妻に恋う旦那様

 動かないオリヴィアを不審に想ったレオンはすぐに問い掛けた。


「どうした?食べたくないか?」


「いえ……今日は何か特別なことがございましたでしょうか?」


 意味を計りかねたレオンが少し思考を飛躍させれば、オリヴィアがこれまでどんな食事をしてきたかの想像に辿り着いた。


 だがレオンは落ち着いた顔をして、何でもないように微笑む。

 一晩で妻の現状を理解しつつあったから。


「量が多くて驚かせたな。俺とて普段はこんな量を食べはしないぞ。今朝はオリヴィアが何を好むか分からないから、なるべく種類を多くしてくれと俺が頼んだのだ」


「そんな。私のせいで……」


 そこはと言い換えて喜んで欲しいレオンだったが。

 いちいち妻に指摘をしていたら、本当に食事を始められないので。


「これほどあると迷ってしまおうな。昔はよくミルクを飲んでいたが、ミルク粥などはどうだ?」


 レオンに向かうオリヴィアの瞳がぱっと輝きを放ち、レオンは嬉しくなった。

 そこに幼い頃に知ったものが変わらずあると分かったからだ。


「覚えていてくださったのですか?」


「忘れないとも。今も紅茶よりミルクを好んでいるのか?ならば、食後は温めたミルクを用意させるが。それよりはミルクティーの方が良いだろうか?」


 オリヴィアは何故か俯いて押し黙る。

 良い言葉を掛けたつもりのレオンは、妻が遠慮しているのだと思い込んだ。


「遠慮はしなくていいぞ。口にする者が本当に好きなものを用意出来た方が彼らも嬉しいだろう。オリヴィアが飲みたいものを言ってくれ」


 オリヴィアは頷いたが、やはり何も答えない。

 妻が分からないレオンは、真直ぐに尋ねることにした。


「何故言葉を選んでいるか、聞いてもいいか?」


「いえ。選んでいたわけではなく……紅茶の味を思い出そうと」


「は……?」


 色々想うところはあるが、昨夜は共に紅茶を飲んでいたはずではなかったか。

 忙しい日々を重ねたあまり、実は昨夜は都合の良い幻影を見て夢の中で一人喜んでいただけなのではないか。


 レオンの中にじわじわと浮かぶ疑念は、さすがに憂いだった。

 オリヴィアはその表情からレオンの考えを察したようで、慌てて発言の意味を語る。


「あの、旦那様。昨日は緊張しておりまして、それでその……」


「味が分からなかったのか。それは申し訳ないことをしたな。この通り……あっ」


 レオンの反応に遅れて、オリヴィアが小さく微笑した。

 レオンのしまったと慌てる態度で、オリヴィアも昨夜夫と協定を結んだことを想い出したのだ。


 そこに華が開く。

 痩せた顔を照らすにはちょうど良き可憐さの、他者の心を満たすには十分過ぎる艶やかな華だ。


 レオンは鋭い目を一挙に見開き、見逃すまいとこれを凝視した。


 さすればすぐに、その華は萎れてしまう。

 

 するとどうだろう。

 レオンは分かりやすく狼狽したが、口を開いたのはオリヴィアが先になった。


「ごめんなさい。違うのです。そんなつもりではなくて……」


 その強いレオンの目力は、ぎろりと相手を睨んでいるように見えなくもなかったので、オリヴィアがそのように受け取っていたとしても仕方がないだろう。


「本当にごめんなさい、旦那様」


 今のレオンには、妻の謝罪の仕方が変わってきていることに気付く余裕がない。

 大袈裟に首を振ったあと、レオンは声を大きくして言った。


「違う。違うぞ、オリヴィア。俺は何も気にしていない。ましてやオリヴィアが笑ったことに怒ることなどないぞ。だからもっとだ。もっと笑ってくれ、オリヴィア。もっとこう自然に。謝罪などいつもしなくていいから、今のように自然な笑みを沢山見せてくれ。俺はオリヴィアの笑顔が見られるだけで幸せであるし、何ならいくらでも俺を馬鹿にして笑ってくれれば良いと思っていて、それこそが俺が今まで望んで来た…………」


 熱く語っていたレオンは、途中で急速に恥ずかしさを覚え、声を落とした。

 妻の前では声を荒げぬという決意を勢いであっさりと裏切った自分を疎み、反省もしている。


 交替するように、今度はオリヴィアが目を丸くして、ほんのりと耳を赤くして落ち込むレオンを凝視した。

 するとレオンは、その瞳にまたしても釘付けとなる。


 朝陽を通し青葉から若葉へと若返りに色を変えた瞳は、湖の底を覗いたときのようにどこまでも深く澄んでいて、レオンは妻の瞳から目を離せなくなった。

 かつてと変わらぬものが妻の中にちゃんとあることを知れば、それだけでレオンの胸は温まる。




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