

「なんだ、その顔は……可愛くない」

 累は、そろそろと引き戸を開けた。

 黒猫は、道に飛び出すと身体を震わせ、後ろ足で耳の辺りを掻くと、軽い足取りで歩いて行ってしまう。

「お、おい……」

 累も猫に続かんと交番を飛び出す。

 ふと、立ち止まって交番の中に目を遣る。

 小島は相変わらず同じ体勢のまま、気を失っている。その体勢では苦しいだろう――と、累は小島を椅子から降ろし床に寝かせた。あの男がなにをしたのか、分からないが死んでいるわけでもないし、じき目を覚ますはず。

「それではな。小島」

 累は、そう一言言って、黒猫の後を追いかけた。

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