第6話 揺蕩う紫煙
「この
互いに力を逃がすように刀を滑らせ、払う。
立場が入れ替わり、累は袈裟斬りにせんと、上方に払われた刀身を水野に向けて切り返し、水野は下方に振りぬいた勢いのまま身体を回転し、累の太刀を受け止めた。炸裂する火花がその衝撃を表している。
累は、このまま押しつぶさんばかりに柄に両手の力を籠めるが、水野はそれを片手で受け止めていた。
「ひでぇなぁ……俺は
「同じようなものだ。さして変わりはない!」
半妖というのが何を指しているのか。厳密に言葉の意味が解らなくても、水野を見ていれば自ずと答えが浮かび上がる。
その鬼面以上に異様な水野の刀である。明らかに累が振るう刀とは、その様相が異なっていた。その外形は一般的な日本刀と大差ない。柄に
奇怪なのはその刀身の表層。刃の部分が血に濡らしたかのようにうっすらと赤く、刀身に波打つ刃文がさらに濃い朱色で炎の先端のように
「ッハ、言うよな。だが流石だ。俺の刀受けられんのは、あんた位のもんだぜ、なァ……!」
刀同士、押し合っていたその均衡が崩れた。
水野の
九十九は、累の周囲を散る火花からその激しさを感じる事が出来た。この剣戟を見て忠吉の言った事を信じ始めていた。過去から未来へやって来た。そんな与太話を。
それと同時に斬り合う二人、その強さに目を疑う。その身なりからおかしい水野は、九十九から見れば、もはや人外である。しかしその水野の斬撃を受け止め、あまつさえ一太刀浴びせようと攻勢に転じてすらいる累の剣の冴え。このような者達が、過去の時代に本当に存在していたのだろうかと、この光景を見ても信じられない。まだ漫画やアニメのように異世界から来たと言われた方が受け入れることが出来る。
二人の打ち合いは続いているが、その攻防に動きがあった。水野の振り降ろしの赤き一閃を、刀を真横にして待ち構える累。刀身同士がぶつかる寸前、右胴を突き出し上体を横に捻り、柄を右肩口まで持ち上げた。それによって、累の刀身は真下を向く形となり、上段から斬り降ろす水野の斬撃を受け流した。
水野の刀は、地面に落ちていくように振り抜かれた。面を晒した水野に対して、累は下に向いた刀身を頭上に切り返し、裂帛の気合を持って水野の面に刀を振り降ろした。
「ハァアッ!」
刀身が見えぬ程の疾く、鋭い剣筋。しかし、それが鬼面に触れる事は無かった。
累が刀を振り抜くと同時に、薄紅色の煙が水野の身体を取り巻いた。渾身の振り降ろしは、空もとい煙を斬った。二つに断たれた煙は、その衝撃によって左右に波のように広がり、跡には何もない。
九十九は、漂う煙の先に目を凝らし水野の姿を探す。累は、振り降ろしの態勢から残心を持って姿勢を正し、再び下段に構える。息を殺し、微動だにしない。
「なっ……後ろだっ!」
九十九が思わず声を上げた。九十九の視線の先、九十九と累の中間。空中から煙が吹き出した。
累は、その気配に即座に反応し、前方へ身を翻した。一瞬だが、薄紅色の煙の中に鬼を見た。赤き眼が、残像を残しながら妖しく揺れる。
煙はすぐに消えたかと思うと、瞬時に別の空間から発生した。煙を裂いて襲い掛かる、鬼の牙の如き斬撃。一撃繰り出し、消え、また現れる。
累は予測不能の攻撃を煙と剣筋、そして僅かに伝わる殺気を頼りに斬撃を避け、弾く。しかし、それもいつまでも続かない。次第に煙は発生と霧散の速度を上げていく。その攻撃は熾烈を極めた。
「ぐっ……」
とうとう累の身体に傷が付く。致命傷は避けているものの、鬼の牙は舐めるように肉を裂いていく。額の傷から流れた血が片目に入り、視界を赤く染めた。上腕からの血が伝い、柄を持つ手を鈍らせる。
(愉しんでいるな……悪鬼め……)
このまま、
左の肩口を切先が掠めた。刀身は煙の中に引っ込み霧散。
消えたと同時に累は、身体の力を抜き脱力した。剣筋が数度、身体を掠めるも守る様子はなく、よろよろと移動するのがやっとの状態。急所を守るものは何もない。
すると、とどめと言わんばかりに累の眼前に煙が現れた。薄紅色の煙と二つの赤い光点。そして、煙を割るように近づく一筋の線。
累は、瞬時に刀の軌道を読んだ。右肩から左腰に掛けて、斜めに走る斬り降ろし。やはり、鬼はこの一太刀で沈めるつもりのようだ。それが解っても累は動かない。
