第11話 空腹剣士
累は腹を鳴らせてしまった恥ずかしさに、顔を赤らめて俯いている。累の腹の虫を聞いて、九十九も思い出したかのように空腹を覚えた。
「何か作るか」
おもむろに立ち上がりすぐ傍のキッチン横に備え付けられている冷蔵庫を開く。
「いいのか!?」
「当たり前だろ。一人だけ食うわけにもいかねぇし」
累は感激した様子で、立ち上がって傍に近づいてくる。その感謝なのか羞恥なのか瞳は潤み涙目である。
「有り難いっ、すまんなぁ……昨日の朝から何も食べてなくて……」
「大袈裟だな……んー、簡単なものしか作れないが……」
「なんでも良いぞっ。しかし、この箱はなんだ?ひんやりするな」
「え?あぁ、冷蔵庫だよ。食いもん保存する機械」
「ほーっ、このような絡繰り見たことがない……どのような細工がされているのか……ぬおー、冷たいっ!」
冷蔵庫が日本で本格的に普及したのは、一九○○年代の事で、当然累がいた江戸時代初期にはこのような家電は存在しない。
冷気を放出する長方形の箱に興奮して、子供のようにはしゃいでいる。食材を選んでいる九十九の脇腹から、冷蔵庫の中へぐいっと頭を突っ込んだり引っ込めたりを繰り返している。
「卵……しかねえじゃねえかよ。しゃあねぇな……おい、閉めるぞー」
「えーっ」
「子供か」
非難する累を無視して扉を閉めた。少し頬を膨らませる仕草に思わず吹き出す。
食材を手にした九十九は、キッチンに立つ。冷蔵庫から取り出したのは卵が四つ。手頃な大きさの容器を、上部の戸棚から取り出して卵を割り入れた。
「おいおい、鶏卵ではないかっ!こんな四つも……いいのか?」
「卵って高かったのか?」
「あぁ、一つ二〇文はかかるぞ……それ故、幕府の御偉方しか食さない。それにすぐ腐るからな」
江戸時代では、卵一つで四○○円から五○○円。一つでも現代の十個入り一パックを上回る値段になるのだから、如何に高級品であったかが分かる。その上、かつては生ものの保存も困難だった事から庶民は食する機会が少なかった。江戸時代の貨幣価値など分かる筈もない九十九は、空返事で調理を続ける。
「へー……今は全然安いぞ。卵うまいよなー、卵料理はバリエーションあるしなー」
「ばりえいしょん……うん、ばりえいしょんがなあ……」
意味が分かる筈もなく、空気を読んでか九十九の言葉を繰り返している。
割った卵に調味料を入れている間も累の驚きは止まらなかった。塩、胡椒、醤油……投入する度にこれは、これはと聞いてくる。調味料自体は知っていて、その容器の瓶に興味を惹かれたようで、手に取って物珍しそうに眺めていた。特に驚いていたのが砂糖だった。九十九は、卵焼きに関しては甘めの味付けを好む。いつものように、卵一つあたり小さじ一杯。今回は小さじ四杯を軽量スプーンで掬って入れていく。
「そ、その箱に入っているのは……?」
「ん?砂糖だけど」
「なんだその砂糖の量はっ!?大商人なのか、九十九の家はっ」
調味料ポットに並々入った砂糖に仰天して目を大きく見開いている。まだ卵を割って調味料を入れただけなのに、累には驚きの連続のようだった。
ころころと変わる表情を見ているうちに面白くなってきた。九十九は、シンク下の戸を開けて、ストックの砂糖の袋を取り出し調理台へ置いた。
「砂糖だ」
九十九は、得意げにドヤ顔で砂糖の袋をポンポンと叩いた。
「!?お、おおぅ……す、凄いなっ……!」
累は最早、愕然としている。九十九はその表情を見て満足げに「そうだよ……これが砂糖だっ!」などと言いながら、腰を仰け反らせて高笑いした。
ひとしきり笑うと我に返り、真顔になった。現代のことを知らない人間相手に、砂糖をひけらかす自分が実に
「ハァ……なんてな。今の日本じゃ、砂糖なんて別に高いもんじゃない。どこの家にも置いてあるよ」
「な、なんだ……そうだったか。いや、私がいた時代にも砂糖を使った菓子はあったが、高価な代物でな。庶民には手の届かないものだったよ……」
そう言うと、累は振り返って部屋を見渡した。
キッチンカウンターの奥にはテーブルと四脚の椅子。さらに奥にローテーブルとソファーにテレビが置かれている。
開け放った窓から日差しが差し込み、空気中の粒子に反射してきらきらと輝いている。新鮮な外気にカーテンが柔らかく揺れていた。
「どうした?」
累の顔を見ると特に表情はなかったが、口角が少し上がっているようにも見えて、どことなく微笑んでいるように感じた。同時にどこか哀愁を漂わせる空気を纏う。
「うん……後の世では、様々なものが豊かになっているんだと思ってな。この屋敷を見れば分かる。分からないものばかりだが、その一つ一つが人々の生活を充実させるものであることは確かだろう。それが日本の力によるものか、南蛮との貿易によるものか……どちらにせよ、良き歴史を歩んだようだな」
「……」
本当に過去の時代の人間か、どうしても半信半疑だったが、累の口から発せられる言葉と声には、往時を偲ぶ形容し難い重みを感じざる負えない。
昨夜、未来に来たばかりだが四百年という歳月は、良き歴史であったかは別として、日本を別物に変えるのに十分過ぎる時間だ。累にとっては異世界にきたような感覚だろう。
「さて、すぐ作っちまうから。座って待っててくれよ」
そう言った後も、累は九十九の隣で調理を観察していた。ガスコンロにフライパン。驚くポイントは多々あったようだが、「おおっ!」とか「ほうほう……」などと邪魔しないよう配慮したようで、リアクションに留めて眺めていた。
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