白夜行②
現実世界の東京駅から別の電車を経由し、
以前住んでいた街に戻る頃にはすっかり夜になっていた。
「あの、我が君。本当によろしいのですか?」
「良いよ。ホテル代だってタダじゃないんだから遠慮なく泊まっていきなよ」
「私がお金出してあげても良いよ?」
詩乃がここぞとばかりに口を挟む。
数日間とは言え同居人が増えるのが嫌なのは目に見えている。
それでも実力行使に出ないのは趣味じゃないからだろう。
詩乃は――九尾の狐は何もかもを力づくで押し通せるのに、どうにも迂遠なやり方を好む。
威吹をオトすためのアレやコレやもそう。
魅了を使ったりする時もあるが、決して抗えないレベルのものは使用してこない。
必ずどこかに余地を残そうとする。
でなければ威吹はとっくの昔に美味しく頂かれていただろう。
「ね? ね? どうかな?」
「別に善意だけで言ってるわけじゃないんだ。分かるだろ?」
「痛いほどに」
「まあでも、家に行く前にちょいと寄り道してくけどね」
本当はスーパーかドラッグストアで諸々を買い揃えたかったのだが時間が時間だ。
今日はコンビニでテキトーに必需品を買い揃えるしかあるまい。
「お、ここよここ」
とあるコンビニの前で立ち止まる。
道中にも同じ系列の店はあったが、この店が好きなのだ。
威吹は笑顔で自動ドアを潜った。
「……いらっしゃっせ」
「これだよこれ。この絶妙に愛想のない店長の対応が癖になるんだよね」
うんうんと頷きつつ買い物カゴを片手に店内を物色する。
「ああそうだ、紅覇。何か欲しい物とかあったら奢るからカゴに入れてよ」
「いえ、そこまでして頂くわけには……」
「気にしない気にしない。甘えとけって、な?」
「お心遣い、感謝致します」
ペコリと頭を下げ、紅覇は雑誌コーナーに向かって行った。
「とりあえず夜食用に何個か買うか」
「おうどんぐらいなら私、作るよ? コンビニでもある程度、材料は買えるし」
カップうどんを手にした威吹に待ったをかける詩乃。
が、分かってねえなこの女とばかりに威吹は溜め息を吐く。
「お家で作るうどん、カップうどん、店で出されるうどん――全部別物なんだよ」
「いや、そりゃ別だろうけど……」
「それぞれに違う良さがあって、俺は今! カップうどんの良さを味わいたい気分なの!!」
「はあ」
籠の中に数個カップうどん(当然、きつね)を放り込み、
次に行こうとする威吹だがあることに気付き足を止める。
「きつねうどんで思い出したんだけど」
「ん?」
「アンタ、もっとお揚げさん食べろや!!」
「えー……」
狐と言えばお揚げさんみたいなところがある。
何なら、一緒に暮らし始めた当初はちょっと不安だったのだ。
毎食のように何かしらお揚げさんを使った料理が出て来るのではないかと。
が、そんな様子は一切ない。
それどころか稲荷寿司すらまだ食卓に上がったことがない。
丁度良い機会だし、ここらで一言物申すべきだろう。
「母さん、狐だろ!?」
「いやまあ、はい。狐ですけど」
「だったら食べなさいよ、お揚げさんを!!」
「いや……別に世間一般で思われてるほどお揚げが好きなわけじゃないし……」
何なら人の肝とかの方が好きだと詩乃は言う。
それを聞いて威吹は思った、コイツ駄目だと。
人の肝を食べることがではない。
狐としての意識が低過ぎるのだ。
「アンタ、何年になる?」
「はい?」
「狐やって今年で何年になるって聞いてんだよ」
「え? あー……正確な年数は数えてないからアレだけど、まあ四千年以上は確実に」
「四千年生きててそれとか、意識低過ぎるだろ!!」
「意識高い狐がまずどういうものかお母さん分からないよ」
迫る威吹と困惑する詩乃、中々に珍しい構図が展開されていた。
「狐って言えばさ。九尾とお稲荷さんが代表ツートップじゃん。まずそこが出てくるじゃん」
「いや、そうでもないと思うよ? お稲荷さんはともかく私はサブカルとかに興味がなければ」
「そんなアンタがだよ? お揚げさんを食べないってどうなんだよ?」
「全然話聞かない……というか、そもそも狐=お揚げのイメージ自体後世の後付だし……」
詩乃が生まれた頃には油揚げなど影も形も存在していなかった。
それは威吹にも分かっている。だが、そういうことではないのだ。
今焦点を当てているのはイメージ。イメージだ。
「どうすんの? このまんまじゃ別の狐に代表取られるよ?」
「別に構いませんけど……何ならごん狐とかにでもお渡ししちゃって良いんじゃないですかね」
「駄目だ、ごんじゃ荷が重過ぎる」
「威吹はごんの何を知ってるの?」
ふぅ、と詩乃が溜め息を吐く。
「というか、狐だからお揚げを食べろって言うなら威吹もじゃない。
