第2章 第6話

 翌日、朝、ジェードが出勤すると、職員室に教師はおらず、たった一人いるクンツァイトが机の上に座って、にこにこと手を振って来るばかりだった。

 教師たちは、もうウヴァロヴァイトの部下たちに始末されたか、


「上の者のルールに逆らうからだ」


 上の者の言ったことを素直に聞いていれば生きながらえる。この学園内ではウヴァロヴァイトのルールに従っておくことが重要だ。何故、一般人はそれが分からないのだろうか。昨日なんか体育館でナイフまで抜いて示唆してやったのに。一般人への躾は徒労感が残る。

 ジェードは、それを幼い頃からの経験則として覚えていた。生きたければ反発心は無用。

 あの時のように。

 扇風機すらない、ぼろぼろの畳の上で寝転がって、煙草の匂いを煙たく思っていた、あの頃のように。

 それに反発しなければ、今日も弟や妹たちは生きていたのだ。

 職員室にルチルが来たのは随分後だった。

 ルチルは、朝からウヴァロヴァイトの身の回りのことをやり、それから来るので、遅くなるようだった。彼女は決して唇を動かさない、何の言い訳もしないが説明もしないので、あくまで想像だが。

 まぁ、今日からの授業の時間割は全て、ウヴァロヴァイトが決める。要は、授業の始まりは、ウヴァロヴァイトの部下であるルチルが来たら、ということで構わないだろう。


 そんなことを考えている最中、アテにしていいのか分からないながらに、チャイムが鳴る。

 ジェードは、慣れぬネクタイを結び直し、気を取り直して教室へと向かった。

 生徒は皆ウヴァロヴァイトの獲物、ゆくゆくはバラして販売するとはいえ、ジェード自身のポリシーとして、与えられた役割は全うしなければならない。この場合は、任された教師という役割を。それがジェードの仕事のルールだ。

 ジェードが任されたクラスは六年生で、教室は一番下の階にあった。

 ジェードは、脇に教本をもろもろ抱えて、教室に革靴を踏み入れた。上から黒板消しが落ちて来ないか警戒したが、どうやら全てが全ては、漫画のようにはならないらしい。

 寧ろ、教室に入ると、皆が手を膝に起き、こわばった顔でジェードを見ていた。それもそうか、昨日、体育館であんなことがあった後の今日だから。

 どんな指示を受けているのか分からないが、全員、私語の一つもなく、しんとしている。


最初にジェードと目が合ったのは、教室の、扉寄りの列、通路側の前から二番目に座っている少年だった。茶色い髪はどう見ても天然パーマで、一時期、金持ちたちが軒並み飼っていたティーカッププードルを思わせた。そばかすだらけの顔の真ん中で、おどおどした黒い瞳をキョロキョロ忙しなく動かし、その中でもジェードを多く見ている。

助けを求めるような目だった。

あの頃の弟や妹みたいな――


「担任教師のジェードだ。これから、このクラスのルールを発表する」


教室はしんと静まり返ったたまま、呼吸の音すら聞こえない。


「校長だかなんだかの、ウヴァロヴァイトという人は俺の上司だ。彼は、お前たちを商売に使うつもりで、俺に適当に選んで、この袋に入れて」


ここで、ルチルから預かった皮の袋を掲げて見せる。

「連れて来い、と言った。誰でもいいということは、お前でも、お前でも、今一番近くの席にいるやつからでも、捕まえてさえやればいいのさ」


ここで、すすり泣く声が聞こえ、ジェードはうんざりする。


 辛いことや悲しいことを口にしたり、怒ったり、涙にしたら、弱点が知れて早死にするだけなのに。


「だが、俺は、ルール違反の人間には罰を与えるが、そうでない人間に、無闇に危害を加えない。これ自体が俺のルールなんだ。そして、子供相手に、ルールを提示せず、あとからルール違反などと難癖つける気はない」


 ジェードは小脇に抱えていた模造紙をホワイトボードに貼った。


「此処に俺が守って欲しいルールが八〇個ある。全て読んで完璧に頭に入れておいてくれ。破った者から順番に、この袋に突っ込んで行くからな」


 子供たちが、さめざめと泣きだした。



 ジェードは、子供たちが泣いているのを、むっとしながら見詰めていた。こんなに丁寧に条件を説明してやっているのだから、泣かなくたって良い物だ。子供相手に分かりやすいよう、平易な文章にも気遣った。未だかつてこんなに丁寧な犯罪者が何処にいただろうか。

 そんな涙、涙の輪の中に、一つだけ空いている席を見付けた。丁度、中央の列の、やや左寄り、中央付近の席だ。子供たちは、昨日から寮と学校の往復以外は叶わなくなった。と言うことは、抑々昨日学校に来ていない子供――始業式に休む子供は余りいないような気がするが、体調不良か、不登校だろうか?

 その旨をウヴァロヴァイトに申告すると、ほぼ想像通り、


「一人でも群れから逃がしてはならない。それは統率力が無いと見做される。迎えに行って、引き摺ってでも登校させろ」


との指示だった。


「抵抗が激しければ、親ごと命を奪ってしまっても問題ない」

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