やがて、予測した通りの軌道で刃線が近づく。煙が斬られ渦を巻いた。顔先に迫ろうかという瞬間、膝の力を抜いた。上体がストンっと落ちる。凶刃は当たらない。斜めに振り降ろされた刀身は、累の頭上を通過した。
それとすれ違うように、足を一歩踏み出す。下に向かうエネルギーを、跳ね上げるように煙に向かって跳んだ。まだ霧散はしていない。煙の中にいる赤い光点に向かって突きを繰り出した。
刺突は、赤き二つの光点、その二点の中間、水野の眉間に吸い込まれるように進んで行く。
「……!!」
鬼面を割らんと進む切先。しかし、それを阻むように煙が外側に向かって吹き出した。
構わず刀は突き進むが、その突きは空を斬った。水野は斜めに振り抜いた勢いに身を任せ、ほんの僅か頭の位置をずらしたのだ。累の突きは、鬼面の端に傷を付けるに留まった。
だが水野は、その勢いを殺しきれずに外界へ身を投げ出す。煙の隠れ家から引きずり出す事に成功した。それでも状況が好転したわけでは無かった。
外界へ飛び出した水野は、着地すると軸足を起点に身体を回転させ、後ろ回し蹴りの要領で累を蹴り上げた。
「ぐふぁっ!」
その足は腹部に突き刺さり、累の身体は後方へ吹き飛ぶ。
「累!」
叫ぶ九十九。
車道へと駆け出そうとしたが、それを遮るように薄紅色の煙が目の前で揺らめいた。その煙の中から水野の腕が蛇の様に伸び、九十九の首を掴む。
「ぐおぉっ」
煙は搔き消え、水野が姿を現す。手を振りほどこうとするが、びくともしない。そのまま身体が軽々と持ち上げられ、足が浮き空を切った。
「ハッハッ、先生……やはりあんたは良い……冷や冷やしたよ」
「きっ……さまぁ……!」
累は、刀を杖にして立ち上がろうとするも、激痛に身体が言う事を聞かない。水野の蹴りが
「おいおい、まだ動けるのか?あんたも大概、人間離れしてるよな」
水野は、累の方へと顔を向け、呆れるように言った。
「みず……のっ、叩っ……斬るっ……」
「恐れ入ったぜ……その執念はどこからくるのか。だがもういい。先生は、少し大人しくしときな。あんたはそう簡単に殺したくねえんだよ」
水野は、正面に向き直ると紫煙を吐き出した。
顔に煙を吹きかけられ目を
その赤い眼は、濁りきっていた。様々なものを一緒くたにぶち込んで掻き混ぜたようだ。その様々なものとは、恐らく負の情念だろう。憤怒や憎悪、怨嗟といったような。それらが折り重なり、
「てめえはどうなんだ……餓鬼。一体……何を見た?」
腹の奥底に響く悍ましい声。恐怖に精神が飲み込まれそうだ。しかし、湧き上がる感情はそれだけでは無かった。
どう考えても窮地に立たされている。待っているのは死以外に無いだろう。だが開き直っている自分がいるのだ。忠吉の
(次から次へと一体何だってんだよっ……お前みたいな人間がいてたまるかよっ……そもそも、その馬鹿みてぇな仮面は何なんだよっ……つーか……さっさと帰って寝てぇんだよ!)
そんなストレスが嵐の様に駆け巡り脳を焼いた。九十九は、圧迫されている気道から声を絞り出す。
「がっ……あっ……し、しら……ねぇよっ……なにが……おきてんだ……かっ、おれが……ききてぇ……くらいだっての……ハァ……いい……かげん……てぇ……はなせっ……くそ……やろうっ……!」
目を、血走らせながらそう言い放つ。
首を掴まれ、片手で持ち上げられている有様でありながら、この不遜な態度を取れるのは九十九の特性と言える。胆力とも取れるが蛮勇とも言えた。この場合は……蛮勇に違いない。
「ッフッフ……肝が座ってるじゃねえかよ。いや、ただのやけくそか。顔が青いぜ?」
首を掴む手の力が強まる。指が肉に沈んでいく。不足する酸素量。視界に闇がちらついていた。
「あっ、がぁ……ちっく……しょう……」
「……まあいいか。てめえをもう一度、殺してみりゃあ分かる」
水野は、そう言いながら右手に持つ刀の切先を、九十九の左胸へ向けた。
「おい、餓鬼……刀も持たずに、でかい口聞くんじゃねえ。戦うどころか、己の身も守れねえ間抜け。てめえみてえな奴から死んでいくもんだ。この世ってのはそう出来てる」
顔を落とし、ゆっくりと弓を引き絞るように後方へ肘を持ち上げると、妖刀が妖しい光を放つ。
「さあ、見せ場だぜ……面白いもん見せてくれや」
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