威吹も妖狐じゃない、将来的には九尾の狐(♂)になるんだしイメージ保つためにお揚げ食べなよ」
「いや、俺は良いよ。同時に鬼であり天狗でもあるからな。
それにぶっちゃけ、俺、そこまでお揚げ好きってわけじゃないし」
「えぇ……そこまで好きじゃないものを私にグイグイ推さないでよ……」
嫌いというわけではないのだ。
うどんは店でも家で作る場合でもインスタントでも必ずきつねうどんだし。
あと、時々、無性に稲荷寿司が食べたくなることもある。
が、日常的にお揚げ料理を口にしたいとは欠片も思わない。
「兎に角アンタ、代表フォックスなんだからそこら辺もちゃんと気を遣いなよ」
「だから私代表でも何でもないし……何ならスター●ォックスさんとかにお譲りするし」
「返事はハイ!」
「んもう、現実世界に来てテンション上がってるんだろうけど何でこんな変な盛り上がり方するかなあ」
ぶつくさ言っている詩乃を無視し、威吹は他の商品も次々カゴへ放っていく。
途中で紅覇とも合流し、会計を済ませる。
コンビニでする買い物にしては結構な値段になってしまったが威吹はホクホク顔だ。
「……」
「どうした紅覇?」
家に向かう道中、紅覇がやけに静かなことに気付き足を止める。
紅覇は申し訳ありませんと頭を下げつつ、沈黙の理由を語った。
「その、現実世界は……やけに明るいなと」
「ああ」
確かに幻想世界しか知らぬ紅覇にとって、この夜は奇異なものに映るだろう。
街灯や営みの光が浮かぶ夜。
現代人からすれば普通に暗いし夜以外の何ものでもない。
しかし、本当の暗闇を知る者からすればこの夜を夜だと認識するのは難しいはずだ。
「闇を切り裂き、薄め、自らの領域を拡げることに人間は心血を注いで来た。
そうして辿り着いたのがこの明るい夜――けど、人間は知らない。
追いやられた闇がより深く濃くなっていることを……ンフフフ♪」
謳うように詩乃はそう告げる。
明るい夜に浮かぶその姿は酷く不気味だった。
「ま、そういうディープな部分は紅覇くんにはまだ早いだろうけど」
「貴様……」
「落ち着きなさいよ。母さん相手に一々キレてたら身がもたないぞ」
それよりほら、家に着いたぞと紅覇の背を叩く。
「高級マンションか……良いとこ住んでたんだねえ」
「俺は別にアパートでも良いって言ったんだけどね」
監視か、ご機嫌取りか。或いはそのどちらもか。
威吹は皮肉げに頬を歪めながら電子ロックを解除し、ホールのエレベーターで九階へ向かう。
「えっと、鍵は……っと。あったあった」
カードキーを取り出しスリットに通し開錠。
二ヶ月近く帰っていなかったせいか、生活の匂いは薄れていた。
威吹はリビングで荷物を降ろすと、紅覇を連れ客室へと向かう。
「この部屋、使ってくれ。布団はそこの収納にあるから」
「お気遣い、痛み入ります」
「良いよ。ああでも、布団は仕舞いっぱなしで臭いかもしんない」
「そこらは自分で何とか致しますので」
「そか。あ、そうそう。これ合鍵な。使い方はさっき見てたから分かるか?」
「はい」
「おk。それじゃ、他に教えとかなきゃいけないのは……」
こちらで暮らすために必要なことを思い出しながら、一つ一つ丁寧に説明する。
紅覇の理解力ならば言葉だけでも十分伝わるだろう。
ひとしきり説明し終えたところで、後ろにくっついていた詩乃に視線を向ける。
「母さんは……」
「威吹と一緒に寝るから気にしないで良いよ」
「いや使えよ。折角、政府の人らが気ぃ利かせてくれたんだから」
この家には客室が三つ存在する。
ベッドと布団も同じ数だけ。
威吹は当時要らないだろと言ったのだが、
お客さんが来ることもあるかもしれないしと押し切られてしまった。
今にして考えると、そういうことなのだろう。
「や」
「…………そうかい、なら好きにすれば良いよ」
言葉は短いが断固とした意思を感じる。
これ以上の説得は無意味だと判断し、話を切り上げリビングに戻った。
「ふぅー……」
ソファに座りコンビニで買って来た炭酸飲料を流し込み一息吐く。
やはり炭酸というのは最初の一口が一番美味しい。
喉が渇いている時は、それが顕著だと思う。
「ねえねえ威吹、今日はお風呂、一緒に入ろっか」
「遠慮する。シャワーで済ませるつもりだし」
「じゃあ明日は?」
「明日はスーパー銭湯に行く予定だから」
「明後日は?」
「シャワー、その次はまたスーパー銭湯。連休終わるまでこのローテだから」
「もう! どうしてそんなにワガママ言うかなあ!」
「一緒に入りたくないつってんだよ、察しろ」
「察した上で無視して言ってるの!」
「ワガママはどっちだよ……」
辟易していると、ふと視界に時計が見えた。
時刻は午後十時過ぎ。
こっちの友人に帰還報告をするのなら、今の内にしておいた方が良いだろう。
