狗藤威吹①

 八月初頭。

 威吹は一週間ほど前に亡くなった玲司の葬儀に出席するため現世を訪れていた。


「申し訳ありません。案内状を拝見してもよろしいでしょうか?」


 溺れるような暑さに喘ぎながら斎場に辿り着いたのだが入り口で呼び止められてしまう。

 著名人の葬儀なのでしょうがないと言えばしょうがないのだが、少し煩わしかった。

 威吹は小さく溜め息を吐き、案内状を係の者に見せ付ける。


「失礼致しました」


 受付に向かい記帳を済ませる。

 葬式に出るのは初めての経験だったが、マナーは事前に詩乃から教えてもらっている。

 大丈夫、大丈夫と自分を励ましながら定型句と共に香典を渡そうとするが……。


「狗藤威吹? これって……」

「何か?」

「い、いえいえ! 何でもありません! で、では」


 香典を受け取りながらも受付の人間はちらちらとこちらを見てくる。

 割と真剣にイラつくが、


(……まあ、しゃあないか)


 狗藤威吹の名を聞いて反応したのは裏の人間だから――ではない。

 原因は玲司だ。

 威吹は玲司の探求に付き合う条件として欲界六天図を要求し、玲司もそれを快諾した。

 だが口約束で動かせるような類のものではなく、正式な手続きが必要だった。

 そこで玲司は遺言状という形で譲渡の段取りを整えたのだが問題はその内容。

 遺言状には自らの資産の全てを狗藤威吹に相続すると書かれていたのだ。

 本人からすれば他に渡す相手も居ないし、礼代わりのつもりだったのだろうが……。


「あれが狗藤威吹だって」

「ああ、例の隠し子?」


 このような噂が立つのも無理はない。

 詮索好きな人間からすればそうとしか思えないだろう。


「私は愛人って聞いたけど」

「女絡みの武勇伝は幾つも聞いてたけど男も……?」

「しかもあの年齢って……犯罪じゃないの」

「いやでも彼のレオナルド・ダヴィンチにも年下の男の愛人が居たって言うわよ」

「一流の芸術家の条件は二刀流だった……?」


 これらはまとめてギルティ。

 威吹は即座に呪詛をかけた。

 彼らはこの先、死ぬまで割り箸が上手に割れなくなるし瓶ジャムの蓋を一発で開けられなくなるだろう。


(しかし、鬱陶しいな……)


 空いていた席に腰掛け軽く周囲を見渡す。

 先に会場入りしていた者の中には名前だけでなく既にこちらの顔を知っていた者も居たようだ。

 突き刺さる好奇の視線がかなり鬱陶しい。

 姿を変えて潜り込むという手も取れたのだが、流石に友人の葬式に姿を偽って出席するのは気が咎めた。


(アイツとアイツ、アレもそうか)


 辟易としつつ自身に注がれる視線を仕分けする。

 七割ほどは無視しても良さそうだが、三割ほどは対処が必要そうだ。

 中でも目についたのは数名のブン屋。

 彼らはジャーナリズムの名の下に個人を食い荒らす下品なハイエナだ。

 纏わりつく怨念から察するにかなりの人間が犠牲になったらしい。

 あの手の人間を放置していたら玲司の名が不必要に貶められかねない。


(あとでちゃんと対処するから少し落ち着けって)


 縮小化して胸元のポケットに入れてある常夜を宥める。

 その性質上、怨念に敏感な常夜は先ほどから殺せ、殺せ、殺せと叫び続けていた。

 声だけならまだしも内臓を腐らせに来るのは流石に鬱陶しい。


(温い真似はしないよ、大丈夫。うん、嘘じゃない)


 なだめすかして、ようやっと常夜が落ち着く。

 斎場内で行動に出るつもりはない。

 友人の葬礼で蛮行を犯すほど礼儀知らずではないのだ。

 やるなら終わった後でだ。

 目をつけた者らは誰一人として見逃すつもりはない。


(弱い者イジメになっちゃうけど……だからって止める理由にはならないな)


 自身のみに焦点をあてた誹謗中傷ならば受け入れる。

 報復をするとしても精々がしょっぱい呪いをかけるぐらいで済ませる。

 だが友の名を穢すような行いをする者は一人残らず死出の旅路に出てもらう。


(どうやって殺ろうかなあ)


 などと考えていると、


「あの、少しよろしいでしょうか?」

「え? ああ、はい」


 早速ターゲットの一人が接近して来た。

 人の良さそうな笑みを浮かべているが、その腹の中は真っ黒だ。

 纏わりついている怨念が殺せ殺せ今直ぐ殺せと喚き立ててうるさいことうるさいこと。


「狗藤威吹さんですよね? 私こういう者なんですが、この後お時間よろしいでしょうか?」

「申し訳ない。予定が入っていまして」

「そうですかぁ。ではこの日なんて如何でしょう?」


 言葉こそ丁寧だが気遣いの心はゼロ。

 よくこれでブン屋などやっていられるものだと逆に感心しそうになる。


(厚顔で恥を知らないバカが強い業界なのかねえ)


 それは流石に失礼かと思い直す。


「すいません」

「じゃあ、どの日なら問題ないんです? 学生ですし、時間はあるんでしょう?」


 苛々しているのが見て取れる。

 思い通りにいかず腹が立っているのだろうが、これでは子供である。

 ブン屋云々の前によくもまあ、これで社会に出られたものだ。


「そろそろ葬儀が始まるようですし」

「……チッ」


 露骨な舌打ちと共に去って行く。

 閉じている感覚を開いて感情を読んだが……まあまあ、実に酷いものだった。

 ガキだから少しは手心を加えてやろうと思っていたが容赦はしない。

 フィルターを通し柔らかい表現に変えてもこんな感じだ。

 態度が悪過ぎる。しかし、気分を害することはない。

 どうせ後で殺すのだと思えば大概のことは気にならなくなるのだ。


(へえ)


 僧侶が現れ参列者に一礼する。

 歳は玲司よりも少し上ぐらいだろうか。

 詳しい知識は持ち合わせていないが、あの老人が俗に言う高僧とやらであるのは一目で分かった。

 身に纏う清廉な気と、それに相応しい魂の色や形。

 ひょっとしたら自分という妖怪が紛れ込んでいることにも気付いているかもしれない。


(さっすが母さんだ)


 どこにも手抜かりがない。

 クソみたいな弔問客もそう。

 わざわざ招いたのは始末の手間を省くためだろう。

 情報を貰って一人一人訪ねるより一箇所に集めてサクっと呪詛でもかけてやる方がよっぽど楽だ。


(ああでも……お坊さんのこれはちょっと辛いかも……)


 響き渡る読経が微妙に響くのだ。

 具体的に言えば全身が絶え間なく静電気に苛まれている感じ。

 威吹ですらこれなのだ。

 死体へ転職予定の者らについていた怨念は成仏待ったなしである。

 怨み骨髄の相手が死に行く様を見届けられないのは些か可哀想だが……。


(これはこれで悪くないのかもね)


 憎い相手の破滅を嗤いながら消えるか。

 徳のある坊さんのお経で送られるか。

 どちらが幸せなのかは一概に決められないが、散華する怨念は皆心穏やかな顔をしている。

 ならばこれもまた悪くはない終わりなのだろう。


(玲司さんのついでに、あんたらの冥福も祈らせてもらうよ)


 経文の聖性に苦しめられながらも死者の安らぎを祈り三十分。

 ようやっと読経が終わり弔辞・弔電の奉読が始まる。

 世界的に名の知れた男の葬式だけはある。

 弔電の送り主の名は世情に疎い威吹でも知っているような者たちばかりだった。

 ぼんやり耳を傾けている内に奉読も終わり焼香の時間が来る。


(親指、人差し指、中指で抹香を摘まんで……)


 教わった作法を思い出しつつ、前の人のやり方を観察し何とかミッションコンプリート。

 緊張のせいで尿意を催した威吹はその足でトイレへ向かった。


「ふぅ……ここ数年で一番緊張したわ」


 これを機に冠婚葬祭における礼儀作法を本格的に学んでみようか。

 などと考えつつ手を洗っていると一人の男が近付いて来た。

 これと言って特に特徴のないどこにでも居そうな容姿。

 しかし、威吹には分かる。この特徴のなさは計算づくであると。

 なるたけ他人の印象に残り辛いよう容姿を弄り、振る舞いもそうなるよう意識しているのが見て取れる。

 十中八九、この男はカタギの人間ではない。


「少し、お時間よろしいでしょうか?」

「構いませんよ。焼香も済ませたのでもう帰るつもりでしたし」


 嘘だ。

 閉式、出棺。その後、火葬場まで共に行くまでが今日の予定だった。

 だがこの男。口では確認を取ったが、こちらの意思を尊重するつもりは皆無だ。

 始末するのは容易いが斎場で人殺しはしたくない。

 外で待機している者らも含め操り人形にしてやるという手段も取れるが、それはそれで問題がある。

 彼らは所詮、下っ端に過ぎない。

 背後に居る者らもどうにかしなければ事を丸く収めるのは不可能だ。

 ならば直接赴いた方が手間も少ないと、威吹はそう判断した。


「ありがとうございます。それでは、こちらへ」


 男に言われるがまま裏口から連れ出され車に乗せられる。

 その際、目隠しをされたが特に抵抗はしなかった。


(どこのどなた様なのかねえ)


 誘いをかけて来た男も、今両隣を固めている二人の男もカタギではない。

 しかし、オカルトの領域まで深く裏に踏み込んでいるわけでもないだろう。

 暗器の類を仕込んでいるようだが、そんなもので化け物は殺せない。

 神秘を帯びた武器ならばともかく見たところ物は良くても常識を逸脱しない普通の武器だ。

 加えて、何があっても問題はないという自負が見て取れる。

 人類の範疇にしかない力で化け物を何とか出来ると思う者は居やしない。

 男も、男の背後に居る組織もこちらの背景を知らないと考えるのが自然だ。


(殺すのは簡単だけど……)


 それじゃ芸がない。


(有効活用するのが吉と見た)


 悪意を持った接触を拒むつもりはない。

 だが、それにしても限度がある。

 最低限、こちら側の力を有しているのなら相手をしても良いと考えている。

 が、今ここに居る彼らのような裏社会に属してはいても常人の範疇を出ない者らを相手にするのは面倒だ。

 純粋な一般人でも。いや、一般人だからこそ見られる輝きもあるだろう。

 しかし自分が満足するレベルのものはそう簡単にはお目にかかれまい。

 大概はただ時間を失うだけで何も得られはしないだろう。


(遺言状の一件で俺の名が一部に広まっちゃっただろうしなあ)


 彼らのように毒にも薬にもならない無味無乾燥な輩に絡まれる可能性は高い。

 ならばその時のために風除けを用意しておくのは悪くない手だ。

 風除け以外でも現世で活動する際、都合の良い手足になるだろうし確保しておいて損はなかろう。


「ちょっと止まってくれる?」

「トイレでしょうか? 申し訳ありませんがもうしばらく我ま――――!?」


 答え終わるよりも早くに認識阻害の結界を張り両隣に居る男たちの四肢を吹き飛ばした。

 響く絶叫、飛び散る血と肉片。

 車内は一転して地獄絵図と化した。


「え……あ、な、何で……か、身体が勝手に……!?」


 動揺して運転を誤りそうだったので運転手の男の身体を操り路肩に停車させる。

 同時に四肢を吹き飛ばした二人が死なぬよう最低限の処置も施す。


「……お、お前は……い、いや……あ、あなたは一体……」

「世の中には人知及ばぬ存在が居るってだけのことだよ」


 自分に敵意がないことを示すため、努めて優しく語り掛ける。


「それにしても……あなた方は無用心にもほどがある。こんな玩具で何をどうしようって言うんだい?」


 左隣の蓑虫の懐から拳銃を取り出し銃口をコメカミに当て、数度引き金を引く。

 貫通した弾丸が外に出たり跳弾したりしないようにとの配慮も忘れない。


「俺が温厚な化け物でなかったら取り返しのつかない事態に陥っていたよ?」

「はぁ……ふぅ……ッッ……御助言、確かに」


 へえ、と威吹の顔が喜色に歪む。

 運転手の男。トイレで誘いをかけて来た彼は中々に太い肝をしているらしい。

 恐怖は隠し切れていないが、生存の機があると見るや必死にそれを掴み取ろうとしている。

 威吹的にはかなり好感が持てる振る舞いだった。


「私は、何から……お話すればよろしいでしょうか?」

「そうだねえ。まずはどこの手の者か聞いておこうかな」

「……私を含めてこの場に居る者は皆“画廊”のエージェントに御座います」

「画廊?」

「裏で美術品の売買を取り仕切る組織です」

「規模は?」

「アジアにおける最大手。本場欧州の大組織でさえこちらで商いをするのなら画廊に話を通さねば事は進みません」


 そんな連中が子供相手によくもまあ、と呆れてしまう。


「大体察しはつくけど目的は?」

「狗藤様が三田村玲司氏から相続した作品を譲渡して頂こうと」

「譲渡、とはまた穏便な言い方だね。幾ら払うつもりなの?」

「…………に、二億円ほど用意しております」


 完全に舐めている。

 玲司から相続した作品を現金化すれば二億円どころの話ではない。

 何代先まで遊んで暮らせる金が手に入ると思っているのか。


「ガキにはその程度で十分だって?」

「…………上はそう考えているようで」


 金を払うという姿勢を見せているのは正当な手順を経て譲り受ける方が楽だからだろう。

 とは言え二億で納得しない場合はその場で拷問に切り替え。

 言うことを聞かないようなら始末するというのが大まかな絵図と見た。

 威吹が確認を取ると、男は気まずそうに頷いた。


「呆れた」

「お、仰る通りかと」

「ガキ相手にやることかね」


 更に呆れるのは、だ。

 アジアにおける美術品の裏取引を牛耳っているほどの大組織なのに幻想世界を知らぬこと。

 桃園の客層を見れば分かるように現世の大物の中には幻想世界のことを知っている者が一定数存在する。

 だが、画廊の人間――ほぼ間違いなくそのトップでさえ、そちらの知識を持ち合わせていない。

 持ち合わせていればこんな一般人を寄越すわけがない。

 地位としては十分だろう。なのに知らないということは、だ。

 最初から知らされるに値しないと判断されたか、問題を起こして記憶を処理されたかのどちらかだろう。

 どちらにせよ間が抜けていると言わざるを得ない。


「とりあえず続きだ。俺はこれからどこに連れて行かれるのかな?」

「画廊の長を務める浩然ハオランが待つ××ホテルへ……」

「長――え、トップがわざわざ来てんの?」

「え、ええ」


 曰く、浩然とやらの中では情報を得た時点で玲司の作品の確保は確定事項だったそうな。

 傲慢とは言うまい。

 相手は二十にも満たぬ日本人の子供だ。普通なら裏社会の人間に抗えるわけがない。

 身辺調査を行ったのなら尚更だ。


「浩然は拙速を尊ぶ性格で、尚且つ目立ちたがり屋なのです」


 手に入れた作品の数々をしばらく寝かせて価値を釣り上げるという手もあるだろう。

 だがそれは浩然の流儀ではない。

 話題性がある内に。何なら葬式終わったその日の内にオークションを開いて売り捌くつもりらしい。


「そりゃまた急な話だねえ」


 玲司の死とそれに付随する情報が公表されて一週間と少し。

 開催日が葬式当日なら実質、数日しか段取りにかけられる時間がない。

 拙速を尊ぶと言っても限度があるだろう。


「開催側もそうだけど、出席者も大変じゃない?」

「仰る通りです。しかし、氏の遺作を全て競りにかけ捌き切ると言われてしまえば……」

「出席者も多少の無茶は通す、か」


 他にも様々な思惑があるのだろうが、そこは置いておこう。


「本来は別の者がオークションを回す予定でした。

しかし、先ほども言いましたが浩然は目立ちたがり屋なのです。

出席者の顔触れが予想以上に豪華だったので……」


「自分が前に出た、と」


 浩然という男は中々に愉快な人物らしい。


「はい。ついでに威吹様との交渉も浩然が直接、行う予定になっております」

「礼儀を通す……とかじゃないよねえ」

「単なる好奇心です」

「そんなこったろうと思ったよ」


 だがまあ、理解した。

 これはチャンスだ。使える手足を大量に確保出来るボーナスタイムだ。


「それで、その……」

「ああ、沙汰を下そう」


 その言葉で車中に緊張が走る。

 威吹は顔面蒼白な彼らを安心させるように時間を巻き戻し失った四肢を再生させてやった。

 男たちは目を白黒させていたが、直ぐにハッとした顔で姿勢を正し頭を垂れた。


「「「狗藤様に忠誠を」」」

「察しの良い人は嫌いじゃないよ」


 クスクスと笑いながら威吹は発進を促す。


「とりあえず自己紹介を……いや良い。こっちで勝手に呼ばせてもらうよ。一郎、次郎、三郎」

「「「え……あ、ハイ」」」

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