第25話
ウヴァロヴァイトがこう、話してくれているうちはまだ、生きていられる気がした。いざとなれば、もう話なんてせずに、始末してしまうのがウヴァロヴァイトである。
「……進捗と言えば、今は、アルマンディンの部屋で見付けた、無数の新聞記事くらいですかね。最近の、多発するバラバラ殺人について調べていたようです」
「それは私が既におまえに与えた情報の裏付けにしかならないじゃないか。つまり進捗が無いとみて良いんだな」
声は大分怒っていたが、ウヴァロヴァイトが此処に走ってくることだけは絶対に無いのが、数少ない救いの一つだった。ウヴァロヴァイトは決して立ち上がらないから。
ジェードは捜査中に、少しずつ、ほんの少しずつであるが、命を奪われる混乱から逃れつつあった。
勿論、ルチルのように、ウヴァロヴァイトが手ごろな部下を寄越す可能性は十二分にある。だが、それは、自分の足を思い通りに動かすこととは全く異なる。指示を出すインターバルもあるし、それぞれ脳味噌を持った別の生き物だ。ウヴァロヴァイトは冷静でも、部下が全員そうとは限らない。驚かせて隙を作ったり、扇動だってできるかもしれない。混乱に乗じて何とか命の危機を回避する。ジェードはウヴァロヴァイトの下についてから、こうやってことあるごとに、ふと、このようなシミュレーションを考えていた。
奇しくもライオンから逃げるシマウマのようだ。
大丈夫。落ち着こう。
深呼吸して、会話を続ける。
「此処は思い切って、バラバラ殺人を調べていたことを理由にアルマンディンの命を奪ったやつがいると決めつけましょう。それなら、犯人はアルマンディンがバラバラ殺人を調べていたと知っている人物でなくてはならない。アルマンディンの交友関係を一人一人、丁寧に、もう一度洗うべきと考えます。その為には、もう少々お時間をいただければと。お言葉ですが、人手は多い方が良いのではありませんか。こう言う時は、人海戦術とでもいうべきか」
「そんなに待てるか。私は犬では無いし、おまえと違って暇では無いんだ。その証拠に、ほら」
電話口の向こうで、怒鳴る声がわんわんと聞こえる。
「……住人たちが気付き始めている。このマンションは安全な筈ではなかったのか、変死体が出たのは本当か、と」
「人って、変死体を作るのは得意でも、自分が変死体になることは考えていないものですからね」
「一先ず、こいつらを落ち着かせておくから、それまでに有益な何かを調べ上げてこの食堂に来い」
低い声で唸るウヴァロヴァイトの声の後、電話が切れた。
住人たちにしてみれば、「安全に暮らせる」が触れ込みのマンションで変死体が出たとなれば、それは契約違反も良いところである。苦情が出るのはある程度予測していたウヴァロヴァイトだ。
故の武器携帯、故にこれだけの部下を連れての訪問。
杏仁豆腐を待つウヴァロヴァイトの元へ、住人たちが般若のような形相で寄って来る。
「いったいどうなってるんだ!」
「このマンションには監視がついてるんじゃないのか!」
「そうだ、だから高い金まで払って此処に住んでるんだぞ」
「お前が責任者か」
そう言って来る人間には子供連れが多い。このマンションに住んでいるような後ろ暗いものにも、家族はいる。他人はどうなっても良いけれど、自分の家族は大事なのだろう。ウヴァロヴァイトが、縄張りの人間を大切にするように。
何よりの問題は、このマンションに、少なくとも世間一般の常識が通用する住人はいないこと。
そして、次の問題として――
ウヴァロヴァイトは眼鏡の奥で、冷め切った目をぱちりと一回瞬いた。
「群れ全体の悪名が広まると面倒だ――やれ」
たったそれだけの合図で、辺りは血祭りと化した。
次の問題として、何よりまともでないのが、マンションの元締めなのである。
「全く。そんなに大事な家族なら、マンションの警備に頼らずに、己を鍛えて守れば良いだろう」
ウヴァロヴァイトの足元に転がった首に視線をやる。部下の誰かに引き千切られて血が抜けてしまったのか、真っ白い肌になっている。何処かに胴体があるはずだが、もうすっかり見つかりそうも無かった。探す気も無いけれど。
最初の一名が血しぶきを上げて死んだ瞬間から一人死ぬごとに少しずつ、フリースペースは一部、暴れたい衝動だけの集う場となっていった。
逃げようとしないのは、上がった血しぶきに興奮させられたのか、それとも、この機会にウヴァロヴァイトを群れのトップから引きずり降ろそうと、数なら負けないという魂胆なのかは判然としない。それに、ウヴァロヴァイトにしてみれば何方でも良いことだ。どのみち彼等は全員始末するのだから。
真珠の元にも大男たちが殴りかかって来て、真珠は心底億劫そうに、悲しそうに、刀を抜いてばっさりとそれを切り落とした。
すると今度は、その血が、クンツァイトが最後まで残しておいた大切な大トロの刺身に飛んで、クンツァイトが頭を抱えた。
「このクンツァイトの御馳走に手を出すとは……万死に値する」
「もうその血を放った奴は死んでるけどな」
ウヴァロヴァイトの指摘も無視で、退屈しのぎに近くにいた誰かの右目にサーベルを刺して、その悲鳴を聞かずに引っ張りよせながら、クンツァイトは笑顔になった。
「私の大事なセーラー服が、汚い豚どもの返り血で汚れてしまいましたわ。損害賠償を請求しなくては」
オパールが、ちら、とミニスカートをまくって、汚れ具合を確認している。露わになった太腿はふわふわとしたリコッタチーズのパンケーキのようで実に――
「嗚呼、そうだ、杏仁豆腐の他にリコッタチーズのパンケーキも持って来てくれ」
ウヴァロヴァイトが手を、そう叩いて部下を呼んだ時には、暴れる者は皆始末し、ウヴァロヴァイトと真珠、オパールとクンツァイト、そしてウヴァロヴァイトの部下達――部下のうちの何人かは死んでしまったかもしれないし、確かめる気も無いが――だけが残っていた。
逃げた者までは追う必要はないだろう。ここまでの地獄絵図を見て、アルマンディンの死を他言し悪評を流そうものなら、どうなるか想像できない馬鹿はいない。
「そうだなぁ」
クンツァイトはサーベルを一度抜いて、その者の喉に突き刺し、また抜くという作業を一瞬でやってのけた。目にもとまらぬ速度だったし、目にとめる気も無い。
杏仁豆腐を作る作業が停滞してしまったことだけが不愉快だった。
ぼーっとテレビを観て暇を潰していると、一つの臨時ニュースが流れる。ニュースキャスターは今日も真面目くさっているなぁ。どうせ人間なんて皆死ぬのに、おまえら凡人の身に起きる一つ一つの出来事に驚くことがあるだろうか? とウヴァロヴァイトは思いながら、それを眺めた。
ニュースキャスターが言うには、つい数時間前、とある民家が木っ端みじんになる事件が発生。原因を調べていたところ、どうやら、そこの住民が最近リサイクルショップで購入した金の腕輪が爆発、大炎上したらしい。
住民は即死。と、思われた。骨の一つも残らないほどよく燃えたそうだ。
「金の腕輪――」
ウヴァロヴァイトの呟きは、クンツァイトの呟き、真珠、オパールそれぞれの漏らした呟きと、全く一緒のものだった。
そして、そこでふっと、真珠の手首に目が行く。そのか細い、それでいて歴戦の刃物の向こう傷の残った手首には、金の腕輪が嵌っている。
人を木っ端みじんにすることを大の得意とする天才、チャロアイトの手作りだという、そのアクセサリーを、オパールは最近転売したのではなかったか。
チャロアイトが腕輪にトラップを仕掛けていたのだとすれば――いや、仮にオパールだけを狙ったというなら、放っておいてもいいのだ。そんなことは如何だって良い、今後執拗にオパールは狙われるかもしれないが、危害が及ぶことはないから。
しかし、民家が吹っ飛ぶほどの規模のトラップが、全ての「チャロアイト製の腕輪」に仕込まれていたとしたらどうなる。
「……これはやってくれたな」
最も逃げ遅れる可能性があるのは椅子から動けないウヴァロヴァイトだ。部下に背負わせてエレベーターや階段を降りるのは簡単だが、それにしてもそんなことをしている間に粉々になっているだろう。まぁ、それは何方かといえば、と言う問題にすぎず、結果的には皆粉塵に化すレベルだと思うが。
オパールが自分の髪を掴んでうろうろと動き回りつつ、耳障りな金切り声でテレビに向かって怒鳴った。
「チャロアイト……無価値でこの世の底辺彷徨ってるしか能のねぇボウフラ以下のキモ男が! クソ野郎! この私に傷を負わせる権利なんかてめぇにはねぇんだよ! 立場を弁えろ!」
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