あんまり夜遅くに連絡をするのも何だしと威吹は充電中のスマホに手を伸ばした。
「帰って来たし、どっかで一回会おうよ……っと、これで良し」
二人の友人にメールを送り終え、立ち上がる。
「先にシャワー浴びさせてもらうが……入って来るなよ」
「さあ、どうかな?」
「御安心を我が君。全霊を以ってこの女を押し留めてみせます」
やる気満々の紅覇だが……まあ、無理だろう。
詩乃が本気になれば。
いや、本気にならずとも紅覇程度は軽く蹴散らせるのだから。
紅覇自身もそれが分かっていて、それでも尚、本気で頑張ろうとしてくれている。
気持ちは嬉しいが正直、重い。
ズンと胃にくる忠誠心を感じつつ浴室へ。
「ふぃー……」
ささっと洗髪を済ませ、ささっと身体を洗う。
かかった時間は大体、六分ほどだ。
あまりよろしくないのは自覚しているが今日は疲れているし、
明日スーパー銭湯に行くのだから軽くても問題はないはずだと自分に言い訳し浴室を出る。
リビングに戻るとスマホと充電器、飲み物を回収し脇目も振らず自室へ。
「あ~……」
ボン、とベッドに飛び込むと心地良い感触が全身を包み込んだ。
思わず頬が緩んでしまったのは許して欲しい。
「畳も良いけど……やっぱベッドも好きぃ……」
締まりのない顔のままスマホを手に取ると、返信が来ていることに気付く。
内容は明日の昼に会おうという約束と、暇なら話そうぜというグループチャットへの誘いだ。
威吹は即座にアプリを立ち上げチャットにログインした。
「開口一番、土産は何って……いやまあ、買ったけどさあ」
言いつつも、威吹は笑顔だった。
裏も何もない年頃の子供らしい他愛のない会話が予想以上に心へ響いたらしい。
最近、減少しがちだった威吹の人間性が凄まじい勢いで充填されていく。
そうして一時間ほど経った頃、ガチャリと部屋の扉が開かれた。
チラと視線だけ向けると、予想通り詩乃が居た。
「い・ぶ・き♥」
薄桃色のベビードールに純白のショーツ。
頼りない布切れの向こうに透けて見える
威吹は数秒、目が釘付けになったが直ぐに視線をスマホへと戻す。
「反応薄くない!? え、好きでしょ? こういう格好!?」
「いやまあ、刺さるか刺さらないかで言うなら心臓抉り出されてるレベルだよ」
威吹の好みを凝縮したような容姿の少女が、だ。
これまた威吹の好みに突き刺さるエロいカッコウをしているのだ。
刺さる通り越して最早、お前は既に死んでいるレベルに達していると言っても過言ではない。
「中身が毒婦なのが分かっててもヤバイと思う」
「じゃあ何で!? 何でそんなセックスレスのお父さんみたいなリアクションなの!?」
「何でって言われても……ねえ?」
「……」
対応しつつもスマホから一度も視線を外さないのが気に障ったのだろう。
詩乃の表情がドンドン険しいものになっていく。
「威吹」
「あん?」
「正座」
「は?」
「正座して」
「いや、何で……」
「良いから」
「わ、分かったよ」
言われるがままベッドに正座すると、詩乃もまたベッドに上がり対面に正座する。
何だこれと思っていると、詩乃は険しい顔のまま語り始めた。
「いや、言うべきか言わないべきかわかんないけど……言うよ」
「はあ……どうぞ」
「母さんね、威吹と一緒に暮らしてて一つだけ後悔してることがあるの」
伏し目がちに詩乃はそう告白した。
「母さん……威吹を叱ったこと、一度もなかったよね?」
「アンタ、自分が説教出来るような身の上だと思ってんの?」
威吹のツッコミをスルーし詩乃は続ける。
「もっとちゃんと叱っておくべきだった。自分の勇気のなさが情けない」
ふるふると首を振る詩乃。
威吹は早くおわんねーかなと思いながら彼女の言葉に耳を傾ける。
「正直ね、ずっと、どうすれば良いか分からなかったの。
最近、自慰の回数が目に見えて減った威吹にどう接して良いのか」
「アンタ何言ってんの?」
顔が引き攣る。
自慰の回数まで把握してんのかよこの女……戦慄を隠せぬ威吹であった。
「どの程度まで誘惑のレベルを引き上げて良いのか……」
「知らんけど」
「だけど、何時もとは違う環境に居る今こそ勇気を出すチャンスかもしれない」
「ねえ、まだ話終わらない?」
「だから……叱らせてもらうね?」
キッ! と眦を決し詩乃は強く言葉を紡ぐ。
「興奮してるんでしょ? 今の性癖ドストライクな母さんの姿に。
興奮してる時ぐらい我慢しないでちゃんとヤりたいって言いなさい!
ヤりたい時にヤりたいって言えない男の子なんて将来、EDになっちゃうぞ!!」
「糞して寝るわ」
人生でもそうはないだろう、ここまで無駄な時間。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます